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ルソン島紀行 山岳州篇 2017 その(6) サガダの町に到着 ブラブラと道を下ってロッジまで

 かつてフィリピン人の旅行動態は海外へ行くことが旅行であって、当然富裕層ばかりの趣味であり、国内旅行というのは何となく馬鹿にされる傾向があった。ところが、人口の急増、中間層所得の向上、インターネットの影響などで国内旅行はブームになって、今は国内の観光地は人で一杯。

【写真−1 この建物は郵便局や理髪店、食堂などもあるサガダの『モール』

 サガダに到着すると旅行者は入域料を払う必要があって、バスを降りた真ん前にビルがあって、写真−1
がその窓口の様子。

 入域料はローカル・コーヒー一杯より安いが、以前行ったミャンマーの仏教遺跡『バガン』など、空港に到着すると否応なしに高額のドル支払いをするようになっていて、こうなると昔の因業な関所と同じで感じが悪い。

【写真−2 サガダの即席空き部屋情報 それだけ観光客が多い】

 サガダのこの建物内には観光ガイドを斡旋するデスクや郵便局などの公的機関も入っているが、目を引いたのは写真−2の白板。宿泊施設の情報が書いてあって、民宿のようなものもある。

 伝え聞くにはサガダでは、ホーリーウィークのような超繁忙期には、宿泊施設が足りなくなって民家に泊める騒ぎがあったそうで、また、サガダに通じる一本道が車で押し掛ける観光客のために埋まってしまって大変な騒ぎになったという。

 こういった観光地はいずれ車両乗り入れの制限を設けなければいけないと思うが、喉元を過ぎればすぐ忘れてしまうフィリピン人にはそういう発想はなく、問題があってもその時また騒ぐだけであろう。

【写真−3 チョッと見には山の別荘地のような雰囲気】

 写真−3はサガダの本通りから見た斜面に建つ家。どことなく垢抜けた感じの家の風情で、サガダは1900年代初め頃にキリスト教ミッションが入った地で、その当時からの教会が残っているが、教会創建当時は草ぶきの伝統的な家屋がこの写真の斜面に密集していた。

【写真−4 観光客 特に欧米系の客が押し掛ける店】

 宿へ向かう途中で入ったレストランで飲んだコーヒーが写真−4。この地方はコーヒー栽培に適しているが、収量の多いロブスター種がほとんどで、このロブスター種特有の味はどうも好きになれない。

 ちなみにロブスター種というのはほとんどがインスタント・コーヒーの原料になり、巨大企業のネッスルはこの地方で盛んにコーヒー苗木を配って収穫物を独占的に買い入れているが、本当に土地の人間のためになるか疑問な点はある。

【写真−5 排気ガスをまき散らす車が通らなければ散歩に最適】

 道なりにさらに下って行くと、写真−5、正面にある建物の左側に入る道があり、本日から3泊するロッジはこの道を入った所にある。観光地として客が押し寄せるため、付近では新規の宿泊施設建設が盛んで、この辺りは民家より宿泊施設が目立つ。

【写真−6 壁にトタンを張るのは寒さ避けでサガダには多い】

 そうして最後の登り道を辿って着いたのが写真−6のロッジ。民宿風だが、左手側の崖を階段で降りると、まだ新しいコンクリート造りの棟が崖にへばりつくように建てられていて、部屋の正面は谷を挟んで松林だけが斜面に広がり、このロッジ名の『Pines View Lodge』に偽りなし。

 


 

author:cebushima, category:ルソン島紀行 山岳州篇 2017, 08:35
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この一枚2017年 セブ篇 その(1) 窓のあるジプニー

 今でもフィリピンの主要な交通機関として健在な『ジプニー』だが、元々は戦後に米軍が放出したジープを改造した車両で、頑丈が取り柄ながら質の悪い燃料を使うディーゼル・エンジン仕様のために、吐き出す排気ガスが都市部の公害を押し進めている。

【ルソン島山岳部は標高が高いので空気は冷たく窓が必要】

 都市部と書いたが、この1
月に山の避暑地で知られる標高1500
mにあるバギオへ行ったが、彼の地の排気ガス公害には驚かされた。バギオには30年ほど前に行ったことがあり、その時は松の緑と涼しい空気を体験し、暑いフィリピンでは確かに別天地と感じた。

 しかし、今は当時と違って人口も倍以上に増えて、車なども何倍も増えた。増えた車もディーゼル車が多く、坂道しかないバギオでは発進時に余計アクセルを踏んで吹かす必要があるために、どの車も黒煙の排気が凄い。

 バギオは谷間に沿って家々が連なった街だが、その排気ガスが谷の底辺に流れ、海辺と違って風は吹かないから溜まる一方で、バギオでは問題になっているであろうが公害の数値などは知らされず、相変わらず山の避暑地のキャッチ・フレーズで売り込んでいるのは問題ではないか。

 これは海のリゾート地で売るセブも同様で、排気ガスが充満して市街地など住めたものではない。拙宅はそういった市街地の真っただ中にあり、家の窓に張ってある網戸には得体の知れない粘着性の物質が付着するようになった。

 これを吸い込んで生活しているのかと思うと空恐ろしいが、こういった公害に対して当局は一切データなど調べないし、調べても隠蔽するだろうから、いつまでもセブは美しいリゾートとして虚名を売れるわけで、実態を知れば最近増えた市中のマンションなどに住むものではない。

 さて、ジプニーに戻るが、写真はバギオの中心にあるバスターミルで見たジプニーで、わざわざ写真に撮ったのはこのジプニー、どのジプニーもチャンとした窓が付いている。

 暑いフィリピンではこの手の車の窓は無くて、雨が降った時は巻き上げていたビニールを幕のように降ろして凌ぎ、大雨の時など隙間から吹き込む雨で大変だろうと思いながらも、慣れもあってその方式は普通である。

 ただし、締め切るから車内はたちまち湿気でムンムンするが、それ程長距離を乗るわけではないから我慢するだけ。

 バギオに限らずこの地方の山間部は窓付きジプニーが当たり前で、同じ緯度の海岸部では窓のないジープが走っているが、標高1500m前後の空気はただでさえ冷たく、窓で入ってくる風を防がないと寒いようだ。

 そういえば冷房付きのジプニーというのが、首都圏で出現したニュースをだいぶ以前に聞いたことがあったが、どうもジプニーの乗車形態から冷房付きというのは無理だったらしく、すぐに姿を消したらしい。もし、今も走っているようであったら、話しの種に乗ってみたいものだ。

 冷房といえば今でこそタクシーなどエアコン付きは当たり前だが、かつてはエアコン・タクシーとノン・エアコン・タクシーの2種類がセブでも首都圏でも走っていて、ノン・エアコンの方は少々料金が安かった。

 バギオで乗ったタクシーはエアコンなど使う必要はないが、窓を開けているから排気ガスが侵入してきて善し悪しであった。ただし、どのタクシーも黙っていてもメーターを倒して行ってくれるから印象は良かった。



 

author:cebushima, category:この一枚 2017 セブ篇, 17:15
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ラオス南部・二人旅 そのー20 コーン島の鉄道線路跡に沿って自転車は走る

 イルカ見物では姿を見られなかったものの、写真−1のメコン河を溯って来た船を陸揚げしていた施設を川面より眺められた。

【写真−1 こういう巨大な建築物をこの島に造っていたのも凄い

 100年以上前に造られたと思われるコンクリート・ラーメン構造の建物はしっかり残っていて、建物真ん中に水面まで降りるスロープが船を引き揚げた場所で、ウインチで引っ張り上げられている。

【写真−2 現役時代を想い出すような雰囲気】

 写真−2がその開口部を陸側から撮った写真で、この様子を見ても大きな船は上げられなかったのが分かる。写真でも分かるようにウインチのワイヤーをリードした丸いホイールがまだ残っている。

【写真−3 地面に木の影が落ちるその昔の鉄道出発地跡】

 写真−3は左側にある小屋がウインチ設備のあった小屋で、電気のない時代にどうやって巻き上げる動力を確保したのか分からないが、当時の技術では蒸気利用であったと思われる。

 小屋の前まで引き上げてから写真右側の広場に敷かれていたレールに移し替えたと思うが、そのほとんどは人力の時代であるから大変と言えば大変な時代である。

【写真−4 ゆっくり煙を吐きながら走った線路跡】

 写真−4はレールの敷かれていた跡で、現在はレールは撤去されているがいかにも線路跡そのままの平らな道。蒸気機関車で運んでいたが、コーン島の昔は樹木の生い茂るジャングルが多かったので、その樹を燃料にして蒸気機関車を動かしていた。

 線路跡を自転車で走ると、木々の枝が道に負い被さっていたりして、その昔は木々が多かったのだなと実感する。

【写真−5 これぐらい残っていれば外観の復元は出来そう】

 コーン島内では長さ5キロくらいの線路であったらしいが、その最終地点に写真−5の蒸気機関車が飾ってあり、船着き場にあった機関車より状態は良く、敷かれていたレールもあった。

 このレール、廃線後は島民の手によって持ち去られたらしく、泊まっていたホテルの近くの民家では柵代わりに使われ、放置された状態のレールも他の庭先で見た。

【写真−6 左手側が下流になり、橋の下は緩やかな流れ】

 コーン島で陸揚げされて線路によって島内を移動した船は、隣の島『デット島』に運ばれ、そこから再び水面に降ろされるが、コーン島−デット島間には橋が架けられていて、写真−6がその橋の上の様子で、向こう岸がデット島になる。

 この石積みの橋の上を船を乗せた貨車が進んだのかと思うと、時代を考えればよくぞ作ったと思った。この橋の左手側は夕日の沈む様子が良く見られるが、それらを写した写真は消去してしまったのか手元に残っていなくて残念。


 

author:cebushima, category:ラオス南部・二人旅, 08:44
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