- 5月31日(木) 曇り一時雨、風なし 閑話休題 《 フィリピンのオリンピック熱 》
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2012.05.31 Thursday8月からイギリス・ロンドンでオリンピックが開かれる。前回は北京だったかなという程度で私など全く関心がない。
日本はオリンピック好きで競技者などそれ一筋、メダルを獲ることしか考えていなく、頭の空っぽさをますます補完、勝手に英雄ぶってくれというだけである。
東京都知事の石原がオリンピック誘致を叫んでいるが、肝心の都民が冷めていて、業を煮やした石原はオリンピックに燃えない都民は馬鹿だと言い出す始末、馬鹿なのは二枚舌、脳軟化症状発言の目立つ注目を浴びたい石原とそれに使嗾されるJOC以下競技団体の連中ではないか。
もう東京オリンピック時のような熱は日本人には向いていないと知るべきで、そんなものに税金を投入しないで、参加したかったら石原が尖閣諸島で目論んだ有志の募金で行くべきではないか。
さて、写真はセブのモールのホールに下げられた宣伝幕で、よく見るとこれはロンドン・オリンピックの広告と分かる。こういった物がオリンピック前にフィリピンで宣伝されるのは多分珍しく、オリンピックにほとんど興味がない、知らないフィリピンでは写真に残したい光景である。
過去のオリンピックでフィリピン人は少しながらメダルを獲っていて、確か水泳では唯一の金メダルを獲ったフィリピン人がいた記憶を持つし、ボクシングなどはかなりメダルを獲った。
もっとも水泳で金メダルを獲ったフィリピン人はアメリカで訓練していて、フィリピンとはほとんど関係なく、そういった金に飽かせた練習の出来るいわゆる金持ちの出だったので、フィリピン人の人口には膾炙せず、忘れられた存在になっている。
そういえば日本の猫なんとかというお笑い芸人がカンボジア国籍を取ってマラソン出場を試み、いったんは代表になったが横槍が入って代表の夢は消えた出来事があった。理由は1年以上の居住実績がないためとのことだが、いまさら国籍がどうのこうのというオリンピック委員会の考えは既に時代遅れ。
大体、国別に競わせているからこういった話が出てくるわけで、一切そういったことはなくし、個人同士の戦いにすればスッキリする。
いつからか知らないが優勝者が国旗を持ってフィールドを走ったりする行為が今は露骨に目立つ。国がスポンサーだから信条に関係なくやっているのだろうが、そういった無自覚さが競技者の低レベルさを象徴し、あんなみっともないことは止めた方が良い。
その昔、オリンピックの表彰台で拳を突きだして抗議をしたアメリカの黒人選手があった。さんざん叩かれたがその時代のアメリカのあり方を見れば当然の行為で、称賛できる英雄だった。
今はそういった骨のある選手は皆無、これが頭の空っぽな連中の競技大会=オリンピックと見るゆえんでもあり、同情的に書くならば、競技で食っている自己の境遇を考えれば主張も何も、動く広告塔に徹するしかないのだろう。
- 朝日新聞の見出しに見る福島原発報道―61
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2012.05.30 Wednesday
【2011年8月1日】
01:26 節電1カ月 効果くっきり 東電、7月使用率9割超えず
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16:18 三重県も肉牛全頭検査の方針 知事「安心取り戻す」
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20:54 東電を厳重注意 作業員の本人確認不備で保安院
21:07 過去最高10ミリシーベルトを計測 福島第一の配管外側
22:38 九電社長「知事発言、正しく伝わらず問題大きく」
【2011年8月2日】
00:26 高濃度汚染水、隣の建屋に漏れ出る 福島第一原発
01:00 中部電、関電に電力緊急融資 浜岡原発停止後初めて
05:01 汚染水処理施設に淡水化装置新設 再利用率8割めざす
06:16 牛肉仕入先に全頭検査要請へ イトーヨーカ堂
12:20 佐賀知事、進退に言及せず 九電へのやらせメール問題
12:24 肥料の基準値400ベクレル 汚染腐葉土問題受け農水省
15:00 コメの放射線検査、収穫前後の2段階で 農水省方針
15:06 保安院元課長、四電への参加要請認める やらせ意図否定
17:12 屋内は津波避難指示対象外 福島第一、2人死亡事故当時
18:39 栃木産牛も出荷停止 福島、宮城、岩手県に次いで4県目
19:42 もう1カ所でも10ミリシーベルト超か 写真公開 福島第一
21:09 震災の死者1万5656人、不明4866人 2日現在
21:37 福井の原発再稼働差し止め求め仮処分申請 滋賀の住民ら
22:42 航空機によるホットスポット調査、東日本全域に拡大へ
- この一枚2012年 (54) セブ島北の歴史的建造物
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2012.05.29 Tuesday
セブの北の町でお祭りがあり、ブラブラ街中を歩いていると写真の家があった。
写真の左端中ほどに建物のいわれを書いた看板があって、1930年の建築と分かる。
今でも普通に使われていて中を見ることはできなかったが、左の道側に両開きの入口があって階段が2階に通じていた。
1930年代の世界経済は世界的大不況、1933年、ドイツ・ナチス政権誕生、1936年〜1939年、スペイン内戦と戦争の時代に入る直前である。
当時のフィリピンはアメリカの植民地で、アジアでは日本を凌ぐ裕福な国だった。
そういった時代に贅を尽くして建てられたのが今に残る歴史的建造物になるが、全盛を過ぎてからの手入れが出来なく、どの建物も老残を感じる。
最近でこそこういった建物の価値を認めだして、行政などが保護活動をしているが時は既に遅い感じもあり、この建物も長い間に改造が加えられている。
看板にも屋根や天井、軒などがオリジナルでないとあったが、1階部分、モルタルで塗り込められてしまった壁を見ると、剥げ落ちた部分に石灰岩の石積みが見え、確かに古い建築だと納得した。