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8月29日(木) 未明大雨のち曇り時々晴れ、微風 閑話休題 《 マクタン旧橋から見た新マクタン大橋 》
 昨日の続きになるセブ島とマクタン島を繋ぐ橋の話。写真はマクタン旧橋の上、渋滞で車が停まっている間に鉄骨の間から遠くに見える新マクタン大橋を撮ったが、こういう写真は車で通過するだけの橋の上からは撮れそうでなかなか撮れない。

 左手側がセブ島・マンダウエ市側になり、右手側が国際空港のあるマクタン島になり、どちらの橋の上からも飛行場に離発着する飛行機の姿が良く見える。

 新橋は
2009年に開通して、開通式には時の13代大統領、エストラーダがジープに乗って渡り初めをしたが、あの頃がエストラーダの絶頂期で、20011月には弾劾騒ぎの中、与党側、支持勢力からも見捨てられ6年の任期中2年半しか座に留まれず、フィリピン史上初めての途中辞任の不名誉な記録を残した。

 その後汚職で捕まり終身刑判決を受けたが、後を継いだアロヨの恩赦によって釈放。そのアロヨも汚職容疑で捕まり現在、拘置中とフィリピンの権力者の質の悪さを内外に宣伝した。

 エストラーダは
2010年の大統領選に立候補、アキノに次ぐ次点で落選したが、どういうわけか国民的人気はあるようだ。2013年の今度の選挙ではマニラ市長選に出て、当選。

 元大統領が市長になるなんて、例えば民主党の前首相、野田が地元の船橋市長選に出るようなもので、考えられないがフィリピンでは珍しいことではなく、アロヨも大統領任期を終えてから地元の下院選挙に出て現在
2期目。

 まあ、アロヨの場合は国会議員になっていれば何とか粗末な扱いにならないだろうという魂胆が見え見えで、選ぶ選挙民も愚かとしか言いようがない。

 話は脱線してしまったが、新橋の工法は『エクストラドーズド】方式といって、割合新しい工法で架けられた。簡単に言えば主塔から斜めに橋を釣っているが、主塔の高さを低くできるのが利点らしく、これはそばに飛行場があるための高さ制限を考えてのことだという。

 ところが最近、かつてのヒルトンホテルのように
20階から30階くらいの建物が空港近くに立ち上がり出して、高さ制限はどうなっているかと気になるが、飛行機がぶつかればその時はその時の考えなのだろう。

 新工法で作られた新橋は、この橋を架けた日本の技術屋が『世界一長い、エクストラドーズド橋に間違いなく、ギネスブックに申請する』といっていたが、その後認定された話は聞かないから、世界一ではなかったのかも知れない。

 旧橋と新橋の間は写真にも写っているが、石油のタンクが林立する基地がある。タンクの向こう側は水田のような水に浸かった土地が広がり、かつてこの一帯では『塩』を作っていたと聞いたことがあるが、本当にそうかなと思う水の汚さが目立つ。

 その対岸はこれといって開発されていなくて、人家が海に向かって無造作に建てられているが、水辺に近い所は『スクオッタ=不法占拠者』の家で、年中風が吹いていて、生活するには涼しくて良いだろうなと思わせる。

 こういった何の芸もないもったいないスクオッター地域を見ると、旧橋と新橋の間にベイ・ウォークを作って、観光客が安心して来られるようなスポットにしたらどうかと思うが。夜景見物などは特に映える場所でもある。

 セブはビーチで有名でも、それはホテル施設内だけに限っての過ごし方で、外部に買い物やレストランとなると貧弱で、つまらないショッピング・モールに行く程度だから、真に観光客のためにと思うならそのくらいの構想はあっても良いと思うが。


 
author:cebushima, category:閑話休題2013年8月, 21:17
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セブ今昔物語 【4】 セブ島で走っていた『鉄道』の跡を追って その1

⇒この文はセブのタウン誌『Navi de Cebu』第3号に寄稿したものだが、加筆及び写真を改めて【セブ今昔物語】4回目とし、4回に分けて本HPに掲載する。

 


【写真左が掲載誌の表紙】

 【写真右がその掲載内容、4ページに渡っている】
 

サトウキビを運んだ線路と蒸気機関車 

 セブ島は山がちと前号に書いたが、北部、ボゴ市からメデリン町にかけてはサトウキビ畑が連なる、左のような平坦な風景が続く。

 メデリンには1928年創業の精糖工場があり、この工場へ畑で刈り取ったサトウキビを運ぶために周辺にいくつもレールが敷かれていた。

 2000
年代初期までレールを使う作業姿は車道から見え、私も見ているが惜しいことに写真に残していない。

 トラック輸送に替ってからレールを撤去、あるいは放置され、現在は工場周りや幹線道路を横切るレールがわずかに残るだけである。

 このメデリン製糖工場は戦時中に日本軍が接収して、サトウキビから航空燃料に混ぜるエタノールを生産していたと伝えられ、セブ市にあった旧海軍201航空隊飛行場から
『神風特攻隊』のゼロ戦も、ここの燃料を使ったのかと思うと、感慨深い。

 特筆するのは、戦時中に日本軍が工場内でフィリピン住民を虐殺した場所として、戦後軍関係者はBC級戦犯に問われて、刑場の露に消えた歴史を持つ。【下は製糖工場に残る引き込み線。工場内は立ち入れない】

 そういった忌まわしい面影は現在は消えているが、サトウキビを運んだディーゼル気動車が、メデリンの公園とボゴ市の公園に今も保存されていて当時の活躍の様子を伝える。

 メデリンの気動車は、車体左手下部に製造会社は不明だがアメリカ・オハイオ州ハミルトンと記され、オハイオは日本のホンダが工場進出したように、昔から工業生産が盛んな地域だった。

 余談になるが、アメリカ大統領選では、このオハイオ州を落とすと当選できないというケネディー以来のジンクスがあって、先年行われた大統領選挙でもオバマはこの州を制し再選された。

 メデリンに戻るが、ディーゼル気動車以前はサトウキビの搾りかす『バガス』と灯油を混ぜて炊いた蒸気機関車を走らせていたという。

 その蒸気機関車が、現在も精糖工場内に野ざらしながら保存されているらしいと噂を聞くが、もし健在なら復元して走らせれば楽しく、観光資源としても相当有望、夢がある。

 蒸気機関車で牽引するサトウキビ列車はセブの隣、ネグロス島が有名で、私がセブに住み始めた頃、日本の知人から『ネグロス島でサトウキビを運ぶ蒸気機関車を写真に撮りたいグループがいるから世話してくれないか』と頼まれたことがあった。

 その位日本の鉄道マニアには知られた存在だったが、1980年代に姿を消し、煙を吐く雄姿を撮ることは過去のものとなった。

 しかし同島北部サガイ市に1925年製造のかなり大きなアメリカ製蒸気機関車が展示保存されている。

 私も実際に見て手に触れているが、この機関車はネグロス島山間部で伐り出した材木を運んだいわゆる森林鉄道用で、今では考えられないが、その昔の同島は森林資源が豊富だったことが分かる。【写真最後は戦前、セブで走っていた蒸気機関車の姿】:続く



 
author:cebushima, category:セブ今昔物語, 18:07
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8月28日(水) 晴れ時々曇り、風なし 閑話休題 《 マクタン旧橋から見た最近のセブの風景 》
 先日、空港に用があって、セブ島と空港のあるマクタン島に架かる橋を渡った。

 セブ島とマクタン島には
2本の橋が架かっていて、新しい橋は1999年に開通し、今はセブ出身の元最高裁長官、その後上院議員になった人物の名前が付けられているが、誰もそんな言いにくい名前など呼ばず、ただの『New Bridge』。

 一方、『Old Bridge』と呼ばれているのが1971年開通の写真の橋で、それ以前に撮られた写真を見ると、フェリーに人と車を乗せて島の間を繋いでいたのが分かり、現在5000人くらいセブに居住している日本人の中で、この時代を知っている人は10人もいないのではないか。

 この橋は鉄骨トラスト構造の見るからに古めかしいデザインで、既に建造
42年の老朽橋。

 新旧どちらの橋も日本の
ODAで架けられ、そんなことを知らない人も大勢いるがODAというのは、国の宣伝や勢力拡大、利権企業の進出下ごしらえに使うものではなく、人知れず役立っていて当たり前で余計な宣伝などすることはない。

 Old=
旧橋は、1991年にセブを襲った未曾有の台風の時、日本の貨物船が漂流して、コンクリート製の橋脚に激突し橋桁がずれる大事故を起こした。その後、日本の手で何とか補修し騙し騙し使ってはいるが、橋の専門家によるとかなり安全性に問題を持つ状態で、少し大きな地震が来たら橋は確実に落下するので通らない方が良いと警告が出ている。

 それが理由ではないが、私の場合ほとんど
Newの橋を利用するが、この時はNewの方で道路舗装工事があって、相当な渋滞が続いているので旧の方を久しぶりに利用した。

 旧橋は片側
1車線に歩道を持つが、誰しも考えるのは皆同じで、こちらに車が殺到。珍しく橋の上で渋滞どころか時には全く動かない状態。それをチャンスとして窓を開けて撮ったのが掲載した写真になる。

 遠くに見える山の稜線の標高は
600mを超えた程度。一番高い山の頂上辺りが『トップス』といって、セブ市近隣を見下ろす展望所になっていて、海から吹き上げる風はかなり涼しく、夜景も一見の価値がある場所である。

 山の中腹には高層マンションがここ
10年の間にいくつも建ち、新規に建設中のマンションもあって、以前は一度倒産したことのあるホテルのビルしかなくすっきりした山の姿が、今は醜いシミのような眺望となった。

 その左の平地側、白っぽくビルが勝手気儘に建っている辺りがセブ市の現在の中心地。写真には写っていないが左端にはセブで一番高い
40階のビルが2棟並んで見え、セブ市内の方角、位置を見定めるには重宝なビルになっている。

 水面側に目をやると、右の方、橋の袂には水上家屋が広がる。フィリピンで問題になっている『スクオッター
=不法占拠者』地域で、海を挟んだ反対側も同じような水上家屋群が蝟集し、少しずつ海に向かって家が増殖しているのが分かる。

 不法占拠住宅といっても電気や水道はチャンと敷いてくれるし、郵便物も配達してくれるし、税金を納める普通の社会生活と変わらず、ただ勝手に空いている土地に住んでしまったという人々で、何十年も住んでいるのも多い。

 あれは
2006年だったか、セブで国際会議が開かれ日本を含め、各国の首脳が来たことがあった。その時、こういったスクオッター地域の住居はバラックに近く、屋根など色がマチマチ、錆びたりして橋の上から見ると非常に見栄えが悪いと誰かが考えたのだろう、緑色のペイントで一斉に屋根が塗り替えられたことがあった。

 そんな所は誰も見ないと思うが、木っ端役人の考えることは万国共通で外国の賓客には見せたくないと思ったのだろう。今はその緑のペイントを塗った屋根が目立たなくなったから、あれ以降新規に家を建てて住んでいる人が居るという証拠になりそうだ。


 
author:cebushima, category:-, 20:30
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