RSS | ATOM | SEARCH
この一枚 ヴィエンチャン篇 (11) これは何だと思っていたら、ようやく分かった


 仕事場近くの通り沿いに、大きな樹の切り株や枝が溢れるように積んだ場所がある。

 周りは住宅や商店が並び、どう見ても場違いな樹の山で、製材所でもあるのかと思っていたが、それにしては材が小ぶりで、1年以上前にヴィエンチャンへ来た時から不思議に思っていた。

 先日、この前を歩いて通り、樹の山の向こうに古びた木造の家があった。写真がその場所で、注意して見ると家の中ではタオルを巻いた人々が何人も見える。

 中には桶で水を身体にかけている人もいて、ようやくここは『風呂屋』だと分かった。

 風呂屋といっても日本式ではなく、どうやら蒸気で身体をリフレッシュさせる『サウナ風呂』のようで、遠目にも蒸気に蒸されて客が汗をかいているのが見える。

 手前にいつも山のように積まれている樹は、その燃料に使われるためと納得する。

 建物入口の左側には風呂屋と同じロッカーはあるし、敷地内にはお休みどころのような建物もあった。

 この暑いラオスでサウナ風呂がどうして、しかも大衆的な感じで存在しているのか謎は深まるが、探検をしに昼日中からサウナ通いという気にもなれない。

 もっともヴィエンチャンにある寺で『薬草サウナ』を売り物にして外国人観光客の人気だというから、サウナとひと口にいっているが、伝統的なサウナが昔からあったようだ。

 写真を撮った時は、普段入口の扉は丸見え状態に開いていて、タオルを巻いた女性の姿も見えるが、今日は張り紙をして休業だった。

 大量に積まれた樹は直径3050センチ近くあり、こうやって薪にして煙にしてしまうのはもったいない気もする。


 
author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 21:40
-, trackbacks(0), pookmark
ヴィエンチャン暮らし その(13) ヴィエンチャン唯一の映画館
 この間、タイ国境にあるノンカイの映画館のことを書いたが、今回はラオス・ヴィエンチャンにある映画館のことを書いてみたい。

 ラオスのその昔の映画館事情はよく分からないが、時々食事をするヴィエンチャン中心部、ミニ中華街といわれる一角に、昔は映画館だった建物が残っていて、恐らくヴィエンチャンに限らず各地に映画館はあったのではないかと思われる。

 いかにも映画館らしい映画館は消滅してもヴィエンチャンには唯一映画館があると聞いていたが、なかなか行くことはできなかった。それが先日、映画館のある建物内で『家具展』が開かれていて、ようやくその場所へ行くことができた。

 この場所は『
ITECC(本当は頭にLが付いているが読みにくいのでこうなっている)=通称アイ・テック』と呼ばれていて、その略称の意味は分からないが、ヴィエンチャンの外れ、外縁部の砂漠のような地域にあり、こんな大きな建物を作ってどうするのかという感じを持つ。

 この建物は展示場で、その付属設備として映画館やボーリング場、スーパーなどを持つが、場所が場所だけに人が蝟集することなく、何かのイヴェントがなければ普段は閑散としているようだ。

 建物は
10年くらい前に建てられているが、特筆するのはラオスで初めてエスカレーターが設置された建物として有名で、今回そのエスカレーターも見ることができたが、普段は動いていないらしいが今回はどういうわけか動いていた。このエスカレーターができた時はヴィエンチャン中の人がエスカレーター見物、乗りに来たというからさぞにぎやか楽しかっただろうなと思う。

 さて映画館は建物の
2階にあって、写真上は映画館の入場券売り場になり、左の方にボーリング場があってその奥の並びに映画館がある。しかも1館ではなく2館もあった。

 下の写真がその映画館の入り口の様子で、昼前という時間帯もあってか人影はなかった。

 ここでどういうわけか廊下は小便臭く、それから想像して映画館内はどんな臭い、あるいは荒れようか興味を持ったが、それは次回のお楽しみに取っておくことにした。

 廊下に張られたポスターを見るとタイ製の映画がほとんどで、その間にアメリカ映画のポスターが散見されるから、時々はアメリカ映画も上映するようだった。入場料はいくらか調べ忘れたが、ノンカイの映画館が
250円くらいの入場料だったからその程度ではないかと思う。

 ヴィエンチャン唯一の映画館と標題に書いているが、ラオスもテレビの発達、
DVDの普及で映画は壊滅状態。それもそのはず、市内中心部にあるヴィエンチャンでは大きなショッピング・センターに行くとワン・フロアーが海賊版のDVDを売る店がずらりと並んでいて、ひと作品1ドル以下で手に入る。

 ラオスは知的所有権云々など全くない国だから堂々としたもので、フィリピンのようにコソコソ売るような雰囲気は全くない。

 この間、ここに顔を出して通じないラオ語で『日本の物はないか』と店で聞いたら『
HACHI』という作品を出してきた。この作品は『忠犬ハチ公』をモデルにした映画で主演はリチャード・ギア。タイ語に吹き替えられているかと思ったが、幸い英語でタイ語字幕だったから問題なく観ることができ、これで、ヴィエンチャンでの楽しみが一つ増えた。




author:cebushima, category:ヴィエンチャン暮らし2014年, 21:30
-, trackbacks(0), pookmark
この一枚 ヴィエンチャン篇 (10) トヨタ・クラウン


 車の製造は世界経済に影響を与える巨大な産業になっているが、ゴムのタイアをエンジンで転がす原理は発明以来少しも進歩していない産業の一つでもある。

 そういった産業だから売るためには手を変え品を変え、特にデザインで勝負となるが、これなどは変えなくても良いデザインを目先を変えて無理に売り込む、不毛の商売を続けているといい切っても良いが、踊らされる消費者も愚かといえば愚かではあるが。

 さて、ヴィエンチャンの様な田舎の首都には古い型の車が今も走っていて、そういった懐かしの車に出会うことも街歩きの楽しみの一つになる。

 写真はヴィエンチャン中心近くの通りに駐車していた『トヨタ・クラウン』。最初はアメ車かと思ったが、フロントグリルに取り付けられている『王冠』のエンブレムを見て『トヨタ・クラウン』と分かった。

 早速調べてみるとこのタイプのデザインは
1971年から1974年にかけて製造された車で、クラウンはトヨタを代表する車になるが、1955年に初代が発表されて現在は14代目(デザイン、仕様を変えて)という。

 40
年間で14回変えているから3年に一度は売らんがためにつまらぬ細工をしているのが分かる。

 さて、写真のクラウンは
4代目に当たるが、クラウンの車種の中では故障が多くて、一番の失敗作といわれている。

 この4代目が出た頃はヴェトナム戦争の真っ最中で、ラオスも同様戦乱に見舞われ、
1975年には左右入り乱れての内戦、潰し合いから、現在の一党独裁、社会主義体制になった革命の時代になる。

 そういった混沌とした時代に、写真のクラウンがヴィエンチャンで新車状態で悠々と走っていたかどうかは分からないが、走っていたとすれば当時の支配階級、あるいは要人が乗っていたのは間違いないだろう。

 たかが車ではあるが、動乱の時代を潜り抜けた車として、どういう歴史体験をしているのか興味の湧き上がる車である。

 最後に、写真の車は製造から
40年経っているが、車とはメインテナンスさえしっかりやっていれば長持ちするもので、私も製造40年を経たフォルクスワーゲンに乗っていた時があって、古いというのは車の性能とは別物と分かる。

 現代のように自動車会社に踊らされて、短期で使い捨て、乗り換えるような消費者というのは馬鹿としかいいようがない。


 
author:cebushima, category:この一枚 ヴィエンチャン篇, 21:14
-, trackbacks(0), pookmark