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この一枚 ヴィエンチャン篇 (30) 《 ルアンパバンのヴィンテージ・カー 》


 前回に続いてヴィンテージ物の一枚。

 ラオス、カンボジア、ヴェトナム
3国を『仏領インドシナ』とかつて言ってたように、この3国はフランスの植民地だった。

 ラオスについていえば、
1893年から1953年まで、60年ほどフランスの支配を受けていた。そのためか、今でもフランス語はラオスの上流階級では通じていて、一種のステータス=見栄ともなっている。

 これはスペインの植民地だったフィリピンでもスペイン語を上流階級では通じるのと同じ現象で、上流と称する連中のスノッブさを物語っている。

 そのスペイン語も
300年以上に渡るフィリピン支配から、現在話されているフィリピンの言葉の中にスペイン語の単語がそのまま数多く取り入れられている。

 ミンダナオ島サンボアンガ地方で話す土着の言葉に『チャバカーノ』という言語があって、それなどスペイン語そのままといわれている。

 ラオスの場合は、植民地支配が短かったためか、ラオ語にフランス語の影響はほとんどないと思うが、ラオ語そのものに覚束ない私では『これはフランス語の影響がある』などと判断のしようがない。

 さて、写真の車はルアンパバンで見かけて、その程度の良さに引かれて、前後左右何枚も写真を撮った。

 この車はフロントグリルに『矢羽根』があるように、フランスの『シトロエン』と分かる。

 長いボンネット、独立したヘッドライト、張り出した前後のフェンダー、と見れば見るほど車創世記の香りを色濃く残している。

 いわゆる『クラシック・カー』に属する車かと思って調べたら、この車は『
Traction Avant=トラクシオン・アヴァン』という車種で、戦争を挟んで1934年から1957年まで生産された車だった。

 
1950年代後半まで生産し、生産台数が75万台とあるから、それほど希少車種ではなく、日本の街中でも目撃していたかも知れないが記憶には残っていない。

 ただし、ヴェトナムに旅行した時、黒く塗られた同車種を見ていて、宗主国のフランス人かその国の金持ちが乗り回していたようで、ラオスにあってもおかしくない。

 シトロエンという自動車会社は斬新なアイディアとデザイン力があって、歴史に残る名車をいくつも出していて、この間タイ・ノンカイのショッピングセンター駐車場で見かけ、記事を書いた『2
CV』など、名車中の名車になる。

 この車の場合、前輪駆動とモノコック構造の採用を早い時期に取り入れていて、その革新性は高く評価されている。

 ルアンパバンの『
Traction Avant=トラクシオン・アヴァン』は綺麗に磨かれていて、誰が乗っているのか分からないが、駐車しているそばにコロニアル様式の古い建物を使ったレストランがあって、その建物に合わせた車の色なので、そこの経営者が客引き用に駐車しているのではと想像した。

 何度かこの通りを歩いているが、いつも同じ場所に駐車しているので動かないのかなと思っていたら、ある日向きを変えて駐車していたから実際に動くようだ。

 運転席を覗いても、外観同様手入されていて、フロントガラスには『
2014』のラオ語のスティッカーが貼られていたから現役間違いない。


author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 21:28
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この一枚 ヴィエンチャン篇 (29) 《 ルアンパバンのヴィンテージ・バイク 》


 ルアンパバンのような旧い伝統のある町には面白いものが残っていると思って、町中を漫ろ歩きした時、メコン川沿いの古びた家の軒先に置かれたこのバイク。

 後ろにピンと跳ね上がったマフラーを見て、昔憧れたホンダのバイクではないかと写真を撮った。前後左右、もっと写真を撮って置けば良かったと思うが、車体に『
HONDA』のロゴがあったから『ホンダ・スポーツカブ・C115』だと思う。

 このバイクは
1958年、ホンダの超ヒットバイク、世界で最も売れたバイクと冠される『スーパーカブC100』が売り出された後、スポーツ用に開発、1060年代に入って売り出されたもので、当時中学生になったばかりの私には、跳ね上がったマフラーが何とも斬新、空を飛んで行くような感じさえ受けて、バイクを最初に持つなら『コレ』と決めたものだった。

 自動修理屋を営んでいる人が実家の近くにあったアパートに住んでいて、このバイクで行き来し道に停めていたので、目を盗んでは何度も跨いで運転している気分になったものだった。

 ただし、格好いいと思ったのは当時の記憶であって、このバイクの現在に残る資料写真を見ると、結構野暮ったさが目立つ。

 写真のバイクはフロント・フォークが今風のパイプ様式になっているが、当時は鉄板を組み合わせた箱型フロント・フォーク仕様で、写真のバイクは交換されたのが分かる。

 また、当時のタイアはスポーク・リムが当たり前で、このバイクは今風のアルミダイキャスト製に前後とも交換されている。

 色なども塗り替えられているが当時は鮮やかな青、あるいは赤の車体が銀色に輝くメッキのマフラーや金属部分に良く映えて、戦後の高度成長期に入る息吹を感じさせたものだった。

 ただし、写真のバイク、専門家でもないから本当に『ホンダ・スポーツカブ・
C115』とは断定できない所もある。付け替えたマフラーがたまたま跳ね上がっているだけで、それで思い込んでいるのかも知れない。

 ラオスの隣国ヴェトナムでは『ホンダ・ドリーム』と名付けた昔、日本で走っていた旧スタイルのバイクを今も生産しているから、その流れのバイクかも知れない。

 このヴェトナム産のバイク、ヴィエンチャンの中古市場で時々売られていて、その売主に当たると、ヴェトナムで中古バイクを購入して、ヴェトナムを回って、次にラオスに入ってまた旅行を続け、その後ラオスで処分する手が使われている。

 こうすると、ヴェトナムから運んだだけでかなり高く売れ、旅行にも使えるから一石二鳥。欧米系の貧乏旅行者が旅行資金を得るためにやっていると聞くが、ヴェトナムからラオスに持ってくるには国境をどうやって上手に通過できるのかよく分からない。

 旅行者として持ち込むのは可能でもラオスで処分、売るとなると書類はどうするのかと考え、難しいと思うが案外、裏の手があってヴィエンチャンで売り出されるのであろうか。
 


author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 18:35
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ヴィエンチャン暮らし その (44) 日本人会バザーで買った本
 ラオスには在留邦人が400人くらい居るという。これは日本大使館に届けを出して把握されている人数であって、どこの国でもそうだが大使館に在留届を出さない人間は多く、ラオスの場合は旅行者を除いてほぼ把握されている人数ではないかと思う。

 これがセブやマニラなどのフィリピンになると届けを出さない、いわば『幽霊邦人』が非常に多い。セブの場合、届けを出しているのは2000人近くというが、幽霊邦人は届け出以上に居住していて、届けを出している人数の倍近く居るのではなどと推測されている。

 罰則規定のない届出だから、さほど重要ではないとの認識があるためだろうが、3ヶ月以上在外に続けて居住する場合は在留届を出すとなっている。と、こう書いているが、ラオス・ヴィエンチャンに住み始めて既に
7ヶ月経過。

 当然在留届を出していて良いのだが、この届けは本人が出すもので、この間、一度もヴィエンチャンの日本大使館に行った記憶はないから、私も『幽霊邦人』になっている。

 セブの領事事務所には在留届を出しているから、いまだそちらに居住していることになり、毎年
10月には現況調査があって、電話や文書で聞かれるが、今年はメールでその催促が来た。

 今はインターネットで届け出ができるので変更しようと思って、日本の外務省の
HPを見て試みたら、生年月日やパスポート番号を入れて届出の画面に移るのだが、『あなたは該当していません』と出て来たので、おかしいなと思いながら『まあ、いいか』で止めた。

 さて、前置きが長くなってしまったが、ヴィエンチャンに来て、こちらの『日本人会』に入った。入会条件に在留届の有無はあったと思うがいずれ手続きすると思われて入会できたのであろう。

 セブでは会員数が
100人チョッとくらいの時に仕方なく入った経験を持ち、理事もやらされたし、補習校では運営と講師を10年近くやった。それが2006年に中米へ夫婦で滞在することとなり、補習校から身を引き、同時に日本人会も退会した。

 それまでセブ日本人会の活動には人の何倍も協力したのだからいい加減この辺で終わりにしたいのと、元々海外で日本人が団子になっているのを好まぬこと、セブ日本人会が『老人会』のような感じがしてきっぱりと縁を切った。

 そのため日本人との付き合いもほとんどなくなったが、何十年セブに住んでいようが異邦人であることは変わらないが、フィリピン人と同じ目線になって、フィリピン人との付き合いが増え、深まり、理解することも多くなった。

 その国の生活数年程度で、その国を理解したようなことをいう輩は多いが、そういう単純なものではないと自分の経験からいいたいが、そう思い込んでいるなら思い込んでいれば良く、それを他人に押し付けないことが必要である。

 今日、ラオス日本人会が主催して『バザー』が開かれた。場所はヴィエンチャン中心にある『武道館』駐車場で、武道館とあるように日本の援助で作られた施設で、こういった施設は作ったは良いが、その後閑古鳥が鳴くというパターンが多い。しかし土曜日ということもあってか柔道や空手を習う子どもや大人の姿は多く、ラオスでも結構愛好者は居るのだなと印象を持った。

 そのバザーで日本の古本が売られるというので楽しみにしていたが、開場早々足を運んで購入したのが写真の本になり全部で
30冊ある。単行本も文庫本もどれでも11万キップ、日本円で約113円。

 恐らくこれらの本は帰国した日本人が残して寄贈した本を売っているのだと思うが、良い本は手元に残して持って帰っているだろうから、これはぜひ欲しいという本は少なかった。

 それでも何度も行って選んで購入したが、その乗りは日本へ行った時に
105円で買うのと同じで、本の題名と作者を見て一気買い状態。バザーの終わり頃に覗いたら、値段が半額になっていて、急いで物色したが目に留まるような本は既になく、やはりこういったバザーは早い者勝ちと当たり前のことを再認識。

 ちょうど、セブから持ってきた本が少なくなったので、タイミング良く買えて、今夜は枕元に積んで背表紙を眺めようと思っている。
 


author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 21:36
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