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へそ曲がりセブ島暮らし2017年 その(30) 個人崇拝と全体主義

 重体説が長らく伝えられていたタイの前国王『ラーマ9世』が亡くなったのは1年前の2016年10月13日で、1年の服喪後に遺体を火葬にする儀式が先日行われた。

【タイの北部地方の国鉄の駅にて】

 この1年間、タイ政府は喪に服し、タイ国民は服喪を表すために黒い服を着ていたというから、あのバンコクも色を失った感じがすると思うが、猥雑さで知られる歓楽街はどうであったのか、いつも通りだったと思うがその辺りは分からない。

 それにしても1年も遺体を置いておくなどタイの王族のやり方なのだろうが、遺体を荼毘に付すためにわざわざその施設を、しかも一度きりしか使わないのに数十億円もかけて、造るなどどう見てもおかしい。

 もっとも、世界の王族の資産ランキングで第一位、推定350億ドルを持つタイ王室と囁かれているくらいだからそんな金など何でもない支出だろうが、国事行為として税金が使われたのではないか。

 とまあ、タイ国民が聞いたら眼を回しそうな書き方だが、別にタイ国民を貶める気など毛頭ない。むしろ私などは『タイ好き』の人間で、フィリピンでなかったらタイに住んでいたかも知れないと思うくらいである。

 実際、数年前にタイの隣国ラオス・ヴィエンチャンに仕事で滞在していて、週末にはラオスからメコン河を超えてタイのノンカイへ行き、また帰ってくることを何十回も繰り返した。

 この辺りは本HPで色々書いているので略すが、写真はラオスを離れる直前にタイの鉄道を利用してタイ北東部を旅行した時に撮ったもので、その旅行記も『タイ鉄道 各駅停車の旅』の題で本HPに書いた。

 タイ鉄道の駅には必ずタイ国王の肖像が飾ってあって、この写真に写っている人物はタイ警察の人間と思うが、たまたまその傍に立っていただけで警察が国王の肖像を警戒、警備しているわけではない。

 

 この写真を撮った時期はタイ国王の重態が伝えられ、国内では国王の快癒を願う肖像を街の至る所で見かけたが、どの肖像も若かりし頃の映像で、実像は認知症ではないかと小生など思っていた。

 というのはタイでは映画館では上映前に愛国心と国王への忠誠心を養うために毎回2本の短いフィルムが上映されて、国王のフィルムが上映される時は必ず席から立つようになっている。

 これはタイ語の分からない外国人向けに席を立つようにとの英語の表記もあって、タイ語が分からないので知らなかったと言い訳できないようにもなっている。

 

 そのフィルムの中に国王の割合最近と思われる映像があって、その表情から私などは認知症ではないかと思ったのだが、こんなことはタイでは口が裂けてもいえないことで、外国人といえども王室を侮辱したという理由で逮捕、裁判に至る。

 

 タイでは『不敬罪』が厳然としてあり、王室への批判は不敬ととらえられ、タイ国民は勿論、外国人も批判をしただけで獄に繋がれる、恐ろしいといえば恐ろしい国で『微笑みの国』など国の構造は真っ赤な嘘。

 

 批判を許さない国といえば、やはり北朝鮮を筆頭に中国、あるいはロシアといくらでもあり、社会主義国だけではなく、アメリカもトランプなどやはり批判を忌避しているし、日本の安倍も批判されると早口になって、その動揺ぶりから未熟な人物と分かる。

 

 アフリカ諸国なども選挙のある民主主義制度を取っているとはいえ、形ばかりで実態は既得権力の独裁国家が多く、批判すれば命が危ない国などいくらでもある。

 

 このフィリピンにしても今の大統領は『力が政治』と思っていて、銃による政治を進めているが、昔からフィリピンは反対勢力を力で排除する思想が蔓延していて、その土台の上に立っているから、大統領個人の資質とだけとは言い切れない。

 

 人に優しいフィリピンと評価はあるが、犯罪事件などでは目撃者はあっても報復が怖くて名乗りを上げず、むしろ自己防衛の方が強い。これは上述の昔から目の上のたんこぶは力で殺されている背景があるからで、一概に責められないが『長い物に巻かれろ』は日本より露骨かも知れない。

 さて、タイの王室に戻るが、小さい時から王室は絶対、敬うべきものとして教育、刷り込まれていれば、王室に対して無批判、従順な人間は簡単に作られ、これは戦前の天皇に対する日本人の在り方を思えば簡単に分かる。

 

 北朝鮮なども日本の天皇制を学習していると思うような崇拝の仕方で、外部から見れば北朝鮮国民は貧しく大変な国と思われているが、その北朝鮮国民自身は今の体制は『幸せ』と思っているのではないか。

 

 こういった政治指導者が元首だろうが象徴だろうが、その言い方は違えども国民の上に君臨し、統治する政治形態は唾棄すべき代物で、今の日本が戦前回帰への道を歩んでいる動きに危惧を抱いている。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2017, 18:58
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小さな旅 ボホール島篇 2017年 その−10 『アンダの地底の池に飛び込む遊び』

【写真−1 元からこうであったのか何かの拍子に陥没した穴か】

 

 

 洞窟に溜まった池の次は地上から飛び込める池にトライシクルで向かう。写真−1がその池のある場所で、変哲のない林を歩いた先にあった。人が池の周りに立っている穴の下に水をたたえた池があって、日曜日なので結構人が群がっている。池の周りは簡単な金網が張られていてやはり入場料を取られる。

 

【写真−2 木の下ではバーベキューをするグループもある】

 

 

 岩の裂け目のような所にある池は地上から6〜7m下にあり、そこへ目がけて飛び込む。中央に見える赤い物は飛び込んだ後に上がってくる梯子で、利用者はお金を払っていた。それでも、次々と飛び込んでいて、フィリピンの人は高い所から飛び込むのは好きなようで、ここの場合は地中に落下だから、面白さは倍加されている。

 

 

【写真−3 岩の縁に立つと実際よりも深い穴と感じる】

 

 

 今にも飛び込もうと岩の縁に立っているのが写真−3。さすがに恐怖心があるのかなかなか飛び降りないし、中には尻込みして止める人もいる。池の中、オーバーハングの岩の下の方に見えるのは飛び込んだ人が浮いている様子で、飛び込む人と池の中の人がバッティングしないように飛び込む場所はだいたい決まっている。

 

 

【写真−4 エイヤッと飛び込む知人】

 

 

 写真−4は飛び込んだ瞬間をとらえた写真。海面までの高さ+身長分を飛び込むから心臓の弱い人には無理かも知れないが、家人など2回も飛び込んだ。水面はキラキラと太陽の光を照り返し神秘的な色を見せている。深さも結構あり、上から魚の姿も見えて海に繋がっているようにも思うが、ここの水は清水なのか海水なのか聞き忘れた。

 

 

【写真−5 昔から土地の子どもは遊んでいた穴か】

 

 

 そうして飛び込んで、梯子で上に上がってくる様子が写真−5。飛び込んだ後は中にある浮き輪を使って池の上に漂い、上から飛び込んでくるというか落下してくる人の姿を眺めるのも悪くはない。それにしても、昔、東京体育館の飛び込みプールで飛び込んだことを思い出したが、飛び込む行為というのはかなり思い切った心が必要だ。

 

 

【写真−6 穴の奥はどうなっているか見えないが海は近い】

 

 

 太陽光が水面に乱反射して、なかなか池の中の様子を写真で撮ることが難しく、その中で、池の全体の雰囲気を表していると思うのが写真−6で、上の岩陰に見える池の中で浮いている人が空に浮かんでいるように見える。この池はアンダの名所らしいが確かに珍しいかも知れない。

 


 

author:cebushima, category:小さな旅 ボホール島篇 2017年, 17:56
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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(70) 中札所の四十四番札所『大寶寺』は高原の町に

 四十三番札所『明石寺(めいせきじ)』から四十四番札所『大寶寺(たいほうじ)』間は80キロあり、しかも所在地は久万高原町にあり山へ入って行く。

【写真−1 山にある寺らしい雰囲気】

 カーナビの指示では高速道路を利用して一気に松山市のインターチェンジまで走り、そこから久万高原町を目指した方が良いとある。天気も雨交じりでカーナビ通りのコースが安全と判断し、途中にある古い町の大洲などは素通りする。

 ただし、そうなると松山市到着は1日早くなり、宿泊はどうするかの問題はあるが道々考えることにする。高速なりに走っていると左手側に街並みが広がり出し、これが松山市かと思いながらインターチェンジを降りて、久万高原へ向かう道を走る。

 高原というように途中は九十九折の山道で、冬季には積雪や凍結する結構険しい登りが続く。

 久万高原町といっても高原の感じはなく、盆地のような所で、その山間に建てられたのが大寶寺で、写真−1は山門を入った正面の石段の先に建つ本堂。

 現在の本堂は明治年間に焼失していて、1925年(大正14年)に再建された。ちなみに梶井基次郎の『檸檬』がその年の1月に発表されている。

【写真−2 当寺とあと一つで今回の遍路はひとまず終える】

 写真−2は左が本堂、奥に見えるのが大師堂で、この大師堂は1984年の再建でまだ新しい。

 この大寶寺は四国八十八ヶ所札所の半分に至り『中札所』と呼ばれていて、当初の計画ではここまで回るとしていたが、徳島県の十一番札所『藤井寺』をウッカリ抜かしてしまったので、計四十三ヶ寺と切りが悪い。

 レンタカーは明日一杯まで借りているので、明日、四十五番札所『岩屋寺(いわやじ)』を参拝して八十八ヶ所寺の半分とし、その後時間は十分あるものの松山市内見物に充てると計画を変更。

【写真−3 ご朱印もデザインとして見るとまた受け取り方も違う】

 写真−3は四十四番札所大寶寺のご朱印で、どういうわけか左下に寄せられて書かれバランスが変な感じを受ける。

 四十五番札所岩屋寺は同じ町にあり、大寶寺からは車で30分もかからないが、雨も激しくなり、道の駅で一休み。

 町の彼処では『雛人形』を家々に飾り、道の駅でも雛人形が飾られていて、3月3日とは違う風習があるのだろうか。

 ちょっとしたお祭り気分で家々に飾られた雛人形を見るのも面白いが、やはり余裕がなく、松山市に向かって山を下り、途中、焼き物で知られる砥部町が在り明日寄ってみることにする。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 19:39
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