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懐櫻録 2020 その−(1) 東京・上野公園とホームレス

【初めに】

 

 3年前に四国遍路を行い、残りの半分を回ろうと、この4月上旬に家人と2週間ほど日本へ行く予定で、早い時期から飛行機、レンタカー、ホテルの予約を取り、小生は国際免許証を、家人は日本のヴィザを取得した。

【写真−1 2010年撮影・2020年はこういう光景は見られない】

 ところが、2月になって世界中で新型コロナ・ウィルスが猛威を振るい始め、旅行の雲行きが怪しくなった。

 それでも旅行くらいなら大丈夫であろうと様子を見ていたが、フィリピン側が封鎖(ロックダウン)をして、セブから日本へ行く航空便はおろか国内便全てが動かなくなり日本行きを取り止める判断を迫られた。

 気持ちの上ではこういう時期だから旅行で日本にお金を落とすのも支援の一つと思ったが、日本もフィリピンも入国者に2週間の隔離をする措置が取られるとあって、万事休すと諦めた。

 今年の日本の桜の開花は観測史上最も速かったらしいが、それでも名残りの桜は見られると期待するも、ここまで世の中が騒然としていると呑気に旅行などその気は失せるし、日本は大型連休に入って平気で観光地へ出かける輩がまだ多いとのことで、どうなっているのかと訝しむ。

 そこで、せめてかつて観て写真に収めた桜の姿を思い出しながら書くことにするが、新型コロナ・ウィルス対策の周知広報が選挙運動となって露出著しい都知事は『桜は来年も咲く』などと宣ったが、こちらにしてみれば3年ぶりの桜が駄目になって、こいつは何を言っているのだと憤懣やり方ない。

 

【上野公園の定位置からの桜並木】

 

 上野公園の正式名称は『上野恩賜公園』で、恩賜と付いているように元々は帝室御用地で、管轄する宮内省が1890(明治23)年に、東京市に下賜した土地で簡単に書けば地主は天皇家であった。

 

 面積は53万平方メートルあり、東京ドームが約4万7千平方メートルというから1ダース以上も作れる勘定になるが、新宿御苑が3つある広さといえば分かり易いだろうか。

 

 戦争に負けるまでは天皇家は世界でも最大の金持ちといわれ、その所有する土地は国家=天皇家の時代であるから途方もなく、現在の都心にある『皇居』だけでも2300万平方メートルある。

 

 もっとも戦後にこれらは国有財産となっていて、実質的に所有しているのはどのくらいなのか分からなく、戦後に都心に皇居などあると開発に不便だという論議もあったらしいが、過密都市東京に現在あれだけの緑の空間が残っているのは結果的に良かった。

 

 写真−1は上野公園にある桜並木通りで、上野駅公園口真ん前にある東京文化会館とロダンの彫刻が前庭に置かれた国立現代美術館に挟まれた通りを行くと写真の広場に出るが、その先を行くと動物園に至る。

 

 この写真の撮影時期は2010年4月2日で、人で溢れているがこの頃から中国や韓国からの花見客が増え出し、写真を仔細に見ると服装の野暮ったさから中国の人が多いのが分かるし、この年以降に同じ場所で撮った写真では聞こえてくるのは中国語ばかりであった。

 

 怒涛の様に押し寄せた中国人観光客も今回の新型コロナ・ウィルス騒ぎによってほとんど日本から姿を消し、それに寄りかかっていた日本の観光関連業界は瀕死の状態と伝わるが、観光業というのは浮草同様の水商売であり、官民共にインバウンドなどと浮かれていたツケが回った。

 

【上野公園からホームレスが消えてしまった】

 

【写真−2 2010年撮影・老人の国日本の行き先を示しているようだ】

 

 写真−1の反対側は写真−2で、噴水広場があってその向こうには国立博物館があり、右手側は科学博物館、左手側に行くと芸大に至るが、この写真の撮影日時は2010年4月7日で、これからこの年は2回上野公園に足を運んだことが分かる。

 

 この日は雨が降っていたが小降りになり、その中を手を繋いで歩く老夫婦の後ろ姿は日本の老人問題を象徴するような光景だが、この写真には写っていないが噴水の彼方では貧困者向けの食料支援の長い列が目撃された。

 

 上野公園はホームレスのメッカといっても良い場所で、かつては植込みの間間にブルーシートを掛けたテントが目立ったが、ホームレスが住めないように以前は多かった植木が間引かれて今はすっかり排除されている。

 

 公園から追い出しただけでホームレスそのものは減った訳ではなく、他に分散しただけに過ぎないが、そういった人々を対象に食料支援が行われているのだが、昔の様に見るからにホームレスと分かるような身なりの人はいなくて、普通の姿をした人々が並んでいて、花見見物に来る人との落差が目立った。

 

 ホームレスと書いたが、小生の年代には浮浪者という言葉が分かり易く、その中でも上野の地下道はそういった浮浪者が通路に寝転がっていて、子ども心にもそこを通る時は緊張し息を詰めて通り過ぎたが、今その姿も消えて地下道だけが昔通りに残っている。

 

 今回の新型コロナ・ウィルスで緊急事態宣言が発せられ、多くの業種が休業せざるを得なくなったが、その中で東京のネットカフェの営業が停止され、そこから追い出された利用者が4000人も居る現実には今更ながら驚いた。

 

 これを『ネット難民』とマスコミは名付けているが、小生も日本へ行った時にネットカフェを利用したことはあるが、純粋にインターネットを利用するために数時間使っただけで、そこが宿泊の場所になるなど考えたこともなかった。

 

 ネットカフェは薄暗い室内を細かく壁で仕切ったスペースを提供していて、手足を伸ばして横になるには狭いが寝ることは出来るスペースで、パソコン付き、シャワー室もあるから仮の宿泊場所としては値段を考えるとホームレスの人が集まる要素はある。

 

 今回、ネットカフェから溢れた人々は行政側が用意した無料の宿泊設備に移っているが、世の中は自分のことしか考えない輩も多く、税金でそこまでやるのかと非難する声もあるが、かつて沖縄で『小指の痛みは全身の痛み』と宣言したように、こういう最も弱い人々を救済、理解できないと世の中は崩壊してしまう。

 

【花見もままならない時代とは】

 

【写真−3 2017年撮影・雨の日の花見もまた別の風情はある】

 

 花見といえば日本人はすぐに花の下での宴会を連想するが、写真−3は2017年4月9日に撮っていて、この年は四国の遍路旅を行った年で、四国へ行く前に上野公園に行ったが、朝から生憎の雨で例年場所取りで賑わうこの場所も雨に濡れて御覧の通り。

 

 写真の彼方に人が集まっているが、これは雨の中を楽しみにしていた宴会をふいにされやけっぱちになって騒いでいる連中で、それはそれで一興だが美味い酒とはいえないし、地面にテープで区画して宴会場所を指定するなど外国の人間から見たら奇異の何物でもない。

 

 この年の東京の桜の開花は例年より遅れたが、温かいと思っていた四国の最初の出発地徳島などは開花には程遠く、山の方には雪が残っていたし、高知を回って愛媛松山市に入ってようやく満開の桜を目にした。

 

 この通りは写真−1から広小路方面へ抜ける道で、上野公園の桜並木というとこの通りを指すが、今年は通行止めにして花見が出来ないようにしたが、それでも桜が咲いているとなれば見物に押し掛ける人間はいつの時代にも居て、この時の気の緩みが現在の東京の止まらない感染要因の一つだと指摘され、花を愛でるのも命がけの時代となった。

 


 

author:cebushima, category:懐櫻録 2020, 19:26
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新幹線全線乗車の旅(ジャパンレイルパス) 2019年 その(60) 松江駅から鳥取駅までは特急『スーパーまつかぜ4号』で

【写真−1 日本の鉄道で希少価値のある寝台特急の一つ】

 

 写真−1はホームの床に在った『サンライズ出雲』の乗車マーク。この列車は東京−出雲市間を約12時間で結ぶ2階建て寝台特急で、個室寝台を利用すると運賃、特急券全部で23210円。その寝台料金は7700円だからビジネス・ホテル並みで高くはない。

                           

【写真−2 松江駅の1日の平均乗車人員は4500人を切る】

 

 鳥取駅まで乗車するのは特急『スーパーまつかぜ4号』で松江駅発7時58分。写真−2は隣の出雲市駅からやって来てホームに停車中の同列車。県庁所在地の駅でも写真−3の様にホーム上には携帯で写真を撮っている人が1人居るだけで、寂しいばかり。

 

【写真−3 外観は特急らしくないが優れものの車両】

 

 特急『スーパーまつかぜ4号』の最後部が写真−3。この特急は山陰本線の益田駅を出て松江を経由して鳥取駅を結び、その営業距離は376.9キロと結構長く、乗車時間は3時間38分。非電化区間があるので、使用車両はキハ187系のディーゼル気動車。

 

【写真−4 この時点で小生を含めて8人しか乗っていない】

 

 特急『スーパーまつかぜ4号』は4両編成だが、グリーン車は接続されていなくて、写真−4の座席指定車両に乗車。残る3両は自由席で、平日なのでわざわざ座席指定で乗る人も少なく、ご覧の通りガラガラ。細部に木が使われ全体的に温かい雰囲気を持つ。

 

【写真−5 この内装から新幹線グリーン車の座席は派手と分かる】

 

 座席を横方向から撮ったのが写真−5。自由席の座席の具合がどうなっているのか分からないが、そちらよりは多少良いのではないか。茶系の色で車両全体がまとめられ、落ち着いたデザインである。これでもう少し窓が綺麗であったらと思うと残念。

 

【写真−6 大山は富士の異名が付く山なのでこれは違うか】

 

 定時に松江駅を出た特急『スーパーまつかぜ4号』は、日本海側を左手側にして走る。山陰には伯耆富士と呼ぶ『大山(標高1729m)』があり、右手側に見えるはずだが写真−6の様に曇天で眺望が悪く、多分右にある山が大山ではないかとシャッターを押す。

 


 

author:cebushima, category:新幹線全線乗車の旅(ジャパンレイルパス) 2019年, 20:36
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台湾一周 鉄道旅 2020 その(39) 台南市内点描−6 林百貨店から再びぶらぶらと横町へ

【写真−1 台南駅は正面右の道方向】

 

 林百貨店のある交差点向かいに『旧日本勧業銀行台南支店』ビルがあり、写真−1は林百貨店の入り口から撮っていて、右側に円柱を並べた白いビルがそれである。落成は1937(昭和12)年、道路拡張で変わっているが、台湾の大手銀行の支店として健在。

 

【写真−2 名のある人が住んでいた戦前の旧居か】

 

 大通り沿いで見かけた写真−2の家。屋根が落ち込んでいるなどかなり傷んでいて、その上に全体を覆う屋根がかけられている。家の造り方から戦前に日本人が建てた家でここまで保護するには由緒のある建物ではないかと思うが、説明がないので分からない。

 

【写真−3 足に任せてぶらぶらするとこういう路地に迷い込める】

 

 大通りの横丁で写真−3の家を発見。この造りも日本家屋と共通するものがあり、この辺りは戦前には日本人が多く居留していたのではないか。台湾全土にはこのように戦前の日本人が住んでいた家屋が多く残されていて、壊されずに残っていることにも驚く。

 

【写真−4 こういう都市部の民宿に泊まるのも一興】

 

 横丁で見かけた写真−4のプレート。左下に民宿と書いてあるように、この横丁は古い建物を利用した場所で、その古さを利用して町興しをしているようで、台湾はブームだという。ただし、時期と時間もあるが横丁にある民宿にも店にも人の気配はなかった。

 

【写真−5 焼き肉をやっているような店であったが人影はなし】

 

 写真−5も同じ横丁に在った建物で、引き戸や横羽目張り、切妻屋根など日本家屋の雰囲気が充分で、提灯がぶら下がっているので何かの店をやっているのだろう。横丁の面白さはどこの国を問わずあり、やがて消えて行く光景だから気を引くのかも知れない。

 

【写真−6 こういう四角な装飾されたマンホールはありそうでない】

 

 横丁を出て大通りの舗道を歩いていると写真−6の四角いマンホールを見つけた。下に『歴史街區』と刻まれ、絵柄は近くにある『廟』をデザインしている。この辺りは文字通り歴史的建造物の残る一帯で、台南市街地で観光客の集まる場所になっている。

 


 

author:cebushima, category:台湾一周鉄道旅 2020, 20:08
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