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この一枚 ヴィエンチャン篇 (46) 《 近所の寺のことなど 》



 この寺は近所どころか近所も近所、自宅の玄関を開けると道を挟んだメコンの畔に建っている。

 写真でいえば左側にメコン川が流れ、我が家は建物の反対側になる。

 日没間際にこの寺の境内に来て、メコン川の向こうのタイに沈む夕陽を眺め、写真を撮ることも多かったが、ヴィエンチャン生活ももうすぐ終わる。

 この寺は近隣では有名な寺で、
10月の雨期明けにメコン川を舞台に繰り広げられるボートレースの中心の一つになり、その時期は延々と屋台がメコン川に沿って並ぶ。

 寺の境内には造船小屋があって、時々その様子を観察することがあって、細身のドラゴンボートは伝統的なデザインだが、その工法は小型ヨット作りで開発された針金とエポキシ接着剤を使っていて、こういう所でこの工法が使われていることに少々ビックリした。

 ただし、外板は水に強い無垢の板を使っていて、工法の割には重量はかなり重い。

 全長は
10mを楽に超し、これを10数人が左右に分かれて漕ぐが、境内の堤防下にはこれらボートの発着所があって、シーズン前は練習する人々でにぎわう。

 寺とドラゴンボートの関係だが、メコン川に住むといわれる龍神と関係があるようだ。

 さて、境内へ日没時に行くと、寺で修行している若い坊さんが同じように夕陽を眺めている。

 こういった若い坊さんがどのような経緯で修業に入ったかは分からないが、どこの寺へ行っても若い坊さんの姿を見かける。

 それなりに修行を積んでいるのだろうが、頭を丸めてオレンジ色の僧衣を着ているのは良しとしても、若いせいか携帯電話に夢中の坊さんが多く、俗世間と離れるために寺に居るのではと思うが、もうそういう時代ではないのだろう。

 修行といえば毎朝
550分くらいになると、寺で打つ鐘の音が伝わってくる。多分、起床の合図なのだろうが、一緒に近隣の犬どもの遠吠えも聞こえてくるのはご愛嬌。

 私など目覚まし代わりに聞いていて、この鐘も同じ人間が叩くのではなく、交代でやっているようで、リズムや間の取り方の違いが分かる。

 この鐘も今は
6時前だが、朝の暗い時期は610分過ぎくらいに鳴らしているから、夏と冬では時間差を設けているのが分かる。

 この鐘を叩く時間もきっちり時間通りにやっているかどうかとなると、結構パラツキがあって、時間が過ぎても鐘が鳴らないと、当番が寝坊したのではないかなどと思ったりする。

 この寺から
20分ほどメコンの上下流の範囲を歩くとこの他に4つほど大きな寺があって、ラオスは仏教が盛んだなと実感する。


 
author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 21:01
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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (20) ヴィエンチャン暮らしの終わる時
 今日、仕事の終わる少し前から突風が吹き、やがて雨が降り出した。この時期には珍しい雨で、カラカラに乾いた大地には惠の雨になるが、今日の雨から雨季入りの近いことを感じさせた。

 昨年3月よりフィリピン・セブからラオス・ヴィエンチャンで、日本のNGOの仕事に関わり住んでいたが、この仕事も今週15日で終わることとなった。

 本来は
3年プロジェクトだったが、このNGOの代表がプロジェクトに見当外れの妙なチョッカイを出すようになって、嫌気がさして辞めることにした。

 私も歳だから若い時のように『我慢』というのはもう必要でなく、好きなようにやりたいと思っているからサバサバしている。

 NGOというのは世間的には流行の言葉で、何やら立派なことをやっているように見えるがその実態は様々で、玉石混交の世界である。

 今でこそNGOの呼び方は『非政府組織』と誰でも理解しているが、少し前の日本ではJICA組織でさえ、NGO=非政府組織と説明、解釈すると『反政府的な印象を与えるので民間組織といいなさい』といわれたもので、今とはずいぶん違うことに隔世の感がある。

 そのNGO本来は市民の様々な発想、活動によって運営されていくのだが、どうも最近はNGOの格付けをするような風潮があって由々しい問題ではないかと思う。

 これは『認定』というNGOの頭に付いているものがそれで、役所から認定されて、いかにも当NGOは本物ですと誇示する代物で、認定などNGOの活動とは本来何の関係はない。

 また認定を取ると税制上有利になるといわれるが、税制など関係なく寄付する人は昔から寄付をしている。しかし、認定を取ると役所の補助金を使って活動するには近道で、役所の方も認定されているかどうかで審査できるから簡単。

 NGO側も他のNGOと区別化したいために認定を取るのが多く、何のことはないパイの取り分を余計に取るだけの代物。

 勿論、認定を取るにはそれなりに組織がしっかりし運営も公明に行われているなど必要となるが、そんなものはいわれたから定まるものでもなく、普通のNGOなら当たり前のこと。

 仰々しく『うちは認定NGO』といいたいだけのもので、何、こんな物は紙に書いた作文が元だからいくらでも上手いことを書くことはできる。ここで大事なのは認定を取らなければNGOとして失格だという風潮が問題であって、NGO本来の活動とは認定など何にも関係ない。

 ネパールで地震が発生し、各国から救援、支援の手が差し伸べられている。日本にはこういった緊急援助組織としてジャパン・プラットフォーム(JPF)があって、この組織はNGOと政府と財界が作ったNGOで、発足時から色々取り沙汰されたが、何しろ資金量は抜群に多い。

 JPFは加盟したNGOに対して緊急援助用の資金を供与するが、この加盟要件もやはりパイの分け前の問題があるためにハードルは高く、最近では加盟するのを難しくするように財務内容とか、何やらと五月蠅くなってきている。

 それでも供与資金額は短期間で
1000から5000万になるから、NGOにとっては魅力を持つ。

 先年、フィリピン中部で台風に見舞われ甚大な被害を出した時など、相当の金がNGOに供与されたが、その内容のほとんどは『物資配り』で、私なども現地に入ってそんな物が必要なのかと疑問を抱いた。

 NGOにしてみればどんな陳腐な支援でも活動実績になるし、当のNGOの運営にも資金は流せるから願ってもない存在で、中身などどうでも良いのが多いのではないか。

 と、どうでも良いつまらぬNGO雑感を書いたが、NGOというのは実社会と比べるとしょせんはぬるま湯、NGO運営に長く携わっていても、そういった人物はどこかいかがわしさを感じさせる。

 写真は
1年近く住んだメコン川の畔にある借家のベランダ風景。その多くはタイで買って、ラオスにせっせと運んだ『蘭』で、40鉢以上ある。

 全部セブへ持って帰りたいところだが、それは無理。せいぜいヴィエンチャンを離れるまで水やりを続けたい。
 


author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 20:18
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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (19) ラオス−タイ国境の橋を跨ぐ鉄道
 先日、車を使ってタイ・ノンカイまで仕事で使う用品の買い出しに行った。車でラオスからタイへ、メコン川の国境を越えるとなると大変な手続きが要ると思われるだろうが、イミグレーション前に並ぶ車の列が多いと時間がかかってイライラする程度で、国境を行き来する車の登録手続きさえ取ってあれば、往来は簡単である。

 また、国境越えといっても隣町に行くのと同じでそれほど面倒なものでもない。

 特に、ラオスはタイから食料品、日常雑貨などあらゆる物を輸入している国で、当然同じ品物でもタイ国内とラオス国内で売っている値段はラオスの方が高い。

 そのため、少々手間はかかっても安い品物を買い出しにヴィエンチャンからノンカイへ行くラオ人が多く、特に車の所有者はノンカイでまとめ買いするため、週末のイミグレーション前は車で大混雑。

 ラオ人に『ラオスでタイより安い品物はないか』と聞いたことがあって、そのラオ人考え込んで『何にもない』とタイから輸入している状態を裏付けた。しかし、『ラオスはコメの産地でコメくらいは安いのではないか』と再度聞くと、タイのコメの方が安いという。

 そんな具合で、ラオスはタイの商圏が拡大した植民地の様な国と自嘲していうラオ人も居るし、タイ人もラオ人を見下す傾向があるのも事実。

 さて、その帰り道、タイ側から手続きを済ませて橋を渡ろうとしたら道路上に柵が渡され通行止めとなっていた。この橋は
19944月にオーストラリアの援助でメコン川に初めて架けられた橋になり、既に20年を超えている。

 初めてこの橋を渡ったのは家人とバンコクから鉄道でノンカイ(その駅は廃止され、新しい駅が作られている)に入り、その足でこの橋を渡ってラオス入りしたのが
2000年か2001年だった。橋は開通間もない頃で新しい息吹を感じたし、利用客も混雑していなかった。

 さて、その橋の設計は片側
1車線、中央に単線の鉄路が走る珍しい構造で、将来的にはバンコクからヴィエンチャンまで鉄道で結ぶつもりだったらしい。

 ところが、中国が雲南省からラオスを縦貫して、バンコクまでつなげる鉄道計画をぶち上げてからおかしくなって、ようやく
20093月にノンカイ−タナレーン(ヴィエンチャンの外れ)が開通した。

 メコン川を渡る世界でも最も短い国際列車として有名だが、何しろタナレーンという駅は市内から行くだけでも大変辺鄙な場所で不便、しかも一日
2本しか往復していない状態なので利用客は少なく、統計では年間4万人ほどの利用、しかもその80%は話のタネに乗る外国人だという。

 午後5時にラオス側を出たディーゼル車は橋の真ん中を通るので、当然ラオス側、タイ側は道路を遮断して通過させている。上の写真が遠くの真ん中辺に小さく写っているのがその列車で、珍しい光景に遭遇した。

 停められた車の連中はブツクサ言っているが、私にとってはまたとない機会で、旗を持つ係員に写真はOKかと聞いたら別にという感じ。

 ようやくやって来た列車、下の写真が道を逸れてノンカイに向かっている様子だが、乗っているのはやはり外人観光客が目立ち、中には身を乗り出して手を振っている外人が写っている。

 この列車が通り過ぎてもしばらくは通行止めは続くのかと思っていたら、係員はあっという間に柵を移動させて通行再開し、慌てて車に戻る一幕となった。

 かねがね、ヴィエンチャンに居る間にこの列車に乗ってみたいと考えていて、近い内に実行することにするが、たった
15分間乗車の国際列車、どのような印象を受けるか楽しみである。

 このラオス唯一の鉄道路線、ヴィエンチャン市内まで延伸するというが、車時代の現代、何かと面倒、不便そうな鉄道を利用するラオ人が居るのかどうか不明。

 鉄道は保守が大変で、最近フィリピン国鉄で脱線事故があって、その原因はレールを留める金具が盗まれたためとなっていて、盗む奴らも相当な奴らだが、日常的に保守管理を怠ってきた当局の責任も重い。

 このため当局は路線の点検をして、
5月一杯は運行できないと発表しているが、フィリピンも既に車社会で、鉄道など利用するのは少数派。ということを思うと、桜巡りで使った日本の新幹線や地方鉄道はやはり群を抜いて優れものとの印象が強い。


 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 08:44
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