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へそ曲がりセブ島暮らし2015年 その(21) 葬式・葬送のスタイル
 色々な国で生活をしていると現地の冠婚葬祭に遭遇する機会は多い。ここでは葬式について触れたい。



 写真はセブ市郊外の町へ行った時の光景で、反対方向の車線から葬式の列がやってきて、付近は渋滞になっている。フィリピンではどういうわけか亡くなった日と関係なく日曜日に葬儀が行われていて、この日も日曜日だった。

 多分、教会でミサを行うのに日曜日は都合が良い。あるいは日本のように
3日以内には葬儀を済ませてしまわないのは、遠方に住む親類、縁者の便を図るためとも言われていて、中でも身内の1人や2人は海外で働いていたり、アメリカなど各国に移民してしまうのが珍しくないためともいう。

 フィリピンではそのくらいの時間は必要だし、実際、アメリカやヨーロッパから息子や娘が帰って来るまで葬式を伸ばしている例も結構聞く。

 先年他界した私の母の時は、セブからすぐ日本へ帰ったのにも関わらず、身内だけで執り行った葬儀にはギリギリで、日本というのは万事能率よく動いているなと実感した。

 身内が駆けつけるまでの時間の長いフィリピンでは、
1週間も10日も遺体を安置することがあって、その場合は遺体保存処置を行うから問題はないようで、その技術はかなり発達している。一度、日本人がセブで亡くなった時、そういう遺体処理の場に立ち会ったことがあって、あまり気味の良い物ではない。

 写真に戻るが、屋根に花を乗せた車は霊柩車で、その前に小銃を肩に担いだ隊列は、故人がかつて政府関係の仕事をしていた、あるいは軍や警察に勤めていた人で、埋葬場で弔銃を撃つ。

 弔銃とか弔砲などの決まりは国や時代、あるいは位階によって色々あるらしいが、忌ごとは偶数で反対の礼ごとは奇数というのが共通になっている。

 私も一度セブ島北の葬儀場所で突然、銃声が轟いてビックリした記憶を持つが、その方は町会議員経験者だったためらしいが、何発撃っていたのか記憶はなく、数発だったような気がする。

 それにしてもどういう意味を持つのか知らないが、これから自衛隊が海外に出て戦闘をし、戦死者を出すとこういうことを大っぴらにやるようになるだろうが、どうでも良い代物で禍々しい。

 霊柩車の後には近所の人間などが列を作って、日本風に言えば埋葬地までの『野辺送り』になるが、この暑いフィリピンで直射日光の下に長い時間を歩くのは大変で、最近は自動車の普及と共に車が隊列になって後ろに走るのが普通になった。

 この車列も高級車が多いのは亡くなった人の富裕さを示すようで、これは死者の最後の誇示=見栄と言えるのかもしれない。

 この葬送で印象的だったのは、中米ホンジュラスで見た葬列で、古風な軍装のような衣装を着けた軍楽隊が静々と先導し、後ろには牛に引かせた棺が乗っていて、何だかヨーロッパの映画でも見るようなシーンで写真を撮るのも憚れた。

 そのホンジュラスで懇意にしていた家族の祖父が亡くなって葬儀に出たことがあって、カトリックのフィリピンと変わらない葬儀風景で、棺を墓地へ運ぶのに行き帰りを別にコースを取っていて日本と同じでビックリした。

 その埋葬方法だが、カトリックは墓についてはこだわりが少なく、棺を埋めて型枠を組んだその上にコンクリートを流して終わりだった。

 この埋め方も、アフリカとなるともっと簡単で、葬儀の場までは参列できたが、埋葬に加わる事は止められた。後日、墓地と称する地域に行ったが、原野の中に丸く土が盛ってあって、木で出来た簡単な墓標が差してあった。

 周りもそのような墓が連なっていたからそこが墓地と分かるが何とも素朴で『人間は土に還る』という思想が良く分かった。

 当時も今もアフリカはエイズなどの病気で命を落とす人が多く、棺を見ると長さの割に幅の狭い棺なので、これで収まるかと思ったが、亡くなると肩の張りがなくなって収まっていた。

 棺と言えばやはりアフリカで子ども達は病気で命を落とすことが多く、その棺の小ささには涙を禁じ得なかった。


 
author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2015, 18:01
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この一枚2015年 セブ篇 その(9) 変わった売り場
 フィリピン人はギャンブル好きな国民と言われ、特に男は女よりはるかにギャンブル好きが多い。これはどの国民も同じで男の方が圧倒的にギャンブルにのめり込んでいる。



 しかし、性別や年齢に関係なくギャンブルが出来るとすれば『宝くじ』が筆頭に挙げられるだろう。フィリピンの場合、宝くじは『
Lotto=ロト』と呼んでいて、私は買ったことはないが周りでは結構買っている人が多い。

 このロト売り場は勿論許可制になっているが、かなりの数があってチョッとした通りには四つ角ごとにあったり、こんな辺鄙な場所でと思うような所にロト売り場があったりする。

 写真はセブ市内で見かけたもので、看板を見て分かるように『
DRIVE THRU』とあり、この日は雨模様で客の姿は見えなかったが、車で乗り付けて買うロト売り場になっている。

 ドライブ・スルーなどというものはマクドナルドとかいった、ファーストフードの店が展開するものと思っていたが、宝くじを売るのに設けられているとは驚き、やがてここまでするのかと呆れた。

 フィリピンのロトは数字の組み合わせで賞金が違い、最高額の賞金を得るロトは
1から60くらいの数字の中で6つを当てれば当選となっている。

 賞金の安いのは
2つの数字で当選というものもあるが、人間心理として高額賞金狙いにはまり込むのは自然で、こちらの方が圧倒的に人気は高い。

 数字の確率は良く分からないが天文学的な組み合わせとなり、なかなか当選が出ないようになっている。

 このロトが日本の宝くじと違うのは当選者が出ないと、賞金は次回に積み増しされて賞金額はドンドン増えていく。時々、アメリカなどで何千万ドルのロト当選者が出たというニュースがあるが、それと同じ形式になる。

 フィリピンはこの間だったか、
1千万ペソ(日本円で2800万円くらい)の当選者が出てニュースになったが、フィリピンと日本の物価の価値を考えると2億円の宝くじを当てたようなもので、当選者は家を買って、子どもの教育費にすると言っていて、これは国を問わず当選者の正直な弁になるだろう。

 日本でもジャンボ宝くじが売り出されて、
1等前後併せて5億円が当るとニュースになり、売り出し当日には売り場の前に長蛇の列が出来た。3枚買って900円、それで5億円が当れば世の中いう事はないが、当らないのもこの手のくじで、せいぜい当たって最下等の300円というのが実態になる。

 実は私も日本へ行った時に、フッと宝売り場で買ったことはあるが、やはり
300円が最高だった。その当たりくじをワザワザ日本へ持って行って300円を得ようと思わないから、失効しているが、こうやって当たりくじを失効させてしまう人も結構あるのではないかと思う。

 日本の宝くじは計算や自分の意志など全く関与できないから、金を儲けようとしているいわゆる投資家と称する人間は見向きもしないという。

 この間、なぜ買わないかという理由を挙げたニュースを読んだが、投資家と称する連中だって、ほとんどは世の政治、経済のカスリの中で蠢いているだけで、理論がどうのこうのというのは後付けで、もっともらしいインチキ話に近かった。

 まだ、ルーレットの出目やブラック・ジャックに使われる
200枚余のカードの出方を全部覚えてしまう映画にもなったギャンブラーの方が現実的に思える。

 そういう意味では宝くじは宣伝文句の『夢』を買うのは確かで、不確かながらどこか単純でアッサリしている。その夢を買うのは良いが、筆者の周りでは日本でもフィリピンでもなかなか上位賞金を当てたという話は現れない。


 
author:cebushima, category:この一枚 2015 セブ篇, 18:22
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へそ曲がりセブ島暮らし2015年 その(20) ラオスから届いた郵便物
 ラオス・ヴィエンチャンから6月に送った郵便物が届いた。と言っても届いたのは先月上旬で、ヴィエンチャンの郵便局で発送してから2ヶ月少々、フィリピン・セブの自宅まで来た。



 ヴィエンチャンの郵便局に写真の荷物を持ち込んだ時、向こうは外国人なので当然、『空路』扱いだろうと重さを計って料金を調べていた。ところが、こちらは中身には全く急がない物を送りたく『海路』扱いを頼むと、『海路では重過ぎて送れない』と言う。

 そんな馬鹿なことがあるのかと、局の人間にそういった料金表が
1Kg単位で載っている資料があって、それを見させてもらったところ、30Kgまで発送は可能と送り先の国、重さと料金表が空、海別に英文で細かく記載されていた。

 万事もったいぶったラオスの役所にしては分かり易く、誰が見ても重ささえ計ればたちどころに料金は分かり、別に門外不出、機密資料の類ではなく、普通なら局の壁面に料金一覧表が貼ってあって良い物である。

 昼前後に役所へ行くと係員がどこかへ消えてしまうのが当たり前で、利用者が少なく国営ゆえのサービスの悪さからこういう形になっているのだろうが、もう少し利用者の便を計ってくれよと言うのは『暖簾に腕押し』でどうにもならない。

 持ち込んだ箱は写真を見ても分かるように『
POST LAO』と下部に印刷されていて前日、局まで足を運んで購入した物で、普通だったら近所の店へ行って外に積んで捨ててある段ボールをもらえば済む話だが、ヴィエンチャンというのはどういうわけか空き段ボールの姿をあまり見なくて、あっても小さなサイズばかりで役に立たない。

 それで、何を仰々しく送ったのかというと、中身は全部『本』で、重量にして
23Kgあった。これも箱に詰めて郵便局へ運んで計ってもらったら最初は30Kgを遥かに超えていた。

 多分そうだろうと思って、
30Kgを下回るように係員の目前で持参のザックに移し替えて重量を減らしたが、10Kg位減らせばかなり安くなるのが判って、飛行機に乗る時に何とか手持ちで運べる重さまで減らして23Kgに落ち着いた。

 当然、当初の目一杯に詰めた箱は
3分の1くらい嵩は減り、その分は係員が上手に四隅を切って折り込んでくれ、支払った料金は3万円近かった。

 これだけの金額をかける本ならばそれなりに価値はあっても良さそうだが、送った本は日本で買った
108円の中古文庫本や、ヴィエンチャンの日本人会バザーで放出した中古の本ばかりで、冊数にして50冊もなかった。

 これで分かるように、
1冊あたり600円近く本の値段よりも高くもかけて、しかも読んだ本が大部分だった。どう見ても現地で処分した方が賢いし、無駄な気もするが、それが本好きの一心理が昂じてというか、ともかくヴィエンチャンにあった本は1冊も残さずセブへ運んだ。

 こういった言うなれば金にこだわらずに本を運んだのは、その昔、中国で仕事をした時と関係がある。中国では仕事を終えて本を読むくらいしか楽しみはなく、国境を日帰りで香港に出て、今もあるのかどうか分からないが日系デパートに新刊を売る日本の本屋があったし、近くには日本の古本を売る店もあった。

 日本の新刊本は日本の定価の
4割くらい高く、見出しを見るだけで済ますことは多く、古本の方はずいぶん買って読んだ。これが仕事を終えてセブへ帰る時、全部の本を置いてきた。

 ただし、あまりにも残念なので、表紙を剥がして持ってきた。今もその表紙は束になってあるが、いかにも歴史を喪失したようで、その後の海外暮らしでは何が何でも帰国の時、読んだ本はセブに持ち帰るようにしている。

 さて、ヴィエンチャンの郵便局の係員は、海路では
3ヶ月以上はかかるから空路にしろと勧めたが、こちらは何ヶ月かかっても構わず、必ず着けば良いと言うと、係員は変な顔をしていたが、ともかく予定よりも1ヶ月以上早く着いた。

 しかも途中、重いから破損するのではないかと危惧したが、黄色いバンドで補強されていた。この郵便物、ヴィエンチャンから陸路でタイ・バンコクに運ばれ、そこから船便でフィリピン・マニラへ、そしてセブへ到着したと思うが、あの頼りなげなヴィエンチャンの郵便局の雰囲気から見て、上出来だったことは確かである。


 
author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2015, 20:35
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