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四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春 その(56) 三十二番札所『禅師峰寺』は土佐湾を見下ろす小高い山に

 この日最初の三十一番札所『竹林寺』から三十二番札所『禅師峰寺(ぜんじぶじ)』へは土佐湾に向かって7キロほどの距離で、この寺は高知市内かと思ったら南国市にあった。

【写真−1 少し雲が多くて残念な眺め

 ところが次の三十三番札所『雪蹊寺(せっけいじ)』、三十四番札所『種間寺(たねまじ)』はまた高知市になり、その昔は町村合併で新たな市になるとは思わない順路であったようだ。

 三十二番札所『禅師峰寺(ぜんじぶじ)』は高知平野と土佐湾を見下ろす標高82mの小山の上にあり、写真−1のように境内へ至る場所からの眺めが非常に良く、もう少し空が晴れていたら文字通り晴れ晴れする景色。

 眼下には高知市内に至る浦戸湾や桂浜に至る海岸線が見え、農業用ビニール・ハウスも規則正しく並ぶ。この平らさから『高知龍馬空港』と名付けられた空港が写真から見て左側の南国市の海の近くにあり、時々飛行機の飛び発つ音が響いてくる。

【写真−2 仏像の盗難というのは結構多い】

 写真−2は山門で、山門は仁王門を兼ねるが、左右が写真でも分かるように空いている。これはここにあった鎌倉時代の仏師『定明』作の阿吽の金剛力士像が国の重要文化財に指定されているため、大事を取って現在は寺の収蔵庫に保管されている。

 金剛力士像は木造で彩色、玉眼。阿形の高さ142.5cm、吽形の高さ145.0cmとそれほど大きくないが、吽像内に正応4年(1291年)定明作の銘があり、1911年(明治44年)になって重要文化財に指定された。

【写真−3 この辺りではご朱印をいただくのも手慣れたもの】

 この寺は本堂や大師堂が寄り添うように建てられているが、参道沿いには夏みかんの種類の樹が実をたわわに成らせていて、いかにも暖かい土佐の感じを伝えてくれる。



 写真−3は『禅師峰寺』のご朱印で筆先の流れが面白い。この寺に上がる傍には幕末期の土佐勤王党で知られる『武市半平太』の旧宅と墓所があるらしいが、そういう幕末期の史跡を巡り出すときりがないので残念ながら先を急ぐ。
 


 

author:cebushima, category:四国八十八ヶ所遍路旅 2017年春, 19:09
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へそ曲がりセブ島暮らし2017年 その(23) 夏休みの終わる頃 

 日本の夏休みは東京だと7月21日から8月一杯と40日間ある。農村地域や積雪の多い地域では夏休みを短くして冬季休みを長くしているらしいが、基本的には夏休みは1年で一番長い学校の休みになる。

【夏休みの観光客でにぎわったであろう乱開発のマクタン島リゾート地区】

 日本の夏は高温多湿でその暑い時期を学校の休みにするのは理にかなっているが、最近のようにエアコンが完備した学校ではそんなに長く夏休みを取る必要なのかという議論もあって、実際夏休みを短縮させる地域も出現している。

 地球温暖化問題が叫ばれている現代だが、小生の小学校頃の東京は涼しいとはいえないものの、扇風機だけで暑い夏を凌げたから、今が確実に暑くなっているのは間違いないのに、アメリカのトランプのように『地球温暖化は嘘だ』というような馬鹿がいるから対策は進まない。

 2011年の8月、東京へ行った時、セブより暑くて参った記憶を持つが、それ以来真夏の日本へは行ったことがない。これは東京がコンクリートで固められてしまったために起こる『ヒート・アイランド現象』で、そのためエアコンが必要でその排出熱が更に東京を暑くさせる悪循環を生んでいる。

 先年、ラオスの首都ヴィエンチャンに住んだが、世界の首都の中で最も田舎といわれるこの街も、最近は都市化が進んでもっとも暑い時期の4月から5月はエアコンなしでは過ごせないような環境になってしまっている。

 ヴィエンチャンで借りて住んでいた住いはメコン河沿いの一軒家であったが、庭の周りは全てコンクリートで固められていて、このコンクリートが熱を含んで暑い季節は陽が落ちても気温が下がらない。

 小生はエアコンは好きでなく、セブの自宅にも設置していなく、ヴィエンチャンでもできれば使いたくなかったが仕方なくこの季節はエアコンを付けた。ラオスは電気代が安く、エアコンを使っても電気代は驚くほど安く、これがフィリピンであったらエアコンなど使うものなら現在払っている電気代の3倍くらいになってしまう。

 ヴィエンチャンのような田舎では庭も土のままなら自然に温度調整ができて良いと思うが、雑草管理や雨季に起きる浸水騒ぎ、そこから起きる泥濘によって歩くのが困難になるためにコンクリートで固めてしまっているが、土の庭は貧乏ったらしい感じを持っているのかも知れない。

 さて、小学生時代の夏休みの想い出では、明日、明後日に学校が始まるという8月の末は宿題に追われてバタバタ大変という記憶が一番強い。夏休みの宿題などコツコツ毎日やっていれば何の苦労もいらないが、これがなかなかできないのが子どもたる所以でもある。

 夏休みの初めには1日の予定表と銘打って、1時間刻みの円を描き、起床時間から就寝時間までの色分けた予定表を作るが、この予定が守られるのは夏休みに入って数日だけで、後はなし崩し、自然に任せてという具合になってしまう。

 今も小学校ではやっているのかどうか知らないが、朝のラジオ体操が毎日学校であった。これも出席でもらえる印を目当てにいそいそと出かけるのは最初の頃だけで、その内、間を開けるようになり行かなくなる。

 また、夏休み中の小学生は日を決めて町内道路の清掃日というのがあって、これは公徳心養うには良い行事と今でも思うが、箒や塵取り片手に集まり近所を順々に掃除して回る。これも朝早い行事で喜んで行くようなものではなかった。それでも、休まず行っていたのは家の前にあった電柱の前が集合場所であったので、いやがおうでも起こされてしまうためであった。

 そういった怠惰な小学生であったから、宿題などいつもギリギリで一気にやるような始末で、学校が始まって提出する日になっても理由を付けて後日に提出をするようなこともあった。

 ただし、それも宿題ノートとか日記などのような科目の怠惰であり、自由作品の工作や昆虫採集などは毎回力のこもった物を作っていたて、夏休みというと自由作品、研究が一番想い出深い。

 工作で今も想い出すのは日本地図を紙粘土で立体的に造り、色分けした作品で90センチ四方の合板に作り上げた。今は紙粘土も市販されそれを使えば良いが、当時は新聞紙を煮てフノリを混ぜて作り、あの湿っぽい紙の匂いと仕上げに塗ったニスの匂いは今でも想い出せる。

 それと良く作ったのは街の模型で、今でいう『ジオラマ』になるが、どこが面白かったのか材料はボール紙や段ボールで商売をしている店や色々な家の模型を作って町らしく並べた。

 昆虫採集は毎夏の定番作品で、夏休み中は埼玉県浦和に住んでいる叔母さんの家に行くのが毎年の楽しみで、そこで昆虫採取をした。今の浦和はすっかり都市化してしまって、小学生のころの面影は全く残っていないが、当時は草深い田舎で、カブトムシや蝉などいくらでも獲れた。

 中でも印象深いのは『玉虫』で、当時でも貴重な種で採集するのは難しかったが、これを採集した時は文字通り玉虫色に輝くその色に興奮したものであった。ああいったカブト虫や蝉など街がコンクリートで固められた現在、もう獲れないと思うと不幸な時代である。

 そういえば夏休みというと海に行って貝殻を拾ってきて、ニスを塗って仕上げ、川で石を拾って同じように仕上げた物などあったし、山に行って採集した葉や花を厚い本に挟んで押し葉、押し花にしたり『採集物』が多かったなと思い出した。

 こういった採集物は採集した後に図鑑などで調べて分類することが知識に繋がるのだろうが、今は標本店で材料を買って提出する小学生があるそうだから変われば変わるものである。

 そういった小学生時代に夢中になった採集物標本や作品が少しでも残っていれば面白いのだが、残念ながら全く残っていない。これはやはり夢中になった船や飛行機の模型作りも同じで、こういうものは残すのが重要ではなくその過程を持つことが大事なのではないのかなどとも思うが、それにしても少しくらい残っていたらと惜しい気がする。

 今年の東京の8月は長雨が続き、連続記録を更新したと聞く。地域によっては夏休み中雨が毎日降ったなどという場所もある。それでいて、気温は連日30度越えながら、雨の続いた天気のため、エアコンなどの夏物商品は売れなかったと聞く。

 鬱陶しい日本を避けて、夏休み休暇を利用してセブのリゾートへ来た日本人は多いが、セブもこの時期は雨が多く、南の島の暑い天気の日は少なく、ガッカリして帰った観光客も多いのではないだろうか。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2017, 18:18
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バタネス紀行 2017 その−(22) イヴァナの港周辺 教会と正直者のカフェ

【写真−1 スペイン人がバタネスへやって来て重視したのが分かる建物】

 

 

 サブタン島へ渡る船が出る港の真ん前が写真−1の『San Jose de Ivana』教会。この町の現在の人口は1400人足らずなのに、前庭を備えた立派な教会でビックリする。正面の左右に1866と1869書かれ、帰りに寄ることにした。

 

 

【写真−2 かつては素朴であったのだろうが今は観光客向け】

 

 

 教会の道を挟んだ斜め前に『Honesty Coffee Shop』の看板を下げた写真−2の建物がある。ここはバタネスで知られた無人の店で、買い物客は料金箱に支払うようになっている。フィリピンでは珍しいから観光客が押し掛けている。

 

 

【写真−3 何か面白いものを売っているかと見るがなかった】

 

 

 写真−3は店内の様子。元々は地元民向けのお菓子や飲み物を扱っていたのであろうが、今は観光客向けのお土産品やTシャツなどを売っている。奥の冷蔵庫には冷たい飲み物、インスタント・コーヒーも自分で淹れる。

 

 

【写真−4 珍しいものだが地元民は使わず今や観光客が被って写真を撮る】

 

 

 店の裏手に簡単な休憩用の小屋があり、観光客がトイレなどを利用している。その壁に掛かっていたのが写真−4の『バコ−ル』。これはバタネス諸島でかつて使われていた帽子で背面を覆う優れ物で、材料はヤシ科の植物を使っている。

 

 

【写真−5 こういうのも近年に出現したものでかつては宿泊は不便であった】

 

 

 サブタン島には2泊する予定で来たが、島の宿泊事情はよく分からない。港の傍に写真−5の宿泊施設の案内を見る。いわゆる民宿だが、ともかく泊まるには困らないようだから直接ここへ行って見ようということになった。

 

 

【写真−6 こういう船は人間用というより島に物資を運ぶのが主の船】

 

 

 そうやって時間を潰していると、サブタン島から出た船が写真−6のように港に入って来た。しかも2隻でどちらも島へ行くという。何時に出るか分からないが、これで、ひとまずサブタン島へ明るい内に行けると他の観光客も一安心。

 

 


 

author:cebushima, category:バタネス紀行 2017, 18:22
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