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プーケット・ピーピー島・クラビ紀行 2018 その−(11) プーケット旧市街行き当たりバッタリ−7

【写真−1 向かい側には元銀行の博物館がある】

 

 写真−1はプーケット旧市街のシンボル的建物で、元は警察署だった。今はこのように茶系に塗られているが、以前の写真を見ると白く剥げている所があって風格があった。現在は観光案内所となっていて、時計はタイにしては珍しく正確な時間を示していた。


【写真−2 その昔の財力を感じさせる】
 

 タラン通りだけではなく、他の通り沿いにも写真−2の様な古い建物がある。右側の灰色が元々の様子で、角のビルは塗り替えているが、こうやって旧市街地の整備は進んでいるが、塗り替える以前の古い様子の方に味があるのは確か。


【写真−3 改造するなら下はレストランで上はホテルか】
 

 写真−3の交差点反対側にある建物で、こちらも綺麗に塗り替えられていて、一見、タイではないような雰囲気を持つ。こういった建物、現在は何に使われているか不明だが、何れ観光客相手の店に改造されてしまうのであろう。


【写真−4 タイの郵便カラーは日本と同じ】
 

 そういった建物で見かけた郵便受けが写真−4。これが郵便受けの規格品かどうか分からないが、彫刻もあってなかなか味がある。郵便受けというのはすでに現実的でないのかご覧のように蓋は開けっ放しで、何かのパンフレットが突っ込まれていた。


【写真−5 これもサービスの一環か】
 

 タラン通りの夜の様子が写真−5。それぞれライト・アップして旧市街の良さをアピールしているが、色変わりというのは少々趣味が悪い感じもする。夜は早い旧市街だが、いかがわしさや危険さは感じさせない。


【写真−6 これには観光客の姿は少ないが時間帯によってはゾロゾロ】
 

 写真−6はタラン通りに直角に交差する通りの夜の様子。通りに張られた裸電球が良い味を出している。かつては地元相手に静かに商売をしていた通りと思うが、今の通りの両側は従来の家を改造したゲスト・ハウスやレストランが並ぶ。



 

author:cebushima, category:プーケット・ピーピー島・クラビ紀行 2018年, 18:13
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フィリピン・よもやま帖 2018 その−(2) 平昌冬季オリンピックにフィリピンが参加していても誰も関心のないフィリピン

 日本人のオリンピック熱は世界でも有数で、過去に東京、札幌、長野で開催しているし、2020年には再度東京で開催される。

【東京に降る雪と椿の紅色の対比が妙】

 今度の東京オリンピックなど、決まる前も決まってからでも反対意見は多かったが、今や誰しも諸手を上げて歓迎一色になり、オリンピック反対などを唱えればそれこそ『非国民』と呼ばれてしまい、ここでも日本人のすぐに何でも忘れてしまう集団性根を見る。

 確かにオリンピック開催中は数々のドラマは生まれたが、しょせんあれは国際オリンピック委員会(IOC
)とマスコミの組んだ興行に過ぎず、それを見て一喜一憂、踊らせ踊ったのが善意の人々及び商魂逞しい連中といって良いであろう。

 特にIOCはサッカーのワールド・カップと同様に世界のスポーツ興行界に君臨し、マスコミの放映権料が数千億円という単位で入札、扱う額は1兆円に近く各国の関連裾野を加えたら何兆円もの規模になる一大業界になる。勿論、営利企業ではないからその使い道はスポーツ振興などと綺麗ごとを並べているが、IOCの組織が金まみれになっているのも衆知の事実である。

 オリンピック開催国を決めるのはIOC委員の投票によって決まるが、その投票に賄賂が飛び交って買票行為は大っぴらで、時々IOC委員がその国の捜査機関によって贈収賄や脱税で摘発されるが氷山の一角にしか過ぎない。

 今度の東京オリンピック誘致を巡っても不明朗な金、早くいえば裏金、買収資金が都側から流れたと一時は騒がれたが、そんなことがあったのかという具合で今や誰も関心はなく、決まったことに文句があるのかという具合が多数派。

 IOCの加盟国は現在204の国と地域となっていて、これを国連と較べると国連は193ヶ国だから、IOCは国連を凌ぐ加盟数で、スポーツだけの組織とはいえIOCは恐るべき組織といっても過言ではない。

 かつてIOC委員はその国の名士、著名人がなるが今やそういった流れはなくなり、その国の目立ちがり屋の政治家や財界人が多く、金と権力が無いと委員になれない仕組みになっていて、胡散臭い人物も相当多い。

 このフィリピンを例にとると、2月23日に平昌オリンピックがたけなわの時にフィリピン・オリンピック委員会の会長選挙が行われ、24票対15 票の票決で2004年から委員会を牛耳っていた人物が落選、現職が落ちるという珍しい出来事があった。

 落選した人物はアキノ前大統領の叔父に当たり、アキノ元大統領(母親)の実家の広大な砂糖キビ農園を所有する一族で、長年地元の下院議員の席に座っていて、いわば中世と同じ領主様で、こういった旧態の領主が現代にも残っているのがフィリピンの貧困の源ともいわれている。

 この一族には独裁者マルコスが1986年にハワイに逃亡した時に、一緒になって逃げた有名な政商がいて、この人物はいつの間にか帰国して、財力に物をいわせてフィリピンの政財界に復権していて、かようにフィリピンの権力者地図というのは複雑怪奇。

 オリンピック開催中に選挙をやるのも変だが、敗れた前会長は平昌オリンピックの開会式には出席し、勝った新会長は閉会式に出たのかどうかその辺りは分からないが、痩せても枯れても一国を代表するIOC委員だから開会式は破れた会長、閉会式には新会長が出て互いの自尊心を満足させるようにしたかも知れず、いかにもやりそうなことだが、実際は分からない。

 なお、新会長はやはり地方の政治屋一族の一員で、マニラ首都圏に近い山の観光地として有名な市長がなったが、バックになるスポーツ団体はボクシング協会であった。


 と書くように平昌オリンピックにはフィリピンから2人の選手が参加していて、そのニュースは情けないくらいほんの少ししか国内には伝えられず、国際的にはもっと伝えられていない。

 フィリピンはオリンピックには関心はほとんどなく、韓国でオリンピックが開催されていること自体知らないのがほとんどで、日本の熱狂的なオリンピック熱が異常に感じるほどである。

 雪や氷に縁のない南国だから関心が薄いのも当然だが、南国から冬季オリンピックに参加したのはこのフィリピンが初めてで、それは1972年の札幌大会というからその縁に驚くが、参加したのはスイスに留学中のフィリピン人高校生2人というから、これは超富裕層の出身で、国籍も2重なのではないかと思わせる。

 この2人、親の財力に飽かして参加したと思うが、スキーの回天、大回転に出場し、回転では2人とも失格、大回転は1人が最後まで滑り切り48人中42位という結果を出した。

 ただし、1位からは1分近く遅かったというから、少々上手いアマチュアのレベルで、こういうレベルでも一国に1人の出場枠があるためと、選手よりも国内オリンピック委員側に初参加の看板が欲しかったのではないかと思う。

 平昌に参加したのはフィギュア・スケートの21歳で、彼は前回大会にも参加しているが前回は19位と健闘したが、今回は最初のショート・プレイ(SP)に出た30人中28位となり次のフリー・スタイル(FS)へ進めなかった。この時の得点は金メダルを取った日本の羽生の半分程度であったから、出来は良くなかったのは確かである。

 

 ただし、フィギュア出場には他の大会で優勝したりする実績が必要で、それなりにこの選手は力はあると思うし、何よりもスケートを始めるきっかけは近所のモール内に出来たスケート場が始まりという。

 

 セブにも大手のモールが出来た時にスケート場が造られ、小生も珍しくて滑った経験を持つが、スケートに縁のないフィリピン人が思いの外上手に滑っていて、ビックリした記憶を持つが、あれは海外の寒い国に住んでいるフィリピン人子弟が滑っていたのかも知れない。

 

 そういった町のスケート場育ちで、出自も裕福とは思えないこの選手が続けてオリンピックに出られたのは支援者があってのことだが、もう1人参加したフィリピン人はアメリカ在住の2重国籍者で、ご都合良くフィリピン国籍で参加した。

 

 オリンピックにおける国籍などどうでも良い時代に入っていて、国も選手もメダルが取れそうであったら、躊躇なく国籍を変えて参加していて、ある意味ではオリンピック憲章が唱える『オリンピックは国と国との戦いではなく個人の戦いである』を地でいっていると思うが、ご都合主義であるには変わりない。

 

 さて、この選手は男子大回転の参加者110人中70位に終わり、本人も周りも晴れ舞台で滑れて満足であろうが、フィリピンでは何の話題にもならなかった。せめてメダルでも取れば話題になったかもしれないが、チャッカリ2重国籍を利用して参加するフィリピン人には寛容な国民性であっても無視するしかなかったようだ。

 

 1928年の第2回アムステルダム大会でフィリピン人が水泳平泳ぎで銅メダルを獲得したのが、フィリピン最初のメダルと記録にはあるが、90年前のフィリピンの事情を考えると現地在住か留学のフィリピンの国籍を持つ人物の様な気がする。

 

 そのメダル獲得ではフィリピンは冬季大会ではゼロだが、夏季大会では銀3個、銅7個、計10個の結果を残していて案外に健闘しているなという感じがする。ボクシングが強く半分の5個、水泳と陸上が2個ずつ、53キロ級女子重量挙げで1個の銀メダルを獲得している。

 この重量挙げの銀メダルは前回のリオ・デ・ジャネイロ大会で獲得し、選手は国軍の兵士でありミンダナオ島出身のため、この時は同じミンダナオ島を地盤とするドゥテルテ大統領が大喜びして、報奨金500万ペソや住宅などが贈られ、国内マスコミも沸いたがその後は熱が冷めるのも早かった。

 

 なお、最後にマレイシアが今回冬季オリンピックに初参加した。恐らく次回冬季オリンピックは中国の北京で行われるので、参加国を増やし史上最大の大会とぶち上げたい中国政府の意向が噛んでいるのではと思うし、アフリカ諸国からも俄かに参加国が増えそうな気がする。

 


 

author:cebushima, category:フィリピン・よもやま帖 2018, 19:06
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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(92) 番外−香港篇−5 香港島の街角と夕食は

 香港の住宅事情の特異性は世界的に有名で、特に不動産に関しては驚く話が多い。

【写真−1 こういう店の経営者が大富豪か】

 土地のない地域のため、どこもかしこも高層のアパートになっているが、これは香港の土地は政府が所有していて、例外なのはかつてのイギリス総督府のあった敷地だけであったという話を聞いたことがある。

 そのため、香港は土地の所有権というのはなく使用権で動いていて、これは隣接する本土側中国と全く同じである。

 しかも狭い土地の中に人口が多いので人口密度が高く、必然建物は高くならざるを得ないが、この人口密度は世界でも有数の人口密集度だが、2016
年では1平方キロ当たり6544人とある。

 これは東京都が6773人で案外と多いが、東京と香港の人口数と、面積が違うために単純には比較できないが、集中度においては香港は東京の比ではないことは確かである。

 ちなみに世界的な人口密集地であるフィリピンのマニラの人口密度は、2万人を超えるから数字だけでは分からないものが横たわる。

 写真−1は香港の不動産屋の店先の様子だが、何となく日本の個人で営業する不動産屋と同じような雰囲気で面白い。ただし、こんな小さな店でも億に達する物件を無造作に扱っているのが香港らしい。

 香港でワンルームを借りると家賃は月18万円くらいかかるらしいが、香港人の月収手取りは月25万円くらいというから、1人で借りたら大部分が部屋代に消えてしまう勘定になる。

 そのため、狭い部屋をシェアする例が多く、大人になっても2段ベッドで生活しているという話が伝わる。

 住宅を購入するのも大変で、物件の値上がりが毎年20%近いというからとても普通の勤め人には追い付かないので、まだ値上がり前に親が購入していた住居に同居という方法を取る世代が多いという。

 香港は住宅の相続税はかからず、新規に購入した時でも取得税は4.25%という低率になっているが、これを永住権を持たない外国人が購入すると、30%の取得税が課せられるというからその差は大きい。

 ちなみに香港の永住権取得には7年間の居住歴が必要というが、香港の不動産を買い漁っている中国人本土の人間はどうなっているのか分からないが、恐らく有利になっているのであろう。

【写真−2 ポストの色は国によって様々】

 写真−2は香港の郵便ポストで、トラムの通る大通りで見かけた。左側は封書専用で右側が大型郵便物と分けられている。

 香港へ頻繁に行っていた時は気が付かなかったが香港を中国に返す前はイギリスが郵政業務をしていて、その時のポストの色は赤であった。それが返還後に写真の緑に変えたようだが、中国共産党の色は『紅』なので、そのまま色を変えなくても良かったのであろうが、イギリス色を消したい中国側の事情でそうなったのであろうか。

 ちなみに香港の郵便は『香港郵政』と呼び、業務開始は1841年とあり、これはアジアで最古となっている。

 香港は美食の町と知られるが、やはり美味いのは塩の薄味の『広東料理』で、麻婆豆腐で知られる四川省の様な辛い料理はほとんどない。

 実際、広東人と一緒に四川料理を食べたら、辛くて食べられず辛い物を食べたことをあるのかと聞いたら無いとの答えには驚き、中国も広いと感じた。

【写真−3 これで2000円近い】

 写真−3は夕食に食べた料理の品で、遠くに行くのが億劫になってホテル並びの店で食べたが、この店は料理によって値段が均一で、かなり込み合っている。

 左下は『麻婆豆腐』で、辛いといっても味はまろやかになっていて、豆腐そのものの味が濃厚。上は『白身魚とセロリの炒め物』で、絶妙な塩味。右下は広東料理では必ず注文される『油菜心』でこちらも味は外れなかった。

 払った値段は安くはないと思ったが、物価の高い香港では普通のようで1品、2品で食べている客が多く、気のおけないお惣菜料理店といった趣だが、店の前にはベントレーやポルシェといった高い車が停められていて、収入と食事はまた別物と思った。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 21:14
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