ヴィエンチャン暮らし2015年 その (23) 日野春駅
-
2015.06.12 Friday
4月に家人と日本の鉄道を利用し『五大桜』巡りをし、その様子を小欄に書いたが、特に印象的だった駅のことを書いてみる。
写真は中央線『日野春駅』で、甲府駅からは松本方面に韮崎を通って六つ目の駅になる。この駅の次の次の駅が清里を通って小諸方面へ行く小海線の小淵沢駅になり、八ヶ岳の麓に近い場所にある。
写真でいうと左手側が松本方面、右手が甲府、東京方面になる。中央線はかつて甲府方面に行くために良く利用したが、今回は何十年ぶりかなと数えるのも分からないくらいだった。
この駅に降り立ったのはここに五大桜の一つ『山高神代桜』があるためで、普通だったら降り立つような駅ではないし、こんな名前の駅があることも知らなかった。
日野春駅は山梨県北杜市にあり、北杜市という市が山梨県にあることは初めて知った。市名は仙台が『杜の都』といわれているように、杜はもりと読むし、死んだ作家の『北杜夫』と関係でも深く北杜市を最初にきたもり市と読んでいたが、これは間違いで『ほくと市』と読み、北杜夫とは全く関係はない。
しかし、『ほくと』だと北海道の函館近くに『北斗市』という同じ読み方の市があって紛らわしいが山梨と北海道だから構わないのかもしれない。どちらのほくと市も近隣町村を合併して無理に市にしたような所で、北杜市は2004年、北斗市は2006年に発足。後発の北斗市は同名の市が山梨にあることを知らなかったのだろうか。
さて、この駅に戻るが、この駅の開業は1904年(明治37)だから、既に100年以上も経っていて、その昔は蒸気機関車の給水を行った駅でその遺構も残っているらしいが、今回は気が付かなかった。
この辺りを走る中央線は山裾を走り標高の上がっていることは分かるが、この駅の標高は615mになる。東京の名山、高尾山の標高が600mを1m切る599mだから、それよりも高い所にこの駅はある。
余談になるが高尾山には子どもの頃何度も登っていて、薬王院では火渡りも経験している。この火渡り、父親にせかされて渡ったが消し炭のようになっている渡る道も子ども心には怖くて、やっとの思いで渡った記憶を持つ。
もう一つ余談を書いておくが、父親は戦前に『中央線に添う山』といった題名の登山ガイド本を出している人物だが、その父は『高尾山が一番良い山だ』といっていた。低い山でもそれなりに登山の楽しさを味和える山になるのだろう。
写真の日野春駅、映画のロケに使えそうなたたずまいで、駅舎左側に今を盛りに花を付ける桜の樹が見事だった。しかし桜の樹にしては枝ぶりが他と違うようで、何かの品種なのだろう。
駅前には県道があって、家は道沿いに少しあるが、それだけで他に何にもない。駅は段丘のてっぺんに位置していて、ここから九十九折の道を下って町に入るが、その道はとても歩いて行ける距離ではなく、駅前に停まるタクシーを利用しないとどこにも動けない。
そういった地形のためか国蝶の『オオムラサキ』が見られる場所として有名で、蝶好きには知られた駅でもある。また、日本の各地にある駒ヶ岳の中で最高峰を誇る甲斐駒ケ岳(標高2967m)への登山口も、この日野春駅下車となる。
今回の写真を見ても分かるように雲がかかり、突然雨が降るような不安定な天気で周囲の山、八ヶ岳や甲斐駒ケ岳など全く見ることはできなかったが、桜の時期には頂に冠雪した山々が間近に見えて、その様子が映えるとのこと。
肝心の神代桜だが、寄る齢月に勝てないのか、あまり花の付きは少なかったが、その幾星霜を経た荒々しい幹は見事。この神代桜は寺の境内にあって、その境内に咲く他の桜が満開を過ぎて、折からの突風にあおられて見事な桜吹雪を見せてくれたのも印象的だった。
この一枚 ヴィエンチャン篇 (48) 《 お茶付きコーヒー 》
-
2015.06.09 Tuesday
ヴィエンチャンには外国機関や海外からのNGOといった組織が多く、そういった組織で働く外国人には無税で自動車を一台持てる特権がある。
しかも、これらの車は白地に青い字のプレートを付けているのでそれなりに目立ち、ヴィエンチャンはこの手の青ナンバーが世界一多い国だとの話があって、確かにこの手のプレートを付けた車は溢れている。
といって外交官プレートと同じような特権があるわけではなく、単に外国人が使用する車と分けている程度、社会主義国ゆえの管理、識別しているだけである。
しかし、このプレートに優越感を持つつまらぬ連中も多く、虚栄心を満足させるようで、私も一台持つように勧められが、実にくだらなく、結局車を持つことをしなかった。
また、こういった車は購入する時は簡単だが、帰国で処分する時、面倒、中には叩き売りで処分することが分かっていたし、結果的に車を持たないことが、今回セブへ帰る足枷にならず良かった。
さて、その外国人を狙って、ヴィエンチャンにはコーヒー店が結構あり、地場資本のコーヒー・チェーン店もある。しかし、ラオスはコーヒー豆の産地、輸出国であってもコーヒーの味が美味いなと思った店はなかったのが実情で、美味いコーヒーを飲むのは諦めていた。
ただし、町中のいわゆる『飯屋』の店先で、ドリップ・コーヒーを飲ますところがあって、そこで入れるコーヒーはいわゆる甘いミルク・コーヒーになるが、かなり濃厚で美味いし値段も缶コーヒーを買うより安い。
さて外人相手の店のコーヒーの値段は日本円にして200円を超し、昼時に良く食べた焼き飯が150円程度のラオスとしては、やはり割高なのは確か。
写真はタイ・ノンカイのホームセンターへ行った時、必ず飲むコーヒー店で、ホームセンター内にある。カップに店名が記されていて、チェーン店の一つになるが、値段は140円くらいでお手頃である。
ノンカイにはスターバックスがあって、再三書いているが、ノンカイへ行った時には飲みには行くが300円近く、タイ人の収入から見るとここで飲む一杯のコーヒーはかなり高額である。
しかも、前から何度も指摘しているが、タイのスターバックスは2倍に薄めたインチキなコーヒーを出していて丸儲け。
まだ、フィリピンのスターバックスの方が良心的で、タイのスターバックスは良くあんな商売をやっていられるなと思うが、タイの連中はコーヒーの味を知らないからあれがコーヒーだと思っているのだろう。
もっともコーヒーを味わうというより世界的なコーヒー・チェーンに入って飲むコーヒーが、タイに限らないが優越感の象徴となっているのだろう。
さて、写真のコーヒーに戻るが、味はそんなに悪くなく値段を考えれば上々。それよりもここで初めてコーヒーを頼んだ時、出てくるのが遅いなと思っていたら、小さなお盆にコーヒーとお茶を乗せて持ってきた。
このお茶はサービスになるがコーヒーとお茶を同時に飲んでどうかと思ったが、交互に飲んでみるとコーヒーの苦さを洗うようでお茶も悪くない。こういうスタイルはこの店だけかと思ったら、近くのコーヒーを飲ます店でも同じようにお茶を出していたから、暑いタイのスタイルなのかも知れず、悪くない趣向である。
このお茶も日本の緑茶だとコーヒーの味が相殺されて良くないと思うが、ここで出しているのはウーロンのような紅茶のような淡白な味で合っている。
ヴィエンチャン暮らし2015年 その (22) メコン川に架かる橋あれこれ
-
2015.06.07 Sunday
セブへ帰る前に思い立って旅をすることにした。といって飛行機で遠くへ行きたいと思わず、交通機関として主流のバスもあまり利用したくなく、鉄道を利用して行くことにした。
【写真1】
写真1はこの間小欄で書いた、第一タイ=ラオス友好橋と命名されている橋で、真ん中にはラオス・ヴィエンチャンータイ・ノンカイ間で走る、たった15分間ひと駅区間しかない国際列車の中からの写真で、この橋だけがメコン川の橋の中で鉄道と自動車道併用橋になっている。
橋は1994年にオーストラリアの援助で架けられ、全長1170m。この橋はパスポートのページがタイ、ラオス両国の入出国スタンプで真赤になっているように頻繁に利用しているので、新鮮味はなくさしずめ、東京の荒川か江戸川に架かる橋を渡って川向うへ行くのとたいして気分は変わらない。
ノンカイからはタイ国鉄線で南下するが、今回のように各駅停車、しかも景色を見たいために昼間の列車となると、タイ国鉄も誠に不便で、次の町のタイで2番目に大きいウドンターニに行くには車で行けば1時間で行けるがノンカイで一泊。
翌未明、暗い中をノンカイの駅に行き、各駅停車に乗るが、日中はこれ一本しかないから仕方がない。といった鉄道記はまた稿を改めて書くが、今回はメコン川に架かる橋のことを書く。
第一の次の第二タイ=ラオス友好橋がタイ・ムクダハン=ラオス・サワナケート間に架けられたのは2006年。全長1600mのこの橋は日本の援助だが、ODAと恰好は付けているが日本企業の事業の一つでしかなく、日本のゼネコンが架橋した。
この橋で記憶にあるのは架橋中に事故を起こし日本人を含め多くの犠牲を出したことで、今年の初め家人とラオス南部方面を旅行した時、サワナケートのメコン川沿いの道路からこの橋を遠望している。
【写真2】
今回の旅行でこの橋を渡ったが順序としてパクセーの橋を先に書く。タイ・ウドンターニからもやはり各駅停車で南下、次に東へ向かう線に乗り換えて、終着ウボンラチャタニまで同じく各駅停車で行く。
ここまで簡単に書いているが、タイの北東部の外れウボンラチャタニまで4日かかっている。というか急ぐ旅でもなく、宿泊も割合良いホテルに泊まっていて何にもしない、贅沢な旅になった。
ウボンラチャタニからはラオス・パクセー行きの国際バスがあってこれに乗る。写真2がタイからラオスに抜けた国際バスがパクセー市内に入る時渡る橋で、2000年にこちらも日本の援助で架けられた。
そのためか橋の袂には『Lao=Nippon Bridge』と銘板がはめ込まれていたが、ラオスに住んだ私でも知らなかったから、日本国内などもっと知られてないだろうが、ODAというものはこういうもので、自民党の操りロボット安倍などが誇示して当たり前のように口にする『ODAの国益』云々などいうのは間違っていて『人知れず』で良い。
この橋が架かる前は対岸へは渡し船が通っていて、古いパクセー市街地があるというので今回その船着き場を探して対岸に行こうとしたが見つからず諦めた。
パクセーからはサワナケートへ北上するが、年初のラオス南部旅行と反対の行き方になり、あの時はサワナケートからパクセーまでローカルなバスに乗って5時間以上もかかったが、今回はエアコン付きのマアマアのバスに乗れた。
このバスに乗れたのはホテルで手配してもらったためで、一介の旅行者では今回利用したバスは乗れなかったのではと思う。ただし、そのバス乗り場まで連れて行ってもらうためにホテルでボラれてはいるが。そういう快適なエアコンバスでも、走り方はローカルのバスと全く同じで、途中で客を降ろしたり乗せたりでやはり5時間近くかかった。
サワナケートで泊まろうかとも思ったが、この町は前回泊まっていて2度泊まりたいと思わず、サワナケートのバスターミナルからタイ・ムクダハン行きの国際バスが1時間に1本出てるのでそれに乗ってタイに向かう。
【写真3】
写真3がサワナケートームクダハン間に架かる橋で第二タイ=ラオス友好橋と名付けられている。開通は2006年、全長1600m。この橋を渡って出入国時間を入れて時間にして1時間くらいでラオスからタイへ行ける。
写真でも分かるように隣に座っているのが坊さんで、向こうの人間も敬して遠ざけるのかなぜかここの隣の席だけ空いていた。こちらは外国人だから隣に座ってもあまり頓着せず、カメラを出して橋を渡る様子を写していたら、この坊さんカーテンを開けてくれて何やら説明してくれたが、言っていることは勿論分からない。
次の日、ムクダハンの町を歩いていたら寺の前で、バスで隣り合わせた坊さんのポスターを見かけたから結構偉い坊さんだったのかもしれない。
この他に第三タイ=ラオス友好橋がサワナケートから北上したタケークに架かっていて、こちらは2011年開通、全長780m。また、第四タイ=ラオス友好橋というのが、タイの北東の最奥部チェンライと同じくラオスの奥地ファイサイを結んでいるが、なかなか行ける所ではない。2013年に架けられていて、全長480m。
また、メコンには中国とラオスを結ぶ橋もあるがこれも遠すぎて利用は難しい。
こうやって3本メコン川に架かる橋を渡ったが、ウドンラチャタニからのラオス入管ではどこに住んでいると質問され、同様にサワナケートの入管でも質問された。長期のヴィザを持っているのでこういったことはラオスでは初めてだったが、目的もなしに橋を行ったり来たりしているからおかしな奴だと怪しまれたのであろうか。