この一枚 ヴィエンチャン篇 (46) 《 近所の寺のことなど 》
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2015.05.13 Wednesday
この寺は近所どころか近所も近所、自宅の玄関を開けると道を挟んだメコンの畔に建っている。
写真でいえば左側にメコン川が流れ、我が家は建物の反対側になる。
日没間際にこの寺の境内に来て、メコン川の向こうのタイに沈む夕陽を眺め、写真を撮ることも多かったが、ヴィエンチャン生活ももうすぐ終わる。
この寺は近隣では有名な寺で、10月の雨期明けにメコン川を舞台に繰り広げられるボートレースの中心の一つになり、その時期は延々と屋台がメコン川に沿って並ぶ。
寺の境内には造船小屋があって、時々その様子を観察することがあって、細身のドラゴンボートは伝統的なデザインだが、その工法は小型ヨット作りで開発された針金とエポキシ接着剤を使っていて、こういう所でこの工法が使われていることに少々ビックリした。
ただし、外板は水に強い無垢の板を使っていて、工法の割には重量はかなり重い。
全長は10mを楽に超し、これを10数人が左右に分かれて漕ぐが、境内の堤防下にはこれらボートの発着所があって、シーズン前は練習する人々でにぎわう。
寺とドラゴンボートの関係だが、メコン川に住むといわれる龍神と関係があるようだ。
さて、境内へ日没時に行くと、寺で修行している若い坊さんが同じように夕陽を眺めている。
こういった若い坊さんがどのような経緯で修業に入ったかは分からないが、どこの寺へ行っても若い坊さんの姿を見かける。
それなりに修行を積んでいるのだろうが、頭を丸めてオレンジ色の僧衣を着ているのは良しとしても、若いせいか携帯電話に夢中の坊さんが多く、俗世間と離れるために寺に居るのではと思うが、もうそういう時代ではないのだろう。
修行といえば毎朝5時50分くらいになると、寺で打つ鐘の音が伝わってくる。多分、起床の合図なのだろうが、一緒に近隣の犬どもの遠吠えも聞こえてくるのはご愛嬌。
私など目覚まし代わりに聞いていて、この鐘も同じ人間が叩くのではなく、交代でやっているようで、リズムや間の取り方の違いが分かる。
この鐘も今は6時前だが、朝の暗い時期は6時10分過ぎくらいに鳴らしているから、夏と冬では時間差を設けているのが分かる。
この鐘を叩く時間もきっちり時間通りにやっているかどうかとなると、結構パラツキがあって、時間が過ぎても鐘が鳴らないと、当番が寝坊したのではないかなどと思ったりする。
この寺から20分ほどメコンの上下流の範囲を歩くとこの他に4つほど大きな寺があって、ラオスは仏教が盛んだなと実感する。
ヴィエンチャン暮らし2015年 その (20) ヴィエンチャン暮らしの終わる時
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2015.05.12 Tuesday
今日、仕事の終わる少し前から突風が吹き、やがて雨が降り出した。この時期には珍しい雨で、カラカラに乾いた大地には惠の雨になるが、今日の雨から雨季入りの近いことを感じさせた。
昨年3月よりフィリピン・セブからラオス・ヴィエンチャンで、日本のNGOの仕事に関わり住んでいたが、この仕事も今週15日で終わることとなった。
本来は3年プロジェクトだったが、このNGOの代表がプロジェクトに見当外れの妙なチョッカイを出すようになって、嫌気がさして辞めることにした。
私も歳だから若い時のように『我慢』というのはもう必要でなく、好きなようにやりたいと思っているからサバサバしている。
NGOというのは世間的には流行の言葉で、何やら立派なことをやっているように見えるがその実態は様々で、玉石混交の世界である。
今でこそNGOの呼び方は『非政府組織』と誰でも理解しているが、少し前の日本ではJICA組織でさえ、NGO=非政府組織と説明、解釈すると『反政府的な印象を与えるので民間組織といいなさい』といわれたもので、今とはずいぶん違うことに隔世の感がある。
そのNGO本来は市民の様々な発想、活動によって運営されていくのだが、どうも最近はNGOの格付けをするような風潮があって由々しい問題ではないかと思う。
これは『認定』というNGOの頭に付いているものがそれで、役所から認定されて、いかにも当NGOは本物ですと誇示する代物で、認定などNGOの活動とは本来何の関係はない。
また認定を取ると税制上有利になるといわれるが、税制など関係なく寄付する人は昔から寄付をしている。しかし、認定を取ると役所の補助金を使って活動するには近道で、役所の方も認定されているかどうかで審査できるから簡単。
NGO側も他のNGOと区別化したいために認定を取るのが多く、何のことはないパイの取り分を余計に取るだけの代物。
勿論、認定を取るにはそれなりに組織がしっかりし運営も公明に行われているなど必要となるが、そんなものはいわれたから定まるものでもなく、普通のNGOなら当たり前のこと。
仰々しく『うちは認定NGO』といいたいだけのもので、何、こんな物は紙に書いた作文が元だからいくらでも上手いことを書くことはできる。ここで大事なのは認定を取らなければNGOとして失格だという風潮が問題であって、NGO本来の活動とは認定など何にも関係ない。
ネパールで地震が発生し、各国から救援、支援の手が差し伸べられている。日本にはこういった緊急援助組織としてジャパン・プラットフォーム(JPF)があって、この組織はNGOと政府と財界が作ったNGOで、発足時から色々取り沙汰されたが、何しろ資金量は抜群に多い。
JPFは加盟したNGOに対して緊急援助用の資金を供与するが、この加盟要件もやはりパイの分け前の問題があるためにハードルは高く、最近では加盟するのを難しくするように財務内容とか、何やらと五月蠅くなってきている。
それでも供与資金額は短期間で1000から5000万になるから、NGOにとっては魅力を持つ。
先年、フィリピン中部で台風に見舞われ甚大な被害を出した時など、相当の金がNGOに供与されたが、その内容のほとんどは『物資配り』で、私なども現地に入ってそんな物が必要なのかと疑問を抱いた。
NGOにしてみればどんな陳腐な支援でも活動実績になるし、当のNGOの運営にも資金は流せるから願ってもない存在で、中身などどうでも良いのが多いのではないか。
と、どうでも良いつまらぬNGO雑感を書いたが、NGOというのは実社会と比べるとしょせんはぬるま湯、NGO運営に長く携わっていても、そういった人物はどこかいかがわしさを感じさせる。
写真は1年近く住んだメコン川の畔にある借家のベランダ風景。その多くはタイで買って、ラオスにせっせと運んだ『蘭』で、40鉢以上ある。
全部セブへ持って帰りたいところだが、それは無理。せいぜいヴィエンチャンを離れるまで水やりを続けたい。
ヴィエンチャン暮らし2015年 その (19) ラオス−タイ国境の橋を跨ぐ鉄道
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