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へそ曲がりセブ島暮らし2016年 その(56) セブ島工房が2016年の日本10大ニュースを並べ替える

 この時期、マスコミは世界あるいは日本の10大ニュースという名目で選び、その年を評価している。どこでも同じようなニュースが順番こそ違うものの挙げられていて、今回、読売新聞で読者が選ぶ10大ニュースと言う企画をやっているので、それを参考にしてみた。

 

【2016年掉尾を飾るクリスマス・セールで追い込むセブのモール】

 なお、マスコミの中で読売は産経と同様に上から下まで最も自民党に近いというより、自民党の御用新聞であり、こう書いているからといって読売を支持しているわけではなくたまたま目に入ったから採用したまでである。と断っておく。なお、項目の最初の順位はセブ島工房が選んだ順位でその次の()内数字は読売の順位になっている。

 

【1位】(9) 18歳選挙権施行=戦後の政治体制の一大変革と思うが、この2歳下がった年齢層はかなり保守的、現状維持志向、早くいえば何にも考えていない層のようで、初めての選挙になる参議院選では投票率は低かった。やはりインターネットのSNSやスマホのゲーム狂いでは、一方的な与太情報は多く得ても自分の頭で物事を考える能力は確実に失せている層でもある。
 

【2位】(12) 参院選で与党大勝、改憲派3分の2超=1位と連動するが、戦後最悪の首相と言われる安倍に対して日本人は甘い証拠と言うより、やはり何も考えていないのであろう。
 

【3位】(24) 消費税率引き上げを2年半延期=こんな重要な事柄が低位にあるとは、正に目先だけで考える日本人。税金は取られないのを最上とするも、ばら撒き政策のツケが莫大な借金として残る現実に目を向けられない日本人。今回の分は完全に参議院選の選挙対策で、こんな簡単な自民党の仕掛けに引っかかるとは日本人も考えなくなった証拠。
 

【4位】(8) 相模原市の障害者施設で19人刺殺=信じ難い事件だが、既に人々の記憶からは薄れているというより、薄れさせられている。相模湖の山奥に隔離するような施設を作る考えが今も主流で、どうして施設を町中に作って、地域で見守れないのか。
 

【5位】(21) 舛添東京都知事が辞職=見かけだけで選ぶ都民も都民だし、舛添の対応もお粗末。報道する連中のレベルも相当低い。ここで大事なのは酷い人物は忌避できるかどうかで、都知事では成功した。
 

【6位】(2) 東京都知事に小池百合子氏=また都民はイメージ選挙に引っかかった感じは強いが、自民党が担いだ候補者よりはマシであろう。それにしても、野党側はせっかく共同候補者を立てたのに惨敗。こちらの方が印象は強い。

【7位】(15) 日銀がマイナス金利導入決定=日銀はもう滅茶苦茶。いまだ経済政策と言えない政策に固執していて、予測も効果もことごとく外れ。これで、政権が保っていられるのだから不思議。経済政策など普通の国民には関心が薄いという証拠になるのだろう。

 

【8位】(6)ノーベル生理学・医学賞に大隅氏=こういう話は明るいが、日本の基礎科学の世界は人材払底で将来性は暗いというから、ノーベル賞もやがて日本には縁遠くなるのでは。
 

【9位】(1) 熊本地震、死者50人=10大ニュースの中で読売読者は1位に挙げているが、毎年のように大災害のやってくる日本だからだろうが、それにしては原発再稼働の経緯を見ると呑気だなと思う。
 

【10位】(3)リオ五輪、史上最多のメダル41個=オリンピックが何ほどのものと思うが、他に目ぼしいニュースがないので入れておく。ましてやメダルの数がニュースになるなどお前は馬鹿かと言いたい。
 

 とこうなるが読売読者では10位の中に、4位天皇退位問題、5位オバマ大統領広島訪問、7位北海道新幹線開業、10位にポケモンGOが入っているが、10位のポケモンなどという代物がニュースに入るというのも驚き。最近日本のテレビを観たらゲーム会社が番組スポンサーになっているのが多過ぎて、一体世の中どうなっているのだとセブの地から思った。

 かつて大宅壮一はテレビを習慣的に観る国民に対して『一億総白痴化』と称したが、今のインターネット狂いの世情を見て何と表現するだろうか。



 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2016, 20:47
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ラオス南部・二人旅 そのー15 メコン河の向こうに昇る初日の出を拝む

【写真−1 ホテルの前はチャンパサックの目抜き通りだが静か】


 写真−1は左側がホテル棟で、道を挟んだ向こう側にあるやはり旧い造りの建物が付属のレストランで、その年最後、大晦日の夕食はこのレストランで食べる。

 何を食べたか覚えていないがチャンパサックでは唯一といって良いレストランで値段も高いので、欧米系の人間ばかりが利用している。

【写真−2 ラオスのビールはハイネケンの技術を導入】

 写真−2は食後、メコン河を見下ろすホテルの庭で家人と『お疲れ様』と言って、ラオスのビールを飲むが、遮るものがない眺めと柔らかな川風が心地良い。写真右下に写っている袋はセブからわざわざ持って行ったピーナツになる。

【写真−3 海外では2013年にヴェトナムで新年を迎えた以来】

 そうして、新しい年を迎えるが、暗い内に起きて初日の出を拝む。さすがに夜明け前は半袖では寒く、メコン河の向こうに昇る初日の出を粛々と見つめる。

 写真−3は太陽が昇り切った様子で、雲が地平線に多くて丸い姿は見えず、右側には朝の漁をする舟が出ていて、暮れも新年もない生活なのであろうか。

【写真−4 ヴィエンチャンにはもっと派手な豪邸がある】

 初日の出を見てからはチャンパサックの町をぶらぶら歩く。写真−4はチャンパサックの王族の末裔が住んでいるという住居で、確かに付近の家と較べて敷地も広く建物も大きく、古い造りと分かるが豪邸と言う感じはない。中を見せてもらえればまた印象は変わるだろうが、特別な印象の家ではなかった。

【写真−5 オートバイの給油には最適】

 同じ通り沿いで見かけたのは写真−5のガソリン・スタンド。こういう田舎では瓶に入れたガソリンを売っていることが多いが、ここはドラム缶から汲み上げて給油する方式で、この町ではこれで間に合うのであろう。

 軒先にある看板はラオスの携帯電話会社で、ラオスも携帯電話は普通になっているが、インターネットにしても実際に運営しているのは中国の企業が独占している。

【写真−6 10mほど下にメコン河が流れる】

 町歩きに疲れて一度ホテルに戻って撮った写真が写真−6。地面に落ちる影が何とも妙な造形を作っていて、椅子に座ってメコン河の流れを眺めていると時間の経つのを忘れる。

 メコン河はラオスとタイの国境を流れるが、チャンパサックではこちらも対岸もラオスで、ヴィエンチャンで毎日眺めていた対岸のタイとはどことなく違った。


author:cebushima, category:ラオス南部・二人旅, 19:45
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この一枚2016年 セブ篇 その(37) 2016年のクリスマスとサント・ニーニョ教会

 クリスマスの25日午後、セブ市ダウン・タウンにある『サント・ニーニョ教会』へ家人と共に出かけた。

 

【1月にはここを中心に『シヌログ』という一大イヴェントが繰り広げられる】


 年末と言うのに大型台風がフィリピンに接近していて、ルソン島南部から首都圏にかけて警戒情報が出ているが、セブは台風の影響のためかどんよりした天気が続き、時折り強い雨が降る。

 セブへ来た台風で記憶に新しいのは2013年11月の台風『ヨランダ』で、既に3年以上経つと記憶も風化しがちで、日本の福島原発爆発など既に5年以上経つから、日本人が原発に鈍感になるのも無理はないし、原発推進派は時間による風化を狙っていてその通りになっている。

 サント・ニーニョ教会というのは正称を『パシリカ・ミノレ・デル・サント・ニーニョ教会』と言うが、これは1965年にカトリック本山から尊称を受けたためだが、そんなややこしい言い方は教会関係者だけで、普通はサント・ニーニョ教会で通っている。

 この教会の本尊は『幼きイエス』像で、ニーニョとはスペイン語で『男の子』を言う。このニーニョ像、1541年に世界周航の途次セブへ立ち寄った『マゼラン』が持って来た謂われがあり、数々の奇跡を生む伝承がある。

 マゼランはセブへ上陸後の同年4月27日、セブの空の玄関口でリゾートとしての虚名で有名なマクタン島で島の支配者『ラプラプ』軍と戦い、同地で戦死していて、その戦死の地が観光ポイントにもなっている。

 マゼランは戦死するまで2週間足らずのセブ滞在であったが、その時、セブ島側の支配者『ラジャ・フマボン』一族に対してカトリックへの帰依に成功し、セブはフィリピンのカトリック布教の始まる聖地となっている。

 

 セブの当時の支配者にラジャと付いているように、この時代は『イスラム教』がフィリピンにかなり布教しているのが分かる。その後、1565年になって『レガスピ』がセブへ派遣され、レガスピは初代提督となり、これよりスペインのフィリピン植民地化が始まり、1898年の『米西戦争』でアメリカがスペインを破るまで続く。

 レガスピがセブへ来た時、行方不明であったマゼランが持って来たサント・ニーニョ像が発見され、奇跡の像として改めて崇め奉られ、1565年に教会が建てられたのが、現在のサント・ニーニョ教会の始まりとされているが、それ以前は質素な竹とニッパヤシで造られた堂であったらしい。

 フィリピンには最古と呼称する教会がいくつもあって、どれが本当か分からないが、一応、サント・ニーニョ教会はフィリピン最古の教会となっているが、セブ島の隣の島『ボホール島』にある『バクラヨン教会』が最古という話もある。

 創建当時からの建物と言えばバクラヨン教会は確かに古く、この教会は2013年のボホール地震でかなり被害を受けた。サント・ニーニョ教会は何度も火災などで建て直されていて、現在の建物は1740年に再建されたらしいが、先述したボホール地震ではサント・ニーニョ教会の鐘楼が屋根の部分から崩落する甚大な被害を受けたが、先頃修復が終わった。

 で、長くなったが写真に入ろう。崩落した鐘楼は写真の建物の右端にあるが、画面には入りきらず、クリスマスの日にミサを受ける人々の姿を写した。サント・ニーニョ像は右の建物のアーチを入った奥に安置されていて、長時間並ぶのを厭わなければそばまで行って拝見することができる。

 その像に信者が尻を向けているのはこちら側にミサを行う広場とスタンドがあって、そこの祭壇でミサが執り行われているためである。クリスマスと言う特別な日のためか、信者の数は多く熱心とは思うが、私などのような不信心者は厳かさは感じるもののシャッター・チャンスを求めるような按配であった。

 この日、私はたまたま新しい靴を履いて出かけたが、ミサに出席する人々の足元を見ると、新しい靴を履いているのが目立つ。恐らく、着ている服も新しい物が多いのではと思った。

 これは日本でも正月時に新しい服や靴を履いたり着たりしたのと同じで、新しい年には新しい物を身に付けて新しい気持ちでと言うのは国が違っても同じだなと感じた。


 

author:cebushima, category:この一枚 2016 セブ篇, 19:15
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