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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (20) ヴィエンチャン暮らしの終わる時
 今日、仕事の終わる少し前から突風が吹き、やがて雨が降り出した。この時期には珍しい雨で、カラカラに乾いた大地には惠の雨になるが、今日の雨から雨季入りの近いことを感じさせた。

 昨年3月よりフィリピン・セブからラオス・ヴィエンチャンで、日本のNGOの仕事に関わり住んでいたが、この仕事も今週15日で終わることとなった。

 本来は
3年プロジェクトだったが、このNGOの代表がプロジェクトに見当外れの妙なチョッカイを出すようになって、嫌気がさして辞めることにした。

 私も歳だから若い時のように『我慢』というのはもう必要でなく、好きなようにやりたいと思っているからサバサバしている。

 NGOというのは世間的には流行の言葉で、何やら立派なことをやっているように見えるがその実態は様々で、玉石混交の世界である。

 今でこそNGOの呼び方は『非政府組織』と誰でも理解しているが、少し前の日本ではJICA組織でさえ、NGO=非政府組織と説明、解釈すると『反政府的な印象を与えるので民間組織といいなさい』といわれたもので、今とはずいぶん違うことに隔世の感がある。

 そのNGO本来は市民の様々な発想、活動によって運営されていくのだが、どうも最近はNGOの格付けをするような風潮があって由々しい問題ではないかと思う。

 これは『認定』というNGOの頭に付いているものがそれで、役所から認定されて、いかにも当NGOは本物ですと誇示する代物で、認定などNGOの活動とは本来何の関係はない。

 また認定を取ると税制上有利になるといわれるが、税制など関係なく寄付する人は昔から寄付をしている。しかし、認定を取ると役所の補助金を使って活動するには近道で、役所の方も認定されているかどうかで審査できるから簡単。

 NGO側も他のNGOと区別化したいために認定を取るのが多く、何のことはないパイの取り分を余計に取るだけの代物。

 勿論、認定を取るにはそれなりに組織がしっかりし運営も公明に行われているなど必要となるが、そんなものはいわれたから定まるものでもなく、普通のNGOなら当たり前のこと。

 仰々しく『うちは認定NGO』といいたいだけのもので、何、こんな物は紙に書いた作文が元だからいくらでも上手いことを書くことはできる。ここで大事なのは認定を取らなければNGOとして失格だという風潮が問題であって、NGO本来の活動とは認定など何にも関係ない。

 ネパールで地震が発生し、各国から救援、支援の手が差し伸べられている。日本にはこういった緊急援助組織としてジャパン・プラットフォーム(JPF)があって、この組織はNGOと政府と財界が作ったNGOで、発足時から色々取り沙汰されたが、何しろ資金量は抜群に多い。

 JPFは加盟したNGOに対して緊急援助用の資金を供与するが、この加盟要件もやはりパイの分け前の問題があるためにハードルは高く、最近では加盟するのを難しくするように財務内容とか、何やらと五月蠅くなってきている。

 それでも供与資金額は短期間で
1000から5000万になるから、NGOにとっては魅力を持つ。

 先年、フィリピン中部で台風に見舞われ甚大な被害を出した時など、相当の金がNGOに供与されたが、その内容のほとんどは『物資配り』で、私なども現地に入ってそんな物が必要なのかと疑問を抱いた。

 NGOにしてみればどんな陳腐な支援でも活動実績になるし、当のNGOの運営にも資金は流せるから願ってもない存在で、中身などどうでも良いのが多いのではないか。

 と、どうでも良いつまらぬNGO雑感を書いたが、NGOというのは実社会と比べるとしょせんはぬるま湯、NGO運営に長く携わっていても、そういった人物はどこかいかがわしさを感じさせる。

 写真は
1年近く住んだメコン川の畔にある借家のベランダ風景。その多くはタイで買って、ラオスにせっせと運んだ『蘭』で、40鉢以上ある。

 全部セブへ持って帰りたいところだが、それは無理。せいぜいヴィエンチャンを離れるまで水やりを続けたい。
 


author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 20:18
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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (19) ラオス−タイ国境の橋を跨ぐ鉄道
 先日、車を使ってタイ・ノンカイまで仕事で使う用品の買い出しに行った。車でラオスからタイへ、メコン川の国境を越えるとなると大変な手続きが要ると思われるだろうが、イミグレーション前に並ぶ車の列が多いと時間がかかってイライラする程度で、国境を行き来する車の登録手続きさえ取ってあれば、往来は簡単である。

 また、国境越えといっても隣町に行くのと同じでそれほど面倒なものでもない。

 特に、ラオスはタイから食料品、日常雑貨などあらゆる物を輸入している国で、当然同じ品物でもタイ国内とラオス国内で売っている値段はラオスの方が高い。

 そのため、少々手間はかかっても安い品物を買い出しにヴィエンチャンからノンカイへ行くラオ人が多く、特に車の所有者はノンカイでまとめ買いするため、週末のイミグレーション前は車で大混雑。

 ラオ人に『ラオスでタイより安い品物はないか』と聞いたことがあって、そのラオ人考え込んで『何にもない』とタイから輸入している状態を裏付けた。しかし、『ラオスはコメの産地でコメくらいは安いのではないか』と再度聞くと、タイのコメの方が安いという。

 そんな具合で、ラオスはタイの商圏が拡大した植民地の様な国と自嘲していうラオ人も居るし、タイ人もラオ人を見下す傾向があるのも事実。

 さて、その帰り道、タイ側から手続きを済ませて橋を渡ろうとしたら道路上に柵が渡され通行止めとなっていた。この橋は
19944月にオーストラリアの援助でメコン川に初めて架けられた橋になり、既に20年を超えている。

 初めてこの橋を渡ったのは家人とバンコクから鉄道でノンカイ(その駅は廃止され、新しい駅が作られている)に入り、その足でこの橋を渡ってラオス入りしたのが
2000年か2001年だった。橋は開通間もない頃で新しい息吹を感じたし、利用客も混雑していなかった。

 さて、その橋の設計は片側
1車線、中央に単線の鉄路が走る珍しい構造で、将来的にはバンコクからヴィエンチャンまで鉄道で結ぶつもりだったらしい。

 ところが、中国が雲南省からラオスを縦貫して、バンコクまでつなげる鉄道計画をぶち上げてからおかしくなって、ようやく
20093月にノンカイ−タナレーン(ヴィエンチャンの外れ)が開通した。

 メコン川を渡る世界でも最も短い国際列車として有名だが、何しろタナレーンという駅は市内から行くだけでも大変辺鄙な場所で不便、しかも一日
2本しか往復していない状態なので利用客は少なく、統計では年間4万人ほどの利用、しかもその80%は話のタネに乗る外国人だという。

 午後5時にラオス側を出たディーゼル車は橋の真ん中を通るので、当然ラオス側、タイ側は道路を遮断して通過させている。上の写真が遠くの真ん中辺に小さく写っているのがその列車で、珍しい光景に遭遇した。

 停められた車の連中はブツクサ言っているが、私にとってはまたとない機会で、旗を持つ係員に写真はOKかと聞いたら別にという感じ。

 ようやくやって来た列車、下の写真が道を逸れてノンカイに向かっている様子だが、乗っているのはやはり外人観光客が目立ち、中には身を乗り出して手を振っている外人が写っている。

 この列車が通り過ぎてもしばらくは通行止めは続くのかと思っていたら、係員はあっという間に柵を移動させて通行再開し、慌てて車に戻る一幕となった。

 かねがね、ヴィエンチャンに居る間にこの列車に乗ってみたいと考えていて、近い内に実行することにするが、たった
15分間乗車の国際列車、どのような印象を受けるか楽しみである。

 このラオス唯一の鉄道路線、ヴィエンチャン市内まで延伸するというが、車時代の現代、何かと面倒、不便そうな鉄道を利用するラオ人が居るのかどうか不明。

 鉄道は保守が大変で、最近フィリピン国鉄で脱線事故があって、その原因はレールを留める金具が盗まれたためとなっていて、盗む奴らも相当な奴らだが、日常的に保守管理を怠ってきた当局の責任も重い。

 このため当局は路線の点検をして、
5月一杯は運行できないと発表しているが、フィリピンも既に車社会で、鉄道など利用するのは少数派。ということを思うと、桜巡りで使った日本の新幹線や地方鉄道はやはり群を抜いて優れものとの印象が強い。


 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 08:44
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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (18) 日本の桜巡りー5
 順序は逆になったが、『五大桜巡り』で最初に行った埼玉県北本市の『石戸蒲桜』の写真が家人から送られてきたので、それについて書いてみたい。

 家人の写真は携帯電話のカメラからで、私のようにデジカメで撮る人はかなり少なくなっている。

 携帯のカメラも今はかなり良くなってデジカメと遜色なくなっているが、写真的効果を写すのには専用カメラに勝るものはない。

 その辺りがカメラ会社の売りになって、今はレンズ交換のできるミラーレスカメラがかなり開発されカメラ売り場の主力になっているが、当然値段もコンパクトデジカメよりかなり高価。しかも昔の様なカメラのデザインで、少しカメラを齧ったことのある層には購買意欲をかき立てる商品。

 またその上もあって、レンズをそろえれば
3040万は軽く行ってしまう一眼レフも売れているという。この手のカメラを持つのはある程度金のあるリタイアした人間のようで、色々な所で出没するが腕の方はどうだか分からず高級カメラを持つことが目的かも知れない。

 と、嫌味はそれくらいにして、石戸蒲桜について書いてみよう。この桜は山桜と江戸彼岸の自然雑種で、
この雑種が『蒲桜=カバサクラ』となり、世界にここだけしかないという貴重な樹になる。

 とはいってもこの樹の子孫は地元の手によって増やされている。樹齢は鎌倉時代にさかのぼり800年といわれているが、昔はもっと幹があったそうで、現在の写真の幹は孫生えといって脇から出て来た樹が育った物という。

 行った時は既に花の盛りは過ぎていて、地面に花びらを散らしている状態で、その前の週の週末に『桜祭り』でも行われたのか、近くの駐車場に飾ってあった雪洞などを片付けている最中だった。しかも雨模様でそれがまた、桜の存在感を示すようでそれはそれで悪くなかったし、何よりも目障りな人がなかったことも良かった。

 この樹のある近辺は、石戸宿とあるように昔から人が住んでいた地域で、畑でネギでも作っていたような関東平野の農村地帯である。そういった名残りが近在の屋敷にあって、蒲桜近くの家には見事な大島桜が満開だったし、椿や畑に咲く菜の花といった花も目を楽しませてくれる。

 この桜は北本市という所にあったが、あまり馴染のある名前ではなく、この沿線では深谷、上尾、桶川といった地名を思い出す。ちょうど選挙期間中で、市長選の宣伝カーが駅前に停まっていたが、運動員の羽織る黄色いジャンパーが目立つだけで、通行人はほとんど無関心。

 日本の選挙の投票率の低さが問題になっているが、今の日本人を見ていると今後投票率が上がる様子は見られず、選挙制度自体の空洞化、崩壊といったことが起きるのではないかと思う。

 要するに無関心に尽きるが、今回日本へ行って、携帯電話に呆ける人々の蔓延ぶりにビックリしたし呆れた。あれでは情報を一方的に受けるだけの、何も考えない愚集団を作るだけで、本当に世の中どうなって行くのか空恐ろしい時代に突入していると感じた。

 こういった現象こそ、アメリカが狙った『全体主義』であると何かの本で読んだことがあって、情報化時代などというが、その根本はアメリカが握っていて、具体的にはアメリカ政府がウィンドウズにソフトの停止を命じたら、たちどころに世界はストップ。

 その恐ろしさに気づかず情報時代を横溢などチャンチャラおかしく、少なくてもいつでもどこでも呆けて画面に見入る人間は御し易いのは事実。こういった連中に自分の頭で考えよといっても、既に遅い時代で、新手のファシズムの時代に突入は確か。

 と、それくらいにして、今日、たまたまNHKワールドの番組を見る機会を得たが、『桜』にまつわる10のエピソードを、日本の各地で咲く桜を追ったドキュメンタリーで、なかなか印象的で再放送も見た。

 この10の中には五大桜はなかったが、こちらは有名過ぎて扱い難いのであろうし、五大桜に負けない見事な枝ぶりの桜が登場し、日本は本当に桜の国だなと実感した。

 このドキュメンタリー最後は北海道の牧場に咲く一本の桜で、その開拓地に入った80代の老婆と桜の取り上げ方は感動的だったし、この桜の幹は大地に根ざし、枝は天を指す枝ぶりで、こういった名前のない見事な桜が日本全国にあることを知る。
 


author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 21:07
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