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へそ曲がりセブ島暮らし2020年 その(28) コロナに明け暮れる2020年も残り3ヶ月

 科学万能を謳歌していた近代文明もウィルスという極微細な生物には抗えなく、新型コロナで死亡した人が全世界で100万人を超えた。

 

【写真は新型コロナによって観光客の姿が消えてしまったマクタン島の海】

 

 過去の戦争の犠牲者数と比較するのは穏当ではないかと思うが、1946年から1950年にかけて中国の国民党と共産党の『国共内戦』が犠牲者が100万人という数字を挙げている。

 

 その後も大量の犠牲者を出す戦争、内戦は数多く、1950年から1953年までの朝鮮戦争では300万人もが犠牲になっていて、記憶に新しいアメリカが介入したヴェトナム戦争では236万人と、第二次大戦後はアジア地域で大量の犠牲者を生んでいたことが分かる。

 

 アフリカも1967年から1970年のナイジェリアのビアフラ内戦では200万人以上、モザンビークや、現在も続くスーダン内戦が何れも100万人以上の死者を生じ、民族間対立によるルワンダの虐殺も100万人が犠牲になったといわれ、数十万人単位なら枚挙にいとまがない。

 

 アジアでは1971年のバングラディシュ分離独立紛争で100万人、ソ連が侵攻したアフガニスタン内戦は1978年から1992年までに150万人の死亡、1970年〜1989年のカンボジア内戦では122万となっているが、200万人を超えているという説もある。

 

 このように対コロナは『戦争と同じだ』という人もあり、戦争は人為的なものであり何れ終息を迎えるが、ウィルスとの戦争は予見不能、未知な要素が強く、しかも進行中と始末が悪い。

 

 明日から10月になるが、フィリピンの新型コロナ感染者数は9月29日現在で30万9303人、死者数は5448人となっていて、これを書いている9月30日には31万人台の感染者数を数えるのは確実である。

 

 9月初めは22万人台だから、この一ヶ月間で9万人以上増え、1日当たり3000人の感染者数となり、以前はインドネシアがアセアン加盟10ヶ国のなかで最多の感染者数を抱えていたが、今はフィリピンが最多となっている。

 

 この好転しない事態からフィリピン政府は規制措置を10月一杯延長すると発表したが、10月5日からは閉鎖されていた全国の公立学校は始まり、これによってどういう影響が出るのかは誰も分からず『博奕的』との批判もある。

 

 日本も無能な安倍から食わせ者の菅に政権が移り、コロナに対する恐怖感も国民の間に一服感というか緩みが出て、経済活性化のため『GO TO』何とかと銘打ってキャンペーンをしているが、まだまだ新型コロナに対する警戒は怠ってはならないとの疫学的な指摘も強い。

 

 それでも、長い閉塞感からキャンペーンに乗る人々は多く、これは何があっても自己中心で動くという層は状況に関係なく一定程度あるから、どうのこうのといっても仕方がない。

 

 うまうまと政権を握った菅だが、『携帯電話の値下げ』、『デジタル庁を作る』と政権の目玉のように掲げていて、携帯電話の値下げなど世の中の進歩や改善とどう関係があるのか疑問だが、携帯電話中毒の蔓延している中ではかなり感触は良いらしい。

 

 実際、毎月の通信費が一人1万円を超えるのは普通らしく、家族単位で払えばかなりの出費額になり月数千円の値下げでも、実質収入が落ち込んでいる今はかなり助かると思うが、通信費の中身はゲームやSNSなどのインターネット、テレビ、映画視聴で、本来の通信費とはまた違うような気もするが時代であろう。

 

 そういえば最近の携帯電話(アイホン)は通信機能ではなくカメラ機能を前面に出して売っているから、電話という概念で捉える時代ではなく、電話も出来る『携帯端末』という言葉が確かに当てはまる。

 

 携帯のカメラ機能は、小生のようにフィルム・カメラから育った者には驚異的で、全く考えずにシャッターを押すだけ(スマホだとシャッターではなく触れるだけだが)でプロ顔負けの効果のある写真が撮れる。

 

 難しい夜景などもかなり明るく撮れ、これはレンズが凄いのかと思ったが、単純に電子的処理が通常のデジカメより優れているためであり、カメラ機能が優れているとはいえなく、綺麗な画面だなと思ってもどれも同じような調子に仕上がり味は全くない。

 

 話は戻るが、フィリピンでは20歳以下、60歳以上は3月半ば以来外出禁止になっていて、それがまた一ヶ月延長となりこれに該当する人はこの長期間どうしているのだろうと気にはなり、本当に半年以上も家の中に籠っているのかと疑問を持つ。

 

 しかし、例外はあって有無をいわせずの一律の外出禁止ではなく、自治体発行の許可証を持てば外出は可能であるし、マスクをしていれば近くの店ぐらいは行けるが、それにしても長過ぎるし、多くの人が好きなショッピング・モールなどは外出許可証を持っていないと入れてくれないという。

 

 そのショッピング・モールも多くの店は閉めていて、行ってもモール付属のスーパーくらいしか活気はなく、敢えて行くような雰囲気の場所ではなくなり、モールの閉鎖中のテナントに務める人々の失業問題も大きくなっている。

 

 そういえば日系ホテルとしてセブに進出した『東横イン』など、防疫措置が強化された以前は近所のコールセンター要員が貸し切り状態の特需を生じ、観光客が全く来ない時期には相当助かったと思うが、今は夜に部屋の電気が点いているのが珍しいくらい閑散としていて、経営は大丈夫なのかと余計な心配をする。

 

 このように新型コロナは色々な影響を与えているが、最近フィリピンの著名な弁護士が60歳以上の高齢者に出している外出禁止令は『憲法違反』だと裁判所に提訴したとのニュースがあり、この規制措置は感染したら重篤化し易い高齢者を守ったのは事実で、裁判所の判断は門前払いと思うが興味深い裁判である。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2020, 19:13
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台湾一周 鉄道旅 2020 その(92) セブに帰る便は夜なので故宮博物館へ 

 【写真−1 基隆はまた来たいと思わせる街の雰囲気がある】

 

 もう少し港近辺で時間を過ごしたかったが、台湾に来て『故宮博物館』を見ない手はないと思い、ホテルに戻って荷物をまとめて写真−1の基隆駅へ。現在の駅舎は飛行場のターミナルのような外観の5代目で、初代は1891年にやや北の場所に建てられた。

 

【写真−2 ライトはデザイン以前の問題でもう少し何とかしたい】

 

 台湾の都市部に乗り入れる鉄道は地下化が進んでいて、基隆駅も地下にホームが造られているが、やがて地上に姿を現し、台北手前でまた地下に潜る。写真−2の先頭車両の見かけは特急に使われている車両のようだが、これが台北方面へ行く『区間車』。

 

【写真−3 車両が新しいせいもあるが保守は良好】

 

 写真−3は地下を走っている区間車内の様子。日本の都市近郊で走る車内と同じような雰囲気で、車内の円形の吊革レール、座席の手摺のデザインなど面白い。台湾の列車は温かい地域を走る鉄道らしく、座席下に暖房設備がないことでスッキリしている。

 

【写真−4 これで台湾反時計回り一周は完了】

 

 5泊6日の鉄道での台湾一周での旅は、写真−4の台北駅に到着して完結した。高速鉄道、森林鉄道、区間車、特急列車、地下鉄と色々乗り継いだが、台湾の鉄道は事前ではかなり時間など緩い運営と思っていたが、時間通り運行され杞憂であった。

 

【写真−5 台湾もラッシュアワーはあるだろうが全体にゆったりしている感じ】

 

 台北駅で地下鉄に乗り換えるが、台北の地下鉄は路線が色分けされていて、床にその色で目当ての路線に乗れるように誘導されていて、不案内な外国人でも分かり易くなっている。台北には地下鉄6路線があり、写真−5は赤色の『淡水信義線』の車内の様子。

 

【写真−6 こういう駅を見ると台湾のインフラ基盤は進んでいると思う】

 

 故宮博物館へ行く下車駅は『士林』で台北駅から6つ目だが、この駅は台湾初日に泊まった時に降りた駅で、その夜は駅近くの夜市へ行った。写真−6は故宮博物館行きのバスが出る出口で、地下鉄も地上を走っていていかにも都市部郊外という雰囲気。

 


 

author:cebushima, category:台湾一周鉄道旅 2020, 18:25
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空想旅行記2020 第2回 『伊豆七島+青ヶ島を巡る旅』 その−5 3日目=八丈島島内見物−その3 初めて八丈島に行った頃の想い出など

【記憶が不確かな初めて行った時の八丈島】

 

【写真−1 初めての八丈行きに乗った船は何だったか分からない】

 

 八丈島には2回行っていると前に書いたが、初めての旅は10代の後半に八丈島の最南端で初日の出を見ようと友人と行った時で、真冬でも南の島だから大丈夫だろうとテントと寝袋で過ごしたが、この時期は西風が吹き募りその風の寒さに震えた記憶がある。

 

 その時竹芝桟橋から乗船した船は年末年始の島へ帰る人々で混んでいたが、乗った船は写真−1の『ふりいじあ丸』であったようだが、『ふりいじあ丸』の就航は1971年からであり時間的に合わず、その前の八丈航路に使われていた船は良く分からない。

 

 東海汽船の運航船舶は花の名前が付けられ竹芝−八丈島間には『さるびあ丸』、『かめりあ丸』などが就航し、竹芝−大島間に使われていた船を八丈航路に回していたのかとも考えられるが、沿海用の船は海岸から20カイリ(約37キロ)以内を航行可能で、伊豆七島航路は島伝いなので沿海仕様で大丈夫なのかも知れない。

 

【写真−2 左の黒いのは島海苔】

 

 上陸した港は底土港で、そこから島の南を目指すが、ある道沿いでテントを張っていたら、近所の人が寒さを気の毒がって家に来いといわれそれに甘えて伺ったが、その時ご馳走になったのが正月近いので作った『島寿司』で、ずいぶん大きな握りの上に、冬場に獲れる『ブダイ』を醤油に漬けた切り身が乗っていた。

 

 少し癖がある魚と思って食べたが、写真−2は現在島の寿司店で出している『島寿司』で、島寿司は山葵ではなく練り辛しを使うのが伝統的らしいが、招かれた家で食べた島寿司は練り辛しであったかどうかの記憶はない。

 

 ご馳走されて記憶がないというのも失礼な話で、だいたい島のどこであったのかの記憶もなくそれでも島の西側と思うが、その家でドラム缶風呂に入ったことは憶えている。初めての経験で、五右衛門風呂と同じで板を沈めて入ったが、妙に落ち着く湯加減であった。

 

【島の南端でテントを張って初日の出を待った】

 

【写真−3 南端から青ヶ島の島影が薄く見えた】

 

 八丈島の南端は『石積ヶ鼻』で、そこに写真−3の『八丈島灯台』が建つ。島を一周する道路沿いに在る集落の末吉から入って行くが、島も広いからバスで末吉までは行ったと思うがこちらもどういうバスであったか記憶にない。

 

 南端一帯は低い草の生える草原でそこにテントを張ったが、同じようなことを考える人があるものでテントを張っている早稲田の学生グループが居た。すぐに仲良くなって食事を交換したり深夜まで話し込んで、沖の海の中に怪しい光が光っていると大騒ぎしたのは忘れられない。

 

 この末吉には海縁に露天風呂があって、皆で入りに行ったが折からの西風で波が打ち寄せて楽しむどころではなく、今回その場所を訪ねたら、頭上に崖が迫っている光景は変わっていないが、コンクリートの建物で露天風呂は囲われていて、かつての野趣味は失われていた。

 

【写真−4 八丈富士を望む斜面に建つ】

 

 八丈島で連想する人物といえば作曲家の『團伊玖磨』で、團は1963年に八丈島に仕事場を作った。友人と初めて八丈島に行った頃には既に團は東京と八丈を空路で行ったり来たりしていて、写真−4は島の東海岸側の樫立の山腹にある團の仕事場、別荘で最初に建てた家は老朽化して建て直したが、この設計は建築家の息子『團紀彦』による。

 

 團はオペラ『夕鶴』など作品は多いが、小生などはエッセイストの團の方が馴染みやすく、今はない『アサヒグラフ』に1964年から2000年まで連載した『パイプのけむり』は日本の教養人として 秀逸であった。

 

 團の祖父は暗殺された三井財閥の『團琢磨』で、父親は男爵、政治家、実業家で華麗なる一族は政財界に繋がるが、團はそういった環境から音楽家の道を進み、20歳の時には東京音楽学校在学中に陸軍軍楽隊に徴兵されているから、学徒出陣組と分かる。

 

 2001年、77歳の時、中国訪問中に蘇州市で心筋梗塞のために客死するが、八丈島では1970年から團ゆかりのコンサートを毎年開いていて、昨年50回を迎えたというから團と八丈島の繋がりは深く、空路を利用すれば東京から1時間もかからない八丈島は穴場といえば穴場なのかも知れない。

 

【峠から眺めた八丈小島の歴史】

 

【写真−5 右に底土港左に八重根港正面に空港を望む】

 

 島を一周する道路の途中に写真−5の眺めの良い場所に差し掛かり、『登龍峠(のぼりょう)』と名付けられている。正面に見える山は標高845mの『八丈富士』で、その左側には今は無人島の『八丈小島』が浮かぶ。

 

 この峠は八丈富士の反対側にある標高700mの『三原山』中腹にあるが、島で一番の絶景ポイントで、新東京100景の1つに選ばれていて、2度目に家人と行った時は乗った観光バスがここで停まり写真を撮った記憶がある。

 

【写真−6 こういう絶海の島でも日本軍は配備駐屯していた】

 

 写真−6の八丈小島は八丈島の西沖合い7.5キロにあり、住民が住んだのは平安とか室町時代といわれている。小島といわれるように面積は3平方キロ強しかないのに、中心にある山は名前とは大違いの『大平山』で標高は617mもあり、人を寄せ付けない絶海の孤島という印象が強い。

 

 この島には村が2つあり小中学校も2校あったが、1969(昭和44)年に島から全員が離れた『集団移転』は大きなニュースになり覚えているが、その時の移転人数は91人、24世帯であった。その後、島は無人島となり、釣りで渡る人が居るくらいだが、鳥獣保護区となってアホウドリの繁殖地になっている。

 


 

author:cebushima, category:空想旅行記2020 第2回 『伊豆七島+青ヶ島を巡る旅』, 19:05
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