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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(22) ゴールデン・ウィークに淀川をゴム・ボートで下った話

 現天皇退位及び新天皇即位により平成から令和への改元が5月1日に行われ、退位、即位行事のために休日を設けて、2019年のゴールデン・ウィークは10連休になった。

写真はパラワン島エル・ニドでのカヤッキング風景

 改元も海外から見ると『いい加減にしろよ』と思うくらいの、一体になって『ありがたや』と右も左も浮かれているが、この空気は戦前の軍国主義『翼賛体制』と同じで、こうして国民は悪しき体制に組み込まれて行く。

 10日も連続して休めるとは『日本も暇になった』のかと思いながら、実際に10日も連続して休める会社や勤め人がどれだけあるのか分からないが、給与が日給払いの場合大きな痛手になる。

 そういった取り残された人々を他所に日本は毎度の浮かれモードで、旅行関連業界などから『特需だ』と景気の良い話が伝わってきて、改元も金儲けの一環でしかないことを見せている。

 長い休みの時は海外旅行に出るから、その余波がフィリピンにも伝わり、今年の連休はセブやパラワン島が日本人に人気で、パラワン島は昨年末に家人と訪れているが、あの限られた地域を考えると日本人ばかりとなりそうだ。

 大挙して日本人が押し掛け右も左も日本人だらけになると『何のために海外に行ったのか』とぼやく人もあるだろうが、日本人は逆に群れていることに安心感を持つのが多いのではないか。

 セブが日本人には人気観光地だといっても、その観光客の活動範囲は狭く決まっていて、街中に日本人が多いなということは感じず、セブに住む人にとっては何の影響もないが、この時は出かけないようにしている。

 そういえば日本の休み時にはセブの天気は悪いというジンクスのようなものがあるが、今年は天候が良いようで晴れが続き、観光客には願ってもない日となっている。

 しかし、この晴天続きが大問題で、思えば3月、4月とセブは雨が降らず、朝起きたら木々の葉が濡れていたので雨が降ったのかと気が付いたくらいで、全くといって良いくらい雨の降らない異常気象が続いている。

 この雨が降らない状態はセブに限らずフィリピン全土も同様で、首都圏マニラなど水不足で断水騒ぎが起きているし、天水頼りの農業は壊滅状態で、ただでさえ貧困層の多い農業従事者に追い打ちをかけている。

 そういう実態は観光客には伝わらず、せいぜい泊まっているホテルの水の出が悪いなと感じる程度で帰ることであろうが、著名な観光地を持っていても人々は生活をしていることを感じて欲しい。

 海外に住んでからは日本の連休など全く関係はなくなったが、連休、特にゴールデン・ウィークを意識したのはいつ頃かと想い出すと、小学生高学年になってからではないかと思う。

 その頃は今のようにお手盛りで休日を増やすことはなく、ゴールデン・ウィークだと、4月28日の『天皇誕生日』、5月1日の『メーデー』、3日の『憲法記念日』、5日の『こどもの日』となっていた。

 しかも、当時は土曜日が休みになるなど先の先の時代であり、また日曜日にそれらの日が重なっても今のように翌日が自動的に休みになることはなく、日曜日に休日が重なると損をした気分が強かったが、当たり前ととも思っていた。

 これが高校生になると『ずる休み』を覚えて、飛び石のゴールデン・ウィークには休みでない日を勝手に休んで長期旅行に出かけていた。

 その中でも特に想い出深いのは『琵琶湖からのゴム・ボートによる川下り』で、この時は同級生と2人で同級生は剣道部に所属し部活があったので、小生が先行して大津で現地合流した。

 まだ東京−大阪間に夜行の各駅停車列車が運行していた時代で、新幹線はまだ開通していなくて当然その各駅停車を利用したが、夜行にも限らず車内は結構乗客で埋まっていた。

 最初の計画では琵琶湖を北から南へ縦断するつもりで、琵琶湖の北端の余呉に行き湖面の様子を見たらまるで海と同じで小さなゴム・ボートで漕ぎ出すのは無理と分かって断念し、その代わり琵琶湖から流れる川を下って大阪に出ることにした。

 余呉では観光バスが停まるような場所でテントを張ったが、当時でもゴールデン・ウィーク中は団体旅行が盛んで、この観光客が手を付けずに捨てて行った折詰弁当を探して食べたのも懐かしいといえば懐かしい。

 さて、琵琶湖の最南端の瀬田川の堰からゴム・ボートを漕ぎ出し、目に優しい新緑の中、ゴム・ボートは適度な速さで進みやがて峡谷のような場所に入り先方にダムのあることが分かる。

 このダムは『天ケ瀬ダム』で瀬田川の次に名前を変えた宇治川に造られていて、ダムの手前で上陸してゴム・ボートを担いでダムの下手へ移動し、再び漕ぎ出すが、ダムの観光客が好奇の目で我々を見ていた。

 漕ぎ出すといっても川は下流に流れているのでゴム・ボートが正面を向くように調整するだけで、それほど労力はかからず無駄話をしながら、五月晴れの天候にも恵まれて快調であった。

 特に川面すれすれから見る両岸の風景は、広々としていて気持ちを雄大にしてくれ、初めてのゴム・ボートによる川下りは気分良く、川が海に向かって流れていることを実感した。

 しかし、ゴム・ボートは人間の歩く速度程度の速さと変わらず、それほど距離は稼げず、やがて陽が落ち始めてどこかの岸に寄せなければと思ったが、その内薄暗くなり途中にあった中州に上陸して一夜を明かすことにした。

 その場所は後で分かったが、サントリーの醸造工場がある山崎近辺で、中州から川越しの彼方に町の明かりが見え、対岸に行きたいと思ったが既に真っ暗になり、空腹を抱えたまま野宿をする。

 その中州で驚いたのは中州に群生する野球のバット並みの太さを持つ菜の花で、その菜の花をなぎ倒してようやく寝る場所を確保するが、目に優しい菜の花も野生化すると気味が悪いほど成長することが分かった。

 次の日も天気は良く、既に淀川と名前を変えていて流れはかなり緩やかになり、河口まで下れたら良いなという雰囲気で、そうしてのんびり下ってまた陽が落ちて、最終的には橋が何本も架かる地点で上陸して終了した。

 今調べたら琵琶湖から淀川河口まで75キロあり、人間の1日に歩ける距離は40キロくらいだから、1泊2日の川下りとしてはまあまあ順当といえるようだ。

 上陸したのは電車の走る鉄橋下で、そこから街の方に出ると駅があり『十三駅』とあった。その晩は鉄橋下で寝たが、橋の下に住んでいる人から気の毒に思われたのか食べ物をもらったのも懐かしい。

 同級生はやはり部活のため先行して東京へ帰ったが、同級生は担任や剣道部の先生からこっぴどく叱られ、それを知らない小生は大阪でブラブラと時間を過ごし東京に帰った。

 それでずる休みをした我らの処分だが同級生は丸坊主にされたが、一応、東京の有名な進学校であったが、小生は担任からあまりにやっていることが大胆、呆れられはしたがお咎めなしという結果となった。

 その後、この同級生とは信濃川を下ったこともあり、思えばゴム・ボートによる川下りの草分けともいえるが、そういう気負いなど全くなく『面白そうだ』で実行したあまり後先を考えない青春時代でもあった。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 19:19
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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(21) 今年の桜前線はどこまで行っただろうか

 今年は行けなかったが、日本へ行く時は花見時が最高と思っていて、例年東京の満開時に合わせてセブからの日程を組むが、これが当たり外れの年があってこちらの都合通りには桜は咲いてくれない。


 

 これを書いている時点で、日本国内有数の花見の名所『弘前城公園』では散った花弁が水面に浮く『花筏』が見頃らしく、盛りを過ぎたのが分かり、桜前線は青森から津軽海峡を越えたようだ。

 

 今年の日本のゴールデン・ウイークは10連休という空前の長さになり、セブ辺りでも日本からの観光客が押し寄せるようだが、フィリピンに住んでいる限りは日本の10連休など全く関係がない。


 日本の花見では2年前に四国へ行った時、その年は開花がかなり遅れていて、四国は暖かい西国だから満開は間違いないだろうと思って予定を組んだが、山の方には雪が残っている始末で、四国での花見は最終目的地の松山市内でようやく愛でることが出来た。

 そうやって物足りない気分で東京へ戻り新宿御苑へ行ったら、全国的に開花が遅れた分御苑の桜は満開に当たり、ようやく花見気分を味わえたが、以前にも増して中国、韓国からの観光客は多く、その幸せそうな表情から、これらの国と日本が仲の悪いことが嘘のような気がした。

 

 2015年に家人と一緒に『日本の五大桜』を巡る旅をし、これは左側のカテゴリーの中に『2015年 桜紀行』と30回に分けてその様子を書いているから参照されたいが、この年は逆に開花が早くて、回った五大桜の内の四大桜の盛りは過ぎていたが、最後に行った福島県三春町の『滝桜』【写真は2015年撮影】は満開で、ようやく一矢を報いた感じがあった。

 この時は日帰りで、東京から新幹線で郡山乗り換え三春駅往復の贅沢な旅程であったが、花見というのは天気次第で印象がずいぶん変わり、雨や霧の中で見た四大桜であったが、滝桜はいかにも春らしい陽気の青空の下、存在を際立たせ堂々と咲き誇り、新幹線料金は高いなと思いながらも満足感を得た。

 三春町へは初めて訪れたが、郷土玩具の『三春駒』で知っていて山深い地域かと思っていたが、福島県の大都市郡山に思いの外近く、郡山のベッド・タウンになりそうな感じだが起伏に富んだ町は緑が多かった。

 また、滝桜だけしかないような印象を持つ三春町だが、ソメイヨシノに混じって結構大きな枝垂れ桜が町のあちらこちらに咲いていて、春の陽射しの下をゆっくり歩いても楽しめる。

 そうやって町中を通り過ぎて三春駅までブラブラ歩いたが、とある路地の入口に『除染中』の看板を見た時には、ここは福島なのだなと改めて思い知らされた。


 2011年3月の福島原発の大爆発は、近隣に放射能物質を振り撒き大地を汚染し、住民が避難する騒ぎになったが、それから4年以上経っても爆発の影響は大きくなかったと思われる三春町で、除染作業が行われていることに驚いた。

 そういえばその年の原発爆発後の4月に、三春の滝桜を見に訪れた観光客は激減したそうで、これは福島県内の観光地は軒並み観光客が激減したから、三春も例外ではなかった。

 この三春の滝桜、今ちょうど見頃らしく、ニュースで取り上げられていて放射能汚染の後遺症は消えた感じだが、除染に兆円という単位の巨費をかけながら、その実態は汚染土を集めて他の場所に移しただけで、放射能汚染された物質は減ったわけではない。

 

 この除染土はとりあえず集積して、その後科学的な除染をするとの話だが、除染土を集める場所、処理する場所などほとんど先送り状態であるし、除染作業で取り除いた放射能物質は万年という単位で残るから、それだけでもいかに大変か分かる。

 最近、爆発した福島原発の原子炉から溶けて飛び散ったデブリと呼ばれる放射能物質を炉内から取り出す実験が成功し、いよいよ除去作業が始まるのではないかとなったが、実情は、見通し不明で終わるのは何十年もかかるようだ。

 こういう後始末には何兆円もかかり、もしかすると何兆円も二桁台に行くのではないかという始末で、このような後ろ向きの作業に巨費をかけ、これが景気浮揚の一助になっているらしいから、日本はおかしいと見られても仕方がない。

 さて、日本の桜は吉野桜と大島桜から生まれた『ソメイヨシノ』が主流になっているが、このソメイヨシノの寿命は案外と短く、五大桜が500年から1000年という単位の中、70年から100年くらいだといわれる。

 東京の花見というと上野公園が有名で、太い幹で大きな枝ぶりのソメイヨシノが咲き誇る並木は圧巻だが、今ある樹は寿命を考えると昭和になって植えられた樹がここまで大きくなった見て良いであろう。

 そこから、小学生の頃、両親に連れられて上野の花見に出かけた記憶を持つが、その時見た桜並木はかなり細い樹であったかも知れず、といって堂々とした並木のような感じを持つが、子どもの目線だから大きな桜に見えたかも知れない。

 

 そういう観点から見ると、今の各地にある桜並木の有名な所は戦後に植えられたソメイヨシノがほとんどで、元々寿命の長い樹から見るとかなり若いといえるし、数十年単位で名所が出来るとは不思議な感じもする。

 と書き綴りながら、今年は駄目であったが来年は花見に必ず行こうとセブから日本に直行する航空会社の運賃と時刻、どこの地域、どういう内容の花見にしようかと早くも調べている。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 20:11
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パラワン島紀行 2018年 その(17) アイラン・ホッピングー久し振りのシュノーケリング

【写真−1】

 

 次の行き先はシュノーケリングのポイントで、いくらも行かない島の沖合に到着。ただしアイランド・ホッピングのコースと出港、帰港時間はは決まっているので、写真−1のようにポイントには既に船が密集し、ここでも場所取りが大変。

 

【写真−2】

 

 シュノーケリングをするここはスキューバ・ダイヴィングのポイントになっていて、少し離れた場所にダイヴィング船が錨を降ろしていた。写真−2はアイランド・ホッピングに使われる船の水面下後部の様子で、舵とスクリュウの造りが心細い。

 

【写真−3】

 

 写真−3は水深2mくらいの海の中の様子で、これは割合綺麗に珊瑚が写っているが、全体を見ると折れたり崩れたりしかなり荒れている。これはアイランド・ホッピング船が無造作に投げ入れる錨による破壊で、規制しないと益々荒れるが、関心は薄いようだ。

 

【写真−4】

 

 シュノーケリングをしたのはタイのピーピー島へ行った以来だが、セブに住んでいても海で泳ぐという気持ちはなく、もっぱら潮風を吸いながら水平線を眺めるのを最上としている。写真−4は小さな魚の群れだが、あまり魚影の濃い海の感じはなかった。

 

 

【写真−5】

 

 シュノーケリングを終えて次のポイントへ。今度は岩に隠れた入り江が売り物で、特徴のある岩に囲まれた写真−5の湾にその入り江がある。何となく変化のないアイランド・ホッピングだなと思うが、欧米からの観光客は結構はしゃいでいる。

 

【写真−6】

 

 写真−6の中央にある小さな穴が隠れた入り江の入り口で、ライフ・ジャケットを着けて観光客が中に入って行く。家人はカメラを持って中に入って行くが、小生は久し振りのシュノーケリングで疲れたこともあって、船からその様子を眺めるだけ。

 


 

author:cebushima, category:パラワン島紀行 2018年, 19:15
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