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この一枚2020年 セブ篇 その(3) 激増中のオートバイだが運転マナーは最低

 1990年代初め頃に小生はセブでオートバイに乗っていた。乗っていたのは今でも覚えているがオフロード・バイクの『ヤマハDT−125』であり、日本でも10代の頃から原付バイクに始まり何台も乗り継いでいたがオフロードは初めてであった。

【写真−1 バイクはセンター側を堂々と通り抜けるセブで有数の渋滞交差点前】

 セブでオフロード・タイプを乗りたくて買ったのではなく、当時のセブではいわゆる実用車タイプのバイクしか販売していなくて、スポーツ用バイクとなると唯一オフロードだけしかなく仕方なく買った面が強い。

 それでも、新車は嬉しくてセブ島の幹線道路を南北に走り、今でこそ完全舗装になっているが当時は幹線道路なのに地方に行くと未舗装やまだ工事中という個所も多かった。

 そういう時代だから、車も少なく道路は走り易く、直線路では100キロ近くを出せたが、今この直線路を車で走ると車とバイクが増えて走り難くなって40キロくらいしか出せなくなった。

 

 このヤマハのDT−125の部品が欲しくて日本へ行った時に、上野にあるバイク・ショップへ行き乗っているバイクの話になり、そこの年配の店員がDT−125を若い時に乗っていて懐かしいといわれたが、フィリピンでは新車でも日本では過去の車と分かった。

 

 思うに、日本で余剰のバイク、あるいは部品を東南アジアに輸出して新車として売っていて、それでなければ生産した車種がきっちり日本国内で売り切れることはなく、そうやって企業は儲けているのではないか。

 

 さて、現代に戻すが、フィリピンはここ10年でオートバイが劇的に増えていて、中国や台湾の安いバイクが入って来たことと関係があり、これは先年住んだラオスでも同じ現象で、何しろバイクといえば日本製の独壇場であったが、価格が日本製の半分近いとなれば製品の信頼性に不安があっても安い方になびく。

 

 また、小生がセブでバイクを買った頃は現金のみの販売で、いわゆる割賦販売というシステムはなかったが、購買需要が増え車同様ローン制度が整って来て高額なバイクが手に入れ易くなった。

 

 ただし金利は馬鹿高く業者は損をしない仕組みになっていて、それでも一ヶ月の支払額が2000ペソ程度(約4400円)とあれば、低い収入で知られるフィリピンでも手が届き、爆発的に売れるようになる。

 

 これには計算もあって、通勤でジプニーなどを利用していると毎月の交通費は馬鹿にならないし、夫婦で通勤しているならばバイクを買って二人で通勤すれば、毎月の交通費と変わらず、何よりもバイクという財産は手元に残るし、気の向いた時に使える。

 

 といった理由ばかりではないだろうが、バイクを買うことが大変でも何でもなくなったために、続々とバイクを購入する人は増えたが、新車までは手が出なくても中古があり、この中古バイクでは密輸品がかなり出回っている。

 

【写真−2 レストラン内に展示してあるヤマハのバイク】

 

 バイクなど部品ごとに分解してスクラップとして輸入し、再組立てするのは朝飯前で、四輪車も同じようなことをやっていて、これが税関と業者、土地の政治屋と組んで組織的にやっているからフィリピンは『密輸天国』の汚名が常に付きまとう。

 

 それで思い出したが、かつて日本から機械をコンテナで多数フィリピンへ運んだことがあって、その時日本の業者から何か欲しい物があったらコンテナに入れますよといわれ、バイクはどうかと聞いたらそんな物は分解できるからお安い御用といわれた。

 そこまでして欲しいとは思わずその話はそのままに終わったが、チャンとした輸出商社でも顧客の便宜というか明らかに阿っている一端が見えたが、これも相手が密輸天国のフィリピンだから出て来る話で、今はどうなっているか分からない。

 

 先述したローンの充実化でバイクが購入し易くなったと書いたが、元々、計画的な金銭感覚が薄く何かあれば他人に借金すれば良いというフィリピン人気質から、無理に購入してローンが払えなくなり差し押さえられる例も激増している。

 

 フィリピンでそういった不良債権を回収するのはどうやっているのか分からないが、何かあれば銃に訴える国柄だから脅さなくても回収できるであろうし、現物をすぐに差し押さえてしまうようだ。

 

 そうやって手に入れたバイク、フィリピンでは日本の様にバイク免許と車の免許が区別されていなくて、バイクを運転するには普通免許を取らなければならず、その面倒臭さからバイク乗りは無免許が多く、地方に行くほど無免許が多い。

 

 警察もその辺りの事情が分かっていてバイク乗りを重点的に取り締まっていて、時々道路でチェックをしているが、捕まっても500ペソ(1000円少々)くらいの罰金で済んでしまうから、運が悪いだけと思っているのか免許証を取らないことが多い。

 

 そういった実情から、バイク乗りのマナーは非常に悪く、隙間さえあればどこでも入り込んで来るし、特に対抗車線からセンターラインを越えて我が物顔に走って来るのにはその悪質さと危険性に毎度驚かされる。

 

 バイク特有のスリムさと軽快性からそういう仕業に出るのだが、地獄的な渋滞が当たり前になっている都市部では背に腹は代えられないとは思うものの、車を運転する方としてはこのバイク連中は危なくて仕方がない。

 

 バイクの軽快性からフィリピンではバイク・タクシーが急激に増え、組織されてその数セブ地域でも万人近く、全国的には数万人を軽く超えて、そのため政府も免許制にするなど対策を取りつつある。

 

 バイク・タクシーの普及によってバイク一台で無就業状態の人が日々の糧を得ていることは事実で、無下に否定は出来ず、このバイク・タクシー、元々はフィリピンの田舎で『ハバルハバル』と呼ばれていた乗り合いバイクであり、それほど奇異な存在ではない。

 

 それでもバイクは身体が剥き出しで車との接触、転倒を起こすと重大事故に繋がり、市中で事故を起こして転がっている運転者と拉げたバイクを見ない日はなく、フィリピンの交通事故統計でもバイク事故が多い。

 

 車を運転しているとバイクの連中は危ないと感じるし、バイクを運転していると車は危ないと感じるので、交通戦争といわれるようにどちらを運転しても危険と隣り合わせであり、互いに注意、慎重に運転することが肝要と思うが、バイク連中のマナーの悪さが目立つフィリピンである。

 


 

author:cebushima, category:この一枚2020年 セブ篇, 18:47
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台湾一周 鉄道旅 2020 その(17) この旅行で一番楽しみな阿里山森林鉄道に対面

【写真−1 鐵路という語彙は鉄道より秀逸】

 

 台北を朝早く出たのも阿里山森林鉄道に乗るためで、平日は一日1本しか運行していなくてしかも朝9時発。写真−1はホーム上の阿里山森林鉄道の看板で、正確には『阿里山森林鐵路』。台湾語では駅を車站、鉄道の列車を火車、汽車は自動車でややこしい。

 

【写真−2 ホーム左側には台鉄の台北からの在来線車両が停まる】

 

 写真−2が阿里山森林鉄道の線路とホームで、嘉義駅は起点だから半円形の列車止めがある。レールの幅は762ミリで、この幅は日本で特殊狭軌と呼ばれていて、日本の技術で敷設されたため。日本の新幹線が1435ミリあるので新幹線のレール幅の半分強。

 

【写真−3 このポストが1912年の開業以来のオリジナルかどうかは分からない】

 

 列車止めの傍にあった写真−3の白く塗られた柱は鉄道の起点を示し、鉄道の世界では『距離標』と呼ばれ通称は『キロポスト』。1キロ毎にあるのが『甲号』、0.5キロ毎が『乙号』、0.1キロ毎が『丙号』の3種類があり、日本は頂が角錐形になっている。

 

【写真−4 気動車が入って来てどこからともなく湧いたように観光客が蝟集】

 

 発車少し前に阿里山森林鉄道の車両がホームに入線し、観光客が一斉に車両を背景に写真撮影。写真−4で分かるように車両の高さはかなり低い。嘉義駅の標高は30mで、ここから標高2216mの阿里山駅まで、全長71.4キロを3時間余をかけて走る。

 

【写真−5 狭い軌道に合わせて造られた車両は鉄道模型の大型版の様な感じ】

 

 写真−5は気動車と客車の連結部分の様子で、2003年3月、阿里山駅近くでスピードの出し過ぎから脱線し、17人が死亡する大事故があった。その原因は写真に見える車両を繋ぐブレーキホースのコックが閉められていたためで、ブレーキが効かなかった。

 

【写真−6 日本車両製造の現在はJR東海の子会社となっている】

 

 気動車の横に写真−6のプレートが留められていた。これを見るまで気動車は台湾製造かと思っていたが『日本車両製造』であった。同社は戦前から蒸気機関車を台湾に納め、近年では台湾新幹線の車両や、フィリピン初のマニラの軽量鉄道にも納車している。

 


 

author:cebushima, category:台湾一周鉄道旅 2020, 17:44
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ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019 その(15) ダヴァオ市内にある中国人墓地へ行く

 途中で止まってしまった本紀行も残りはわずかなので再開することにした。

 

【写真−1 中はフィリピン人向けの墓地よりはるかに豪華】 

 

 ミンダナオ島全域に戒厳令が布かれているのは都度書いているが、2019年末でその戒厳令は解除された。

 戒厳令が布かれている国は世界でフィリピンだけだからその突出ぶりは目立つが、フィリピンと並んで東南アジアでは民主的といわれるタイも2014年の軍事クーデターで戒厳令が布かれ、1年弱で解除はされたが、軍事政権は形を変えて今も続いている。

 本ミンダナオ島旅行時はまだ戒厳令が布かれていて途中の検問もあったが、ミンダナオ島でも軍と反政府側が武力衝突しているのは西部地域とそこからボルネオ島に至る島嶼であり、どこもかしこも危険ということはない。

 さて、マティ市からダヴァオ市に戻ったが、旅行を一緒にした中に中国系の人物がいて、ダヴァオ市内にある父親の墓参りに行きたいというので同行する。

 写真−1がその墓地入り口で、市内の地理不案内でこの墓地がダヴァオ市内のどの辺りにあるか良く分からないが、近くには医療系の大学などがあってそれほど市内の外れではない。

 この門の上部に書かれているのは漢字で何となく分かるが、右から読んで華僑という語彙が入っていて、中国系も自ら華僑と表現することが分かった。

 ちなみに華僑というのは移民先の国籍を取得しない者で、移民先の国籍を取得した者が華人と分類されているが、終の棲家としての墓地にわざわざ華僑と記していることに何か意味があるのかも知れない。

【写真−2 ダヴァオには日本陸軍師団と海軍航空隊が駐屯している】

 写真−1の門に入って右手側の一画に建っていたのが写真−2の祈念碑で『納卯華僑抗敵後援會烈士殉難紀念碑』と書かれ、その脇の壁には漢字でいわれなどが記されている。

 その左にはこの碑の揮毫者なのか『中國國民黨主席馬英九』とあり、馬英九とは台湾の総統を2期務めた人物で、ダヴァオと台湾の政治家とどのような繋がりがあるのか知らないが、何か関係はあるのだろう。

 馬英九の父祖は大陸の湖南省出身で、本人は香港に生まれ1950年に一家は台湾に移住したいわゆる外省人だが、台湾の国立大学を出てからハーバード大学留学、アメリカで弁護士資格を得ている。

 その煌びやかな経歴と長身、甘いマスクで国民党ホープとして党の要職に就き、その後台北市長選に出て2期連続当選、その後2008年の総統選に立候補して当選。

 2期目の総統選の時の対立候補が民進党の蔡英文で、蔡英文は落選後に力を蓄え2016年総統選に当選し、今年の1月にあった総統選で史上最高得票で再選されたのは耳に新しく、男尊女卑の儒教の台湾では傑出している。

 馬英九は中国寄りの路線を取っていたが、その後台湾の独立志向、反中国共産党感情の高まりから総統離任後はパッとしなくて、まだ70歳前だというのに表舞台からは消えた感じになっている。

 さて、この祈念碑、色々壁に書かれているが分かったことといえばダヴァオのことではなく中国大陸での抗日運動で亡くなった人を祀り、こういった在外中国人による抗日運動の祈念碑というのは東南アジア各地に建てられていて、その碑文は日本軍による虐殺を述べているのが多い。

 日本では聖戦と呼んだ戦争も占領地域では住民への虐殺が多発し、特に狙われたのは現地に住む中国系住民であり、先年、ボルネオ島のサンダカンにある旧日本人墓地を訪れた時に、華人虐殺の祈念碑を見つけてここでもあったのかと驚いたことがあった。

 都合の良い史観で戦争への道を開こうとする今の自民党の安倍などこういった事実など知らないであろうし、知っても事実を隠蔽するであろうから、また来た道は懲りずに繰り返されるようだ。

 中国人は移民の地にまとまって専用の墓地を造ることが多く、セブにも何ヶ所か中国人墓地があり、何れもかなり立派な墓が多く、日本人も戦前には移民の地に日本人墓地を造ったが、そのほとんどはどこにあったかも分からないのが現状で、この辺りが中国人と日本人の精神の違いのようだ。

 

【写真−3 どこのショッピング・モールも同じような中味で退屈】

 

 墓地を後にして本日宿泊するホテルへ向かうが、写真−3は途中で見かけたフィリピン最大のショッピング・モール店舗数を誇るシューマート(SM)ダヴァオ2号店。

 10数年前にダヴァオへ行った時は、SMのショッピング・モール1号店が市の外れに出来たばかりで、テナントも駐車場もガラガラでこんな所で商売が出来るのかと思ったが、2号店を造れるくらいだから商売としては上手く行っているのであろう。

 ダヴァオ市は面積が世界一広い市が売り物ながら、市街地中心部は小さく田舎田舎した街であったが、今や人口は200万人に近づいている。

 このダヴァオ市の市長として長年牛耳り、2016年の大統領選で当選したドゥテルテ一族が今も公職を独占し、現ダヴァオ市長は長女、副市長は次男、ダヴァオ選出下院議員は長男とやりたい放題。

 もっとも、議員や首長などの公職を一族で独占するのはフィリピンでは当たり前で、そうでない自治体を探すのが難しく、フィリピンの積弊である貧困はこれら政治屋一族がもたらしているといっても過言ではないし、そういった政治屋に投票する選挙民も問題がある。

 


 

author:cebushima, category:ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019, 18:22
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