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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (17) 日本の桜巡りー4
 山梨県北杜市にある『山高神代桜』を観てから、甲府から静岡の富士市まで身延線に乗る。行きと逆の方向になるが、今はローカル列車と言えども車両はそんなに古くはなく、しかもダイヤは昔ほど待たされることなく、次の電車に乗り継げる。

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時間以上、ノンビリ日差しを浴びながら電車は南下するが、座席の前の登山姿の初老の爺さんが甲府から富士まで一緒だった。富士市に近づくに連れて富士山の姿がようやく見えるが、春霞の様な具合で山容がくっきりとならないのが惜しい。

 伊東市に知人が住んでいるのでそこへ泊まってから東京へ入る。今度の宿泊場所は原宿駅の真ん前にある、東京オリンピックの頃に竣工した、億ションのはしりともいわれる由緒あるマンションで知人を通じて泊まった。

 日程が詰まっていたので、翌朝東北新幹線で福島県郡山に出て、三春町の『滝桜』へ行く。今回の旅は交通費をケチらず、タクシー、新幹線を利用したが、日本の交通費はやはり高く
2人で回ると馬鹿にならない。

 例えば東京―三春を新幹線で往復すると
2人で4万円にもなり、ヴィエンチャンからクアラルンプール経由日本往復が500ドルを切っていたことを考えると日本の交通費は法外な気もする。

 三春行きは週末の土曜日、天気も青空の広がる絶好の花見日和。しかも『滝桜』はタイミングよく満開とのこと。郡山からの磐越東線も滝桜目当ての観光客でにぎわい、三春駅を降りたらバスがピストン輸送で観光客を滝桜まで運んでいる。

 今まで、人の姿のいない花見をしてきたから、駐車場から人の群れには驚いたが、花見も人ごみに交じって鑑賞するのもまた趣があってそれはそれで悪くない。この滝桜は今まで四つの桜を観てきて、入場料を取る唯一の桜だが、満開前後に数十万人は訪れるであろうから、相当な収入に上がるのではないか。

 滝桜の咲く辺りはダムもあって、地形も造成したような感じを持つが、樹齢
1000年以上の他で観てきた桜とは違う枝垂れ桜で、その枝振り、咲き誇る様は確かに滝桜と名付けたのも納得。

 この滝桜、先年の東北大震災支援の最、郡山からいわきへ車で抜ける時、道に迷って三春町の近くまで来たことを思い出す。あの時は
10月下旬の頃で、滝桜は葉を繁らせる盛りを終えて落葉の時期を迎える頃だと思うが、花だけではなくそういった風情の滝桜も乙なものと思ったが、結局寄らずに通り過ぎた。

 ようやく観られた滝桜、とはいってもせいぜい
3時間も滞在しただろうか。他の観光バスで押し掛ける団体客など、段に組んだ台に座って滝桜をバックに記念写真を撮り、その後滝桜に近よってそそくさと帰るのが多く、我々などノンビリましな方。

 本当は夜のライトアップも観たかったが、車で来るようでないとその時間まで居るのは無理で、帰りのバスに乗る。ただし、三春は滝桜だけではなく、町の彼処に桜が咲き誇っていてこの桜を観ながら駅に行こうと途中下車。

 三春といえば『三春駒』で有名だが今は滝桜一色になってしまった。道々に結構枝ぶりの良い桜を見かけ、写真を撮りながら歩くが、とある所で『除染中』の立て看板を見かけた。

 桜に浮かれてすっかり忘れてしまったが、三春も福島原発の汚染地区で除染対象地域になる。勿論滝桜だって放射能汚染されていて、真っ先に除染作業したのではないか。

 この除染作業、いわき市の駅前で目撃したが、高圧ホースで吹き飛ばすだけで、除染というより拡散という感じで、慌ててその場を離れた。当時、いわき市から小一時間ほど入った山間部でキャンプ生活をして支援活動をしたが、近くには立ち入り禁止の村もあった。

 この様子から付近の深い山を見て、これらも全部放射能汚染されているのに、いったいどうやって除染するのだろうかと疑問に思ったものだ。除染とはいいながら、その実態は放射能物資を移動させるだけで、こんな物に巨額の金を使うとは日本も終わりだなと思うのは大袈裟か。

 滝桜を観に来る全国の観光客の中で、福島がいまだ放射能汚染から解放されていないことを思い浮かべる人は何人いるのだろうかと思い、滝桜の横に『放射能検知器』を取り付ければ何事にも忘れっぽい日本人には効果が多少はあるのではと、埒もないことを青空の下で咲き誇る滝桜を観ながら思った。


 


author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 21:25
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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (16) 日本の桜巡りー3
 岐阜県根尾谷の『淡墨桜』、静岡県富士宮市の『下馬桜』の次は隣県山梨県北杜市にある『山高神代桜』に向かう。下馬桜のある富士宮市は富士登山の入り口であり、晴れていれば富士山の雄姿を見られると期待したが、雨続きで空は薄い墨に塗られたようで、あの辺に富士山があるのではと見当を付けるばかり。

 その富士宮の駅の真ん前にあるホテルに泊まったが、二人泊まって2食付き12千円ほど。駅前の場所を考えるとずいぶん安い値段だが、夕食はそれに似合った素っ気ない献立だし、朝用にと感じの良いフロントから菓子パンと飲み物をもらった。

 こういったビジネスホテルは仕事で泊まる人間が長期滞在していて、ホテル前に停められた作業車は姫路ナンバーだった。

 富士宮市も富士山登山の頃はにぎわうだろうが、綺麗に整備された商店街はお定まりの『シャッター商店街』で活気なし。日本全国こんな具合で、先年震災被災者支援で回った東北地方の商店街は軒並みシャッターが下りていて、これでは日本は滅ぶと実感した。

 富士宮駅に降りた時、ホテルの反対側、線路を挟んだ向こう側に大規模モールの看板が見えたので夕食後、家人と行ってみる。駐車場を備えたかなり大きな郊外型ショッピングセンターで、中に入れば、大都会と同じで、これが富士の裾野にある田舎の小都市とは思えない陣容。

 スターバックスはあるし、映画館もあって、これではすぐ近くの昔からの商店街は寂れる一方。時代の流れとはいえ、こんな国になって果たして良いのかと疑問が湧くもどうしようもない。

 翌早朝、ホテルの部屋の窓から外を見ると、富士山が朝日を受けて姿を現していた。家人を起こして急いで写真を撮るがすぐに雲がかかって姿を消した。

 さて、富士宮から山梨へは『身延線』という地方線が走っていて、この線は中学生の頃乗ったことがあった。この時は夏休みで、兄が身延線のとある駅から離れた寺で受験勉強をしていて、私も妹と遊びに行った。

 とある駅と書いたのはどこの駅だったか記憶が消えていて、この寺は父の友人が住職をしていた関係で、夏休みに世話をしてくれたようで、今思い出すと、山門にフクロウがいたこと。裏山に小さな滝があって滝壺や富士川に出て泳いだことなどが断片として記憶に残っている。

 今回、その身延線に半世紀以上ぶりに乗車したが、当時の身延線は田舎の路線でどこも古びた印象しか残っていないが、今は電車も新しく当時とはだいぶ違う。しかし、線路そのものは半世紀を経ても同じだから沿線の風景は変わっていないのではないか。

 電車は進行方向左手に富士川の流れを見ながら北上、甲府に向かうが間近に見る山々の新緑のグラデュエーションも目を楽しませてくれ、日本の緑は趣があると感心するばかり。こうして終点の甲府まで各駅停車の旅を楽しんだが、中学生の時にひと夏を過ごした駅は結局分からず仕舞いで、記憶なんてそんなものかと思うばかり。

 甲府も何十年ぶりに降り立ったが、ここも駅ビルになっていて、駅前も変わったのか昔のような感じはない。それでも駅隣の城に行くが、やはり記憶は呼び戻せない。

 この日は身延線で移動しただけとなり甲府駅近くで一泊。駅の辺りは官庁街で、これといって入りたい店が見つからず、散々歩いてコンビニでおにぎりやおかずを買ってホテルの部屋で食べたが、時にはこういうのも悪くない。

 翌朝、中央線で松本方面に行き『日野春』というなかなか良い名前の駅で下車。昔の駅らしいたたずまいは悪くなく、駅舎脇に咲く桜が満開。目当ての『山高神代桜』はこの駅から歩いたら
1時間半もかかるというので駅前に停まるタクシーで向かう。

 この桜は樹齢
2000年ともいわれ、桜で初めて国指定の天然記念物になった名樹だが、写真を見ても分かるように幹は幾星霜を物語るように荒々しくても、樹勢としては青息吐息といった状態で花も少ない。しかし、この桜は寺の境内にあり、一帯に咲く桜が満開。

 風が吹く度に花びらを散らして桜吹雪となり、その桜吹雪の中を歩いたのは得難い体験であった。天気が良ければ桜の背後には雪を抱いた山並みが見えるのだが、その日も雨が降ったり止んだりの目まぐるしい天気で、その機会は得られなかった。

 駅まで田園風景の中をそぞろに歩いて行こうと思ったが、天候不順で帰りもやはりタクシー利用となり、携帯電話のスカイプで駅前のタクシーを寺まで呼べたことには驚いた。


 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 19:03
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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (15) 日本の桜巡りー2
 日本『五大桜』は東日本に偏ってあると書いたが、写真は一番西の岐阜県本巣市にある『淡墨桜』。

 本巣市などいう市が岐阜にあるとは初めて知ったが、平成の大合併とやらで村や町の自治体が市になる例が多く生まれ、ここもその一つになるようだ。

 こうして無理して新しく生まれた市の名前が由緒も何もなく、ただの思い付きや関係者の国語能力の欠如からいい加減な市名も結構多い。

 山梨県にも五大桜の一つ『山高神代桜』があって、そこは北杜市と名乗っていて、そんな市はどこにあるかと迷ったが昔の須玉町と書けば、あああの辺かと分かる。

 今一つ、ついでに書いておくと、今回普通電車で乗り継ぎ、通過した静岡県静岡市は政令指定都市になっているが、昔ヨットレースのスタート地点だった清水市が、今は静岡市清水区となっていて清水市は消滅。

 そういえば埼玉県もさいたま市などと愚にもつかない名前になって、浦和市や大宮市が消滅。自治体は拡張すれば良いというものでもなく、議員や役人を満足させるための広域合併は問題がある。少なくても連綿と続いた地名を消滅させるのは、歴史を抹消することに等しく、やってはならないこと。

 さて桜に戻るが、淡墨桜は宇野千代の作品でも知られて、桜の知名度としては三春の『滝桜』と日本で
12を争う桜になるかも知れない。この桜は根尾谷という地にあり、相当山深い、交通不便な谷間にでもあるかと思ったが、東海道線大垣駅から『樽見鉄道』に乗り換えて終点樽見駅に行き、そこから徒歩で20分くらいの場所にあった。

 新幹線で名古屋まで、次に普通車で大垣に入りこの日は大垣泊まり。大垣というと、その昔の高校生時代に、東海道線を走る夜行の各駅停車、当時は東京―大阪間を走っていて何度も乗っているが、あれはいつの頃だったか、その長距離各駅電車が大垣駅止まりになって、当時の大垣駅の薄暗い待合室で時間を過ごした記憶を持つ。

 ところが今回大垣駅に降り立ったら大きな駅ビルになっていて、昔の面影どころか、日本中どこにでもある中都市の金太郎飴のような同じたたずまい。昔は鄙びた城下町と思っていた大垣も名古屋や岐阜市の通勤圏になっていて、その変化は当然といえるもこうやって日本の町は面白さ、特徴を失っていくのかと思い、古き時代を体験したありがたさをしみじみ感じた。

 大垣駅から発着する樽見鉄道は鉄道ファンなら乗ってみたい地方線の一つになるようだが、
30数キロの路線は田園風景、峡谷風景とノンビリ乗るにはとても良いが、ワンマンで運転する車両は一両のみ。

 乗った時間にもよるが近在の中、高校生の通学路線として重宝するも、全体に客は少なく
1時間に満たない乗車時間中に客が一人もいない時もあった。これでは維持も大変だと思いながらも、最近は黒字らしく、とはいっても沿線自治体の補助金で永らえているところもあるようだ。

 それでも線路があるというのは地元民にとっては拠り所になると思うが、自動車時代の今、この鉄道を利用する中、高校生が社会に出てからこの鉄道を利用するとは思えない。この鉄道で面白かったのは峡谷の鉄橋上で速度をゆるめて『写真タイム』を作っていたことで、地方線も工夫が必要な時代である。

 桜の時期は淡墨桜見物客で相当、鉄道利用者も増えるようだが、行った時は盛りを過ぎ、やはり雨がシトシト降っていて、この写真のように全く人影のない珍しい写真が撮れたように、数えるほどだけしかいなかった。それだけ、別の趣はあってゆっくり淡墨桜を愛でることができた。

 淡墨桜は樹齢
1500年以上といわれ、写真の右側にあるのが淡墨桜になり、左側はその子どもになる樹で、そちらの方が若いだけあって樹勢は強く、花の付け方も多い。

 淡墨桜のいわれは散る花びらが淡い墨を含んだような色をするところから名付けているが、この桜が有名なのは台風の被害などによって衰えた桜を、根接ぎなどによって復活させたことで、こういった桜には寿命はあると思うが、引き継いで後世に残すことは今に生きる人間の義務でもあり、末永く咲き誇って欲しいものである。


author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 17:35
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