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ラオス南部・二人旅 そのー2 昼間のバスでサワナケットを目指す

☆ 1年半前以上にこの標題で書き出したが、わずか1回書いたのみで中断してしまった。改めて写真で想い出しながら『ラオス南部・二人旅』を再開する ☆


【写真−1 長距離バスは夜中の方がにぎわう】
 

 ヴィエンチャンの自宅から朝早く、ラオス国立大学に近い南部方面行きバス・ターミナルへトクトクに乗って向かう。通常の観光客はヴィエンチャンを夜に出発するバス利用が多く、寝ている内に目的地に着くが、せっかくの旅は窓から景色を眺めながら行きたい。

 写真−1はそのターミナルのチケット売り場で、ラオ語表記と英語表記のため外国人にも分かり、運良く午前9時発のサワナケット行きのバスがあり、後は夜行バスになっていた。料金は9万キップ、日本円で900円になる。

【写真−2 車種は韓国製が多い】

 写真−2はバス・ターミナルで給油中のバスで、外観からはかなり良さそうだが、中はだいぶ草臥れている。

 出発までだいぶ時間があり車内には一番乗りで、一番前の席を確保して幸先良いと思っていたら、発車間際に席の前にあった荷物置き場と思っていたスペースにも人が座り出し、定員超過で出発した。

【写真−3 一応水で流すが桶で汲む方式】

 写真−3は時々停車する場所にある『トイレ』で、20円くらいを払う有料トイレになっているが、ラオスはしゃがんで用を足す方式でここもそうだと思うが、わざわざ確認しに行く気もない。

【写真−4 甘過ぎるか塩辛過ぎるかの味】

 そういったトイレ時間と共に、有料トイレのある場所は簡単な食料を売っている店でもあり、写真−4のような軽い食べ物を置いてある。

 手前の緑色は糯米を包んだ、いわばおにぎりのような食べ物で、こういう物を買うかあらかじめ持ち込んで車内で食べている人が多い。こういった長距離バスは途中で定期的に休憩し、それを利用して食事をすると思っていたが、ラオスはそういった方式ではなかった。

【写真−5 平地を延々と走る】

 バスはラオスの幹線道路、国道13号線をひたすら南下するが、適当に乗客が降りて、適当な場所で乗ってくるのはフィリピンでも見られる当たり前の光景であった。

 写真−5はそういった国道沿いの光景で、乾季のせいもあって赤い土が埃っぽい。ここで降りた乗客は大きな荷物を抱えて、迎えに来たバイクに乗って埃を蹴立てて過ぎ去ったが、かなり奥まで人が住んでいるような感じがした。

【写真−6 今の自転車は昔とはかなり様変わり】

 右も左もこれといって変化のない道中、ようやく大きな町『タケク』のターミナルに着いた。

 写真−6はターミナルで見かけた外国人サイクリスト男女の2人組。ラオスを含めたインドシナ地域はこういったツーリングをするには魅力があるのか、時々こういったサイクリストを見かける。自転車、徒歩と時間のかかる旅行ほど得るものは多い。

 

 ヴィエンチャン在中では自転車で朝晩メコン河沿いを走ったが、ラオ人の眼からすると金が無いわけではない外国人がどうして車に乗らず、貧乏臭い自転車に乗るのかと不思議に見られ、写真の汗と埃にまみれたサイクリストなど、ラオ人からは不可思議な人々に写るようだ。

 このタケクまで6時間以上もかかってヤレヤレ、目的地のサワナケットはもうじきかと思ったが、西に沈む夕陽と競争しながらここから更に3時間もかかり、サワナケットのターミナルに着いた時は日没間際であった。


 

author:cebushima, category:ラオス南部・二人旅, 09:30
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へそ曲がりセブ島暮らし2016年 その(44) 欺瞞に満ちたフィリピン大統領・ドゥテルテの手法

 意味不明の言動でアメリカ、日本、中国を手玉に取って得意満面のドゥテルテ大統領だが、1番の目玉として強力に推し進める『麻薬撲滅』に対して、政権が述べている麻薬問題の根拠となる数字、成果などの多くは根拠が薄弱、あるいは都合の良い数字で塗り固められているとロイター通信の調査で明らかになった。

【写真はインドネシア・ボロブドール遺跡にて】

 ロイター通信はフィリピン在職の記者がドゥテルテのヒットラー発言を取り上げたために、ドゥテルテを狂信的に支持する国内のSNS
中毒者から猛烈な槍玉にあがって、身の危険を感じて隠れているような有様で、これに対してジャーナリストしての矜持を示すためにあえてドゥテルテを取り上げている。

 麻薬容疑者に対する有無を言わせない殺害はドゥテルテ政権発足以来、4000人を超えたと言われ、これが民主主義の法治国家かと批判を浴びていても、誇大妄想の大統領は逆切れし、それを支持する国民は事実を知ろうとしないでドゥテルテの超法規殺人を正当化、後押しするような有様で狂気への道を共に歩んでいる。

 10月12日、マニラで演説したドゥテルテは『麻薬取締で毎日2人の警官が死んでいる』とぶち上げたが、実際は警察の統計ではドゥテルテが就任した7月1日から演説のあった日までに殺害された警官は13人、8日に1人であって明らかにドゥテルテは誇張している。

 ドゥテルテが最重点課題として取り組んでいる麻薬対策の根拠は『国内に370万人の薬物中毒者が存在する』と、就任後最初の演説でその危機感を煽ったが、政府機関の大統領府危険薬物委員会(DDB)が行った2015年の調査では違法薬物利用者はドゥテルテが挙げた人数の半分にも満たない180万人であった。

 しかも、ドゥテルテは麻薬使用者全部を『中毒者』と指弾しているが、180万人の内3分の1に当る60万人は過去13ヶ月間に1度しか薬物を使っていないのが実態である。通常、『麻薬使用者』というのは過去1ヶ月以内の使用者を言うのが統計上の基本で、ドゥテルテの挙げる数字は全てを一緒くたにした都合の良い数字を述べているに過ぎない。

 また、習慣性の強い覚醒剤(シャブ)を使用したのは半分以下の86万人であって、その他大半はマリファナ(大麻)使用者であった。ドゥテルテの進める政策は依存性が高く、副作用の強いシャブ使用の重度の麻薬常用者と一部の国で解禁されタバコより害のないマリファナ使用者との区別もつかない非科学的、扇情的なやり方と指摘する専門家の見解は正鵠を得ている。

 ドゥテルテが9月にラオスで行われたASEAN首脳会議席上で配った資料の中に書かれた『重大犯罪の75%は麻薬絡み』も、これを裏付けるデータは重大犯罪を扱うフィリピン国家警察捜査局(DIDM)の担当部署にロイターが確認を求めた所、そういった数値の算出方法など説明できず、そもそもDIDMはそういったデータや分析を発表したことはないと驚くべき説明がなされている。

 また、75%の数値に付いてDIDMの凶悪犯罪を担当する係官からは『麻薬が絡んだ凶悪犯罪は15%』との発言が成され、DDBの責任者は『麻薬の影響下で行われた犯罪についてフィリピンは何のデータも持っていない』と、ドゥテルテの誇張、捏造が明らかになった。

 こういった数字上の指摘に対して政府当局者は、麻薬がなくなれば良い事で意に介さないと情緒的に説明し、ドゥテルテの過大、過剰な政策を正当化し、このドゥテルテの恣意的な数字のため、政府当局や警察などは数字に合わせるように取り締まりを行っていることが濃厚となっている。

 例えば薬物使用者の『自首』について、過去3ヶ月間で70万人以上の自首があったが、DDBの報告書にある180万人の軽微な利用者を含む違法薬物使用者に合わせて180万人の自首者リストを作成するよう対策を進める当局から過大に求められているという。

 この自首者についても深刻度は不明で、医学的な診察を受けたのかもどうか分からないと医療関係者は述べ、数字だけが誇大化され、問題のシャブ使用者でも実際に医療施設で治療が必要なのは10%から15%に過ぎないという医学的統計もある。

 そのためDDB は世界基準でフィリピンを試算すると麻薬使用者の0.6%程度が常用者で、治療が必要と見ている。これは1%程度と数字を上げても、フィリピン国内の麻薬使用者180万人に適用すると、最大で、1万8千人程度が治療を必要とする中毒者であり、ドゥテルテの進める政策はかなり誇大、虚偽の数字で進められていると分かる。

 10月5日、フィリピン上院公聴会で提示された国家警察統計では今年1月から8月にかけて重大犯罪件数は前年同期に比べて31%減少したと、警察幹部はドゥテルテの政策は正しいと証言をしたが、前任のアキノ政権時代の2015年の同時期は22%減少、2014年には26%減少、容疑者を殺害する強硬手段を用いなくても犯罪は減っている事実も判明している。

 しかも公聴会で警察が示した31%の減少はアキノ前政権が5月末まで続き、それを引き継いだドゥテルテ政権はアキノ政権時代の実績を都合良く、我が手柄のように扱っていると批判されている。

 ドゥテルテはダヴァオ市長を22年に渡って君臨し、ダヴァオ市を犯罪のない市にしたという看板で大統領選を勝ち抜いたが、国家警察の犯罪統計によると、実情はドゥテルテが市長在任中の2010年から2015年の間フィリピンの15大都市の中で、殺人件数1位(これには暗殺団による件数も含まれているだろうが)、強姦件数2位に入っていて、凶悪犯罪が一層されていない事が暴露されている。

 ドゥテルテは市長時代に暗殺団を組織し、犯罪者を抹殺して市内の治安を正常化したと豪語し、その方法を国政レベルに延長させたが、必ずしも強硬措置が犯罪を減らす効果にはならないことを知るべきと批判されているが、聞く耳を持たず、今や精神分析の立場から検討する必要があるとまで言われている。

 私などは老人性(現在ドゥテルテは71歳、平均寿命の短いフィリピンでは既に後期老人に入る)の誇大妄想ではないかと疑い、その眼で観察するとドゥテルテの言動は腑に落ちる。

 こういう人物を一国の指導者として頂くフィリピン国民も災難と言えば災難だが、自ら投じた一票の重さと失敗を今後知る事になるであろう。なお、ドゥテルテは大統領選では圧勝したと報じるマスコミは多いが、得票率では過去の大統領選と比べるとむしろ少ない得票率となっている。

 ドゥテルテの得票率は34%台で、前任のアキノは42%台、悪評のアロヨにしてもドゥテルテよりはるかに良い40%近くを得、途中で止めた無能なエストラダにしてもやはり40%近くの得票率があって、ドゥテルテの得票率は戦後の大統領選勝者でもかなり低い数字で、ドゥテルテは次点に大差を付けたが得票率ではようやく当選が正解である。

 ちなみに歴代大統領当選者の最高得票率は1981年のマルコスが88%台という数字を出しているが、これは戒厳令を解いてすぐの選挙で、形だけの異常な状態で行われているから、数字として比較するには無理がある。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2016, 17:47
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インドネシア紀行2016 その(26) ボロブドール寺院遺跡にて−1

 ボロブドール寺院遺跡は日本でいうと長岡京から平安京へ遷都した年前後(794年)に完成を見たらしいが、同じ寺院でもこちらは石造、日本は木造とかなり違う。

【写真−1 ムスリムは他の宗教に寛容、無頓着か

 写真−1は正面から登る入り口付近の様子で、混雑を避けて左側にある別の入り口から登壇することにした。登壇と表現するようにこの遺跡は四角い底辺115mの9層からなるピラミッド状に築かれている。

 そのため順々に全部の回廊を回りながら上がって行くとかなりの距離になるので、普通は一番上の中心にある仏塔を目指して昇る訪問者がほとんど。

 本来は回廊の壁に彫られた彫刻を一つ一つたどりながら歩くと興味は深まるが、そういう訪問者は少ないし、私らにしてもジョクジャカルタへ帰る車の発車時間を決めてあるので彫刻を丹念に見る時間はない。

【写真−2 積まれた石は火山が生み出す安山岩など】

 それでも日影を求めながら気儘に回廊を歩み、撮った写真が写真−2。人で混雑するこの遺跡も後ろや横に行くと人の姿もなく、ゆっくりと彫刻を鑑賞出来た。

 この彫刻は仏教説話をテーマにしていて、全部で1500面近くあるというから半端ではない。その他にも1200面以上の鳥や獣、植物などの装飾彫刻が施されているから、この手の世界が好きな人にはたまらない場所になるであろう。

 石積みを注意深く見ると、石の間に平行に金属の板が挟まれているのが分かり、これは雨水による内部への浸透、浸食を防ぐための排水装置で1973年から10年かけて、一度石組みを解体して工事を行っている。

 私が前回行った時は1990年代だから既に完成しているわけだが、その時の工事で1900年代初頭に行われた復元工事では、石積みが上下逆さまになっていたりしてかなりいい加減な修復だったらしい。近代の修復はコンピューターで管理しているからそういった間違いはないとされている。

【写真−3 多分、学校の制服なのであろう】

 写真−3は回廊の一画で見かけたインドネシアの学生と思しき2人組の写真を撮っている光景。午後遅い光の中で玄妙な感じを受けた。

 その昔はこうやって信者が回廊を歩いて居たのだろうと思わせる光景で、カメラがなければ当時を髣髴させてくれると思ったが、このへシャブを被った姿は紛れもなくムスリム教徒だから、仏教寺院であったここにはやはり異端か。



 

author:cebushima, category:インドネシア紀行2016, 19:18
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