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この一枚 ヴィエンチャン篇 (38) 《 ラオスのクリスマスツリー 》


 フィリピンは9月に入るとクリスマス・シーズンに入る国で、その理由はSeptemberの最後の3字のber12月のDecemberと同じだからと、どうでも良い理由にならない理由を平気で言っているが、いくらなんでも早いのではと思う。

 カトリック信者が国民の
80%以上を占めるフィリピンでは、さもありなんという感じはするが、要するにお祭り好きなだけで理由は何でも良く、宗教心とは別の次元で動いている。

 一方、現在住んでいるラオスは仏教が多数派の国。すぐ側のメコンの堤防沿いを散策すると僅かな距離で、寺が
5つも作られていて、住まいの前にも寺がある。

 こういう国だから他宗教のクリスマスなどほとんど関係ない国だろうと思っていたら、やはりその通りだった。

 街中のどこへ行ってもクリスマスのデコレーションを飾っているのは少なく、ましてやクリスマス・ソングをこれでもかと流すようなことは全くない。

 それでも客商売の店が辛うじて地味に飾り付けているのがあるだけでフィリピンのにぎやかさを知る私としては、これではいくらなんでもクリスマスに縁遠い国過ぎると感じた。

 先日、メコン川沿いの車道を久々に走ったら、ナイトマーケットで知られる公園の一角にクリスマスツリーが飾られていた。

 大きさは大きいが飾り付けは超地味で、我が家で毎年飾るツリーの方がよほど派手に見える代物で、どう見ても仕方なく設置したような雰囲気を醸し出していた。

 写真はヴィエンチャンではなく、いつも行くタイ・ノンカイのショッピング・センター内で見かけたツリー。結構大きなツリーで、昼間は地味目でも夜になるとイルミネーションが輝き、それなりに気分を盛り上げてくれる。

 手前に白っぽく見えるのは雪ダルマで、雪のないタイだから、雪ダルマと一緒に写真を撮る人も多い。

 このようにタイはラオスに劣らない仏教国であっても、クリスマスも一つのチャンスと割り切って商業化が進み、クリスマス・セールをやっていた。

 ところで、フィリピンはクリスマス・イヴの夜中から花火を盛大にやり、年末年始と合わせて花火による死傷者数が、毎年のニュース種になる国だが、ラオスはそういった花火で騒ぐというのは無いようで、至って静かなイヴだった。

 この調子で行くと、年越しのフィリピンの様な花火で馬鹿騒ぎとは無縁となりそうで、考えてみれば、ラオスの正月は
4月だから、12月から1月にかけて、年末年始という感覚は薄いのは当然。

 そういえばラオスに住む少数民族の一つ『モン族』は数日前から正月に入っていて、所変わればの例え通り、この世は広いと感じた。
 


author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 14:07
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この一枚 ヴィエンチャン篇 (37) 《 ルアンパバンのトレッキング 》


 写真は10月のラオス・ルアンプラバン近郊の田園風景。手前の作物は水稲で、左中ほどで茶色く見える一帯は陸稲で既に色づいて収穫の時を迎えている。

 このように同地域で水のある所は水稲を、水のない所は陸稲を栽培する混植というのは初めて見たが、その色分けが美しい。

 ラオスは米食文化で、しかももち米を主食としていて、蒸したもち米を小さな編んだ籠に入れて、それをおかずと一緒にもち米で包む、あるいはおかずに付けて食べる。

 今回歩いた地域は雨季になると相当荒れる道をトコトコ進んだが、左右に写真の様な光景が広がり、これはこれでよろしい。

 栽培されている稲は日本で見るような稲と違って全体に丈が高く、稲穂も大きかった。

 米の専門家ではないから、これが何の米の種類か分からないが、土地に根付いて稲作する人々はどこか強固な存在を感じさせる。

 ヴィエンチャンは都市化が進んでいるとはいえ、まだまだ世界の首都の田舎という異名を持つように、少し市街地を外れると、田園風景が広がる。

 時々、タイ・ノンカイに向かう時に乗るバス路線からは両側に水田地帯の広がる地域があって、その辺りを走行中は目が休まる。

 ラオスの稲作は
2毛作、3毛作も可能で、稲穂が重く垂れる田圃の隣では代掻きをしていたりと、その具合が面白い。

 しかし、こういったバスの路線から見える牧歌的風景も、次々と埋め立てられて工場や住宅用地に変えられていて。やがて姿を消していくのであろう。



 次の写真はトレッキング途中で見た収穫風景で、刈り取って干した稲の束をビニールを敷いた地面に叩きつけて米粒を収穫する、原始的といえば原始的な作業。

 機械化の進む日本の農業から見れば相当なズレであろうが、元々こうやって始祖以来、米を収穫してきたのだから、不必要な機械の支払いに追われる日本の農民よりよほど余裕があるのではと感じる。

 このように里山のトレッキングはノンビリと続けたが、乾季の今は歩き易いが、雨季は大変だろうなという場所も多く、中には道沿いの木立の根元に流れてきたビニール袋がたくさん絡みついていた。

 このようにどんな山奥に入っても自然に還らないプラスティック製品の残骸は目立ち、次世代は困るだろうなと思った。
 


author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 19:20
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ヴィエンチャン暮らし その (59) ラオスの象 アフリカの象
 10月にラオスの世界遺産に指定されている『ルアンパバン』へ行ったが、その時、旅行会社の現地ツアーに参加した。ルアンパバンはラオス一の観光地だから、目抜き通りには旅行会社が連なり、各種ツアーを催行し、あの手この手のメニューで観光客を呼び込んでいる。

 定番の観光地巡りは勿論、最近は『エコ』を絡めたツアーが流行で、欧米人などを中心に人気は高いようだ。この時、私たち夫婦が選んだのは1日コースの『トレッキング+カヤッキング+象に乗る』という欲張ったプランで、一人30ドルだった。

 各所のホテルから集められた観光客がメニューに応じてポイントで降ろされていくが、トレッキングを選んだのは私達だけで、日本でいえば里山をガイドと一緒に歩く。

 ちょうど米の収穫期に当っていて、実った稲穂の色が美しい谷あいをブラブラ歩き、それはそれで悪くはないが、こんなコースで金を取るのかという気もした。

 2
時間近く歩いて、着いたのがカヤックに乗るメコン川の支流河原で、何のことはない、普通なら車でここまで連れてくるところを自分の足で歩かされたわけである。

 さて、この時のカヤックについては別の機会に書いてみたいが、カヤックによる川下りを終えて、メコン川沿いにある象のキャンプ地に行って最後の象に乗るコースとなった。

 メコン川で水遊びをする象と一緒に戯れるのは面白い体験だが、時間がなくてすぐに待ち構えていた象に乗る。象に乗るのはその昔、タイの北東部にあるスリンという町で乗ったことがあり今回は2度目。

 ちなみにスリンは象で有名な町で、毎年『象祭り』が行われている。スリンでは公園内を回ったが、ラオスでは象キャンプのあるメコン川沿いの集落内を回遊する。

 写真が象の背中に乗った座席から撮った写真で、左下に象の頭が写っている。普通の集落内をノッシノッシと歩くさまはなかなか得難い体験だが、象の乗り心地というのはかなり悪く、象が足を踏み出すたびに左右に上下して手摺に掴まっていないと具合が悪い。

 その昔、タイやラオスの王侯は象を移動手段として使ったと聞き、その当時の象用の座席なども残されているが、思うほど快適ではなかったのだと今回分かった。

 しかし、写真でも分かるように象の背中から見下ろす周囲の様子は、辺りや下々を『睥睨』するといった感じで、権威付けには適していたのかも知れない。

 このように集落内をノッシノッシと回るが、集落の人も毎度のことで、象など珍しくなく僅かに小さな子どもが顔を向ける程度。写真でも写っているが象に乗る観光客の目を引くように、家の軒先に観光土産を置く家が目立った。

 象はアジア象とアフリカ象の2種類があって、ラオスやタイで見るのは勿論アジア象だが、近年は生息数が減って3万から4万頭という。

 この間、タイ・ノンカイに行って野外レストランで食事をしていたら、小象2頭がレストランの客に愛嬌を振りまいていたが、これはバンコクなどでも見られる『象の物乞い』で、都会で生活させるため『動物虐待』ではないかと、近年はやり玉に挙げられている。

 アジア象は温和なため、こうやって人間が飼い慣らして見世物や木材運搬などの使役などに使っている。以前、ラオスの雨期の時、国道を車で走っていたら鎖を首に巻いた象が何頭か国道脇を歩いているのを目撃したことがあって、あれは雨期の時に山で切った原木を運ぶために働いているのだなと、今でも雨の中を歩くその姿は印象的だった。

 一方、アフリカ象だがアジア象と違って気が荒くて飼い慣らすのは難しい。こちらの方は5万頭くらいの生息数といわれているが、象牙を獲るための密猟が盛んで、印鑑や象牙細工を珍重する日本、中国は批判されて良く、特に象牙密輸が大っぴらな中国は指弾に値するロクでもない国である。

 アフリカ象はアフリカにいた時見ているが、サバンナの遠くに象の群れがゆっくりと移動する様は感動的なシーンではあった。

 その時、友人の働いている自然公園を訪ねたことがあって、たまたま公園内の道路で子どもを連れた象に遭遇した時、間近で見る象の姿は子どもを連れているために、かなり威嚇的で危険。砂を鼻で吸って身体に振りまいている姿なども興味深かったが立ち去るまでこちらはジッとしていた。

 そういえばその時、友人の宿舎に泊まり、夜中に『ジャージャー』と窓の外に音が聞こえ、雨が降っているのかと夢うつつに聞いていたが、翌朝聞いたら象が小便をしていた時の音で、夜になると家の周りを徘徊していると教えられた。

 象はその姿から子どもの人気者で、童話や歌にもなって親しまれている動物だが、先の戦争中に動物園で飼われている象を餓死させる話などもあって、題名は失念したがこの動物園の象を餓死させた話を毎年8月に評論家の秋山ちえ子がラジオで朗読しているのを聞いたことがあって、涙を禁じ得なかった。

 戦争というものは何もかも命を奪うものだと、自民党の国家主義者、安倍に聞かせたい話でもある。

 先ほど、タイ・スリンの象祭りのことを書いたが、ラオスでも象の多い地域があって、そこではやはり象祭りを毎年開催しているらしく、機会があったら行ってみたいと思っている。
 


author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 18:57
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