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へそ曲がりセブ島暮らし2017年 その(26) 2回目になるか在外選挙人証投票

 安倍が衆議院を解散するとニュースが流れた頃、写真の『在外選挙人証』を仕舞い込んでいた引き出しから取り出した。在外選挙人証というのは海外に住んでいても日本の国政選挙に投票できる人の証明書で、小生の場合、2016年3月に取得した。

【変則的なサイズだが裏面には投票履歴が記載されているから便利】

 この制度は2005年に選挙法が改定され施行されたが、当初は比例だけの投票しかできなかった。しかしその制度に対して違憲訴訟が起き、2007年に最高裁で違憲判決が出て地方区にも投票ができるようになった。

 最高裁は一票の不公平については明らかにおかしいとしながらも、違憲判決を出さず政治屋の都合に偏った判断をしている中、このようにはっきりとした違憲判決を出したのは異例も異例だが、制度不備を弄るだけだから良しとしたのであろう。

 小生は20歳になって最初の投票をいまだよく記憶しているように、選挙には関心は高く、今は当たり前になった『期日前投票』制度のその前の制度『不在者投票』も何度か利用している。

 しかし、海外に住むようになって投票する権利はなくなり、在外選挙制度ができ関心はあるものの『海外居住者が日本の政治にどう関わるのか』と考え、その効果も考えて長らく在外選挙人証申請は行わなかった。

 この投票資格を得るには日本在住者のように選挙人年齢に達すれば居住地の自治体から自動的に選挙権を得る安易な制度とは違い、本人が居住する日本の在外公館に足を運んで申請し、選挙証を受け取る時にも同様に足を運ぶ必要があり、少々面倒なところがある。

 しかし、以前にも書いたが在外の選挙権を持たなくても、在外公館で行われる日本の選挙の立会人などの業務に日本人なら関わることはでき、セブとラオス・ヴィエンチャンでそれぞれ務めた経験がある。

 そういった伏線もあって、ラオスから帰ってから日本の安倍政権のいかがわしさに危惧を抱き、やはり海外でも一票は大切、必要と思い、2016年7月に第24回参議院選挙が行われるのをきっかけに在外選挙人登録申請を行い、同選挙に投票した。

 写真は在外選挙人証裏側下部の説明文で6項目に渡って投票する上での注意が書かれている。選挙人証の大きさは縦165mm、横85mmあり、表側には交付番号が最初にあり、姓名や生年月日、海外での住所地などの個人情報が記載されていて、写真はない。

 選挙人証の手続きは在外公館を通じて最後に住民票のあった日本の自治体に申請するようになっていて、小生の場合、最終住民登録地は足立区と分かっていて問題はなかったが、中には最終住民登録地を覚えていない人もあるのではないか。

 そういうこともあって、申請から交付まで3ヶ月ほどの時間を設けているが、小生の場合2ヶ月少々で在外公館経由で受け取れ、第24回参議院選挙投票に充分間に合い、役所仕事にしては驚異の速さと思った。

 この選挙人証を見て分かったが、現在の足立区の衆議院選挙区は東京13区となり、中選挙区時代は確か東京6区と記憶し、当時の選出代議士の名前も何人も記憶に残る。ちなみに現在の東京13区の選出代議士は誰かと調べたら、自民党議員で、環境大臣を2期務め、この間の都議選で大惨敗した自民党東京都連の会長になった東京では大物らしいが、名前、人物は全く知らない。

 かつての旧6区は伝統的に社会党や共産党が強い選挙区であり、実家の近所に社会党の代議士が住んでいて息子と同級生でもあったのでその家で遊んだ記憶を持ち、国会議員ではあっても社会党の国会議員は近所のオッサンという雰囲気を感じていた。

 その華々しい時代の社会党を知る身としては、1人のみ選出する小選挙区制は少数意見が汲み上がらない制度であることは確かで、権力党に都合良い制度であることは否めない。

 安倍が衆議院を解散し、10月10日告示、10月22日投開票と決まった。どう見ても唐突さは否めなく、安倍がこの間の内閣改造でキャッチ・フレーズを付けた『仕事人内閣』など、できの悪い広告屋のコピー以下で、いかに安倍という人物が自分の言葉を持たない、嘘八百だけの出来の悪い政治屋であるかが分かる。

 同じ出来の悪いフィリピンのドゥテルテの方がなんだかんだといわれても、一点突破政策で違法薬物関与者を大量殺害している方が、政治屋の姿勢としては間違ってはいても筋が通っている。

 安倍は今回の解散は北朝鮮の脅威をでっち上げて『国難を問うため』などと、エッと思う時代錯誤のコピーをばら撒き喚いているが、安倍の北朝鮮の政治利用は、拉致被害者問題を含めて今や最高潮となり、醜い。

 どう見ても一番北朝鮮を政治利用しているのは日本の安倍であり、アメリカ、韓国などはもっと醒めていて、安倍と北朝鮮の刈り上げ金正恩は、実は水面下で手を結んでいるのではないかと思うほどである。

 投票日の10月10日には北朝鮮の独裁政党『労働党』創建記念日に当たり、安倍など北朝鮮がこの日にミサイルを発射してくれたら投票の流れが我が党に有利と読んでいて、発射大歓迎、待望しているのではないか。

 この解散、今が最適と安倍は乾坤一擲で仕掛けたのだろうが、ところが政治というのは一寸先は闇というか読めないもので、安倍の圧勝の目論見はズタズタになりつつある。

 選挙に間に合わず、弱いといわれた東京都知事の小池が仕掛けた『希望の党』が見る見る内に力を増し、何と野党第一党の『民進党』が解党的状況で希望の党に合流するという流れが形成された。

 一番驚いているのは安倍とその取り巻きだが、小池の動きはどう見ても自民党の別動隊のような気もして、民進党はどうかしてしまったのかという気もする。実際、希望の党は自民党を出た最右翼組が入党しているし、民進党のリベラル部分は排除するとはっきり言い、第2自民党的な政党になりそう。

 そうなるとこの国の政治は共産党などの少数派を排除したオール与党で行われることになり、戦前の形を変えた『翼賛選挙』であり、これはかなり危険ではないか。

 

 さて、在外選挙に戻るが、先日在フィリピン日本大使館から、在外選挙投票日程が決まった旨のお知らせがあった。それによると投票は告示日翌日の11日、水曜日から開始され、セブとダヴァオでは同月15日、日曜日までの5日間。

 

 一方、大使館のあるマニラでは1日長い16日、月曜日までとなっていて、これはマニラはセブやダヴァオと較べて選挙人が多いためと思われるが、在外選挙人制度などと大袈裟な割には登録し投票する人は実際は少なく、フィリピン全体の詳しい資料を見つけられないが、恐らく200票もあるかどうか。

 

 前回の衆議院選挙の時、ラオス・ヴィエンチャンの日本大使館で在外投票業務に関わったが、その時の投票数など1日数人で、期日通じて20票台と思われ、選挙業務に関わった延べ人数の方が多いくらいで、しかも大使館など政府関係者の投票がほとんどで、在外選挙制度の実情は何ともあやふや。

 

 それはともかく、日程が早く分かったのは小生としても都合良く、いつ投票に行くか考えるが車を運転して行くか、タクシーで行くかつまらぬことに拘っている。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2017, 18:30
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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(63) 一夜明けて四国最南端の足摺岬へ

 三十七番札所『岩本寺』からは足摺岬目指してひたすら走る。レンタ−カー会社でもらった案内でも3時間はかかり、明るい内に着くかどうか微妙なところで、勿論、足摺岬にある三十八番札所『金剛福寺(こんごうふくじ)』への参拝は無理。

【写真−1 車は後ろから見ると性格が良く分かる】

 途中、四万十市に入り、市内を流れる四万十川は日本に残る最後の清流といわれ、日程に余裕があれば一泊して四万十川の清流を楽しむなど考えるが、日程的に無理。

 四万十川は堤防などもコンクリートで固めないで自然に整備されていて、写真に撮りたいところだが、一度も停まらずに先を急ぐからもったいない。

 足摺岬は土佐清水市にあり、前を走る観光バスについて走っている内に岬へ至る。既に暗くなっていて、今晩の宿泊はどうするかと思っていると、道沿いに大きな駐車場を持つ民宿があったので宿泊することにした。

 今の民宿は設備もしっかりしていて、泊まった部屋はバス・トイレ付。民宿といっても布団を自分で敷くくらいで2食付の旅館と変わらず、夕食はサバの活き造りが出てきてそれなりに充実している。

 主人は漁師で今は息子の代になっていて、夫婦で民宿経営といっても身体を動かしているのは奥さんだけで、主人は新聞を読んで、客と話をするのが仕事。足摺岬にある小学校が10数人しかいなくて、廃校の危機にあるなど興味深い話を聞く。

 同年輩であったので話は弾んだが、一番印象的であったのは北朝鮮のミサイル発射から『戦争はごめんだ』と言っていたことで、こういう鄙びた地域でそういう人が生活している内は日本は大丈夫と思った。

 

 明けて次の日早く起きて足摺岬へ歩いて向かう。写真−1は近くの駐車場で見たフォルクス・ワーゲンで、薄暗い天気の下、黄色いボディーの色が映える。ワーゲーンは以前日本、セブで乗っていたので一枚撮る。

 もっとも乗っていたのは昔のモデルで、写真のモデルは昔ながらのモデルを真似てはいるが最近のデザインで、エンジンもポルシェと同じの水平対向空冷エンジンではなく、水冷エンジンで昔からワーゲンに親しんだ者にとっては別物の車である。

 そういえば高知ではオープン・カーを走らせる姿を目にすること多く、気候的に走らせるには良い所なのかも知れないし、オープン・カーに乗って車遍路というのも季節が良ければ面白い。

【写真−2 民宿から歩いてもすぐの場所】

 写真−2は足摺岬へ行く途中の道にあった案内板で、付近は亜熱帯性の照葉樹林が繁茂し風が曲がりくねった木々の梢を揺らしている。

 足摺岬は元々『あしずりざき』といっていたらしいが、やがて『あしずりみさき』の呼び方が定着。これを決定付けたのが田宮虎彦の書いた『足摺岬』で、田宮は1949年にこの作品を発表したが、作中の岬から主人公の自殺する思いの記述から、その後この岬から自殺する者が続出したという。

 小生も中学生頃に読んだ記憶を持つが内容は全く覚えていない。田宮は1988年77歳の時、東京・青山の自宅マンション11階から投身自殺をしているが、両親が共に高知県出身であり、岬には文学碑も建てられている。

【写真−3 これで晴れていたら最高の眺めになるが】

 写真−3は足摺岬灯台を臨んだ観光写真もだいたいこの方向を撮る一枚。足摺岬とは良くいったもので、足のすくむ眼下の水面は80m下にあり、太平洋の荒波が磯に砕け、茫々とした水平線が遥か彼方を連想させる。

 足摺岬は四国最南端の地となっているが、実際の四国最南端は宿毛市にある『沖の島』であっても慣用的に足摺岬は四国最南端と定着しているし、晴れやかな水平線を見れば四国最南端は相応しい。

 岬に建つ灯台は1960年に建て建て替えられ、灯火高さは海面から約61mある。最初の灯台は八角形のコンクリート製で、1914年(大正3年)に初点灯だから既に100年以上の歴史を持つ。


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 19:12
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バタネス紀行 2017 その−(31) サブタン島をトライシクルで巡る−モロン・ビーチから無人島を臨む集落へ

【写真−1 砂浜と海はとても良い】

 

 

 モロン・ビーチの売り物は写真−1の自然に残った岩のアーチで、砂浜からアーチの下部まで7〜8mの高さ。だからどうだという程度の景観だが、マニラ方面の観光客には人気で、アーチの下で芸能人気取りでポーズを取る者多し。

 

 

【写真−2 小さくても騒音が激しいドローンが】

 

 

 そのアーチの傍で写真−2のドローンを飛ばすカップルがいた。その様子を見ていたらドローンから自分達を撮っていて、何のことはなく自撮り棒が動いただけで、自分勝手のうるさいドローンで自撮りする連中が増えると迷惑千万。

 

 

【写真−3 右手の水平線上近くにはインチキ灯台の姿も】

 

 

 音の五月蠅いドローンに静けさを破られモロン・ビーチを後にするが、写真−3はトライシクルの走る山の道からモロン・ビーチを撮った。ここが最北の離島でなければ、貪欲なリゾート資本に食い荒らされてしまう景色が拡がる。

 

 

【写真−4 海岸には南シナ海の荒波が打ち寄せる】

 

 

 サブタン島の西海岸を南下しやがて右手前方に見えてくるのが写真−4の『IVUHOS島=イヴホス』。この島は他にも呼び方を持つが、長さ4キロ、幅1.8キロの無人島。江戸時代に日本の難破船が漂着した歴史を持つ。

 

 

【写真−5 バタネス諸島の道路事情は公共投資のためかかなり良い】

 

 

 サブタン島には6つのバランガイ(最小行政区)があって、西海岸側には2つあり、その人口は計500人台。そういう人口の少ない所でも道の造成は必至で、写真−5のような断崖絶壁の絶景の中、よくぞ造ったと思う道が伸びる。

 

 

【写真−6 山越えして最初に出くわす集落の入り口】

 

 

 この先に集落などあるのかと思う風景だけは良い海岸沿いを進んで、最初のバランガイが写真−6の『NAKANMUAN=ナカムアン』の入り口。140人少々しか住んでいないが、人口減の島の中では若干増えているというから驚く。

 

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 20:50
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