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この一枚 ヴィエンチャン篇 (27) 《 サバの塩焼き定食 》


 タイ・ノンカイで『サバの塩焼き定食』を飽きずに食べていることを書いているが、この写真がその定食で、値段は日本円にして550円くらい。

 この他に定食の上にあるカラフルな急須に入ったのが緑茶で、これで都合
600円を超す。

 日本の安い定食屋では
500600円くらいでサバの塩焼き定食を食べられるから、それと同値段だが、日本とタイの所得の差を考えると、こういった日本食レストランで『サバの塩焼き定食』を食べるのはタイ人にとってはかなりの贅沢になる。

 さて、味の方だがサバには間違いなく脂の乗りもソコソコで、付け合せに左から人参、エリンギ、隠元、ポテトとあってサバの代わりに牛肉や豚肉に置き換えてもそのまま出せる。

 この他に椀物は豆腐とワカメ入りの味噌汁で、味の方はチャンとしていて、タイの片田舎で食べる味噌汁としてはマアマア。

 お新香として小皿に『キムチ』が少しあって、何でもタイではキムチは日本の漬物と思われていて、いわゆる沢庵や白菜の浅漬けの様な香の物を付けるのは少なく、キムチになっているとタイに長く住んだ日本人がいっていた。

 左端にあるのはサラダのマヨネーズあえで、もう少々量があったら良いと思うが、いずれの一品、一品はメニューの写真と盛り付け量や体裁が違い過ぎておかしい。

 しかし、これはどこの店でもやっていることで、たまには写真より良い料理を出す店がないものかと思うが、これは無理な話か。

 さて、このサバの塩焼き、ポン酢の様な物に浸して食べるようになっているが、そんな物よりオーソドックスに醤油を付けて食べた方が美味い。

 サバといえば私のラオ人の知り合いはサバが大好きで、ノンカイのショッピング・センター内にあるスーパーで丸のままのサバを必ず購入するが、先日など当人から頼まれてスーパーで売るサバを
5本買ってヴィエンチャンまで運んだ。

 もっともこのサバ、元々冷凍で販売しているから、凍ったままビニール袋に入れて国境を越えると、うまい具合にヴィエンチャン到着時には自然に解凍されているから具合が良い。

 そうはいっても日本人の魚を見慣れた目からはこのサバ、活きが悪そうで買ってみようかという気にならず、個人的には一度も買ったことがない。サバは『サバの生き腐れ』という言葉があるように、釣ったサバがみるみる内に痛む性質があって注意して運ばないといけないのは確か。

 サバで思いだしたが香港国境近くの町で暮らしていた時、香港へ出た時は日系のスーパーへ寄って『冷凍サンマ』を良く買った。値段も他の魚と比べると非常に安く、魚体は小さいが解凍して焼いて食べれば正にサンマその物。

 ただし、いくら中国でも裸火で焼いて食べるというのはできなく、フライパンの中で油を引いて焼いて食べていた。

 香港でそんなサンマを売っているのは香港でメイドとして働く
20万人近いフィリピン女性が食べるためと聞いたことがあって、香港ではサンマ=フィリピン人という印象があり、日本人が食べると怪訝な顔をされるが、ケチな中国人には安いサンマが経済的でメイドに与えられるという事情があったのではないか。


 
author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 18:06
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ヴィエンチャン暮らし その (39) ヴィエンチャンの本屋
 私の海外生活で何が足らないかというと、日本語の本を売る『本屋』のないことが一番で、現地の日本食や日本食レストランなどどうでもよく、ともかく本屋があれば嬉しく、日本に行った時は真っ先に本屋へ直行する。

 かつて中国の広東省で仕事をしていた時、香港まで出て今もあるのかどうか分からないがデパートの『そごう』の中に日本の書店があって、ずいぶん日本の本を買ったが、いかんせん値段が定価の3割増し以上で、そうはホイホイと購入はできなかった。

 その近くに日本の古本を売る店があって、そこでは文庫本を中心に買い込んで中国に持って帰って読んでいたが、その店はやはり商売として成り立たなかったのか、いつの間にか消えてしまった。

 タイのバンコクには日本の古本を売る店が何軒かあり、バンコクのガイド本にも広告を出しているので以前、それを頼りに探したこともあったが、見つからずスゴスゴと帰ったことがある。

 それでも、ノンカイのショッピング・センター内にある
2軒の書店には必ず顔を出すようになって、全部タイ語ばかりの中、何冊か写真中心の新刊本を買っている。

 さて、写真はヴィエンチャンにある本屋の様子で、場所は中心部の繁華な市場内にあり、文房具なども一緒に売っている店がこんな感じで何軒か固まっている。もっとも売っている本はタイ語やラオ語の本ばかりで、繁々と物色、長居するような本屋ではない。

 人口
70万人ほどのヴィエンチャン市内で本らしきものをまとめて売っている店はここぐらいと思うが、先日観光客の多く集まる通り近くで別口の本屋を見つけ中に入った。

 ここはどういう種類の本屋かよく分からないが、政府が経営している本屋のようで、そのためか閑散、政府の刊行物や教科書の類を書棚に並べていた。

 全部ラオ語だからどのような内容の本か詳しくは分からないが、表紙や中身のイラストや写真で、内容は想像できる。中には子ども向きの興味を引く絵本などもあって、ゆっくり見れば面白いかも知れない。

 この春にセブからヴィエンチャンに入る時、その少し直前に日本ヘ行ってかなりの数の文庫本を買い込んでいたが、他の荷物の多さのため持ってこられず、ずいぶんセブの自宅に残しているが、今やどういう本を残しているのか忘れてしまっている。

 それほど日本では
105円の中古書店で買い込むが、その買い方も、背表紙を見てバシバシ籠に入れていくやり方で、時には違う中古書店で同じ本をダブって買っている、あるいはかつて読んだことのある本を買い込むなど、結構頓馬なこともある。

 セブにはもちろん日本の本を売る書店はないが、扱っている本は英語版なので、新刊を以前はずいぶん買い込んだ。そのほとんどは写真を中心にしたいわゆる『
Coffee book』と呼ばれる物だが、これがある時『シロアリ』に食われてほとんどをダメにしたことがあった。

 その食い方も巧妙で、中だけを食い破った状態で次々と横に移動していて表面には出てこないため、なかなか気が付かず気付いた時は手遅れだった。全部廃棄処分としたが、こういう時の情けなさというのは表現しがたいものがある。

 ネットの時代になって、新刊も古本も書名を検索すればたちどころに分かり、しかも販売価格まで分かり購入できる時代、紙の本ではなく電子本などというつまらない時代となったが、いくら便利でもこういうシステムを使う気にはならない。

 本というのは『出会い』が大切で、日本へ行った時、満を持して神保町の古本屋街を逍遥しながら目当ての本、あるいは書名に引かれて偶然買い込んだりと、そういった予期せぬ出会いの楽しみがあり、こういった楽しみ方はネットの時代になっても根強いものとして残ると思うがどうだろうか。

 電子本の興隆や未来が喧伝され、今にも紙の本が駆逐されるような予想を立てる者もいるが、電子本は読み捨ての漫画やハウ・トゥ―物の
ような資料として役に立たない、一過性の内容には適しているだろうが、本を読む人間はそんな物には手を出さないから、紙の本と上手く住み分けていくのでは行くのではないだろうか。






 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 21:04
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ヴィエンチャン暮らし その (38) 国境を越える
 日本のように四方海に囲まれた国に住んでいると、国境を超えるというのは何か特別な行為、感じを抱くらしいが、私自身もそういった感じは持つ。

 写真は2週間ごとに出入りを繰り返しているラオスの出入国ポイントで、写真を撮った側は既に出国手続きを終えた側で、これからバスに乗ってメコン川に架かる橋を渡ってタイへ入る。

 写真には写っていないが右端に駅の改札口と似たゲートがあって、出国前に外国人は
1万キップ(約113円)を出して、カードを購入。

 この改札口でカードを差し込んで通過となるが、ラオ人は無料で、徴収の管轄がカスタムとなっているから妙な感じを受ける。カスタムが出入国者から金を取るというのは世界でもあまりないのではと思うが、体の良い税金徴収、昔の『関所』だと思って通過するしかない。

 冒頭、国境には特別な感じを持つと書いたが、ラオ人などはその気持ちを聞いたことはないが、彼らは国境往復用の特別のノートを持っていて、これは申請して受け取り、パスポート無しで簡単にラオスとタイの間を行き来できる。

 もっともこのパスポートに代わる許可証でタイへ出国した場合、タイのどこへでも行けるわけではなく、ノンカイから南下すること
2時間ほどの所にある大都会『ウドンターニ』までだという。

 パスポートなら問題ないらしいが、それにしてもウドンターニから先の町やあるいは首都バンコクまで行ったとしても誰が『このラオ人は禁止されている場所に来ている』と、誰がチェックし、誰が分かるのだろうか。

 ラオ人もタイ人も同じような顔つきだから人ごみに混ざってしまえば分からないと思うが、それでもノンカイで見るラオ人は外国人の私でもタイ人と違ってどことなく田舎っぽく見えるから、タイ人からは『この人間はラオ人』と何となく見抜けるのかも知れない。

 そういえば一衣帯水の間柄とはいいながら、日本人から見て相手側の韓国人、中国人は何となく見分けることができるから同じ感覚なのかも知れない。

 さて、今でこそラオスの入出国は簡単になったが、私が初めてラオスに来た時はこの写真の場所でアライバル・ヴィザを申請して、
30ドルだか40ドルを払って取得した。今もこのアライバル・ヴィザは発行していて有効期間が1ヶ月という利点はあるが、有料。確か30ドルを取られている。

 こうやってメコン川をバスで乗り越える時代となったが、ラオスとタイの間に橋が架かる前は、メコン川を渡し船で行き来していて、今もノンカイの町中にその名残の船着き場や建物が残っていて、その時代もパスポートなしで住民は行き来できたという。

 メコン川を挟んだラオスとタイの両国を行き来すると書くと大袈裟になるのであって、住民にとっては、さしずめ江戸川の矢切りの渡しを使って千葉の松戸から東京の金町へと、隣の町へ行くような具合だったのではないかと想像する。

 数多くの国境を越えているが、印象的な国境といえば、アフリカのザンビアとジンバブエ間に架かる橋の上で、この橋はヴィクトリアの滝が流れ落ちるザンベジ川に架かっていて両国の中間点で線は引いていないが、ヴィザはなくても片足ずつをそれぞれの国に印すことができた。

 それで思い出したが、ザンビアの隣国、今は国名が変わってしまったが『ザイール』と呼ばれていた時代に、ザンビアからオートバイでザイールの東端の道を走ったことがある。

 この道はザイールがザンビア側に大きく食い込んでいる地域で、ザンビア側から北上してザンビアの北の町に行く場合はザイールを通って行かなければ行けないルートで出入国はどちらの国でもパスポートのチェックはあったが、出入国のスタンプはなく、いわば『幻の出入国』区間となる。

 今はこのルートはどうなっているのか分からないが、国境だ、領海だなどと為政者やその尻馬に乗るジャーナリストなどは騒ぎ立てるが、人為的に引いた線などその程度の物なのではないか。



 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 20:23
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