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12月13日(木) 曇り一時雨、微風 閑話休題 《 贈呈本 『日の丸が島々を席巻した日々』について 》

 マニラに『日刊まにら新聞』という邦字紙がある。戦前に『マニラ新聞』というまにら違いの邦字紙があったが、こちらは日本の軍国主義時代の国策宣伝新聞であって、それと混同しないようにひらがなの『まにら』と紙名を冠したようだ。

 今年創刊20周年を迎えたが、在留邦人がそれほど多くないフィリピンでこういった日刊紙を発行するのは営業的に並大抵ではないと思う。

 紙面の広告ではカラオケの店が多数派を占めるのはフィリピンらしい国柄だが、記事は硬派で、戦前からの遺棄された日系人問題とか、最近のミンダナオ内戦和平の現地ルポなど骨太、当地の人間でないと書けない記事も多い。

 と書いていくと何となくネットのやらせ『これはいい』系、提灯持ちのようになるが、この新聞には私も何度か原稿を掲載してもらっていて、それなりに縁がある。

 写真はまにら新聞創刊20周年記念で発行された本で右開きが『日の丸が島々を席巻した日々』で、左開きが『Under Japanese Rule』と日英文合冊の珍しい体裁の本である。

 この本の日本語版訳者が水藤眞樹太氏で水藤氏より贈呈された。私たち夫婦が2006年から2年間、中米・ホンジュラスで暮らした時、まにら新聞に『ホンジュラス便り』という拙文を月一回掲載していただいたが、その時の担当が水藤氏で副社長という要職にあるにもかかわらずずいぶんと文章の書き方をご教示いただいた。

 水藤氏は共同通信出身で公安畑取材から海外ではバンコク、テヘラン、ニューヨーク支局長等を務めた今年75歳、私など足元にも及ばない方である。この本は受け取って封を切りパラパラとめくった程度で、水藤氏の後書きを読むと、日本がフィリピンを占領した時の前後事情を文中で要領良く述べていて、世の中にはフィリピンのことを良く研究している人が居るのだなと敬服する。

 私なども最近、セブの古い写真を基に好きなことを書いてセブの季刊タウン誌『Navi de Cebu』に載せてもらっているが、水藤氏のような体系的な研究ではなく、野次馬が好きなように書いている感が強い。

 さて、肝心の本の中味だがこれから読み出すので、読後感は書けないので本の内容を紹介して置く。原書はフィリピン人研究者4人の聞き書きで、戦時中の日本軍政下を体験した人々の証言が記述されている。

 水藤氏も指摘しているが、日本人は外地慰霊や遺骨収集などは熱心でも、どうも被害者意識が強くて、先の戦争の加害者としての反省が足らないと常々思っていたが、こういった地道なアジア、フィリピンの歴史というものを日本人はもう少し学び返した方が良いのではと思う。

 と偉そうに書く私も本はたくさん読んでもフィリピン文学など1冊位しか読んでいない体たらく。読書と言えば今年は何冊くらい読んだか考えるが、100冊位か。『掉尾』という言葉があるが『日の丸が島々を席巻した日々』はその言葉に相応しい本になりそうだ。

 最後に書名にある『席巻』という言葉は辞典によると『余すことなく片端から領土を攻め取ること』とあるが、あの時代を考えると『暴威、暴力、強権を持って他を踏みにじる』『蹂躙』の方が合うと思うがどうだろうか。蹂躙などと書名に入れると『自虐史観』などと半端仕事の石原とか政権が転がり込むと有頂天の安倍とかいった右巻きの連中がレッテルを張るから穏やかな表現にしたのかと考える。


author:cebushima, category:閑話休題2012年12月, 20:10
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12月12日(水) 晴れ、軽風 閑話休題 《 歴史的建造物について 》
 東京駅が500億円という巨額な資金をかけて復原された。この資金は東京駅の『空中権』を売って捻出したらしいが、東京駅は皇居用の駅だからこのようにやれた。

 松本清張の『点と線』で知られる復原前の東京ステーション・ホテルは安い値段で泊れたが、復原後は高級ホテルになってしまって手が出ない。

 東京でこれまでに取り壊された建物は数知れず、今も取り壊しになる運命の建物はたくさんある。

 今の日比谷劇場街に行く手前に名前は忘れたが古い有名なビルがあった。日比谷へ映画を観に行く時はこのビルの中に入って眺めるのが楽しみだった。記憶は薄れているが、大理石を張ったロビー、真鍮製のエレベーターなど渋く、いつまでも残しておきたいと思ったが、民間所有のビルは経済効率で計算されるから保存されなかった。

 日比谷の映画街を抜けると帝国ホテルにぶつかる。今は唯のビル型ホテルになって何の特色もないが、建て直す前はフランク・ロイド・ライトが設計、1923年竣工の石造りの建物が古錆びた佇まいを見せ、日比谷公園側から眺めたりスケッチをしたが、今思うとじっくり中に入って観察しておけば良かったなと思う。

 この旧帝国ホテルの玄関周りは『明治村』に移築しているが、しばらく経ってから見学したら何だか見世物的で建物に力がなかった。ちなみにこの明治村の村長は先日亡くなった小沢昭一だった。

 そういえば同時代に丸の内にあった最後の三菱の赤レンガの建物も取り壊されている。これもスケッチしているが、そういった目についた建物などを撮った写真も残っていると思うがどこに行ったか分からない。

 その取り壊した赤レンガの三菱館を先年復元して美術館としてオープンしたが、復元はイミテーションだからずいぶん無駄なことをやったものだと思うし、最後に残った赤レンガの建物を壊した当時の三菱グループの経営陣は見る目がなかったと言える。

 写真は昨年、震災支援で東北三県を廻った時のもので、盛岡市にある1911年竣工の『岩手銀行・旧本店本館』。最近この建物が大規模修繕されるというニュースが流れた。

 この建物も東京駅を設計した辰野金吾と盛岡出身の葛西萬司の手になり、赤レンガと白い石を配したデザインは東京駅とよく似ていて、どちらも国の重要文化財に指定されている。

 津波に襲われた宮古市方面から、盛岡市へ抜ける道を走っている時、赤信号で止まった時同行の者に撮ってもらった物で偶然だった。この銀行は昨年の8月まで現役だったというから、中はまた古い良さが残っていたであろう。

 信号を渡ってこの道をそのまま進むと左側に旧城址があり、にぎやかな繁華街に入り、震災の影響はほとんどなかったようで県都だけあって多少活気はあった。

 セブ地元にも古い建物はあるが、多くは先の戦争時に米軍の爆撃、艦砲射撃で焼失、最近戦火をくぐって残された戦前の建物が見直され、保存の機運があって喜ばしいことである。


 
author:cebushima, category:閑話休題2012年12月, 20:36
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12月11日(火) 晴れ、軽風 閑話休題 《 私の『小沢昭一』追悼 》
 12月は著名人が多く亡くなる月と言われていて、報道各社は鬼籍に入りそうな人物の死亡予定原稿を用意していると聞いたことがある。

今年の12月は森光子、中村勘三郎、そして小沢昭一と立て続けに芸能人が亡くなり、芸能人だから取り上げ方が派手なのは仕方がない。

 森光子、享年92。私の死んだ母親と同世代で、話しぶりや雰囲気が良く似ていて、明治と昭和に挟まれた大正女はこういうものかと常々感じていた。

 亡くなる間際までまだ舞台に立つ意欲はあったそうだが、最後まで人生を演じていたのかと寂しさも感じる。森光子は晩年近くなって文化勲章など数々の栄誉に浴しているがそれが良かったかどうかの評価は分かれるが、杉村春子が文化勲章を辞退したことを考えるともらわない方が良かった気がする。

 中村勘三郎、享年576歳の時の主演映画『アッちゃんのベビーギャング』(1961年)を見ているが、ずいぶん達者なガキの印象は深く、梨園の御曹司とは後年知った。先代(17代)の勘三郎のように洒脱ないい年寄りになり、歌舞伎役者としてこれからと思っていたが50代での死は惜しまれる。

 小沢昭一、享年83。日本のラジオをパソコンで聞いていて、特にTBSの『小沢昭一的こころ』は楽しみの一つだった。それが病気療養で出演しなくなり、私もそのままラジオから遠ざかり、そしてこの訃報。

 小沢昭一はあの風貌や言動から『軟派』の俳優と見られているが、海軍兵学校の入学者だったことは知られていない。

 
話は脱線するが、海軍兵学校は日本海軍の将校を養成するために1869年(明治9年)設立。敗戦の年1945年(昭和20年)まで存続した。その間78期を数え、卒業生は12433名とあるが、小沢は最後の78期で実際は数カ月しか在校できなかったが、卒業生として扱われているようだ。

 同期には作家佐野洋、漫画家佃公彦、デザイナーの栄久庵憲司、そして俳優仲間の加藤武がいる。兵学校最後の校長は『レイテ沖謎の反転』で知られる栗田健男中将。兵学校校長はそれなりの海軍将官が就いていて、昭和の代でも永野修身、及川古志郎、井上成美といった日本海軍史上に名を残す人物の名がある。

 小沢昭一の功績というのは日本の放浪芸を収集、記録に留めたことではないかと思っているが、写真の『猿回し』など、小沢が山口県を訪ねて掘り起こしたのがきっかけという。消えゆく、あるいは消えてしまった日本文化を記録したということでは民俗学者の宮本常一に匹敵するのではないか。

 あれは洒落だったと思うが、小沢が永六輔、野坂昭如と組んだ1970年代の『中年御三家』を思い出す。永六輔79歳、まだラジオなどに出ているがパーキンソン病を患い、声に積年の力がない。野坂昭如82歳、脳梗塞に倒れ療養中、執筆は続けているが往年の野次馬根性は失せている。

 順番にお迎えが来るといわれるが、こうして著作などで親しんだ人物が亡くなるとその思いは一層深い。そういえばこの3人、早稲田で学んだが今の早稲田にこのようなキャラクターを生む力はもうないのではないかと思いながら、小沢昭一への追悼とする。
 


author:cebushima, category:閑話休題2012年12月, 19:01
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