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インドネシア紀行2016 その(3) クアラルンプールのモノレール
 クアラルンプールには2泊するので、街見物となるが、市内のいわゆる観光名所は見ていて、今回は博物館へ行くことにした。

【写真−1 気軽に乗れて外国人には分かり易い】

 クアラルンプールは人口800万人を擁する大都市で、それなりに交通インフラも整っている。写真1は市内に縦横に敷かれた軽量鉄道の一つの『モノレール』で反対側を走る車両と交差する直前。

 この線は空港に直結する『セントラル駅』から伸びているが、このセントラル駅とクアラルンプール国際空港は建築家の黒川紀章が設計していて、ダイナミックな構造は面白い。

 このモノレール、写真を撮った位置は後部車両からで、車掌が居ないワンマン仕様。今のようにコンピューターで運行管理のできる時代には車掌は要らないのかも知れない。

 しかし、この間、マニラで軽量鉄道に乗った時、右のくるぶしをドアに挟まれて次の駅までそのまま行った事があった。挟む力がかなり強く抜くことは出来ず、外から見たら靴だけが見えただろうから滑稽といえば滑稽だが危険極まりなかった。マニラも車掌が居ない運行のようでいざという時は心もとない。


【写真−2 香港もバンコクもこの手の物を使っていた記憶を持つ】

 そのモノレールに乗る時、購入するのが写真2のプラスティック製の賭け事に使われるようなチップ。大きさは10円玉程度だが、あまりに軽くてオモチャのよう。中にICチップが仕込まれているのだろうが、これを自動販売機で購入し、改札口で所定の場所に押し付けると入場できる。

 この使い勝ってだが、マニラの軽量鉄道を利用した時同じような物を使っていたなと記憶するが、マニラの方は自動販売機の表示法がクアランプールより悪く、利用客は自動販売機の前で戸惑い時間がかかっていた。


【写真−3 車内は広く感じる】

 写真3は乗車した車内。時間的に通勤時間を過ぎていたのでご覧のようにガラガラ。写真で分かるように横向きの座席が真ん中にあって、このようなスタイルは初めて見たような気がする。

 普通は窓側に座席を設置するが、この設置法はどういう利点があるのかと思うが、モノレールの機動部分が中央部、この横向きの座席の下にあるためではないかと気が付き、この座席はメインテナンスをやり易くするためのカバーではないかと思うが確かめたわけではない。

 こういった都市交通はどこの都市でも頭を悩ましているが、セブでも既に車による渋滞は爆発状態でマニラ同様に公共交通整備が叫ばれているが、掛け声だけで一向に進まない。

 セブのような道幅が狭い道路しかない都市ではこのモノレールなら中央に橋脚を建てれば敷設可能で、取り入れたいところだが、バス・システムを導入するプランが検討されている。このバスも専用道路を作って走らせれば悪くないが、今進んでいるのは既存の道路上を走らせるらしく、これでは渋滞に拍車をかけるだけで、愚の骨頂プランである。

 モノレールとか軽量鉄道方式は建設費が莫大で、バス方式なら安いと判断する目先しか考えないのがフィリピン式だが、セブの有力政治屋どもがバス式と軽量鉄道式に分かれているのもあって、計画は進まずセブの交通環境は増々地獄へ落ちている。

 この意見が分かれているのも推進する連中に莫大な利権、早くいえば賄賂がどれだけ入るかどうかで分かれているに過ぎず、マニラでもなかなか増設計画が机上で進まないのも、この利権の行方だからフィリピンの汚職撲滅は掛け声だけで、贈収賄を繰り返す連中には暖簾に腕押し、馬の耳に念仏状態。



 
author:cebushima, category:インドネシア紀行2016, 20:17
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ルソン島紀行 イロコス篇 その(12) 北イロコス州の州都ラオアグ点描
 ラウアグ市へは2度目の訪問だが、1度目はマニラからルソン島北部を反時計回りで回り、その行程は全部バス利用であった。今回の帰りは飛行機でラウアグ空港からマニラ経由でセブに戻る計画で、全行程をバスで回るには時間もないし、体力的にもきつくなった。


【写真−1 看板の一文字は人間よりはるかに大きい撮影スポット】
 
 ラオアグは再三書いているがかつての独裁者マルコス一族の牙城で、今年行われた選挙で知事はマルコスの娘、下院議員はその妻イメルダが当選。

 と書いても無投票当選で、選挙戦の最中、地元はさぞ選挙ポスターなど溢れているだろうと思ったら、ほとんど見かけない。これは地元で選挙運動などしなくても自動的に票は入るので、他で運動をやった方が良いためであろう。

 実際、副大統領選に出て次点となった息子はこの州で30
万票近くを得て、対抗馬であり当選したロブレドは4千票に満たない偏りであった。

 写真1は行き交う車やオートバイが激しく行き交う幹線道路沿いで、先述したベル・タワーと公園内の『LAOAG』の看板を望み、撮影した位置は後ろ側に市庁舎、左手側には州庁舎がある。
 

【写真−2 平均年齢は日本の半分の23歳代という若いフィリピン】
 
 その公園の一角で若者たちがダンスの練習をしていた。どこの地方へ行ってもこのようにダンスをする人は多く、しかもリズム感は抜群で巧い。

 眺めているとこういったものはフィリピン人の天性だなと感じ、日本の芸能人と称する連中の下手さ加減に呆れる。

 

【写真−3 どこでも見かける風景でスーパーは要らない】

 人口11万人程度の町だから、繁華街と言ってもそれほど範囲は広くなく、州庁舎前の通りを歩くと大小の店が無秩序に連なる。それなりに大きな店もあったが、ショッピング・モールというには少々可愛い。

 ちょうど夕方の買い物時にぶつかり公設市場の周りに野菜を中心にした露店の店が店開き。北イロコスは寒い地方なので何か変わった野菜でもあるかと地べたに置かれたザルの間を縫いながら探すが、特にこの地方独特の野菜というのは見つけられなかった。

 



 
author:cebushima, category:ルソン島紀行 イロコス篇, 18:33
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パナイ島ぶらり旅 2015年 その(25) 昔のイロイロ空港を想い出す 開発地域
 小さな島からパナイ島で一番大きいイロイロ市に戻ると、さすがに都会という感じがする。あれはもう10数年以上前になるが、セブ島の隣、ネグロス島から海伝いにパナイ島へ旅行をした事があった。
 
【写真−1 SMはこの手のショッピング・モールを国内に60以上作っている】
 
 イロイロ空港からセブへ飛行機で戻ったが、その時利用した空港は今回利用した空港とは違って、イロイロ市内中心近くにあった。それが新空港を造って、旧空港跡地は再開発されると聞いていた。今回イロイロ市にあるシューマート(SM)のショッピング・モールへ行く用が出来、行って見た所ここは元の飛行場跡と分かった。

 旧飛行場は市内中心まで車で10分もかからない至近の位置にあって便利であったが、新空港は車で1時間もかかるような不便極まりない郊外に造られた。その跡地を狙って進出したのが国内最大の小売業のSMで写真1がその正面になる。SMはこういった公用地を買い上げてモールを作る方法が上手く、逆に言えば政府財産がSMと直結している事になる。

 セブでも日本のODAで埋め立てた場所に大きなモールを造っているが、税金がフィリピンの大企業を利しているなど日本の人間は知るまいし話題にもならず、今、東京の知事がせこい金額で叩かれている事を思うと、日本のジャーナリストはこんな大きな問題を追及せず、馬鹿としか言いようがない。


【写真−2 この辺りは旧空港敷地であった】

 写真2はそのSM前に建つ20階ほどのコンドミニアム。恐らくパナイ島では一番高い建物になるのではないか。この辺り旧飛行場とあって、だいぶ開発は進んでいるが、土地はいくらでもありそうなイロイロ市内で環境が良さそうとは思えない場所である。

 こんなコンドミニアムを買う人がいるのだろうかと思うが、世の中、住まずに投資目的で持つ人間も多いから、こんな場所のコンドミニアムを計画、販売をするのであろう。こういった建物を見ると、フィリピンの不動産バブルは地方にも拡散していることが良く分かる。


【写真−3 この店はドーナツで有名になった新興のチェーン店】

 写真3はSMに対抗する小売業の雄、ロビンソンにあったコーヒー屋で写しているが、島では3イン1と言ってインスタント・コーヒー+粉クリーム+砂糖が小袋に入っている物を飲んでいて、この3イン1、疲れた身体には良いだろうが、普通に飲むにはかなり甘くて閉口していた。

 こうしてパナイ島一の大都会(人口50万人)であるイロイロ市に来て、普通のコーヒーをようやく飲めてホッとしたが、あまり美味いコーヒーではなく、すぐそばにスターバックスもあったが、看板を眺めただけで入る気にはならなかった。




 
author:cebushima, category:パナイ島ぶらり旅 2015, 20:42
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