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パナイ島ぶらり旅 2015年 その(27) イロイロ市の教会からタクシーに乗って
【写真−1 前面には公園もあってヨーロッパ風とは言うが、やはり暑い】

 フィリピンには16世紀に造られたバロック様式の教会が世界遺産に登録されていて、その数は4つあり、パナイ島に1つ、ルソン島に3つある。パナイ島の登録教会はイロイロ市から海岸沿いを西に向かって40キロほどのミアガオという町にある。

遠くて交通の便も良いとは言えず、この日の昼過ぎの飛行便でセブへ帰るので行こうか行くまいかと思案のしどころであった。その前にイロイロ市内にはかなり大きな教会があり、その一つの『モロ教会』へ行く。

写真1がその正面で1831年建立。イロイロの教会を有名にしたのは、今年行われた大統領選で立候補し、事前の世論調査では1位を取っていた女性候補のポーがイロイロの教会前に捨てられていた孤児という境遇で、選挙では3位に沈んで落選したが、当選していたら大変な騒ぎになっていたであろう。

あれはどの教会だったかな、ここではないハロの教会だったかなと思い出すが、大統領になりそうな時期にはポーの出自探しが盛んで、この一家ではないかなどと言われ名乗りもしていてDNA鑑定するとか騒いでいたが、落選したらその話はたちまち消え、結局、美味い話に乗ろうとしただけであったようだ。

写真−2 まだ準備中】

写真2はその教会内部で、この日は年も押し迫っているというのに結婚式の準備が行われていた。教会で挙式するにはカトリック教徒でないと出来ないが、フィリピンのカトリックは離婚を認めない時代遅れの組織で有名で、法律も離婚を認めていなくて、それでも離婚できないわけではないがそれには裁判を起こし、莫大な金と時間がかかる。

そのため、金持ちだけが離婚できる仕組みなので、普通の人は別居するのが離婚という形態になっている。ところが分かれた双方が新たな家庭を持つと、そこで生まれた子どもは法的には婚外子になり、事は複雑、この例がフィリピンには非常に多い。

それが問題にならないのは婚外子などフィリピンにはあまりに多過ぎ、珍しくないためである。それにしてもこんな状態では良い事はどこにもなく、早い所離婚法を制定すれば悲劇も避けられるだろうし、実際アキノ政権は制定に積極的であったが、教会の圧力と保守政治屋の反対で制定できなかった。反対した政治屋どもなど、多くは離婚できずに別の家庭を持っているのが多いから、自分たちのためにも良いと思うが。

【写真−3 タクシーを長距離に使っても日本よりははるかに安い】
                                                                        
時間は切羽詰まっているが、せっかくここまで来て世界遺産のミアガオの教会を見ずに帰るのももったいないと思い、大急ぎで教会前でタクシーを捕まえてミアガオへ向かう。

写真3はそのタクシー内から写した一枚で、ミアガオに着いても30分も滞在できるかという贅沢といえば贅沢な忙しい展開となった。



 

 
author:cebushima, category:パナイ島ぶらり旅 2015, 19:38
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パナイ島ぶらり旅 2015年 その(26) イロイロ市内街歩き
【写真−1 下の通りは市内有数の繁華な通り】

 イロイロ市で泊まった宿は探すのも面倒だったので街を歩いていたら『ペンション』という看板を見つけ、そこのフロントへ行く。

 時期的なのか場所が良いのか結構部屋は埋まっていて、仕方なく高い方の部屋にしたが、これは外れでただベッドが置いてあるだけの部屋で、シャワーもポリバケツの水をかぶるような状態。

 写真1はその部屋から見た下の通りで、早朝のため昼間にぎわう通りもまだ静か。こういうどうしようもない宿に泊まる時は、いざとなったら逃げだせるような最低でも窓のある部屋を確保することで、ここの場合、隣のビルの屋上に飛び降りれば助かるだろう。


【写真−2 珍しいものはなかったが、時として絶滅危惧種が売られる】

 イロイロ市内のダウンタウン地区に居るのでブラブラ歩きだすが、写真2はとある通りで見かけた路上のペット・ショップ。

 ハトやインコなどの鳥や、ウサギ、金魚を扱っているが子どもが通りかかったら離れそうもない雰囲気であった。店主はどこに居るか見えなかったが、これで商売になるから面白い。


【写真−3 この辺りが行政の中心】
 
 特に地図を持っているわけではないが、そのまま歩を進めると写真3の建物の前に来た。

 白いスペイン風のこの建物はイロイロ州の旧州庁舎で、1901年に建てられた。100年以上も前の歴史的建造物になり、中は市松模様の大理石張りになっていて、その昔、砂糖で栄えたイロイロの栄華を伝えている。

 後方に重なるビルは現在のイロイロ州庁舎で、1901年というのは20世紀最初の年になる。

 この年にノーベル賞が創設され、日本では明治34年になり、足尾銅山公害闘争で知られる『田中正造』が衆議院議員を10月に辞職した年で、明治天皇に直訴したのはその年の12月になる。

 この庁舎を見てから、世界遺産の一つに加えられている市内の教会見物に行くが、タクシーが普通に拾えるのでイロイロ市はマアマア良い。




 
author:cebushima, category:パナイ島ぶらり旅 2015, 18:36
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パナイ島ぶらり旅 2015年 その(25) 昔のイロイロ空港を想い出す 開発地域
 小さな島からパナイ島で一番大きいイロイロ市に戻ると、さすがに都会という感じがする。あれはもう10数年以上前になるが、セブ島の隣、ネグロス島から海伝いにパナイ島へ旅行をした事があった。
 
【写真−1 SMはこの手のショッピング・モールを国内に60以上作っている】
 
 イロイロ空港からセブへ飛行機で戻ったが、その時利用した空港は今回利用した空港とは違って、イロイロ市内中心近くにあった。それが新空港を造って、旧空港跡地は再開発されると聞いていた。今回イロイロ市にあるシューマート(SM)のショッピング・モールへ行く用が出来、行って見た所ここは元の飛行場跡と分かった。

 旧飛行場は市内中心まで車で10分もかからない至近の位置にあって便利であったが、新空港は車で1時間もかかるような不便極まりない郊外に造られた。その跡地を狙って進出したのが国内最大の小売業のSMで写真1がその正面になる。SMはこういった公用地を買い上げてモールを作る方法が上手く、逆に言えば政府財産がSMと直結している事になる。

 セブでも日本のODAで埋め立てた場所に大きなモールを造っているが、税金がフィリピンの大企業を利しているなど日本の人間は知るまいし話題にもならず、今、東京の知事がせこい金額で叩かれている事を思うと、日本のジャーナリストはこんな大きな問題を追及せず、馬鹿としか言いようがない。


【写真−2 この辺りは旧空港敷地であった】

 写真2はそのSM前に建つ20階ほどのコンドミニアム。恐らくパナイ島では一番高い建物になるのではないか。この辺り旧飛行場とあって、だいぶ開発は進んでいるが、土地はいくらでもありそうなイロイロ市内で環境が良さそうとは思えない場所である。

 こんなコンドミニアムを買う人がいるのだろうかと思うが、世の中、住まずに投資目的で持つ人間も多いから、こんな場所のコンドミニアムを計画、販売をするのであろう。こういった建物を見ると、フィリピンの不動産バブルは地方にも拡散していることが良く分かる。


【写真−3 この店はドーナツで有名になった新興のチェーン店】

 写真3はSMに対抗する小売業の雄、ロビンソンにあったコーヒー屋で写しているが、島では3イン1と言ってインスタント・コーヒー+粉クリーム+砂糖が小袋に入っている物を飲んでいて、この3イン1、疲れた身体には良いだろうが、普通に飲むにはかなり甘くて閉口していた。

 こうしてパナイ島一の大都会(人口50万人)であるイロイロ市に来て、普通のコーヒーをようやく飲めてホッとしたが、あまり美味いコーヒーではなく、すぐそばにスターバックスもあったが、看板を眺めただけで入る気にはならなかった。




 
author:cebushima, category:パナイ島ぶらり旅 2015, 20:42
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