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バタネス紀行 2017 その−(53) イラヤ山登山を考えてツアー会社へ行って夕食はまたピザを

【写真−1 バスコ滞在中にようやく姿を現したイラヤ山の頂】

 

 

 バスコ滞在中、山頂に雲がかかって姿を見せなかったイラヤ山の山頂が、この日ようやく姿を現した。バスコの町のあちらこちらから山頂の姿を写すが、写真−1は海岸近くからで、町が海に向かって緩やかに傾斜しているのが分かる。

 

 

【写真−2 手広くツアーガイド商売をしているが料金は結構高い】

 

 

 イラヤ山の山頂を見て、イラヤ登山を思い立ち、町で見かけた写真−2の旅行代理店へ行く。イラヤ山は標高1009mの活火山で低い山ながら道はなく、ガイドは必要で、しかも7時間くらいかかる難コースと分かり登山を諦める。

 

 

【写真−3 バタネスも観光で生きるようになるのだろう】

 

 

 再び、バスコの格子状になった道をブラブラ歩くが、写真−3は従来の伝統的な石造りの家に手を入れて、宿泊設備に改造している。バタネスはマニラ首都圏辺りからだと飛行機に乗ってセブより近く、観光地として注目されている。

 

 

【写真−4 身内か本人がイタリアで働いていたような店】

 

 

 とある通り沿いにあった洒落た店構えのイタリア名のピザ店。灯台方面へ行った時の帰りに別のピザ店で食べているが、今晩の夕食はこの店にする。フィリピン人は数多くイタリアで働いているから、その流れと関係がありそうだ。

 

 

【写真−5 フィリピン人は海外で使っていた車を一台持ち込めるがその手か】

 

 

 その店先に停まっていた写真−5の三輪車。こういう珍しい車を良くバタネスまで持ち込んだなと感心して車体を見るとスペイン製であった。この手の三輪車は中米ホンジュラスに住んだ時ずいぶん馴染んでいて懐かしい気もする。

 

 

【写真−6 厚いピザを作る地域に居たのかこちらの嗜好に合わせたか】

 

 

 その店で食べたピザが写真−6。冷凍ではなく店員が生地を伸ばして煉瓦の窯に入れて焼いていたが、味の方はそれほどでもない。しかし、食事の不自由なバタネス諸島で焼きたてのピザが食べられることを思うと、やはり贅沢。

 

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 19:35
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へそ曲がりセブ島暮らし2018年 その(3) 平成の時代は2019年で終わる

 元号を持っている国は、世界の国の中でもう日本だけという。
 

【シンガポールの蘭園にて】


 かつては中国、韓国、それにヴェトナムにも元号があり、それらは歴史の流れの中で消えているから、日本の元号は貴重といえば貴重だが、西暦で数えるこの時代ではやはりややこしいところがある。

 現在の平成という元号が来年5月から変わる。これを改元といっているが、その元号は何になるか話題になっている。この元号、原則的には天皇の一代で改元され、現在の平成は昭和天皇が亡くなって改められた。

 原則的というのはかつての天皇の中で、同じ天皇が改元をしている例があって、天皇制というのは不滅の様なことをいっているが、結構ご都合で動いていて、しょせん人間が人為的に作り出したものだから例外はいくらでもある。

 それが今の天皇が退位を表明し、戦後憲法下の問題もあって、簡単には天皇は自分の意思で辞めることは出来ず、特例法で処理することになり、そのスケジュールがどうやら決まった。

 絶対権力者であった天皇が憲法に縛られていることに対して、右の連中はけしからぬと言っているそうだが、あの悲惨な戦争を起こした原因が戦前の天皇制にあったことは間違いなく、尊い人命を失ったその反省の上に立脚していることを思えば当然のこと。

 さて、昭和生まれの小生としては昭和も長かったが、平成もいつの間にか今年は30年というから結構長いなと思っている。一番、平成で驚いたのが仕事で一緒だった若者が平成生まれの最初の大学卒業生だと分かったことで、正にいつの間にか年を重ねた。

 これは都度書いているが、昭和から平成になった時、小生はアフリカに滞在し仕事をしていて改元など知らなく、昭和天皇が亡くなった時、数日そのことを知らず、BBC放送で日本の天皇のことを盛んに放送していたのを聞き、町まで出かけて他の日本人に聞いてようやく天皇が亡くなったと分かった次第であった。

 それゆえ、昭和の時代にアフリカへ行き、帰って来た時は平成になっていて、その慣れないこと多大で、今も平成という元号は馴染めないところがあり、西暦と平成の数字的な繋がりが今一ピンと来ない。

 歴史を考えるとやはり西暦で表示した方が繋がりは分かり易く、といって元号は元号でその時代の雰囲気を端的に表せて捨てがたいところもあるが、小生は元号が明日からなくなっても構わず、日本独特の文化であるとか伝統であるなどというつもりは全くなく、伝統などというものは文化と同様、人為的な行為で、歴史上いくらでも消滅しているし、消滅するものである。

 この日本の元号にしても、例えば江戸時代の元号で知られる明暦と元禄はどちらが先であったかなど分からないし関心もない。それでも江戸時代最後の元号は万延であったかなと思っていた。

 これとて大江健三郎の『万延元年のフットボール』という小説を読んでいるから記憶に残っていたもので、実は江戸時代最後の元号は慶応と分かったから、その程度のものである。

 先に元号は時代の雰囲気を表すと書いたが、近代の明治は『富国強兵』、大正は『デモクラシー』と括ると誠に分かり易く、昭和は安岡章太郎の説と思ったが『戦争』で確かに分かり易く、時代をいい得ている。

 そうすると平成は何になるかと考えると『災害』の時代といって良いのではないか。阪神、東北などの大地震を始め、台風や噴火など平成は大災害の多かった時代であり、経済は『沈滞』であり、政治は何と括れば良いかまだ分からないが『回帰』とでも言おうか。

 あれほど日本が反省した戦争も戦争経験者が亡くなり代が変わると、好戦的になり、戦前の一億玉砕時代に戻るような時代が平成時代でもある。

 特に、今にでも核ミサイルが日本に撃ち込まれると、北朝鮮の脅威をヒステリックに叫んで軍備強化などこれに乗じる連中は、かつての冷戦時代に旧ソ連を仮想敵国にして、今の北朝鮮と同じように軍拡路線を歩んだが、その旧ソ連がいつ日本にミサイルを撃つ、攻め込んだのかと問いたい。

 北朝鮮は別物というが、危機を煽って利を得るのはいつの時代も常套手段で、その破綻が先の真珠湾攻撃ではなかったか。こういう戦争だ戦争だと危機を煽る連中というのは、戦争は人間が死ぬという現実を見ていないためからくるもので、少なくてもこの連中は銃を持たず持たせる側の人間であることは間違いない。

 今の天皇は一番の平和主義者とではないかと思うが、退位は来年の4月で、その前に急逝したらどうなるのであろうか。元々、元号というのは天皇が亡くなってから変わるものだから、退位前に亡くなってしまっても慌てることはないと思っているのであろうか。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2018, 18:15
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プーケット・ピーピー島・クラビ紀行 2018 その−(5) プーケット旧市街行き当たりバッタリ−1

【写真−1 電信柱がなく整備して撤去したのか美観には良い】

 

 セブを朝早く発ったのでプーケットの宿に到着後も時間は充分、日は高い。写真−1は宿泊所前を走るタラン通りで、旧市街一番の見所。通り両側に2階の建物がせり出し、1階に歩道が設けられている建築は中国の福建様式で、一方通行路両側に駐車する車が目障り。しかし、縦列駐車のできないフィリピン人と較べてタイ人はかなり上手で丁寧。


【写真−2 横丁ながら排水設備も整っている】
 

 ペイントで綺麗に塗り分けて観光客を意識した旧市街だが、そういった装われた通りを抜ける細道が写真−2。左の建物のペイントの剥げ具合がごく自然。この細道はどこへ抜けるか分からないが、樹木のほとんどないこの地域では珍しく大きな樹が繁っている。


【写真−3 こういう造りだと隣人の騒音というのはなかった時代か】
 

 写真−3もあまり装わない従来からあったような自然なたたずまい。かつては歩道となっていた部分が鉄柵で囲われて個人の玄関前の敷地となって、横とのつながりもなくなった。こういった個人住宅もその内、観光客相手の土産屋や飲食店商売をするようになるのではと思う。


【写真−4 旧市街の古い扉を写しただけでも一冊の写真ができそう】
 

 元日なので閉まっていた建物の入り口が写真−3。上部に刳り抜かれた窓の形や木の壁と扉、框に黒々と書かれた墨と字の様子がすこぶる良く、これだけ見たら中国本土で写した写真のよう。何かの商売をしている店だろうが、観光客相手ではない店はしっかり戸締りをして元日は休んでいる。


【写真−5 こういう建物の2階はどうなっているのであろうか】
 

 なかなか堂々とした造りの建物が写真−5。柱と柱の間が一棟になり、それぞれ違う商売をしているが共通した歩道を持つ。この様式は暑い時は日陰になり、雨が降っても濡れずに歩くことができ便利。しかし、右側に写る青い壁の家が歩道の連続性を遮断していて、こういう光景はかなり見られ、かつての横のつながりも薄れる時代なのだろう。


【写真−6 観光客には足の便が悪くあっても高いプーケット】
 

 写真−6はプーケット版トライシクル。これで人を乗せて商売しているのか分からないが、造りはフィリピンのトライシクルと較べて、オートバイにリヤカーを付けただけの代物でかなり落ちる。乗客も時には10人くらいは乗せてしまうフィリピンと違って何人も乗れず、フィリピンのトライシクルというのは世界に誇って良い乗り物である。


 

author:cebushima, category:プーケット・ピーピー島・クラビ紀行 2018年, 18:47
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