RSS | ATOM | SEARCH
カンボジア・ヴェトナム二人旅 その(17) 『サイゴン駅にて』
 ヴェトナムと簡単に書くが正式には『ヴェトナム社会主義共和国』で、建国日は197672日である。

 その前年の
430日、サイゴンの南ヴェトナム大統領官邸に北ヴェトナム軍の戦車が塀を乗り越えた映像は目に焼き付いているが、現在の国の建国の父と知られるのが79歳で南北ヴェトナム統一前に亡くなった『ホー・チ・ミン』。漢字で書くと『胡志明』で、私にはこちらの方がしっくりする。

 そのホーチミンにちなんで名前を変えたのがサイゴンで、何と戦車が乗り込んで戦争終結した3日目の51日に改称したから最初からの予定だったのだろう。

 ホー・チ・ミンは痩せた風貌から清貧な感じがあり、生涯に何人もの妻と愛人を持った中国の精力絶倫の『毛沢東』とは正反対な印象を持ち、事実、『権力は腐敗する』範疇には取り込まれていなかったようだ。

 写真上は本来、ホーチミン駅と改称されて良いなぜかそのままの『サイゴン駅』の様子。左の屋根に『
GA SAI GON』、ヴェトナム語特有の発音記号が付く看板が見え『GA』というのは駅を指すのはすぐに分かった。ここがハノイ方面に向かう始発駅で1日にいくらも発着しないので全体に閑散とした様子で、バンコク・ファランポン駅の賑わいと比べると少々可哀想。

 写真中はその構内に飾ってあった蒸気機関車で、恐らく中国製ではないかと思うが、この手の蒸気機関車はサイゴンから最初に降りた『ダナン駅』前にも飾ってあった。

 飾るよりも実際に運行した方が海外からの観光客が押し寄せると思うがどうだろうか。

 駅の周りには食堂や売店が取り巻くが、どういうわけか
ATMをまとめた建物もあって、それなりに需要があるのだろう。ATMといえばこの間行ったラオス・ヴィエンチャンで一番目立ったのはATMでそんなにお金を持っている国なのかなと訝しんだが、フィリピンでもATM前には利用者の列が長く伸びているので、まあ財布、金庫代わりに利用しているのだろう。

 列車のチケットはサイゴン―ダナン間は前もってネットで寝台車を購入していたが、ダナンから次の下車地フエ間はホーチミンの旅行代理店へ直接行って購入。しかしこの駅でも販売していたが数の限られた寝台車は難しいようだ。

 写真下はサイゴン駅の待合所の様子で、飛行場で見かける金属製の椅子が並べられホームは写真の右手側に並行してある。

 写真を撮った時間は早いのでまだここの座席は空いているが、年末近いので帰省する学生がいつの間にか集まり、発車の時間が近づく頃には立っている人もある位埋まった。

 駅構内には『ロッテリア』も営業していて、ヴェトナムはロッテリアが強いようだが、フィリピンのファーストフード最大手の『ジョリビー』もヴェトナムに進出していて、前回の時はわざわざタクシーで探してその前で写真を撮った記憶がある。

 ファーストフードと簡単にいうがヴェトナムではまだ高い食事になり、客の入りは今一、我々もロッテリアの値段を見て食べるのを止めた。


 
author:cebushima, category:カンボジア・ヴェトナム二人旅, 21:28
-, trackbacks(0), pookmark
5月31日(金) 朝方雨のち曇り時々小雨、微風 閑話休題 《 5月最後の新聞記事から 》
 何気なく広げたフィリピンで発行している唯一の邦字紙、今日の3面の角上にあった『自殺の酪農家遺族、東電提訴』という記事に目が止まった。

 この酪農家の自殺というのは2011311日、東日本大震災の津波によって東電福島第一原発が壊滅的打撃、メルトダウン、建屋爆発などの大騒ぎをした日本で、その3カ月後の610日、福島県相馬市に住む乳牛を飼う酪農家男性の事件で、牛舎の壁にチョークで『原発さえなければ』と書かれた叫びは大きな反響を起こした。

 私もこの震災にセブから支援できないかと考えていた時期でこの男性の自殺が私の気持ちを押し、その後準備期間を経て
8月から11月にかけてフィリピンからチームを組んで被災した国際結婚家庭を支援する活動のきっかけとなった。

 この自殺した男性はフィリピン人妻と二人の子どもをフィリピンに返し、孤独のうちに命を絶ってしまった無残さは衝撃的で、福島原発危機の時はフィリピンでもニュースは頻繁に流れた。特に日本からフィリピンに避難した子ども連れのフィリピン人妻の姿にはドラマ性もあって注目を浴び、中にはもう危険な日本に帰らないと宣言して日本人夫と新たな家庭問題が生じているなどとも聞くが、今はどうなっているのだろうか。

 支援
3カ月の活動は宮城、岩手の津波被害沿岸部、その後福島県に入ったが、当初は自殺された酪農家の家まで行き、相馬市を拠点に活動を始める予定だったが、風向きが福島原発から常時吹いているような状態で、自ら放射能汚染に身を晒すこともないと判断し、風下のいわき市で支援活動を行った。

 今回の訴訟がどうなるか分からないが、あれほどの原発、放射能汚染騒動も喉元過ぎれば忘れる日本人の悪い癖で、多くの人々の気持ちはすっかり終わった復活気分。そこを見透かして自民党は原発稼働を国の成長の中心にするなどと言いだす始末。原爆といい福島といい日本人は過去に何も学んでいないことを世界に発信し、てんと恥じていないから困った国民である。

 過去に学ばないという点では同じ新聞の
2面に載っている大阪市長の問責決議を巡っての記事も似たようなものだ。私のように長く海外に住んでいると、日本の週刊誌やテレビ、特にワイドショーといった下劣な物とは全く縁がなく、割合自分の目と耳で集めたニュースで物事を判断することが出来る。これはまた逆に情報の乏しさからおかしな判断にもつながり、自戒しなければいけないが、少なくても今の日本のマスコミの情報の垂れ流し災厄からは被害を免れ、立ち位置としては悪くない。

 大阪の市長が橋下は分かるが、最初はハシモトと読めなかったし、今もパソコンでは『ハシシタ』でないと変換が出来ない。この人物がどういう経緯で知事になり市長になったかは良く分からないが、ただ、発言を見ると『口舌の徒』の典型、今の日本人はこの手のキャラクターを好むのかと、日本人の知的レベルは一層落ちたと感じざるを得ない。

 それにしてもこの記事で橋下に恫喝されて意思を変える党派など子ども以下の連中だなと思うし、海外に居る身としてはなぜこの時期に『慰安婦』問題を声高に言わなければならないのか不思議なことが多い。徴兵制を叫ぶ年寄りは多いが、その軍が中国やフィリピンといった占領地域で強姦し放題で、さすがに国際問題化を怖れた軍中枢が『慰安所』を組織的に作ったのは靖国神社に入っている連中に聞いてみれば分かることで、証拠がどうのという話ではない。

 橋下の一番の問題は強姦された側の女性の視点が全く欠け、男は皆強姦する存在と見ていることで、それだけで上に立つ人間としては失格である。
 


author:cebushima, category:閑話休題2013年5月, 20:30
-, trackbacks(0), pookmark
カンボジア・ヴェトナム二人旅 その(16) 『ホーチミン点描−2』
 ヴェトナムには間口の狭いペンシルのような建物が多いと書いたが、現地で聞いた話ではヴェトナムでは税金を取る時、間口に応じて課税されるという。当然、社会主義国とはいえ税金は極力払いたくないから間口は狭くなり、高さについては税金での制限がなく、4階、5階の細いビルが通りに林立するようになる。

 これは土地の限られている都市部だけかと思ったら、広々とした田舎でも似たような細長いビルが軒を連ねているから地方も同じようだ。

 写真上はゲストハウスに近いホーチミンならどこでも見られる路地で、両側の建物は4階から5階建て、勿論、間口は狭く5m程度。

 住まいと理髪店や食料品屋、ヴェトナム麺の『フォー』を壁際で食べさす小店などが混在し、ゲストハウスも何軒かあり、場所の良さからその内ゲストハウスばかりになりそうな路地でもある。

 ここではヴェトナムの生の生活が見えるが、外国人が繁々と覗き見するような写真を撮るわけにはいかないが、大通りと大通りを結んでいて、この路地に入り通り抜けていくと異次元から異次元に移動したようで、なかなか面白い。

 ゲストハウス近くに『ベンタイン市場』という観光名所がある。前回
2001年の時もこの市場でコーヒー豆やヴェトナム小物を買ったが、その当時から日本人は『ボったくられる』場所として有名で、確かに応対する店員は片言の日本語を話すのが多い。

 しかし、悪評も広まったのか今回行ってみたら以前ほど日本人の姿は見えない。この市場も端の方の店に行くと他よりかなり安く値段を言うので、ボッタクリというより要は交渉力の問題につきる。

 写真中はそのベンタインではなく、近くの別の市場で名前は忘れたが写真のようにベンタインとは違う店が連なる。

 こういった軍事物やチョッと古そうなガラクタ、骨董品の店がいくつもあり時間をかけて見れば面白い物がありそうで、やはり、ヴェトナム戦争時に関係する品物も多く、恐らくこういった物を収集するマニアには人気のある市場なのではないかと思う。

 写真下は昼を路上の店で焼き飯を食べた時の一コマで、ホーチミンでようやく見られた『アオザイ』姿の女性である。どうやらこれは制服のようで近くの店で働いていて、昼用の食べ物を買いに来ていた。

 アオザイはヴェトナムならどこでも見られると思ったが、ホーチミン辺りでは観光客相手の店でしか見られなくなっている。

 前回のヴェトナムの旅ではホーチミンから南部のデルタ地帯を回ったが、その時運河を舟で通った時に、白いアオザイ姿で例の菅笠をかぶった女学生が竹藪を背景に自転車に乗って悠然と土手の上を走る姿や連れだって通る姿を見て、なかなか絵になる風景だなと記憶に残ったが今はこういう光景はヴェトナムでは見られなくなったのだろうか。

 アオザイはヴェトナムの正装だからそうは簡単に街で見るわけにはいかないだろうし、日本の着物だって、普通では街中では見られなくなっているから同じことなのだろう。
 


author:cebushima, category:カンボジア・ヴェトナム二人旅, 20:55
-, trackbacks(0), pookmark