タイ鉄道 各駅停車の旅 (13) コーン島の鉄道線路跡
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2015.08.30 Sunday
12で書いたコーン島の悪路をしのいで、島の南端に到達すると広場になっていて、広場の下にはメコン川が湾のように広がる。
写真−1
写真1はこの広場に掲げてあった案内板で、この地でメコン川を遡上してきた船を陸揚げして、コーン島を縦断して隣のテッド島まで鉄路で運んだと説明されていた。
フランスの植民地時代にメコン川を河口から遡上、交易などに利用できないかと計画されたが、この島までは溯れてもその先から激流が待っていてとても不可能だった。
そこで考えられたのが溯って来た船を陸路で運び激流を避けようという計画で、1893年にコーン島に最初の線路が敷設され、隣のテッド島まで延伸して完成、第二次世界大戦まで運用されたとある。
写真−2
写真2は河口から溯って来た船がこの水面に到達してからウィンチによって巻き上げた建造物の様子で、船は真ん中に見えるスロープから上がり、その設備はウィンチのローラー以外は撤去されてはいるが、コンクリートで作られた建造物は100年以上になるというのに当時のままで健在だった。
この辺りの水面には淡水に住む『イラワジ・イルカ』が生息していて写真3がその説明板になる。
写真−3
このイルカ、川に住むから珍しい品種のようだが、またの名を『カワゴンドウ』といって、東南アジアを中心に結構広く生息していてフィリピンでも見られ、しかも淡水にしか住めないイルカではなく海岸部にも住むという。
時間があったのでイルカ見物のために船をチャーターするが、船頭が案内する海面をジッと凝視して、水面にチラッと魚体のような物が遠くにさざ波を立てて見えたような見えないような状態で、至近では見られなかった。
イルカと言えば昔、ヨットで長距離航海をした時に、海が時化ると疾走するヨットの周りにイルカが無数に姿を現し、自由自在に飛び跳ねる様子を知っているから、メコンのイルカには少々拍子抜け。なお、ヨットに近づいてくるのはヨットの水線下の形状が鯨に似ているからという話もあるが、良く分からない。
ここで面白かったのは至近の対岸はカンボジア領で、レストランがあってそこで飲み食いする分にはヴィザは必要なく自由だという。
写真−4
さて写真4はここまで溯って来た船をウインチで巻き上げるためのスロープで、これを見ても分かるようにそれほど大きな船ではなく、しかも説明によると船体を前後半分に分けられる構造になっていたようだ。
この後、台車に乗せて全長6.5キロの線路を走って行くが、鉄路の幅を考えるとやはり船体の幅は広く出来なく、輸送能力としてはどうかなという感じがする。
こういったアイディアを考案、実行した人々は、今の評価では『馬鹿馬鹿しい』と言われそうだが、大したものであることは間違いない。
写真−5
写真5がこの鉄道を走った元の蒸気機関車で、この島には石炭はないだろうから、近在の木を伐って燃料にしたのではないかと思う。そういえば文献にはこの島から木材を搬出して時代があったとあるから、その昔は密林のような状態だったのではないか。
なお、これと同じような蒸気機関車がコーン島にはもう一台保存されているが保存の程度は同じだった。
写真−6
写真6はその船を運んだ線路跡で、レールは撤去されているものの線路敷設のなりに道が残っていた。その道を自転車でたどるが、急カーブのないところがかつての線路を髣髴させ、両側の木々の枝が線路跡スレスレに伸びていて、当時も同じ雰囲気だったのではないかと想像された。
この線路は前回紹介したテッド島に架かる橋を渡って島内を進み、テッド島に設置のこちらはガントリー・クレーンのように見えた設備で吊って再びメコン川に降ろされたようで、それらの建造物は今も残っている。
それにしてもこういった施設が出来たのは日本でいえば富国強兵の明治26年。海外ではハワイ王国の滅んだ年になる。既に世界は産業革命が進み工業技術の進歩と機械化というのは徐々に浸透している時代になっている。
ちなみに1893年に生まれた人物では画家の中川一政、毛沢東、死んだ人物ではモーパッサン、チャイコフスキーなどの名があり、そんなに遠い時代でない気もする。
タイ鉄道 各駅停車の旅 (12) メコン川中州のコーン島へ
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2015.08.29 Saturday
メコンの旅は続く。チャンパ―サックの町から下流の『シーパンドン』に向かうが、シーパンとはラオ語で4000、ドンは島の意味になり、川の中に4000の島があるので有名で、いくらメコン川が大河とはいえ本当にそうなのかと疑問はあった。
ツアー・バスに便乗するが目的地はその4000もある島の中で最大の『ドンコーン』で、島はドンだから正確にはコーン島になり、日本語でドンコーン島と書くとコーン島島になってしまう。
写真−1
カンボジア国境方面に向かって1時間少々走ると、割合い大きな船着き場があって、そこから渡し船でコーン島へ渡る。
写真1はメコン川をコーン島に向かって進む渡し船で、前方に樹木の塊が島のように生えている。恐らくこの樹木の塊、一つ一つを島と数えるから4000という数になるのだろうと納得。
それにしてもシーパンドンと名付けた時代はいつなのか分からないが、どうやって数えたのだろうかとつまらぬことを考える。
この年のメコン川は降水量が少なく水位はかなり下がっているらしいが、この辺りでメコン川の幅は10数キロというから日本のチマチマした川とはスケールが違う。
写真−2
写真2はコーン島近くの水路で撮った、反対側から来た舟の乗客スナップ。ラオ人はフィリピン人のようにカメラを構えると反射的に笑顔を向けるようになっていなくて、この少年の笑顔は珍しい方である。
しかもVサインではなくLサインに注目するが、こちらの乗る舟は海外からのバックパッカーが多く、それなりに愛嬌を振り撒いているのだろう。
写真−3
写真3は上陸したコーン島の船着き場の広場にあった島の地図。中央のL型の島がコーン島で、周りにもいくつか島があるのが分かる。
コーン島から向かいの島『ドンテッド』を繋いでいるのは橋で、かつてここには鉄道が通っていた歴史を持ちコーン島に行ったのもこの鉄道跡を見るためであった。
写真−4
写真4は泊まったホテルで、船着き場の真ん前、水路とテッド島をベランダから眺められる絶好の場所にあるため即決。値段はいくらだったか忘れたが安く、連泊。
こういった場所で川を眺めながら時間を忘れて過ごすのも悪くなく、島には欧米人がもっと安いゲストハウスに滞在しているのが多く、特に対岸のテッド島はバックパッカーが溜まって風紀的に良くないとこの島の人間は言っていた。
ここでも自転車を借りて島回りをするが、オートバイやオートバイを改造した3輪車の姿は見ても4輪車はほとんどなく平らな事もあって、人間と自転車には優しい。
写真−5
写真5はこれもメコン川でこの辺りは激流になっていて、ゆったりした大地を流れる大河の趣だったメコン川が様相を変えている。
吊り橋があって、右手側に進むと『コーンパペンの滝』というのがあって、こういった激流が10キロ以上の幅で続きメコン川一の難所になり、河口からメコン川の上流に向かっての開発がこの地域で頓挫している。
この名所に行かなかったのは残念だったが、写真でも分かるように激流脇の水溜りで投網を打って魚を獲る二人の姿が印象的だった。
この島は自転車には優しいとは書いたが、写真6は島の一周道路の途中でご覧のように途絶していた。付近の山が崩れて道が流されているが、反対方向から自転車でやって来る者がいるから通れないことはない。
どうやって通るかと思案しているとノルウェーからのアベックが自転車でやって来て、一緒に自転車を引き釣り上げることにした。
滑りながら首尾良く突破することは出来たが、こういうのは自転車を借りる時に知らせるべきと思っても後の祭りで、この場所に来て引き返す者もいるのだろうと思った。