- ラオスの動植物 2014年 その(1) 食べられそうになったヤモリ
-
2014.04.28 Monday
トカゲのようだが、手足の指の状態からヤモリの様な種類と思われる。尻尾の方がちぎられていて、このヤモリ、職業訓練を行う校舎を改装中に、上から落ちてきた。
この校舎、長年使われていなくてお化け屋敷のような状態になっていて、改装前はラオス式のお祓い(バーシー)を行ったが、確かに何かが潜んでいるような雰囲気はあった。
このヤモリの大きさは口から尻尾の付け根まで30センチはあり、尻尾が残っていたら50センチ近くあったようだ。
これが上から落ちてきたのは天井に取り付けた3枚羽の扇風機がグルグル回っている時で、『カン!』と何かが当った音がして、コンクリートの床に転がった。
恐らく扇風機の羽の上に乗って休んでいる時、スイッチを入れられてしまい、必死にしがみ付いてはいたが目が回って落下し、その時、回転する羽で尻尾が切断されたのではと思う。
それが証拠にコンクリートの上で目を回した状態でピクリともせず、改装中のラオス人左官屋が、喜んで拾って網袋に入れた。聞いてみたら『食べる』という。どうやって食べるか分からないが焼くか煮て食べるのだろう。
しかし、他のラオス人にいわせるとこんな物は食べないというから、ラオスにもゲテモノ食いを好む人、好まぬ人があるようだし、ヴェトナム人は好んで食べるという。
気を失ったまま人間に食べられるかと思うと可哀そうだし、何よりもお化け屋敷の主だった気もするし、食べては罰が当たるのではと思って、網から出して樹の下の日陰に置いた。
時々様子を見に行っても気を失ったままで、これはどうかなと思った。しかし、2時間もしたら意識が復活したのか、近寄ってくる放し飼いの鶏に対して首をもたげて威嚇をし始め、次に見た時は写真の場所から消えていた。
この手の爬虫類は中国にいた時に、宴会で知らずに飲んだスープの壺の中に入っていた時があり、後から見せてくれたが、どうも似たような風体だった記憶が残る。
- ヴィエンチャン暮らし その(7) 2万ドルはどこに
-
2014.04.27 Sundayヴィエンチャンでプロジェクトをスタートしているが、最初に日本からの送金の受け取り用に『銀行口座』を開かなければならない。
外国で銀行口座を開いた経験は何度かあって、直近では2006年から2008年にかけて滞在した中米・ホンジュラスがある。この時は近くの銀行でドル口座を開いたが、パスポートを持参しただけで直ぐに開設できた。
この場合は個人の口座開設なので簡単だったが、このドル口座も国によっては面倒で、今回のラオスはどうかと思って、所属先に近い銀行支店でドル口座開設の開設手続きを行った。
最初に行った国営の銀行支店では私の所属している『NGO』の意味が伝わらなく、また個人と違って法人のドル口座を開くので各種書類が必要でやっかいだった。
ここでは時間がかかりそうなので口座開設は諦めて、ヴィエンチャンの中心方面にある銀行で開くことにした。市内でも各国からの銀行が進出、密集している地域に出かけたが、この辺りは駐車することが難しく、2重駐車どころか3重駐車にもなるひと騒ぎの場所。
結局、駐車場のある少し外れた銀行に開設することにした。この銀行は日本の資本で、その親会社は日本の大手パチンコ会社といい、どうしてラオスで銀行業など始めたか分からないが日本語の通じる点は便利である。
さて、写真はその口座開設用に他の銀行からおろした2万ドルで、100ドル札100枚が2束。日本円にして200万円ほど。米ドルでこれだけの額を持つのは初めてで、普通なら用心してしっかりしたカバンにでも入れて持って行くだろうが、この時はズボンの両脇に1束ずつ無造作に突っ込んで銀行を後にする。
ラオスの銀行はフィリピンとはずいぶん違っていて、警備員はいても銃器を携帯して厳重に警戒する様子はどこの銀行でも見かけなく、それだけ銀行絡みの犯罪はない国ということなのだろう。
フィリピンでは昨年12月、台風支援で入ったセブ島最北端の田舎町の銀行で行員3人が射殺される事件が起きているし、その前には自宅近くのサラ金の女性事務員が銀行へ行った帰りに、白昼堂々大通りで射殺される事件などもあって、フィリピンではそういう話は枚挙にいとまがない。
銀行に出入りする人間は大金を持っているから狙われ易く、特にバッグやウェストポーチなどはその最たるもので、ここに大金、貴重品が入っていますよと犯罪者に宣伝しているのと変わらない。日本の観光客など特にウェストポーチを使う傾向があってこれは標的になって危ないので止めた方が良い。
今回、写真の2万ドルはズボンに入れたと書いたが、ホールド・アップされたら同じになるが、少なくても引ったくりの類からの被害は防げる。
こういった外貨の札束で思い出すのは、その昔、中国で仕事をやっていた時、当時の中国は外貨管理が厳しく、中国の銀行に外貨を送金しても簡単におろせない状態だった。
そのため、隣の香港の銀行に日本から外貨を送ってそこで引き出し、香港ドルの札束を中国内に運んでいた。香港ドルの最高額は1000ドル紙幣でこれが1束100枚で、日本円にして当時のレートで150万円ほど。
月に何回か雇用者の賃金や材料費など1回につき3〜4束くらいポケットやカバンに分散して持ち込んだが、金のありそうな顔をしていなかったし、日本人ということもあって一度もチェックに引っかかることはなかった。
今思えばずいぶん危険なことをやったものだが、当時は香港に出て銀行で用足しした後は、日本の書店を覗き、映画を観て帰れるので嫌な気は一度もなかったし、危険も感じていなかった。
- この一枚 ヴィエンチャン篇 (6) 新アメリカ大使館
-
2014.04.25 Friday
ヴェトナム戦争といってももう知らない人間の方が多いと思うが、1970年代はアメリカ対ヴェトナムの戦争が世界の話題の一つとなっていた。
ヴェトナム戦争と書くが、私が現在住むラオスもアメリカの空爆で、ヴェトナム国境沿いは相当の被害を受け、落とされた爆弾の量はヴェトナム以上だった。
そのため戦争が終結(1975年)しても、今現在もその不発弾処理にラオスは悩まされている。
そういった滅茶苦茶なことをやったアメリカが、ヴェトナム、ラオスと国交を結び、今は何食わぬ顔をして首都ヴィエンチャンの中心に大きな大使館を設けている。
ところがどういう理由か分からないが、現在、ヴィエンチャンの外れに新大使館を建設中である。
写真がその一枚で、この写真を撮ろうとして車からシャッターを切ったら、警備員が笛を吹きながら飛んできて、今にも発砲されそうなので慌てて逃げた。
写真位でどうだと思うが、アメリカの馬鹿な過剰警備の一貫でそういう措置を取っているのだろう。
この新大使館、わざわざ不便な場所に引っ越す(東京虎の門にあるアメリカ大使館が埼玉県に引っ越すような感じ)のはどういうことかと、巷の噂になっている。
一説には大使館前の道路は橋を渡って隣国タイに行く唯一の道路で、一朝ことあれば車で逃げ出すのに便利なためが有力となっている。
もっとも、何でもありのアメリカだから、ヘリコプターで脱出となり、車で逃走というのは変な気もするが。
それにしてもヴィエンチャン雀が、第一にアメリカ人が逃げ出すことを話題にしていることを考えれば、この国でのアメリカの立ち位置を現わしている感じを受ける。
ラオスは中国の影響が非常に強く、新参のアメリカはこういった派手な建物で巻き返しをしようとしている流れもあるのだろう。
さて、この新アメリカ大使館、恐らく数ヶ月以内には完成すると思うが、昨年2月、私がヴィエンチャンに滞在した時、その時点での建設の進捗状況は地下から一階にかけて躯体工事をしていた。
その時、ミサイル攻撃を受けても大丈夫な、構造に使われている鉄筋の多さとコンクリートの厚さに驚き、まるで要塞を作っているような印象を受け、アメリカはテロに対してノイローゼだなと感じたものだった。