この一枚 ヴィエンチャン篇 (38) 《 ラオスのクリスマスツリー 》
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2014.12.25 Thursday
フィリピンは9月に入るとクリスマス・シーズンに入る国で、その理由はSeptemberの最後の3字のberが12月のDecemberと同じだからと、どうでも良い理由にならない理由を平気で言っているが、いくらなんでも早いのではと思う。
カトリック信者が国民の80%以上を占めるフィリピンでは、さもありなんという感じはするが、要するにお祭り好きなだけで理由は何でも良く、宗教心とは別の次元で動いている。
一方、現在住んでいるラオスは仏教が多数派の国。すぐ側のメコンの堤防沿いを散策すると僅かな距離で、寺が5つも作られていて、住まいの前にも寺がある。
こういう国だから他宗教のクリスマスなどほとんど関係ない国だろうと思っていたら、やはりその通りだった。
街中のどこへ行ってもクリスマスのデコレーションを飾っているのは少なく、ましてやクリスマス・ソングをこれでもかと流すようなことは全くない。
それでも客商売の店が辛うじて地味に飾り付けているのがあるだけでフィリピンのにぎやかさを知る私としては、これではいくらなんでもクリスマスに縁遠い国過ぎると感じた。
先日、メコン川沿いの車道を久々に走ったら、ナイトマーケットで知られる公園の一角にクリスマスツリーが飾られていた。
大きさは大きいが飾り付けは超地味で、我が家で毎年飾るツリーの方がよほど派手に見える代物で、どう見ても仕方なく設置したような雰囲気を醸し出していた。
写真はヴィエンチャンではなく、いつも行くタイ・ノンカイのショッピング・センター内で見かけたツリー。結構大きなツリーで、昼間は地味目でも夜になるとイルミネーションが輝き、それなりに気分を盛り上げてくれる。
手前に白っぽく見えるのは雪ダルマで、雪のないタイだから、雪ダルマと一緒に写真を撮る人も多い。
このようにタイはラオスに劣らない仏教国であっても、クリスマスも一つのチャンスと割り切って商業化が進み、クリスマス・セールをやっていた。
ところで、フィリピンはクリスマス・イヴの夜中から花火を盛大にやり、年末年始と合わせて花火による死傷者数が、毎年のニュース種になる国だが、ラオスはそういった花火で騒ぐというのは無いようで、至って静かなイヴだった。
この調子で行くと、年越しのフィリピンの様な花火で馬鹿騒ぎとは無縁となりそうで、考えてみれば、ラオスの正月は4月だから、12月から1月にかけて、年末年始という感覚は薄いのは当然。
そういえばラオスに住む少数民族の一つ『モン族』は数日前から正月に入っていて、所変わればの例え通り、この世は広いと感じた。
この一枚 ヴィエンチャン篇 (37) 《 ルアンパバンのトレッキング 》
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ヴィエンチャン暮らし その (59) ラオスの象 アフリカの象
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2014.12.21 Sunday
10月にラオスの世界遺産に指定されている『ルアンパバン』へ行ったが、その時、旅行会社の現地ツアーに参加した。ルアンパバンはラオス一の観光地だから、目抜き通りには旅行会社が連なり、各種ツアーを催行し、あの手この手のメニューで観光客を呼び込んでいる。
定番の観光地巡りは勿論、最近は『エコ』を絡めたツアーが流行で、欧米人などを中心に人気は高いようだ。この時、私たち夫婦が選んだのは1日コースの『トレッキング+カヤッキング+象に乗る』という欲張ったプランで、一人30ドルだった。
各所のホテルから集められた観光客がメニューに応じてポイントで降ろされていくが、トレッキングを選んだのは私達だけで、日本でいえば里山をガイドと一緒に歩く。
ちょうど米の収穫期に当っていて、実った稲穂の色が美しい谷あいをブラブラ歩き、それはそれで悪くはないが、こんなコースで金を取るのかという気もした。
2時間近く歩いて、着いたのがカヤックに乗るメコン川の支流河原で、何のことはない、普通なら車でここまで連れてくるところを自分の足で歩かされたわけである。
さて、この時のカヤックについては別の機会に書いてみたいが、カヤックによる川下りを終えて、メコン川沿いにある象のキャンプ地に行って最後の象に乗るコースとなった。
メコン川で水遊びをする象と一緒に戯れるのは面白い体験だが、時間がなくてすぐに待ち構えていた象に乗る。象に乗るのはその昔、タイの北東部にあるスリンという町で乗ったことがあり今回は2度目。
ちなみにスリンは象で有名な町で、毎年『象祭り』が行われている。スリンでは公園内を回ったが、ラオスでは象キャンプのあるメコン川沿いの集落内を回遊する。
写真が象の背中に乗った座席から撮った写真で、左下に象の頭が写っている。普通の集落内をノッシノッシと歩くさまはなかなか得難い体験だが、象の乗り心地というのはかなり悪く、象が足を踏み出すたびに左右に上下して手摺に掴まっていないと具合が悪い。
その昔、タイやラオスの王侯は象を移動手段として使ったと聞き、その当時の象用の座席なども残されているが、思うほど快適ではなかったのだと今回分かった。
しかし、写真でも分かるように象の背中から見下ろす周囲の様子は、辺りや下々を『睥睨』するといった感じで、権威付けには適していたのかも知れない。
このように集落内をノッシノッシと回るが、集落の人も毎度のことで、象など珍しくなく僅かに小さな子どもが顔を向ける程度。写真でも写っているが象に乗る観光客の目を引くように、家の軒先に観光土産を置く家が目立った。
象はアジア象とアフリカ象の2種類があって、ラオスやタイで見るのは勿論アジア象だが、近年は生息数が減って3万から4万頭という。
この間、タイ・ノンカイに行って野外レストランで食事をしていたら、小象2頭がレストランの客に愛嬌を振りまいていたが、これはバンコクなどでも見られる『象の物乞い』で、都会で生活させるため『動物虐待』ではないかと、近年はやり玉に挙げられている。
アジア象は温和なため、こうやって人間が飼い慣らして見世物や木材運搬などの使役などに使っている。以前、ラオスの雨期の時、国道を車で走っていたら鎖を首に巻いた象が何頭か国道脇を歩いているのを目撃したことがあって、あれは雨期の時に山で切った原木を運ぶために働いているのだなと、今でも雨の中を歩くその姿は印象的だった。
一方、アフリカ象だがアジア象と違って気が荒くて飼い慣らすのは難しい。こちらの方は5万頭くらいの生息数といわれているが、象牙を獲るための密猟が盛んで、印鑑や象牙細工を珍重する日本、中国は批判されて良く、特に象牙密輸が大っぴらな中国は指弾に値するロクでもない国である。
アフリカ象はアフリカにいた時見ているが、サバンナの遠くに象の群れがゆっくりと移動する様は感動的なシーンではあった。
その時、友人の働いている自然公園を訪ねたことがあって、たまたま公園内の道路で子どもを連れた象に遭遇した時、間近で見る象の姿は子どもを連れているために、かなり威嚇的で危険。砂を鼻で吸って身体に振りまいている姿なども興味深かったが立ち去るまでこちらはジッとしていた。
そういえばその時、友人の宿舎に泊まり、夜中に『ジャージャー』と窓の外に音が聞こえ、雨が降っているのかと夢うつつに聞いていたが、翌朝聞いたら象が小便をしていた時の音で、夜になると家の周りを徘徊していると教えられた。
象はその姿から子どもの人気者で、童話や歌にもなって親しまれている動物だが、先の戦争中に動物園で飼われている象を餓死させる話などもあって、題名は失念したがこの動物園の象を餓死させた話を毎年8月に評論家の秋山ちえ子がラジオで朗読しているのを聞いたことがあって、涙を禁じ得なかった。
戦争というものは何もかも命を奪うものだと、自民党の国家主義者、安倍に聞かせたい話でもある。
先ほど、タイ・スリンの象祭りのことを書いたが、ラオスでも象の多い地域があって、そこではやはり象祭りを毎年開催しているらしく、機会があったら行ってみたいと思っている。