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ルソン島紀行 イロコス篇 その(29) マニラ逍遥−10 マニラの国立博物館にて

 これからのマニラ逍遥はイロコス地方を回って、飛行機の都合でマニラに滞在した時のもので、今回はマニラにある由緒ある建造物や博物館を訪ねた。

【写真−1 入口は右手側に回った所にある。本館は右手奥、道を挟んだ向こう

 写真−1
はマニラにあるリサール公園内にある国立博物館で、マニラで宿泊したホテルが公園のそばなので歩いて向かうが、ホームレスもだいぶ多く、といって平和的な感じがするのはフィリピンだからだろうか。

 この博物館、正式には『Museum of the Filipino People』といって、この近くに国立博物館があり、そちらは『National Art Gallery』と名付けられていて、本館になる。

 本館は1918年着工、1926年竣工となっていて、途中資金不足で建設が止まったというから、フィリピンの計画性のなさは昔からの伝統のようだ。本館は上院、下院の議場として使われていて、Museum of the Filipino Peopleの方は元財務省の建物だった。

 いずれも1945年の10万人の市民が死んだと言われる『マニラ市街戦』でかなりのダメージを受けたが復元されて、現在に至る。

【写真−2 こういった収集はフィリピンの金持ち、有力者の協力がある】

 時間がなかったので、民族資料の展示されている階へ行くが、写真−2がその展示の様子で、フィリピンの少数民族の衣装を展示している。じっくり見るとなかなか面白い物で、ためになる。

 かつては展示方法や収集に問題があって、行ってもつまらない場所と評価された時もあるらしいが、どうしてどうして展示内容は充実していた。恐らく行っても仕様がないと吹聴する輩は、元々民族や民俗の歴史や在り方に興味がなく、ただ名所だから行った程度の頭しかないから退屈と言うのであろう。

【写真−3 こういう籠を通じてその昔の民族の共通点と流れが分かる】

 そういった展示物の中で興味を引いたのはやはり編んだ籠で、写真−3はその一つ。収集されているようにかなりの出来で、今はもう作れないデザインと技術ではないかと思う。

 私も手仕事の籠と織物に興味があって、行った先で収集しているが、かつてセブでも山の道を車で走っていると山に住む人が編んだ籠を売っている事があり、あるいは市場などでこれはという籠を集めた。

 ところが、今はそういった技術を持つ人が絶えたのかそういった籠は手に入らなくなり、自宅に保管してあるたくさんの籠はこれきりというということになり正に『お宝』となっている。

 今回のイロコス旅行でも北イロコス州の州都ラオアグにある市場で面白い籠を見つけて持って帰っているが、これなどもプラスティック製の方が便利、良いと断言するフィリピンではやがてなくなるのかも知れない。

 


 

author:cebushima, category:ルソン島紀行 イロコス篇, 19:59
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ルソン島紀行 イロコス篇 その(28) マニラ逍遥−8 ヴィガン行きのバス会社にて

 このイロコス旅行では前後にマニラで宿泊していて、今回はイロコスへ行く当日夜を綴る。

【写真−1 片道2000円くらい

 写真−1
はマニラ−ヴィガン間に直行バスを運行しているバス会社のチケット売り場の様子で、時期的に人の移動する季節でもなく閑散としている。

 フィリピンはバスの長距離移動というのがかなり前から盛んで、今はどうか知らないがかつてはマニラからミンダナオ島へ行く、超長距離バス路線もあった。

 この路線はマニラのあるルソン島、サマール島、レイテ島を経由しミンダナオ島へ渡るが、島の間はフェリーを使っていた。今は、こういった長距離移動は安い運賃で乗せる航空会社があるので、利用者もそちらに移っているが主力はバス移動になる。

 また、島国フィリピンは各島間を結ぶ航路が発達していて、こちらも長距離はマニラ−ミンダナオ島の航路があって、その昔、マニラからサンボアンガ経由でダヴァオまで行った経験を持つが、貨客船で2日くらいかけて、航海という言葉が合った。

【写真−2 こういう場所でボンヤリとテレビを観ながら待つのも興がある】

 写真−2はヴィガン方面へ行くバス会社の待合所で、長椅子の後部に狭いテーブルがあって、物を置いたり飲食に便利だが、前屈みで頭を乗せて仮眠するのにも使えて、夜行バス乗車前にそうやって仮眠する人もチラホラ居た。

 ここは前にも書いたがイロコス地方で独占的にバス会社を運営している『パルタス』と言う会社で、この会社の持ち主が南イロコス州を牛耳るシンソン一族で、その北にある北イロコス州は独裁者マルコス一族が牛耳り、両者は封建時代の領主然として未だ君臨している。

【写真−3 トイレは付属していなくて途中休憩が2ヶ所】

 写真−3はヴィガン行きのバスで、片側2列と1列の豪華バスと言う触れ込みで前後左右に多少余裕はあるもののだからどうだという程度。切符を買った時、席は全く埋まっていなかったが、夜10時の出発時にはほぼ埋まった。

 これで翌早朝5時半過ぎにヴィガンへ着いたが、深夜バスは冷房の効かせ過ぎでジャンパーなどで対策が必要とは聞いていたが、本当に車内は冷えに冷えて真冬並みの防寒着が必要で、ヴィガン到着時は冷凍車から降りたようであった。


 

author:cebushima, category:ルソン島紀行 イロコス篇, 19:04
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ルソン島紀行 イロコス篇 その(27) マニラ逍遥−7 懐かしきクバオとその想い出

 正確にはマニラ首都圏ケソン市にあるクバオだが、初めてフィリピンに行きしばらく滞在した知人の家がクバオ近くの高級住宅地内にあった。フィリピンは貧しいとの先入観を持っていたが、高級住宅地内は全くの別世界で、日本でも見られないような豪邸が連なっていた。

【写真−1 この線は比較的空いていた

 その住宅地からクバオ行きのジプニーが出ていて、お手伝いに混じってクバオへ出かけた。今回のイロコス行きはこのクバオ近くにバス・ターミナルがあって、様子を見るためにクバオへ出かけた。

 写真−1
はクバオへ行く軽量鉄道の様子で、あの頃から四半世紀以上経つとこのように鉄道が敷かれ隔世の感はある。なお、この鉄道は日本のODAで作られた。

 クバオはフィリピン有数のアラネタ財閥が広大な土地を所有し開発をし、この5月にあった大統領選で次点になったロハスがその財閥の御曹司になるが、このロハスの祖父は元大統領であまりの毛並みの良さから逆に妬まれ、貴種大好きのフィリピン人気質から反感を買う逆説的な存在でもある。

【写真−2 今は携帯電話会社の名前が付けられているコロシアム】

 その中心が写真−2の『アラネタ・コロシアム』。四半世紀以上前はこの建物を中心にショッピング・モールや市場が緩やかにあったが、今はもう一つの軽量鉄道がこのクバオで交差するためにかなり再開発され、変貌を遂げている。

 クバオはフィリピンのファースト・フード最大手の『ジョリビー』の発祥の地で、当時は屋台のハンバーガ屋から始まったという。そういった昔からの繁華な場所で、当時一番印象に残っているのはピザ・チェーンの『シェーキーズ』で、或る時昼食に入ると店の片隅で数人のバンドがライブ演奏をしていた。


 フィリピンはこんな店でも昼間からライブをやるのかと驚いたが、フィリピンはレコードを買うより人間に歌わせた方が安く上がるということを聞いて、冗談とも本当とも言えない当時のフィリピンであった。

【写真−3 公演は暑いからという理由で取り止め。チケットが売れなかったのだろう】

 写真−3はアラネタ・コロシアムの入り口で、セルジオ・メンデスが3月にここで公演をする宣伝が掲げてあった。セルジオ・メンデスはまだ生きているのかと思ったくらいだが、ここは海外からの芸能人公演で有名な場所で、他にも大きなスポーツ戦が行われる(後日、メンデス公演は中止になったが、その理由は暑いからと分かったような分からない理由を言っていた)。

 写真右上にこの間亡くなったモハメド・アリの姿が写るが、ここで1975年10月1日、世界ヘビー級タイトルマッチがアリとジョー・フレージャーの間で行われ、14回TKOでアリが勝った。この試合は世紀の名戦といわれ、両者の対戦成績はこの試合を最後にアリの2勝1敗となった。

 ここで試合が行われて既に40年以上、正に『Legend』の垂れ幕が相応しい。こういった試合がフィリピンで組めるのもフィリピン人のボクシング好きと、いくらでも金を払える金持ち層が存在する事から来ていて、現代のボクシング英雄のパッキャオの試合はアメリカ・ラスヴェガスで行われているが、フィリピンから大挙して金持ちが観戦に行っている。

 このコロシアムでもう一つ想い出すのは、ミス・フィリピンの最終選考会がここで行われ、先の滞在していた知人に誘われて観客の一人として観たことで、どういう美人が出て来て、結果はどうだったのかなどもう覚えていない。

 しかし座った席はかぶりつきといって良いかなりの場所で、知人は政府関係の仕事をしていたので、こういった要人向けの招待状をもらったためではないかと思っている。

 このミス・コンテストでもう一つ想い出すのは、こちらはセブになるが知り合いの会社の社員がミス・セブの最終選考に残り今は名前の変わったセブ・プラザ・ホテルで開かれ、私はヴィデオを持って会場に行ったことがあった。

 この社員、いい線まで行くと思ったが選外で、フィリピン人の美人感は違うなと思った。そういった目の覚めるような美人であっても、その後結婚して子どもを産んだら、独身時代とは似ても似つかぬ太り方と変わりようで、フィリピン美人の花の命は超短いと感慨を持った。


 

author:cebushima, category:ルソン島紀行 イロコス篇, 18:44
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