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ヴィエンチャン暮らし その(33) 2011年8月31日―女川にて
 もう3年前、あるいはまだ3年前というべきか、2011年の8月末に私は東北大震災による在住外国人被災者支援のために、3ヶ月間の予定でセブから東北に入り車で回っていた。

 この時の資金は『赤い羽根
=共同募金会』に申請し支給を受けたが、ほとんどはテント泊まりで、晩夏から中秋にかけての東北はかなり寒く、最後に入った11月初旬の福島県いわき市では、キャンプ地が山奥であったため暖房設備を購入する一歩手前、夜の寒さに震えあがった。

 これを書いている同月同日に何をしていたか写真データを括ると、この日は掲載した写真で分かったが宮城県女川町を訪れていた。

 写真を撮った位置は町立病院のある高台からで、写真からでもかなりの高さになるが、襲った津波の高さは
15m以上を記録し、写真を撮った高台の背後にある病院の1階の天井まで浸水したというから、恐るべしとしか言いようがない。

 写真右側に写るビルは地震時の液状化現象で土台ごと津波によって倒され、最初見た時はこういった鉄筋コンクリートのビルが横倒しになるなど信じられなかった。この津波によって人口
1万人に満たない町で、死者・行方不明1000人近くを出したというから尋常な被害状況ではなかった。

 訪れた時は被災後
5ヶ月経ったということもあって、がれきなどはほとんど撤去されて更地が広がり、工事用トラックが砂ほこりを巻き上げて忙しく走り回っていた。

 この時は石巻市にある大学の構内にテントを張って拠点とし、近隣の町を訪ねて外国人被災者の発掘、支援を行っていて、女川町にはミンダナオ島出身の女性が嫁いでいて話を聞くことができた。

 彼女の家は海岸部ではなく山間にあったため津波被害を受けなかったが、小さな子どもが震災時の恐怖を覚えていて、それが心配だといっていたが、こういった子どものケアが必要なのは他の地域に入ってからもいくつも聞かされた。あれから
3年経ってこういった子ども達がどのように育っているのか気にはなる。

 女川町は漁業、水産業の盛んな町だが、東北電力の『女川原子力発電所』のある町で、震災時には原発の建つ高台ギリギリまで津波が襲い、間一髪で直撃を免れ、福島原発の様な惨状には至らず、ただ幸運だったとしか言えない状況だった。

 仮に女川原発が福島原発と同様な事態になっていたら女川町は勿論、隣接する石巻市は全員避難、東北の大都市の仙台市まで影響を及ぼし福島原発以上の混乱は必至だった。

 現在、女川原発は震災以来停止されているが、こんな長い間、止めていても電力生産に影響がないということは、女川原発が無用の長物の証拠になるのではないか。

 翻って原発大国の日本の原発全てが現在止まっていても、電力事情がやはり深刻な事態になっていないという事実を見ると、いかに電力会社から余分な電気を消費者は売り付けていられたか分かり過ぎる話。

 消費者はスーパーで余計な品物を買うことはないのに、電力に関しては無防備、電力会社のインチキな余剰電力を無駄に消費していたと自覚するべきではないのか。

 原発といえば最近も、福島原発で汚染された土壌などを一ヶ所に集めて
30年間に限って臨時に地元で保管する政府決定がなされ、地元福島県の自治体が受け入れに動いているが、こんな弥縫策で一体どうするのか。

 放射能汚染物資は万年という単位の必要なやっかいな物で、
30年間取り敢えず世間の目から隠蔽するだけで、何の解決にもならず、今そのことに動いている連中は30年後には死んでいるから、あとは30年後の連中によろしくと無責任に放り投げただけ。

 受け入れる地元もどうせ回復不能の地なら、いっそのこと金になる保管地として売り渡した方が得との判断もあるのだろうが、日本の民心と政治のレベルの特徴がこの決定で顕著に出ている。

 ともかく、金で解決すれば良い決定で、未来のことなど何にも考えていないのは事実。この女川町も原発立地自治体に出る原発マネーで財政は潤い、隣接する石巻市との合併を拒んでいるというし、何よりも全国の自治体が国から受け取る『地方交付金』を国から受け取っていない数少ない自治体の一つで、いかに原発マネーが浸食しているか分かる。

 そろそろ震災時のほとぼりが冷めたから女川原発を再稼働する計画らしいが、またぞろ金で面を張るようなことが行われているのではないか。

 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 19:15
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ヴィエンチャン暮らし その(32) フィリピンで殺される日本人
 そういった統計を見て確認した訳ではないが、世界に数多ある国の中で日本人が一番殺される国はフィリピンだと聞く。

 その割に、日本人がフィリピンで殺されたケースなど日本の報道機関はほとんどお座なり報道で、新聞を例にとると報道されても
200字くらいの扱いで、それも現地で取材したのではなく現地の報道機関の引用記事ばかり。

 中には全く無視を決め込む報道機関の方も多く、これはフィリピンではあまりにも日本人が殺されているので、ニュースバリューがないと判断されているためであろうか。

 かつてフィリピンで日本人が殺される事件は『保険金詐欺』絡みの事件が多く、こういった事件は日本の報道機関も
3面記事的興味を持って扱っていたが、最近はフィリピンの保険金絡みの殺人については保険会社が調査をして以前のように簡単に支払わなくなったから、事件も少なくなり、報道も下火になった。

 もっとも保険会社が支払いを渋るようになったというのは逆に、以前はフィリピンでの保険金殺人はかなり成功していた証しにもなるが。

 さて、こういった殺人をフィリピンで実行できるのはフィリピンには『殺し屋』がいるに他ならない。殺し屋などというと劇画の世界のようだが、私がフィリピンに来た当時から『殺し屋を雇うのは簡単だ』と聞き、それも大した金はかからないという。

 それが本当にそうだと分かったのは、
10数年前にセブのモール前で白昼に日本人が射殺された事件からで、この時の事件では実行犯が珍しく捕まって、その供述から殺害依頼金は数万円もしなくて、しかも分割。

 この実行犯が捕まったのは殺人を依頼したフィリピン人が金の支払いを渋ったためともいうが、いずれにしても安い。なお、この事件で殺された日本人は長年セブに住み輸出を手掛けていた人物で、業者への金の支払いが悪く、また言動が粗暴などフィリピン人を馬鹿にする典型的な日本人だったようで、金絡みと恨みを買っていたのが原因だった。

 この事件で分かるように人が計画的に殺されるのは、金と怨恨ともう一つと何かの文で読んだことがあって、正にフィリピンは定石通りの殺人が日本人に対して実行されている。

 こんな一文をフィリピンを離れたヴィエンチャンで書きたくなったのは、最近またフィリピン国内で殺される日本人が多くなったためで、何年か前には毎月のように日本人が殺される年があって、今年もそんな様相を感じている。

 例えば
4月、ルソン島ブラカン州で、5月マニラ首都圏パラニャーケ市、6月マニラ首都圏マンダル―ヨン市、7月は発生しなくて8月ルソン島リサール州で、毎月のように日本人が殺されている。

 いずれの被害日本人に共通しているのは、フィリピン永住組、妻はフィリピン人、年齢は
50代から60代の老年組。つまり、殺された本人はどう思っていたか窺い知れないが、『南国の楽園』などとフィリピンの愚にもつかないフレーズに乗ったあるいは乗せられた『リタイア組』が多いようだ。

 また、フィリピン人妻というのもキーワードで、殺された本人の配偶者、身内を疑えというのは犯罪捜査の鉄則で、多くのケースは日本人夫の持つ資産を奪うために殺害する、あるいは他に男ができて日本人夫が邪魔になったなど類型的な例がほとんど。

 惚れた晴れたで一緒になって、夢を描いて、あるいは日本に居られなくなってフィリピンへ移住した日本人夫の方はおめでたく、フィリピン人妻はしたたかに計算しているのが多い。邪魔になれば、いとも簡単に殺し屋へ依頼できるのがこの国で、野放図な銃器が溢れているのも一因となっている。

 動機についてフィリピン人側を責めているようだが、それだけでは括れなく、日本人夫に良くある日常的なフィリピン人妻への『暴力』が原因になった事件もあり、今でも頭に残っているのは
10年以上前、セブ島隣のレイテ島西海岸の町で発生した事件がある。

 この事件はこんな場所に良く日本人が住むなという田舎町に住んでいた日本人がフィリピン人妻に日常的に暴力を加えていたため、それを見かねた妻の弟が日本人夫を刺殺した。

 これが特異だったのはこの弟は取り調べは受けたが逮捕されなかった。フィリピンの法律では殺人事件でも身内なりの告訴がないと事件化されないことがあって、殺された日本人は恐らくフィリピン人妻の一族や地元の人間に蛇蝎のように嫌われ、孤立無援状態で誰も同情する者がなく、加害者側の身内は口を噤んで事件捜査に協力しないから事件は結局忘れられてしまった。

 こういう事件を聞くと、殺された本人がいくら悪でも『殺され損』と思うし、フィリピンの法律の奇妙さとフィリピン人が好む『
Justice=正義』の言葉はきれいごと思わざるを得ない。

 またフィリピンで起きる日本人殺人事件は警察の捜査能力の貧弱さもあって、解決されずほとんどが迷宮入り。そのためどう見ても事件を仕組んだのではないかと思えるフィリピン人妻側もシャアシャアと暮らしていて、どうしようもならない。

 最後に、『ホスピタリティ―の国・フィリピン』などと甘い面でこの国を見るのではなく、この国では『恨みを買わない』『金でトラブルを起こさない』ことを銘記して暮らすことが必要である。もっとも、これはフィリピンだけの話ではなくどこの国に住んでも共通することではあるが。


 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 19:03
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この一枚 ヴィエンチャン篇 (22) 《 ヴィエンチャンで一番美味いといわれる『ヴェトナム料理』 》


 ラオス・ヴィエンチャン市は『世界の首都の田舎』といわれているように、これといった繁華な場所はなく、茫洋と平らに町が広がりその裏手は田園風景が広がる。

 それでも、それなりにどんな国でも存在するスノッブ相手に中心部には味と内容はともかく、世界の料理を食べさせるレストランや、一見洒落た様子の喫茶店もポツポツある。

 この間、『ヴィエンチャンのかつての映画館』のことをこの欄で書いたが、その元映画館のそばに『ヴィエンチャンで一番美味いヴェトナム料理』という評判の店があり、写真がそのメニューの一つになる。

 この店は以前すぐそばのホテルに長期滞在した時、前を通り、いつも活気があって何の店かなと思ってはいたが『どうせつまらないラオス料理だろう』と、一度も入ることはしなかった。

 それが家人がセブからヴィエンチャンへ来ている時に、『物は試し』と入った。これは後から分かったが、かなり有名なヴェトナム料理を出す店で、旅行者向けのガイドブックに紹介されているのか欧米人の姿も結構多い。

 写真は『生春巻き』になるが四角い緑の皿には各種の生野菜が乗っていて、右端に見えるのは『紫蘇』の葉で、ラオスで紫蘇の葉があることを発見。

 後日、市場へ行って探したらあるにはあるが、大きな束になっていて、チョッとツマにして食べるという繊細さはなく買う気は失せた。

 この他にこの店の売り物は何の肉か分からないが、鳥のツクネのようにして炙った一品があって、これも満載のレタス、香草類の野菜と一緒に巻いて食べるが、フィリピンのように肉なら肉だけしか食べない食習慣から考えると栄養的バランスは優れているのではと思う。

 店の『ヴィエンチャンで一番美味いヴェトナム料理』というのは、別に店がいっているわけではなく、どこかの旅行者がいっているだけで、それにヴェトナム料理店などヴィエンチャンのあちらこちらにあるわけでもなく、まあ無責任な貧乏旅行者がいっているだけなのだろう。

 実際日本円の
300円くらいで搾りたての果物ジュースも飲んで満喫できるから、意外と旅行者向けの店は値段の高いヴィエンチャンでは穴場的な値段と内容になるのだろう。

 ラオスはヴェトナムと長い国境を接していて関係も良好で、特にヴィエンチャンで好況の建築現場ではたくさんのヴェトナム人が働いていて、いわば出稼ぎなのだが、こういった層に対してラオス人はヴェトナム人を馬鹿にしている様子が伺える。

 ついでに書くと、メコン川の向こうのタイ人がラオス人をどう見ているかというと、ほとんど馬鹿にしているといって良く、『タイの植民地』などというタイ人もいる。
 


author:cebushima, category:-, 21:57
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