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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (12) 蘭の花もそろそろお終いの季節となった
 ラオスの新年、正月は4月半ばから始まり、この時期は一年で一番暑い時期になる。私がラオスへ入ったのは一年前の320日で、ようやくというか、まだというか一年が経った。

 フィリピンのセブから来たから暑さはそれほどでもないと思っていたら、ヴィエンチャンの暑さは尋常ではなく、体力が持つかと危うんだほどだった。

 10
年以上前に雨季のヴィエンチャンに滞在したことがあって、あの時は湿度の多さに閉口した記憶があって、印象としては気候的には住み易い場所とは思えなかったし、今もそう思っている。

 そういった暑い印象のヴィエンチャンだったが、年末を挟んだ一時期はあの暑さが嘘のような、涼しいというより寒さがしばらく続いた。しかも、雨は降らないから、身体にまとわりつくような湿気も消え失せ、誠に快適な時期があった。

 ヴィエンチャンのような平地ではいくら寒くなっても暖房を入れるという装置も習慣もないから、人々は防寒着やマフラーでしのいでいたが、日本人には初秋の様な気候だから、こういう過ごし易い時期がヴィエンチャンにもあるのかと感じ入った。

 先ほどの寒さの具合だが、朝、シャワーを浴びてその後が早く衣類を身に付けないと震えが来るといった具合で、こういう全般に暑い国で、そういった体験をするとは思わなかったし、こういった現象はどの国でも一年を通して住んで分かることで、一介の旅行者では分からないことになる。

 こういう暑い国だから、熱帯系の植物は勢いが良く、特に『蘭』などは育ちが良い。蘭というのは元々、野生種から出たもので、それほど神経質に世話をしなくても熱帯では育つもので、ヴィエンチャンの園芸店で蘭の鉢を一つ買い求めたのが皮切りで、今や蘭の鉢だけでも
40以上ある。

 これらの鉢は玄関前のベランダにロープを張って吊り下げているが、ほとんどは隣のタイ・ノンカイで買って運んだ物である。ヴィエンチャン辺りで売られている蘭の多くはタイから持ってきた物で、タイは蘭の産地として知られ、しかも値段が安い。

 最初にノンカイで買った蘭は白いシンビジウム種だったが、これの花の寿命が驚くほど長く、いまだに花を咲かせている。家人が年末年始にヴィエンチャンに来て、二人でラオス南部地方を旅行した時に、大家に家を長く開けるので植木の水やりを頼んでいるが、それ以前からこの白いシンビジウムは花を咲かせているから半年近く花を咲かせている勘定になる。

 蘭はセブでもたくさん育てていたが、たいていの花は
1週間とか10日くらいで終わってしまい、ヴィエンチャンでは驚異的に長持ちしている。写真はまた別の蘭の花になるが、全体に白い蘭の花は長持ちするというのは分かったが、ヴィエンチャンの風土は蘭にとって、セブより適しているのかも知れない。

 40
を超える鉢の中でまだ花を付けているのは11鉢あって、やはり白系の蘭が多く、次に長持ちするのは黄色系で、赤系の蘭は花の命が短いようだ。何れにしても、3月も末に近づいて蘭の花の時期は確実に終わりというのが分かり、連れて気温もぐんぐん上昇している。

 今の段階では、まだ地温が上がっていないためか、暑さは日中になり、まだまだ過ごせる。近所の家では早くもクーラーを付け、そんなに暑いのかと思うが、これは暑い暑いといっても私の身体がラオスの気候に適応してきているためかも知れず、今の所は天井の扇風機を回すだけでしのげる。

 ヴィエンチャンが暑い原因としてコンクリートで固めているせいではないかと思うが、我が家の回りの庭は全部コンクリートで固められていて、土の地面がない。

 これはどこの民家も同じで、ともかくこのコンクリートが熱を吸収するから、夜になっても気温は下がらず、ラオスの人間は不経済なクーラーに頼るおかしな生活をしている。

 実際、土の地面の上を歩くとはいつでもヒンヤリしていて、何でこちらの人間はコンクリートなんかでわざわざ庭を固めるのかと思う。雨季のグシャグシャを避けるためという理由もあるだろうが、全部をコンクリートで固める必要はない。

 東京が『ヒート現象』で耐えがたい気温になって騒いでいるが、自業自得、あれもコンクリートで固めたせいで、子ども時の東京は道路や庭に打ち水をすれば涼しくなった。


 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 15:32
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この一枚 ヴィエンチャン篇 (42) 《 ヴィエンチャンのケーキと甘味の感じ方 》


 この間、仕事先の行事でケーキを食べた。その時のケーキを買った店の様子が写真で、ヴィエンチャン市内中心からは外れた幹線道路沿いにあり、しかも店は民家風で目立たない。

 これで、商売が成り立つのかと思うが、平日の午後の昼下がりに行って、お客がいたから、それなりに商売になっているのだろう。

 ショーケースは比較的新しく冷蔵が効いているし、中に飾られているケーキ類も結構種類が多い。とはいっても、写真で分かるように子どもの持つケーキのイメージを形と色にしたような具合で、食べ物としてはどうかなという印象を持つ。

 それでも、比較的飾りの少ないケーキを買って切り分け、食べたらクリームは意外なホイップ・タイプで見た目ほど甘くない。台の方も割合細かく焼けていて柔らかく思ったよりも行けるケーキだった。

 途上国といって馬鹿にする気は毛頭ないが、フィリピンではまだバタークリームのこってりしたケーキが多く、ラオスもそうではないかと思っていた。

 と偉そうに書いているが、日本も子どもの頃のケーキといったらバタークリームで、ホイップ・クリームを使ったケーキが普通に見られる様になったのはそんな昔ではない。

 クリスマス・ケーキなど当たり前にバタークリームが使われていた。ただし、その甘さはフィリピンやラオスよりは押さえられていたのは確かだった。

 この国によって甘さ加減はかなり違っていて、昔住んだアフリカでは紅茶に砂糖を入れるというより、砂糖の中に紅茶を注ぐような具合で、訪問先などで出されるその甘さには閉口した。

 聞くと、部族がブッシュで暮らしていた時、蜂蜜をエネルギー源としていた名残りではないかなどといっていた。

 こうなるとその甘さも人類学的背景があって面白くなるが、フィリピンの場合、有名なのはコーラが非常に甘い話がある。

 実際、コーラ会社は国によってその甘さを加減しているといい、私はコーラのような毒物は、高校生くらいの時は無自覚に飲んでいたが、今はなるべく飲まないようにしていて、たまに飲むと甘さが強いなと感じる。

 砂糖消費量がその国の経済のバロメーターという研究があって、一人当たりの砂糖消費量が多い国は途上国に偏っていると指摘されている。

 日本は先進国の仲間入りをしているのは確かだが、かつてはやはり砂糖消費量が多く、今では甘みが好まれない国の仲間入りをしている。

 日本に行って若い女性が『甘過ぎて嫌』などという科白を聞くと『あなたの母親、ばあさんの時代は逆だったんだよ』と一言いいたくなる時もある。
 


author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 19:42
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ヴィエンチャン暮らし2015年 その (11) タイで見るヴェスパ
 ヴィエンチャンで使っていたデジカメが駄目になった。これで、ラオスで駄目にしたのは3台目だから、ラオスはデジカメ環境が良くないのかと思う。

 今回はSDカードが入っているのに、入っていないという表示が出てしまって、もちろんシャッターは落ちない。今まで使っているSDカードが良くないのかと思って、別のカードにしたがやはり表示は同じ。

 今回故障したデジカメはニコン製で、初代から四代目まで全て同じニコン製で、同じシリーズ。

 初代はかなり無骨な作りだったが、結構長持ちし充分に役目を終えて故障したという感じで、ご苦労様と思ったが、それ以降のカメラの寿命は短過ぎる。

 デジカメも精緻な電子製品だから使い方が悪ければ故障するが、それほど無茶な使い方をしたとは思っていない。

 ただ、初代の最大ピクセル数は
750万で、当時としてはそれほど低い値ではなく、カメラ機能も無骨と書いたように大き目のサイズに無理なく機能を納めていた感じがあった。

 その後新しくなるたびにピクセル数はドンドン増えて、3代目など2メガを超し、実に3倍近く、しかも大きさはよりコンパクトになっていて、そういった設計に無理があって故障し易くなっているのではと思うが、どうだろうか。

 それで、目下カメラ無しの状態となっていて、不便で仕方がなく小欄には以前撮り貯めていた写真を使って当分書くようにする。と、前置きばかり長くなったが、写真はタイ・ノンカイの街角で見かけた『ヴェスパ』のスクーター。

 一見、どこのメーカーか分からない今風のデザインになっていて、私のように昔のヴェスパ・モデルに憧れた目から見ると、今のヴェスパにはあまり魅力は抱けない。

 ヴェスパ=
VESPA1946年イタリアで誕生したスクーターで、デザインもさることながら機能もかなり当時としては斬新に取り組んでいて、これが世界的に有名になったのは1953年上映の『ローマの休日』に使われてからだった。

 この映画の中にオード―リー・ヘブバーンとグレゴリー・ペックがローマ市内をヴェスパで乗り回すシーンがあって、日本人などこの映画でヴェスパの存在を知ったといっても良いだろう。

 当時のヴェスパはバー・ハンドルで今のデザインとは似ても似つかないが、後ろに車輪を載せた渋い姿は忘れられない。あれは、中学生の修学旅行で奈良へ行った時、寺巡りをしている新婚さんが居て、その時乗っていたのがヴェスパで、時代を考えるとかなり進んでいた新婚さんだったようだが『俺もああして、ヴェスパに乗りたい』と強烈な印象を持った。

 このヴェスパ、かなり前からイタリアでは生産していなくてインドや台湾で生産していると聞いたことがある。それでもこの手のスクーターとしては高額で、なかなか手が届かない。

 また、どういうわけかタイには、写真のように販売店がノンカイのような田舎町にあるくらいだから、タイ国内で生産しているのかも知れない。それでもこの展示してあるヴェスパの値段を見ると日本円で
40万円を楽に超すから、簡単に買える値段ではない。

 しかし、こうやって売っているからそれなりに商売になるのだろうし、分割払いで購入すれば手の届かない値段ではなく、ホンダやスズキといったオートバイよりはヴェスパはタイでも『見栄』が張れるのだろう。

 ただ、写真で見るデザイン、他のバイク・メーカーと違いはあまりなく、よほどバイクに詳しい人でないと、ヴェスパと分かるのは少ないのではと思う。

 デザインが似通ってしまったのは、日本のメーカーがヴェスパの良い所取りをしたためだと思うが、昔の無骨なヴェスパを知る身としては、今のヴェスパはお金があっても買いたいとは思わない。

 ただ、タイにヴェスパが普及しているように、割合古い年式のヴェスパも存在しているわけで、そういう物が手に入るようだったら考えてみたい。

 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし 2015年, 20:57
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