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へそ曲がりセブ島暮らし2017年 その(35) 何のかんのといっても今日は2017年の大晦日 

 2017年最後の台風がフィリピン近海に近づいていて、年明けには台風が上陸するらしい。その影響かセブの昨日30日は朝から雲が厚く、今にも降りそうな天気で寒いくらいであった。

【希望を持たせる夕陽】

 これでは年末年始にセブのビーチ・リゾートを期待して来た観光客はガッカリしているのでは思うが、過去を思うと日本の長期連休時にはセブの天気は悪く、やはりジンクスはあるようだと思った。

 ところが、大晦日の今日は台風が近づいているにも関わらず朝から良い天気で、陽射しもかなり強く本来のセブの天気となった。これで、リゾートの観光客は楽しめるであろうが、何といってもホッとしているのはリゾートで商売をしている業者であろう。

 天気が悪いと観光客の財布はリゾートに落ちなく、セブなどはリゾートからセブ市内のショッピング・モールへ出かけて財布を開くようになる。しかしモールで買い物、食事といっても金太郎飴のようなモールではどうかと思うが、その個性のなさが観光客には受けるし、日本はともかく韓国、中国からの観光客は喜んでいる。

 観光客といえば、インドネシアのバリ島が噴火の影響を受けていて、観光客が激減という。噴火くらいなら新たなスポットとして売り出せるが、噴火によって出入りする国際空港閉鎖が現実に生じ、バリに滞在した観光客は大変な目に遭った。

 さすがに予定を組んでいる旅行客が大部分なので、予定通りに飛行機が飛ばないのは困るから、インドネシア当局は心配ないというが、前例があるから観光客は取り止めるるのが多い。

 

 そこでバリは観光業で成り立っている地域だから、既にその損失は数百億円に達しているなどあって、現地では死活問題になりつつある。そこで、書入れ時の年末年始に向けてホテルやレストランの料金半額だとか客を呼べるような大キャンペーンを張っているが、客足は伸びない。

 

 これで喜んだのが、バリと対抗する他の観光地で、セブもそうだし、タイのプーケットなども年末年始に客がかなり増加するのではと見込んでいて、他人の不幸が自分の幸福になる、えげつない現実となっている。

 

 えげつないという言葉から、最近はこのえげつなさが当たり前の世の中になっている。特に政治の世界は顕著で、アメリカのトランプ、日本の安倍、ロシアのプーチン、中国の習とやっていることが大胆にえげつなくなっている。

 政治家というのは嘘をシャアシャアといえることが資質の一つで、人間的には下位。安倍など単語を並べていかにも目新しく政策らしきキャッチ・フレーズを出すが、何にも進んでいず、それに騙される国民も馬鹿だと思うが、化かす方が上手の時代。

 

 それでも、駄目と分かると次々キャッチ・フレーズを連発して、前のはどうしたという疑問も起きずにマスコミは垂れ流し。そういえば現代は『分断の時代』ではないかとの指摘があり、確かに安倍のマスコミ対策など巧妙。

 

 自民党の広報紙と変わらない読売、産経を取り込んで、対して朝日、毎日を分けているが、反対する方は今や無視しても俺の固い支持者相手だけにこの国の政治をやれば良いと開き直っているのが現実。

 

 来年は平成30年になり、現天皇は退位を表明したが憲法上の制約もあって、それがスンナリと本人が思うようにならなかったが、2019年に退位と決まった。それも何とも切りの悪い5月になった。

 

 現天皇とは直接話したことがあって、あれはまだ皇太子の時で、同じく山の話をした今の皇太子も結婚相手もいない時期であったが、天皇に関していえば当時50代を過ぎた頃で、今の天皇の姿は痛々しささえ感じる。

 

 本人が辞めたいと言っているのに辞められず、先延ばしになっているが、あれで、2019年前に亡くなったらどうするつもりなのであろうか。そのくらいの恐れを内心関係者は思っているだろうが、決めたものは仕方がない、その時はその時と思っているのであろう。

 

 日本は少子高齢化、人口減少時代に入って騒いでいるが、こうなるのは早くから分かっていたのに全部問題は先送り。それでいて、リニアとか原発など大型インフラに金を注ぎ込んでいるが、もう必要ない時代と自覚するべきではないか。

 

 現在の日本の人口が8000万人台になるともいわれ、その人口に合う国造りを考えるべきではないか。人口過剰時代に造った社会インフラを見直し、真に必要な物を残してメンテナンスするべきではないか。

 

 人口減少してどれだけ電気を使うか計算できていて、どう考えても電気消費量は減少し、原発の電気など要らないのが本当で、今の原発政策は電力会社の経営の都合だけで動き、消費者は騙され無自覚となっている。

 

 それに『核のゴミ』処理は解決できず、どこの国でも捨てるだけで、こういったことしかできない技術は技術とはいえず、原子力利用は未熟で使ってはいけないものと思うものの北朝鮮の核開発は進むし、世界は破滅に向かうのか。

 

 例年、この時刻になるとあちらこちらで花火の音が聞こえてきて、年明けとともに花火の発てる狂騒音が街中に響き渡る。これはその前のクリスマス・イヴ、クリスマスも同じで何が面白いのか同様。

 

 ところが今年は、その花火の音が聞こえなくなった。これはドゥテルテ大統領が花火禁止を徹底させたもので、薬物関与容疑者を問答無用に殺しまくった大統領に恐れをなして、法律などなんのそののフィリピン人もかなり守っている。

 それでも、時々花火の音が聞こえるからやる奴はやるということだが、この花火の音で一番被害を受けているのは我が家の犬で、この日は身を縮めて隅に潜り込んでいる。この花火禁止令に関しては、ドゥテルテを支持したいが、近所のモールで花火を売っていたし、相変わらず花火による負傷者のニュースが流れる。

 

大晦日というのは、その昔の支払い方法が『盆暮れ』の時代には、ツケを取り立てる日の最終日で、その日を過ごせば借金は翌年になるので、大晦日は借金取りから逃げだした人で寄席はにぎわったという話が残る。

 

 てなことを書いていて、今年もあと2時間を切った。午前中の良い天気も午後になって雲が出てきて日は陰ったが、マアマアの日和となって夕方を迎えた。来年はどういう年になるのであろうか。良いお年を。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2017, 22:11
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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(85) 番外−東京篇−5 新宿御苑の桜は見頃で花見客でにぎわう

 新宿駅南口で降りると、新宿御苑方面へ人が流れている。この南口というのは甲州街道が通り、小学生の頃はこの前をサイクリングで深大寺方面へ走り、当時は本当に田舎田舎した光景であった。
 

【写真−1 昔風にいうと新宿御苑の広さは17万6千坪強】


 しかし、今は新宿でも発展著しい場所となり、大規模商業施設を次々と建設されているが元々は鉄道敷地の再開発で、旧国鉄、今のJRは一等地に広い土地を所有する日本有数の大地主でもある。

 昨日は新宿御苑の閉園時間に間に合わず、すごすごと引き返したが写真−1は御苑の案内図で、山手線と中央線際にあるのが分かり、面積は58.3ヘクタールとある。

 広さで表すのに既存の建物を使うが、今は『東京ドーム』が使われていてドームの方は5ヘクタールというから、新宿御苑には東京ドームが11個作ってもまだお釣りが出る広さで、中に入るとその広大さは新宿という場所柄不思議な感じがする。

 御苑の入場も改札機で入るが、相変わらずチケット売り場は長蛇の列で、もう少し販売方法に工夫があっても良いと思うが、花見時は特に混雑が甚だしい。

【写真−2 芝の感触が楽しい】

 入場して道なりに進むと写真−2の広い芝地に出て、その脇には零れるような花を付けた桜の樹が並び、枯れ草色の芝生の色と対照的な春の姿が見え、写真で分かるように桜の花見時は結構寒くて、人々の服装もまだ冬という感じが残る。

 御苑は明治になって公園となったもので、その前は信州高遠藩の下屋敷であった。藩主名は内藤で今でもこの地は新宿区内藤町になっていて、その名を残すが、下屋敷というのは上屋敷が通常に藩主が暮らす屋敷で、下屋敷は別邸と考えて良い。

 上屋敷は江戸城近くになるが、下屋敷は江戸でも当時はかなり外れの場所に作られたが、ここ新宿は甲州街道最初の宿場町があり、日光街道の千住、中仙道の板橋、東海道の品川と並ぶ歴史を持つ。

【写真−3 平日に関わらず人が多いのはこの時期仕方がない】

 芝原に座り込んで思い思いに寛いでいる様子が写真−3。中国や韓国からの花見客も多いが、花を愛でるより花と一緒に写真を撮るのに夢中で、本当に桜の美しさは分かっているのかと思う人も散見する。

 園内は酒食、音曲禁止だから、子どもをカートに乗せて歩く家族連れも多く、少々混み合ってはいるが贅沢な時間を過ごしているのは間違いない。

 

 『花の下に死なん』と行ったのは西行だが、確かに桜の花の下はそういう思いが浮かび上がっても不思議ではないが、当時は今の桜の主流のソメイヨシノは生まれていないから、どのような桜を西行は愛でたのであろうか。

 


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 18:18
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この一枚2017年 セブ篇 その(14) 2017年のクリスマス

 熊を模った黄色いプラスティック製の貯金箱があり、買い物などで残った釣銭を1年間入れるようにしていて、毎年12月半ば頃に中味を開けるのが年末の我が家の行事で、先日開けてみた。



 5ペソと10ペソの硬貨を主に入れているが、この他各種紙幣も入っていて、一番高額なのは1000ペソ紙幣。1ペソが2.2円くらいなので、日本円感覚では2000円少々という感じだが、フィリピンの1日当たりの最低賃金2日分に近く、価値は高い。

 フィリピンに流通する紙幣は1000、500、200、100、50、20ペソがあり、200ペソという単位は使い難いのかあまり流通していず、これは日本でも2000円札があまり使われないのと共通している。

 去年の場合は、その明細は本HPで書いていると思うが、いくらの額になったかは忘れたし、調べるのも面倒くさい。今回、硬貨と紙幣の枚数など記録をし総額も計算していたが、そのメモもどこかへ行ってしまったが、家人によるとその額は3万3000ペソ近くあり、去年より少し多いという。

 今年の特徴は500ペソの多かった去年と比べて1000ペソの方が多く、これはフィリピンのインフレが続き、ペソが安くなった証拠で、これはまた暮らし難くなった証しかも知れない。

 こうして1年間貯めた中から、3分の1を施設に寄付するようにしているが、去年はセブにあるマザー・テレサの施設を訪れた。セブにマザー・テレサの施設があるのも初めて知ったが、場所はセブの海沿いの魚市場近くのいかにもフィリピン的な人も建物も密集する場所にあった。

 その施設は乳児を預かっていたから、いわゆる乳児施設になるのであろうが、インドネシアから来た信者達が数人活動していた。インドネシアはイスラム信者数が世界最大の国で、キリスト信者とは珍しいなと思った。

 この信者達はアジアで一番新しい独立国『東チモール』近くの島からセブへ来ていて、あの辺りはカトリックの布教が盛んで、東チモールがインドネシアから独立を求め、内戦状態になったのも宗教的事情があったと分かる。

 さて、今年はどこに寄付するかという話になって、去年は子どもの施設であったから今年は老人施設にするかとなった。その内、半分半分にして2ヶ所に寄付することにして、家人が知人から聞いた『ORPHANAGE』と老人ホームを選んだ。

 最初ORPHANAGEといわれて分からなかったが、これは『孤児院』のことで、セブの山の中にあるという。写真はその施設の入り口で、ビックリするような山道を登ってここまでたどり着く。

 この施設のある場所へは車の轍分だけコンクリートが打たれた狭い道を登って行くが、山奥とはいっても途中の主要道の先には住宅が開発され、10数年前にはインターナショナル・スクールが移転していて、決して不便な場所ではない。

 それにしても、乾季の今の乾いている時だから道も走れるが、雨季の雨の強い時などかなり不安になる道で、どうしてこんな人里離れた場所に施設をと思ったが、ここは女性専用の施設で子どもだけではなく成人も生活している。

 ゲートに書かれている絵には『BONITA HOME FOR GIRLS』と施設名があり、ここが女性用の施設と分かり、事前に訪問を連絡してあったが、ゲートの前から電話をするも電波状態の悪い場所で、ようやく連絡が付き中に入れる。

 施設は急峻な崖際に建てられているが、施行も大変であったろうが斜面を利用した5階建てのかなり大きく立派な造り。テラスからは遥か彼方にセブのリゾートと知られるマクタン島のホテルなどが眼に入り、向こうからもこちらが見えるであろう。

 シスターと面会し、持参の寄付金と整理した古着を手渡すが、この施設は性的虐待を受けた女性や放棄された子どもを収容していて、それで、こういった人里離れた場所に造られたと理解する。

 現在はクリスマス休暇中で、80人ほどいる中で親元へ帰った人もいるが施設内に残る人も大勢いるという。ここの生活は普段は下の普通の学校まで通って学び、カレッジを卒業した人の写真がたくさん飾ってあったことで、逆境にめげずに学問を収めたことに感心する。

 先ほど孤児院と書いたが、フィリピンはいわゆる物乞いの多い国で、アセアン内で経済成長率を誇っているがその富は下に降りて来ないのは日本と同様で、小生が初めてフィリピンと関わった30数年前とその貧しさはほとんど変わっていない。

 特に、日本だとホームレス=成人だが、フィリピンは親子でホームレスというのは珍しくなく、セブのダウン・タウンに行くとかなりの数を見かけるし、中には子どものホームレスではないかというのもある。

 社会的な保障の薄いフィリピンではこのような宗教団体がそういった弱者を救済するのが主流となっていて、それを支えるのが我々のような貧者の一灯ということになる。

 中を案内されて一番印象的であったのは、50キロ入りの米が毎日1袋消費されるということで、貧しかろうが豊かであろうが食べるということは最重要と当たり前のことを考えた。

 そこを後にして次に行ったのが老人ホームで、こちらは事前に連絡していなかったが先の施設の麓近くにあり、そこも塀に囲まれていたが建物は立派で、エレベーターまで備えてあったが、どの窓にも鉄製の泥棒避けの鉄の柵があったのが気になった。

 老人を大切にするフィリピンでもやはり老人ホームは必要で、訪ねた老人ホームは有料と無料の人を収容していたが、やはり運営母体は宗教団体でシスターから話を伺う。

 老人ホームなのでユニホームを着た介護職員が働いているが、介護士は看護師と同様、かなりの数のフィリピン人が海外で働いていて、日本もフィリピン、ヴェトナム、インドネシアから看護師、介護士を一定数受け入れているが、定住するのは少ないし、せっかく日本の資格を取っても帰国してしまう人も少なくない。

 

 セブで日本人対象の老人ホームを作るといって日本人が動いていたのを聞いたことがあるが、その多くはフィリピンの低コストを考えた事業であって、人命を預かる施設は余程の基盤がないと上手く行かないと思ったが、その後どうなっただろうか。

 

 そういったフィリピンの低コストを求めて、以前から日本の障碍者や老人がフィリピンに移り住む動きがあって、これは日本では生活できなくなった面が強く、日本の貧しさを表しているのは確かである。


 

author:cebushima, category:この一枚 2017 セブ篇, 17:54
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