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へそ曲がりセブ島暮らし2018年 その(91) 10月31日のマレイシア

 来年5月13日にフィリピンでは選挙が行われ、この選挙は3年ごとにあり、正副大統領以外の公職者、つまり上院議員の半分、下院議員全部、州、市、町の全議員と全首長が選挙の洗礼を受ける。

 半年以上も先の選挙なのに、立候補者の受け付けが先日締め切られた。受け付けた選挙管理員会は12月までに提出された書類を審査して、立候補者として認定するが、その間、届け出た候補者は議員でも首長でも入れ替え変更は可能になる。

 何ともおかしな規定であるが、フィリピンは選挙となると骨肉の戦いになる例が多く、これは互いに様子を見ながら票読みをして有利な議席を得られるような『陽動期間』を設けたと見て良いのでは。

 何の世界にも『老害』というのがあって、政治など権力に直結しているからいつまでも議席に執着する者が多く、今度のフィリピン選挙でも94歳の元上院議員が届け出て話題になっている。

 この人物はマルコス独裁時代に閣僚として要職を占めた、いわゆる『マルコス・ロイヤリスト=忠誠者』だが、マルコスに反旗を翻した1986年2月の『エドサ政変』の立役者、早くいえば寝返った人物。

 その後アキノ政権でも要職に就き、その知名度で上院議員となり、高齢のために引退を表明して一線を引いていたが、やはり権力の美味しさは忘れられなく立候補をした。

 この元議員の当選の可能性だが、フィリピンの上院選では改選する12人全員の名前を書くようになっていて(今はマークシート式)、これは12人全員を選ばなくても有効らしいが、面倒臭くなって知名度のある候補者に印を付けるのもあり、当選する可能性もある。

 

 それにしても、上院議員の任期は6年間なので、仮に当選したら任期終了時は100歳だから、どう見ても任期中に亡くなる可能性は高いし、もしかすると来年の選挙前に亡くなる可能性もあるから、どう見てもこの人物はおかしい。

 

 この老害元議員と張り合うように、現職上下院議員を通じて最高齢になるマルコスの妻イメルダが89歳で立候補を届けたが、この人物に対しては『老醜』としか言いようがない。

 イメルダの地盤はルソン島最北端の州で、州知事は娘(今度の上院選に立候補)がやっていて、いわゆる一族で公職をたらい回しにする、フィリピン中どこでもある『王朝』の一つで、何をいわれようが地元では絶対当選確実。

 さて、2003年10月31日、マレイシアの マハティール首相が辞任を表明。実に22年に及ぶ長期政権であった。

 ところが、引退したはずのマハティールは今年行われた選挙で、今度は野党側の指導者として15年ぶりに登場して勝利する。

 これはマレイシアの政治史上で初めての選挙による政権交代だが、かつての与党指導者が野党となって選挙を戦うのも驚くが、もっと驚いたのはマハティールの年齢が93歳ということである。

 

 ただ、当人は高齢を自覚していて、前政権の汚職などの大掃除をやって、指名した後継者に政権を譲ると言っているが、政治の世界はどうなるか分からず、信用できないところもある。

 

 マレイシアに初めて行ったのは仕事で1993年頃であったが、当時のクアラルンプールの空港はクアラルンプール市内にあって、首都の国際空港としてはずいぶん小さいなとの印象を持った。

 

 その後、2000年代になって度々マレイシアを訪れているが、新クアラルンプール国際空港が郊外に開港していて、黒川紀章設計のターミナル・ビルといい、空港敷地などかなり大きなプロジェクトに驚いた。

 

 ただし、今や日の出の勢いの低価格航空会社の『エアーアジア』のターミナルは倉庫の様な建物で、そこからトコトコ歩いて飛行機に搭乗し、ずいぶん貧弱だなあと思った。

 

 ところが、現在『KLIA2』と呼ばれる、エアーアジア専用に近い巨大な第2ターミナルが造られて、様子が一変した。

 

 KLIA2は何度も利用していて、搭乗前にスターバックスでコーヒーを飲むのが常であったが、そこから見えるチェック・イン手続きの場所で、北朝鮮の『金正男』が暗殺され、『あそこか』と驚いた。

 

 KLIA2にはコンテナ利用のホテルがあり、またエアーアジアが経営するホテルもあり、どちらも利用した経験を持つが、近代的なターミナル内には無料で横になれる一角があり、そちらも利用し一晩過ごしたが何の問題もなかった。

 

 さて、マレイシアという国は教科書で『錫』の産地と習ったが、今は錫は採れなく、国の産業構造がマハティール時代に大幅に変わり、東南アジアの経済中進国となった。

 

 そういう変化を物語るのが、クアラルンプール市内の軽量鉄道網であり、この間行った時は地下鉄を掘り進んでいた。こういうことが出来るのは国内経済の底が上がったから出来るので、フィリピンのように貧しいとこうにはならない。

 

 こういう大量輸送の出来る鉄道に対してマレイシアは熱心で、先年、クアラルンプールからタイ・バンコクまで途中下車しながらマレイ鉄道を利用したが、路線や新しい駅が造られ近代化は進んでいる。

 

 また、中国の資本で新幹線を敷くプロジェクトが決まっていたが、マハティールになって、プロジェクトは中止されたが、新幹線構想はクアラルンプールからシンガポールまでまだあるので、その内具体化するであろう。

 

 マレイシアというと金子光晴の『マレー蘭印紀行』を思い起こすが、これは昭和初期にマレイシアを彷徨った自身の記録で、今はそういった湿ったイメージのマレー蘭印の雰囲気はマレイシアから消えつつある。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2018, 19:24
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へそ曲がりセブ島暮らし2018年 その(90) 10月30日の海峡に架かる橋

 1973年10月30日、トルコのアジアとヨーロッパを隔てると称されるポスポラス海峡に最初の橋が架けられた。

 

 この橋はイギリスの手によって架けられているが、全長1510mと海峡の幅が意外と狭く、アジアとヨーロッパは目と鼻の先であったことが分かる。

 

 その後、1988年7月に全長1510mの第2ポスポラス橋が架けられ、こちらは日本のODAと企業が架けている。

 

 また、第3の橋として全長1400mの橋が架けられたが、こちらは韓国の企業が架けていて、他にもこの地域での大きなプロジェクトは韓国に取られているので、日本贔屓といわれるトルコでも日本は押されている。

 

 セブにもマクタン島との間に架かる橋が2本あって、最初の橋は1973年に開通し、この長さから冒頭のポスポラス橋はセブの橋より少し長く、ポスポラス海峡もセブの海峡も雰囲気は違うだろうが、海峡の幅はそれほど差がないことが分かる。

 

 セブの空の玄関口は『マクタン・セブ国際空港』という名称だが、マクタンというのは空港のあるマクタン島を指し、この飛行場は戦時中には日本海軍の基地でもありゼロ戦が飛んでいた。

 

 マクタン島は1市1町で構成される島だが、セブのリゾート地というのはこの島の東側に連なり、売り物の海は近年汚染が進むが、観光客も海で泳がずホテル内で泳ぐから実情は分かっていない。

 

 一方、マクタン島のセブ島に面する西側は狭い海峡を挟んでセブ島の市街地に面するが、こちら側は都市部の排水は流れ込み、船が出入りする港があって、相当な汚染が進んでいる。

 

 最近、現在セブ市街地にあるコンテナ・ターミナルを海峡のセブ側北部に移す、プロジェクトが決まって増々この海域の水質は悪くなると思うが、移動したコンテナ・ターミナル跡地は平地の少ないセブ市の一等地で、ここを再開発したい不動産屋が暗躍したのではないか。

 

 この海峡に架かる橋もトルコの橋も大袈裟な名前が付けられていて、これはセブも同じで最初の橋も2番目の橋もセブの亡くなった政治家の名前が付けられている。

 

 しかし、セブの人間は最初の橋を『オールド』、2番目の橋を『ニュー』と呼んで、政治家の長ったらしい名前など誰も言わないし、言う気もないし、タクシーに乗って通る橋を指定する時、政治家名の橋など言うものなら、こいつはお上りだと馬鹿にされる。

 

  オールドもニューも架橋は日本の業者が手掛けているが、オールドの方は何分竣工から時間が経ち、20年くらい前には台風で流された船が橋脚に激突し、その後の検査でかなり橋自体がかなり危ないと分かった。

 

 実際、橋を架けた日本の技術屋が『大きな地震があったら崩落する』と話していて、出来ればこの橋は避けた方が良いとまで言い切っていた。

 

 2013年にセブ島隣りのボホール島を中心にあった地震では死者200人近くを出したが、その時小生は家人とセブ近郊の霊園に居て地震に遭遇した。

 

 広い霊園で建物がないので霊園内で足を踏ん張って過ごしたが、一番心配したのは知人が造ったばかりのビルと、このマクタン旧橋で、特に橋は崩落する大惨事発生かと思ったが、そういうことはなかった。

 

 そういう危なっかしい旧橋を補完するために第2の橋が1999年に架けられ、全長は1237mある。この橋の最初の計画では旧橋と同じように片側1車線であったが、旧橋の片側1車線は増え続ける車に対応出来ないため、片側2車線に変更された。

 

 開通式には時の大統領エストラダが自ら車のハンドルを握って渡り初めをしたが、エストラダは開通式に臨んだ1年後に大統領府から追い出され、後に汚職容疑で捕まり有罪判決を受けた。

 

 エストラダは後に恩赦を受けて出獄したが、エストラダを追い出し、恩赦を与えたのは後継のアロヨで、アロヨは退任後にやはり汚職で捕まり、フィリピンの大統領は汚職が伝統と世界に恥を晒した。

 

 このアロヨは裁判中に地元の下院議員に立候補して当選。今や下院議長をやっているから、フィリピンの政治屋連中の倫理観はどうなっているかと問いたいが、最初から倫理観など全く無く、権力欲だけしかないから問う方が馬鹿を見る。

 

 マクタン島の橋に戻るが、現在第3の橋が一番南側に建設中で、こちらは民間会社が造り有料道路となるが、橋と堰堤の複合で堰堤によって海峡の流れが変わり生態系に影響が出ると指摘されているが、そういう心配をするのは少数派で既定の事実として工事は進んでいる。

 

 この第3の橋だが、セブ側の出入り口は日本のODAで埋め立てた場所になるので問題はないと思うが、マクタン側は今でも渋滞の激しい市街地に繋ぐので、既に出入りに問題があると指摘されているが、橋が出来てから考えるのではないか。

 

 このように3本の橋を架ける必要があるのは国際空港とリゾート地があることと、島とはいえ人口が50万以上を越え交通量が激増しているためだが、交通渋滞の解消は一時だけになるのではないか。

 

 また、マクタン島内には特別経済区があって、この特区で働く労働者は3万人以上で、国際空港が特区に隣接している立地と日本各地への直行便が多く就航しているために、ここにはかなりの日本の企業が進出している。

 

 道路が増えず、車ばかりが増えているためのセブの渋滞だが、最近道路利用は諦めてマクタン島とセブ島を繋ぐフェリーを就航させるという計画が本決まりになった。

 

 もっとも、以前からマクタン島から対岸のセブ市に渡る船はあって、その船は今も運航していると思うが、それよりも速い船を投入するようだ。

 

 計画によると現在1時間以上かかっているセブまでに、船利用だと20分程度で行けるとなっている。しかし、速くなっても有料であるし、地元の従来の車利用者が車を捨てて利用するとは思えず、どうも観光客用に作られた計画ではないかと思える。

 

 この海峡を繋ぐ船だが、旧橋が架けられるまでは戦時中に使われた上陸用舟艇がマクタン島とセブ間を運航されていて、この時代を知る日本人はセブには何人もいないのではないか。

 

 フィリピンは島嶼国家のために大きな島と島を繋ぐ橋の計画は昔からあって、セブとレイテ島、ネグロス島間、またボホール島にも架ける計画はある。

 

 中でもセブ−ボホール間の橋はかなり具体的に検討し、政治屋連中がぶち上げているが、経済コストを考えると荒唐無稽で、このプロジェクトに関わる建設屋だけが儲けるのではないか。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2018, 18:21
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へそ曲がりセブ島暮らし2018年 その(89) 10月29日のインターネット

 小生がパソコンを始めたソフトは『Windows Me』で2000年からであった。

 それまでは『ワープロ』を使っていて、そちらは何台も機種を変え、アフリカまで持って行ったが、その当時は携帯電話やインターネットなど全く普及していない時代であった。

 最初のパソコンはデスク・トップ・タイプで画面が14インチ、専用デスクの上に乗せ部屋の壁に向かって置いてあった。

 インターネット速度など記憶していないが、かなり遅く大容量の写真が送られると全部表示されるまでかなり時間がかかった。

 それからソフトは『Vista』、『XP』、『7』、『8』と変わったが、これは新しいパソコンを購入したための搭載ソフトの変化で、小生が選択した訳ではメーカーが勝手に組み込んでいた。

 こうしてウィンドウズ・ソフトを使うようになったが、パソコンを仕事で使う業界関係には人気のある『Mac』とは縁がなかった。

 アメリカに行った時、Macのノート・パソコンを見てこれは良いと思ったが、ウィンドウズからMacのソフトへ乗り換えるのはかなり大変で、実家に姪が使っていたMacのデスク・トップがあり、日本へ行った時に使ったが、ウィンドウズに慣れた身には使い難かった。

 パソコン・ソフトを使う時慣れがあって、新しいソフトになるとその仕組みが変わってやりにくいと思うのは毎度だが、歴代ソフトの中でこれまで使い易かったソフトは『XP』であった。

 その次の現在使っている『7』はまだ良く、その後継ソフト『8』は使いづらく、ノート・パソコン2台には搭載されているが、慣れないというより使いたくない。

 この『8』の後継に『10』が出て、8から10に自動的にソフトが変わる時期があって、かなり問題を起こしたが、小生の方も切り替え拒否をして『8』のままで現在に至っている。

 こうしてパソコンはマイクロソフト社に永遠に絡め取られている訳で、これなど完全にウィンドウズ、即ちアメリカの思惑通りにパソコン使用者は手の内にあることになる。

 例えばアメリカがマイクロソフト社に介入して、アメリカの都合の良いように動かすことは可能で、ある日、ウィンドウズのソフトを突然停止するなど簡単。

 あの幼稚園児並みの知能しかないトランプならやりそうで、世界はインターネットで繋がっている現在、便利さの反面危険な時代ともいえる。

 

そうして、現代人にどっぷり浸かり込んだコンピューターとインターネットであるが、インターネット誕生は1969年10月29日であった。

 

 この日、インターネットの元型であるARPAネットカルフォルニア大学ロサンゼルス校からスタンフォード研究所に接続したが、その結果は惨憺たる有様で、『LOGIN』と入力し始め『LO』までは良かったが、その次の『G』でシステムが止まってしまった。

 

 今では考えられないがインターネット創成期から約半世紀、パソコンどころかスマホでやり取りするのが当たり前の時代となり、生活に密接な関係となっている。

 

 また、インターネットを利用したグーグルやアマゾン、そしてSNSサービスのツイッターやフェイスブックなどの企業が世界的な大企業となる時代となった。

 

 小生はかつてはフェイスブックもツイッターも、アカウントを持っていたが、数年前にどちらも止めた。

 

 止めた理由はいくつかあるが、一番は『フェイスブックもツイッターもこのまま続けていたら馬鹿になる』と思ったことで、止めてどうなったかというと、止めて良かったと思う。

 

 結果的に、世の中SNSなくしては世の中が始まらないとなっているが、それは全くの虚像であり、SNS利用者というのは自己を誇示したいだけで、それがどうしたという世界で踊らされているに過ぎない。

 

 そういえば、小生はスマホなど持っていないし、それで困ることもなく街中で馬鹿面をしてスマホを弄って歩いている連中の多さに驚いているが、皆が皆だから驚きようもない世界で、異常を通り越している。

 

 こういう現象も携帯電話産業に踊らされている訳で、本当に必要なものかどうか考える必要があるが、それほど難しく考えることもなく、時計はほとんどの人が身に付けているように、スマホも時計並みのアクセサリーと思えば気にすることもないか。

 スマホはないが、いわゆる携帯電話はあって、これは家人のおさがりで、一緒に外出した時、それぞれが別の場所に居る時用の位置確認に使うためで、電話というよりトランシーバーの役割になっている。

 

 さて、パソコンに戻るが、現在使用しているデスク・トップは2011年に日本で購入した一体型で、これは日本からフィリピンへ、フィリピンからラオスに持って行き、またフィリピンに持って来て使っている。

 

 古い型なので重さは10キロを超すが、これを台座部分を外して機内に持ち込んで運んでいるが、搭乗手続き時に手にぶら下げているのでそれほど重く見られず問題視されることもない。

 

 また税関で何かと聞かれても『テレビのモニター』といって問題なく通過しているので、テレビ・モニターというのはもう税関でとやかく言われる時代ではないのだなと実感する。

 

 既に7年目のこのデスク・トップ、最近は不具合が出て、スイッチを入れて10分くらい経つとフリーズすることが多くなったが、その時はコンセントを抜いて改めて復帰させている。

 

 機械的な不具合なので専門家を呼んでチェックする必要があるが、今日はフリーズするかどうかと思いながら使うのに慣れてしまって、現在に至る。

 

 パソコンというのは長期間、同機種を使うようになっていなくて、自動車と同じで次々とデザインと仕様を変えて発売していて、消費者もそれに踊らされている。

 

 今のところは、フリーズしてしまうデスク・トップを買い替える気はなく、こういう消費者ばかりになったら、業界は不況になるのではないか。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2018, 19:22
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