RSS | ATOM | SEARCH
ヴィエンチャン暮らし その(23) ミャンマー篇 古都バガンの漆工芸 
 バガンはミャンマー第二の都市マンダレーからヤンゴン方面に南下、プロペラ飛行機で30分ほどの距離にあり、11世紀から13世紀にかけてビルマ族が最初に打ち立てた王朝があった場所である。地形的にはイラワジ川沿いに開けた都になるが雨季の割には乾いた土地のようで、何だか千葉の房総側でよく見る砂地の田舎の雰囲気を感じた。

 ここには大小の仏塔が
3000以上あるとのことで、原野の様な所にたくさんあり、まだ鄙びた感じがあって、これら仏塔を訪ねて気儘に散策するには観光地ずれしていなくて良い環境を保っている。

 後で分かったが世界三大仏教遺跡はミャンマーのバガン、カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブゥドールとなるらしいが、奇しくもそれら三大仏教遺跡に足を運んだことになっても、別に信心深いわけでもなく、たまたまである。

 バガンにはいつ頃から始められていたか分からないが地場産業に漆工芸があって、町中には多くの漆工房兼販売所がたくさんある。

 写真上は訪ねた漆工房の一つで、茣蓙の上に座り込んで男の職人が漆を塗っていた。

 漆というと漆の樹の下を通っただけでも過敏な人はかぶれるほどの材料だが、ここの職人、手のひらを刷毛替わりに使って素材へ直に塗っていた。大丈夫かと思いながら、作業場に入ってもかぶれるような緊迫感はない。

 不思議に思っていると、この工房に漆の樹の写真が飾ってあってどう見ても日本の漆の樹とは葉の形が違い、フィリピンでも良く見る日陰を作る大きな葉を持つ樹に似ている。漆というと日本漆を思い浮かべるが、元々樹脂を抽出して塗ったのが漆工芸だから、漆にしてもたくさん種類があって、バガンは漆の種類の一つと納得した。

 漆工芸というと木地と書くように、その素材は樹をロクロで挽いた物で、その昔能登半島の輪島へ行って木地師の所でサンプルを分けてもらったことを思い出すが、バガンは中の写真で分かるように竹を薄く削いでテープ状にしてそれを巻いて形を作る方法をとっていた。

 バガンでは竹を潰して板状にした物を屋根に葺いた家があって、そういった良い竹の産地でもあるようで、本当はこういったテープ状の竹を加工する作業所を見たかった。

 竹のテープをお椀の形にするのも接着剤などは使用せず上手に巻いていて、その後巻き上がった下地に漆を塗り込んで固めれば木から挽いた木地と変わらない形と強度が生まれる。

 竹で作った素材の方は悪くないが、木を使った小さな箪笥やお盆の様な物は相当荒っぽい作りで、こんなのでいいのかと思うが、女性の厚化粧と同じで漆でべっとり塗り込んでしまえば下地などどうでも良いという考えのようだ。

 写真下は漆下地ができた次の工程で、こちらは女性の仕事で、どこの工房でも女性が茣蓙の上に座り込んで細かい根気のいる作業をしていた。

 バガンの特徴は下地に刃物で絵柄を彫り込んで、その彫り込みに別の色の漆を塗り込む方法を取っていて、写真のように若い女性ばかりというのは彫り込む図柄はかなり細かく中年、老人の様な目の遠い世代には向いていないためかと思うがどうだろうか。

 それにしても一つの工房で
56人の若い娘さん達が黙々と刃物を動かしているのは凄いなーと思ったが、見物の外人客がいなくなれば、そこは世界共通で大いに世間話で盛り上がるのではないかと思う。

 せっかくこの工房を見学したので、見学料と思ってお義理に
10ドルほどの小さな茶道で使う棗のような製品を買った。


 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 19:51
-, trackbacks(0), pookmark
この一枚 ヴィエンチャン篇 (15) タイで食べる黄昏のトムヤンクン


  VIZAの関係で2週間ごとにヴィエンチャンとメコン川の向こう側、タイのノンカイを往復している。

 写真はメコン川のタイ・ノンカイ側で、対岸はラオスになる。ノンカイ側のこの辺り、観光客向けに堤防に添ってレストランが並び、足元の水際には川面に浮かんだレストランがいくつもある。

 一方のラオス側にはそういった物はなく、田舎の風景が茫洋と繋がり、ラオスとタイの商売根性の違いを見せつけてくれる。

 家人とメコンの畔で夕食をと思って出かけたが、世間的にはタイには戒厳令が出ているためか週末でもにぎわいはなく、閑古鳥の鳴いている店が連なる。

 それでもこの堤防に添ってナイトマーケットが開かれ、地元の人も川風を求めて散策に訪れていて、チョッとした観光スポットになっている。

 写真はほとんど陽は没した頃で、タイだからタイ料理は美味いだろうとこの辺りで夕食を摂ろうということになった。

 定番のトムヤンクンは土鍋で出てきて、少々泥臭い調理法だが量もタップリ。味の方もさすがタイといって良く美味く堪能。

 ただし入っている海老は海の海老ではなく川の海老ではないかと思ったが、内陸の奥地のノンカイで海の海老が食べられる方がおかしいのかも知れない。

 トムヤンクンで想い出すのは、10数年以上前、家人とバンコクへ遊びに行った時、飛行機の関係でホテルに入ったのは遅く、それでも何か食べようとホテルを出てレストランを探したが、ホテル自体が寂しい地域にあるので見つからない。

 ようやく見つけたのが駐車場内で営業していた屋台を大きくしたようなレストラン。

 そこで食べたトムヤンクンが素晴らしく、食べるに従って毛穴が一気に開いてドバっと汗が吹き出し、その爽快さは忘れられない。

 その次にバンコクへ行った時、やはり家人とその店目当てに行ったが、駐車場の臨時の店構えのためか店は消えていて残念な思いをした。

 そこのトムヤンクンは今まで食べた中でいまだに最高の味と思っていて、バンコク内の観光客向けに気取ったタイ料理を出す値段だけが高い数多の店など目ではない。

 それにしても『利根の川風、袂に受けて〜……』と歌にあるように時間時になれば川風が吹いて涼しくなって良いのに、メコンの畔はほとんど無風。

 こういう気候の中で暮らすタイの人も、対岸のラオスの人もご苦労さんという感じがする。



author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 20:30
-, trackbacks(0), pookmark
ヴィエンチャン暮らし その(22) ミャンマー篇 坊主もこういう時代
 ミャンマーは仏教国として有名で、ヤンゴン市内には巨大な黄金色に輝く有名な『パゴダ』があって外国人ならたいてい訪れるが、今回はタクシーでその横を通り過ぎただけで中には入らなかった。そのパゴダは夜間にライト・アップされていて泊まったホテルの窓からその輝きは遠望できたが東京タワーでも眺めているような調子で、敬虔さは感じなかった。

 このミャンマー、仏教一色の国かと思ったら、前にミャンマーの鉄道を紹介した記事を書いたミャンマー第二の都会、マンダレー市では仏教徒とモスレムの人間が衝突して死者まで出したニュースが流れ夜間外出禁止令まで出た。

 そういえば市内ではイスラム教の寺院も見かけたし、たまたま入ったレストランは中華系だったがイスラム系の内装で、聞いたらモスレムの人が経営していた。

 ミャンマーで仏教徒とモスレムの死者まで出す衝突の原因はよく分からないが、ミャンマー必ずしも仏教国ではないのがこういったニュースから分かるし、ミャンマーの西の方はイスラム国のバングラデシュ、ヒンズーのインドと接しているから宗教的色分けは単純にならないのであろう。

 さて、写真は王朝のあった古都『バガン』で撮ったもので、バガンは漆器生産で有名な場所になるが、飛行場を降りると、空港内で関所のように待ち構えられて町に入る入場料
20ドルを徴収される。この町は世界遺産の候補になるような史跡を持つが、外国人とあらば金を取るという根性はいただけない。

 カンボジアのアンコール遺跡も
120ドル、3日有効なら50ドルだったか徴収しているが、あそこは一応、遺跡保護、補修のためという名目があって、訪れる外国人観光客も何となく徴収されることに抵抗はないようだが、あの巨額な外貨収入が遺跡に使われているとは思えず、どこへ消えてしまっているのか疑問である。

 このバガンにしても同じで、どこかの懐に入っているのではと思ったりする。そんなことはないというなら、アンコールにしてもどこの遺跡にしても毎年の収支決算を公にすべきでそういった話はどこもあまり聞いたことがない。

 以前にも書いたが、ラオスにしてもミャンマーにしても、今時の坊主は写真のように『ケータイ』に夢中で、写真はバガンの川縁にある寺の境内で写しているが、この坊主写真を撮るのに一生懸命。聖なる境内でこんな世俗的なことが許されるのかなと思うが、そんなことを思うのはごく少数、『ケータイ・ウィルス』に感染していない人だけである。

 それにしても坊主というのは世俗のしがらみを絶って日夜研鑽するもので、こんなケータイなど弄っていて、上の人間や果てまたお釈迦様にどやされやしまいか。もっともこれは『ウィルス』と表現しているように、病気感染だから、お釈迦様も感染してしまうようなどうしようもない時代なのかもしれない。

 話は変わるが、
Facebookというどうでも良いのが世界中にウィルスを蔓延させているが、最近私はこれから縁を切った。ウィルス感染から逃れたわけで、他人の写真や動向、つまらない情報などどうでも良いことを、さも意味のあるように関わっていた自分が馬鹿と気が付いたわけである。

 ただ、映画とか読んだ本などの記録はいまだ記載しているが、これだって考えてみれば公に出すものでもなく、こういう単純なことに気が付かない今の時代、確かに狂ってしまった。


 
author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 21:31
-, trackbacks(0), pookmark