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インドネシア紀行2016 その(6) クアラルンプール散策と夜の露店の食堂街

【写真−1 1998年竣工】


 クアランプールには日本の紀伊国屋書店があり、以前マレイ半島をバンコクまで鉄道で北上した時、旅の最中に読むために文庫本をそこで買っている。今回は日本の文芸雑誌を買おうかと行ったが在庫はなかった。

 写真−1は紀伊国屋や伊勢丹が入るショッピング・モールと同じ敷地にある『ペトロナス・タワー』。ここは41階と42階にある連絡橋に入場できるが、ここも前回行っているので2度も行く気はない。このビルはタワー1とタワー2があるツイン・タワーとしては世界で一番高く452mの88階建て。

 建設では日本のハザマが1を韓国のサムソンが2を別々に施行しているが、サムソンの建設技術は非常に劣り、日本より早く作ったものの建物が傾いているなど欠陥が露呈。結局、日本側の指導で解決したという話が残っている。

 30年以上前に韓国を旅行してソウルの高層ビルの偉容に凄いなと思った事があったが、後で日本の建築屋に話したらソウルの高層ビルは日本の大成建設が指導していて、韓国では当時そういった技術はまだ無かった事を知る。

 だからと言って日本が彼の国より優れているなど毛頭思わないが、そういえば最近、中国で相当長い橋を架けるプロジェクトにやはり構造計算などは日本の専門企業でないと出来なく、中国が誇示する多くの長大橋など日本の技術が根本の部分で支えているとあった。

 そういった自慢出来ることを韓国や中国のように都合の良い所だけを抜き出して、声を大にして言わない所が日本らしいところで、それはそれで良い。

 さて、紀伊国屋だがかなり広いスペースで在庫する本も相当あり、日本人向けの書店というより、マレイシアの人用の書店で、店内は日本の本を置いたスペースよりも何倍も混み合っていた。

【写真−2 隣の席はフィリピン人のグループが食べていた】

 そうやって町を歩いてホテルへ戻り、夕食時間まで時間を過ごしお目当ての『アロー通り』へ繰り出す。ここへ行けるために歩いて行ける近さにホテルを取っているが、写真−2がそのアロー通りの食堂街。

 ここも2度目で前回気に入っているが、通りは歩道工事をやっていて、そこに当る店は休業中の状態だが、道にせり出した状態は以前通り。写真を見ても分かるようにここはクアランプールでも有名な場所になり、各国からの観光客が押し寄せる。

 このように乾季の時期なら問題ないだろうが、雨季のように突然降り出したら店も客もどうするのだろうと考えなくもないが、その時はその時で何とかするのであろう。

【写真−3 中華料理のお惣菜は絶品】


 写真−3が今回食べ終えた後の様子で、海藻入りの酸味の効いたスープ、中型海老のガーリック炒め、豆苗炒め、シー・フードの焼き飯の4品。これと地元のビール小瓶1本で2000円くらいを支払った。

 観光地値段と言う気もし少々高いが雑然たる中で食べるのもまた良く、味付けに外れがないのでまた来たくなる。

 


 

author:cebushima, category:インドネシア紀行2016, 20:24
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パナイ島ぶらり旅 2015年 その(28) 世界遺産 ミアガオの教会を訪れるが滞在は30分足らず

 イロイロ市内から約40キロ、西海岸沿いにミアガオという町がある。ここにはフィリピンの世界遺産になる1993年登録の『教会群』の中の一つがあり、時間はないが再びパナイ島へ行けるかどうか分からないのでやはり行こうとなり、モロ教会前の前にある公園からタクシーに乗る。

【写真−1】

 このような観光客は結構多いのか、値段交渉で手間取ることなくタクシーはスンナリと出発。道中はこれといって風景に特徴のある感じはなく、イロイロ市から離れた場所にどうして作られたか良く分からない。

 写真−1がそのミアガオ教会の正面左からの姿で、使われたこちらの石灰岩は茶褐色だったのか古色蒼然とした堂々とした建物であった。

 この教会、ミアガオの町の名前を付けてミアガオ教会と呼んでいるが正式には『サント・トマス・デ・ヴィリャヌエヴァ教会』という名前で、創建に関わった人物の名前でも冠したのであろうか。

 スペイン植民地時代の1778年から10年ほどをかけて造られ、沿岸を荒し回ったイスラムの海賊に対抗するために砦にもなるように造られている。

 正面両脇にそびえる塔の屋根の形状は右側だか左側を設計、施工した人物が建造中に亡くなったため、後を継いだ人物が別のデザインにしたため、塔屋の形状は違っているが、それが不自然ではなかった。

【写真−2】

 写真―2は教会内部で、モロ教会と同じように結婚式をやっていた。どうも日本流に言えばお日柄がよろしい日となるが、年の瀬と言っても良い日で、カトリックは暮れも正月も関係ないのだなと改めて思った。

 内部は写真でも分かるように外観の堂々とした様子からは、それ程広い感じはしないが、観光化されつつ教会にしては一定程度の秩序が保たれていた。

【写真−3】

 写真−3はミアガオ教会の壁の様子で、厚さは1メートル近くある。これは外部の暑熱を遮るには効果的だが、石灰岩を積み上げて強度を出すにはこの位の厚さを持たないと維持できないとも言える。

 先年あったセブ−ボホール地震の時、ボホール島の由緒ある教会が崩れる被害を受けたが、いざ地震となるといくら厚い壁でも持たなく、この間の熊本の地震でも熊本城の堅固に見えた石垣も被害を受けている。

 こうして250年ほど無事に建っているこの地方には地震がない証拠のようで、そういえばイロイロ地方の地震情報というのは聞いたことがない。

 この教会は良く手入れされていて、窓の色ガラスや鉄格子などじっくり見たら面白い発見はたくさんあると思うが、タクシーを30分ほど待たせての見学で、とんぼ返りのようにイロイロ市内へ戻る。

 



 

author:cebushima, category:パナイ島ぶらり旅 2015, 19:29
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へそ曲がりセブ島暮らし2016年 その(23) 在外選挙人証を受け取る

 在外選挙人証というのは海外在住者でも国政選挙へ投票できる人が所持する物で、これは在留地の在外公館、即ちセブに置いては『在フィリピン日本大使館セブ出張駐在官事務所』へ申請して得る。



写真はその選挙人証で、大きさは免許証の3
倍くらいの大きさの用紙で、写真は表側下部を写している。表側には交付番号があり、番号を読み取ると発行した選挙管理員会では8
番目で、その日が登録月日になっているのかどうかは分からない。

氏名、生年月日、登録日と続き、衆議院小選挙区が記されていて、小選挙区制になる前の古い選挙区は良く記憶しているが、今の小選挙区で誰が議員になっているのか全く分からないし、どうせ名前も知らない小者であろう。

裏側は3つに分かれて選挙の種類、投票用紙を発行した年月日、投票用紙を交付した在外公館等とあり、それぞれ記入するようになっているが、これでは個人の投票記録があからさまになっていておかしいと思うが、スタンプ・ラリーの気持ちで記載を重ねて行けばまた面白い記念品になるかも知れない。

発行しているのは最後に住民登録をした自治体の選挙管理委員会で、3月2日付けで発行されている。この選挙人証を得る資格は選挙権を持つ18歳以上で、在留届を日本の在外公館に届けていることが必須になる。

セブの事務所に申請したのは年が明けてからの1月14日で、4月のいつだったか忘れたが事務所より選挙人証が届いたとの連絡があった。差し迫った必要はないのでそのまま放っておいたが、7月に参議院選挙が行われるのでこの6月半ば過ぎに事務所へ出向いて受け取る。

手続き的には何ら難しいものではないが、申請と受領に普段全く縁の無い在外公館まで足を運ばなくてはならないのが一番面倒であった。この面倒さが海外に100数十万人在留する日本人が選挙人登録をしない一番の理由になるのではないか。

この在外選挙証を持つ邦人はどのくらい居るのかと総務省の資料に当ったら、2年前の9月現在で10万人を超えた程度であった。それから推移して現在は11万から12万人程度と思うが、あまり関心はないのがこの数字から伺われる。

この在外選挙人制度というのはかつてはなくて、2005年に海外在住者が起こした訴訟によって最高裁が違憲判決を出したために選挙法が改定されて生まれたもので、裁判がなければ当局は相変わらず海外在留者には選挙権を持たせなかったのではないか。

この裁判は一審、二審ともに原告側の敗訴になっていて、あの保守的な最高裁が逆転判決で違憲と申し渡したのは異例とも言えるが、世界の在外選挙制度というのは今や珍しくなく時代の趨勢であったのであろうし、このフィリピンも早々と採用している。

私の場合、この制度は知っていたが、海外に住んでまで選挙をするのはどうかと思っていて、登録申請はしていなかった。そういった立場の私でも、以前、セブとラオス・ヴィエンチャンで選挙の立会人を務めていて、これは前にも書いているが、投票に来る人より、準備や立会いをする人の方が多くて『民主主義』というのは手間と金がかかるものと感じた。

さて今回選挙人証を得た動機だが、それは今の安倍自民党の危険性を感じ、しがない海外の一票であっても安倍自民党の野望を阻止したい他にならない。安倍は戦後の六三制教育を受けた人間とは思えない戦前回帰絶対人間で、こんな人物に日本が引き摺られてたまるかというのが率直なところで、今度の参議院選は戦前に回帰するかどうかの『関ヶ原の戦い』と私は見ている。

最近の世論調査では相変わらず自民党が強く、これではいけないと思うが、戦後のあらゆる利権と密接に絡み付いている自民党を下野させるのは容易でないことが分かる。

今度の参議院選挙から選挙権年齢が18歳に引き下げられて、この若い層がどのような投票判断をするか注目されているが、SNSやスマホに脳を犯されているのが多いこの世代が的確な判断を下せるとは思えないが、韓国でこの間あった総選挙で与党が惨敗したように、若者の反乱で思いもかけぬ選挙結果が出るかも知れず、興味は募る。

選挙といえば東京都都知事が辞職して、こちらも選挙が行われる。こういった地方自治体の選挙には在外選挙人には投票権はないが、舛添というどう見てもゲゲゲの鬼太郎の『ネズミ男』の顔付き、性格もそっくりの人物に、その前の石原、猪瀬と中途半端に続いた知事を担いだ自民党や公明党に大きな責任はあるし、それらを選んだ都民は反省する必要がある。

それにしても舛添というのは学問は出来たのかも知れないが、それも虚名で端にマスコミ受けしただけに過ぎないのではないか。今回の辞任劇で一番自分が分かっていないのは舛添本人で、本人は一つも悪い事をしたとの自覚はなく、立派に説明できると思っていたのだろうが、秀才を自認する人物に良く見られる身の処し方で、それが反感を買ったのであろうか。

最後に参議院選の公示は6月22日になっていて、在外投票はその翌日23日から出来るが。またセブの在外公館まで車で行かなければならないのかと思うと、少々気ではなく足が重い。


author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2016, 18:53
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