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バタネス紀行 2017 その−(46) イヴァナにある威風堂々とした教会

【写真−1 集落でも最も場所の良い所にある】

 

 

 イヴァナ港を臨む正面に前庭を充分に取った写真−1の教会があり、正式名称は『San Jose de Ivana Parish Church』という。最初の教会がこの地に建てられたのは1787年で、辺境ともいえるバタネスによくぞ作ったものと思う。

 

 

【写真−2 この日は日曜日のため着飾った人々が訪れていた】

 

 

教会の左手側、イヴァナ集落に向かう方面を撮ったのが写真−2。イヴァナ集落にある石造りの『スペイン橋』から教会へ真っ直ぐ通じる、聖職者が専用に使ったといわれる道は、木立の影の内側、教会寄りにある。

 

【写真−3 これだけ綺麗に維持するだけでも大変】

 

 

 石段を上がって写真−3の正面に至るが、入り口上に1814と1817の数字が書かれていて、これは現在の教会建設に要した年で、当時のイヴァナの人口は1000人以下であるから、これだけの建築物は大事業であったことは間違いない。

 

 

【写真−4 最近は由緒ある教会にはこのような銘板が掲げられている】

 

 

 その正面に掲げられた銘板が写真−4。全文タガログ語で書かれていて、英語でも説明が欲しいところである。ここには書かれていないがイヴァナ教会は2008年にフィリピンの歴史的建造物に指定された。

 

 

【写真−5 壁の厚さにも驚かされる】

 

 

 写真−5がスペイン橋から真っ直ぐ繋がる道で、道が造られた当時は石が敷かれていたのではないかと思う。今はオートバイが置かれている場所はその昔は馬車や馬が繋がれていたのではないかと想像する。

 

 

【写真−6 左の二つの壁の間に鐘楼へ通じる階段がある】

 

 

 どういう訳か、教会内部の写真を撮っていない。写真−6は教会の横を撮っているが、これだけの教会を維持するのは大変なようで、正面以外は荒れた感じがする。イヴァナの現在人口が1400人に満たない状態では仕方がないか。

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 18:40
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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(78) レンタカーを返却し路面電車でホテルへ帰る

 レンタカーを返すには時間があるので、レンタカー会社近くにあるショッピング・モールの駐車場に預けて、喫茶店に入って時間を潰す。

【写真−1 路面電車は人間のリズムに合っている】

 近くに古本屋のチェーン店があり、そこで例によって108円の文庫本を30冊ほど購入するが、このチェーン店、四国の他の幹線道路沿いで見かけていて、最後になってようやく訪れることができた。

 写真−1はそのチェーン店近くを走る伊予電鉄の電車で、右に見える駅は大手町線の宮田町駅。この電車、中学生の時に通っていた都電の形に似ていて、何となく懐かしい感じがした。

 それもそのはずで、この車両が製造されたのが1953年というから、都電全盛期に走っていた車両と同じ時代となり、どことなく似通った印象を受けるのであろう。

 ちなみにこの車両はモハ50型と呼称し、1951年から1965年まで製造され、伊予電鉄にはこの型は現在26両走っている。写真の車両は前面にある旗に車両番号が隠れているが54番で、モハ50型の4番目に製造の車両と分かる。

 前夜市内の繁華街へ行って食事をしたがこれといった店が見つからなく、手近で済ませたが、モールの地階にスーパーがあって今晩はそこで食べる物を購入してホテルで食べることにする。

 そこで驚いたのはスーパーのお総菜、弁当部門の充実さで、これでは下手なレストランは潰れるだろうと思うような和洋中と豊富に品揃えされ、値段も手ごろ。さすが四国一の大都市、松山市と思うべきだが、日本中、スーパーの企業努力はこのように日々厳しいというべきなのであろう。

【写真−2 この路線で道後温泉駅へ行ける】

 写真−2は伊予電鉄松山駅前駅の様子で、ここからホテル近くの駅まではたった一駅しか乗らないが、乗ってみる価値はあり乗車。これで四国にある路面電車は全部乗ったことになるが、といっても四国はこの松山市と高知市しか走っていない。

 この松山駅というのはJRの松山駅であって、松山は伊予電鉄の高島屋などが入るターミナル駅の松山市駅というのがあり、街の中心はこの伊予電鉄の松山市駅を中心に広がり、昨日夕食をとったのも松山市駅近くのアーケード街にあったお好み焼き店であった。

【写真−3 今は冷暖房完備のワンマン車で昔の車掌が乗っていた時代とは違う】

 写真−3は夕間暮れの、帰宅時間に重なってやって来た電車で、やはりモハ50型になるが1965年製造で、車両番号は74番、この型は78番が最後の製造車両となっている。

 写真でも分かるように松山ではまだまだ路面電車と車の棲み分けは巧く出来ているようで、規制も厳しいのだろうが車が電車の軌道に入りこんで運行を邪魔するまでにはなっていない。

 東京の路面電車が専用軌道を走っていた三ノ輪−早稲田線のみを残して全滅したのも、爆発的に増えた車が都電の軌道に入り込んだためと、オリンピックのための都内の高速道路建設が要因となっている。

 都電は廃止される運命であったのかも知れないが、都電の路線を残して運行させるという考えは当時では荒唐無稽でも今では見直されて良く、実際、ヨーロッパの大都市の路面電車は車と共存している。しかし失ったものを復活させるのは大変な資金と労力が居る。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 17:42
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小さな旅 ボホール島篇 2017年 その−15 『ラマノトック島に上陸』

【写真−1 手漕ぎの舟は自然には優しい】

 

 

 天気はあまり良くないが、船着き場から漕ぎ出して15分くらいの地点が写真−1。正面にラマノトック島の様子が見え、上陸するのは右から2つ目の盛り上がった岩山の下辺りになる。ラマノック島は本来は島なのだが成長するマングローブによって陸続きのように見える。

 

 

【写真−2 水上家屋で暮らしたいものである】

 

 

 水深は浅く、海底が上から見え、写真−2は途中で見かけた海上に建つ小屋で、回りに魚取り用の網を仕掛けて魚を獲っている。陸から延々と電線が引かれていて、常時人が住んでいるようだ。こういう海の上の家はミンダナオ島などのイスラム住人の多い地域で見るが、風に吹かれて嫌な蚊や蠅も寄って来ないので快適といえば快適。
 


【写真−3 正面はオーストラリアのエアーズ・ロックと似た聖地】

 

 

 ラマノトック島に近づき、写真−3の形の良い岩山下にある正面の浜に上陸するが桟橋などなく、出来るだけ浜に舟を乗り上げて上陸時に足を濡らさないようにするが、波の荒い時は濡れるのを覚悟しなければならない。ここまで手漕ぎの舟で20分くらいの航程である。

 

 

【写真−4 これだけの珊瑚の堆積は気の遠くなる時間がかかっている】

 

 

 ラマノック島はマングローブの群生地で知られ、その性質上、一帯の浜や海底は泥質ばかりと思うが、ラマノック島の上陸した浜は意外にも写真−4のように珊瑚片が堆積していて、島の沖合に珊瑚礁があるのが分かる。そういう地質でも樹は充分に育ち、パリパリと珊瑚片を踏みながら島に上陸する。

 

 

【写真−5 これで分かるように本来は外部の人間が入れる島ではない】

 

 

 上陸した先の樹に掲げられていた島の案内板が写真−5で、ラマノトック島はかつては墓地として使われていたのが分かる。また、ボホール島は埋葬方式として瓶に遺骨を納めていて、カトリックとは違う埋葬が古くから行われていたようで、距離的にミンダナオ島に近いこともイスラムの影響を受けているようだ。

 

 

【写真−6 この日は我々だけの上陸であったがシーズンには喧しい】

 

 

 写真−6は写真−4に写るお椀を伏せた形をした岩山へガイドに続いて浜から昇り、かつての墓地跡へ向かっている様子で、狭い道が海岸から続いているが、観光客用にしっかり道は作られている。写真の彼方は手漕ぎ舟の出た方向で、マングローブが浜を一面に覆い隠す。

 

 


 

author:cebushima, category:小さな旅 ボホール島篇 2017年, 18:58
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