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2月21日(火) 晴れ、微風 日本に行きますのでしばらく休みます

 

明日22日から3月初旬まで日本に行きますので、この掲載は休みます。

 セブを離れている時ぐらいパソコンに一切触らず、『メイル奴隷』から離れます。

 セブと日本との気温差は20度以上、こんな季節には行きたくはないのですが、震災支援のまとめとしてセミナーに参加します。

 梅が久し振りに観られるのが楽しみですが、そうプラプラ歩ける季節ではないので要注意。

 写真はこのところグングン気温の上がっているのに合わせて庭で咲き誇る花。濃い紫色が凛とした感じでなかなか目に良い。


author:cebushima, category:閑話休題2012年2月, 21:45
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2月20日(月) 晴れ、微風 閑話休題 《 奇跡を生んだ歩道橋 》

 震災後半年という時間が過ぎると、罹災された方々がその時の様子を語る気持ちになったのか、こちらが聞かなくても話してくれることが多かった。

 死者、行方不明者2万人に迫る人的被害はその数以上にドラマがあり、意外にサバサバとした表情で語ってはいてもその内容は生々しく、聞いている私としてはその重さに打たれた。

 その中でも『あの時、ああだったら、あの人は助かったのに』というつぶやきは多く、こういう述懐が出るのは『自分が助かってしまった』慙愧に起因していて、心に負った傷が深いことも知らされた。『ムシが知らせる』という言葉があって、震災時にそのムシのために命が助かった例をいくつも聞いたが、冷静に考えれば後付のような理由かもしれないが理性では判断できない何かが働いたのも事実であろう。

 各地の仮設住宅を訪ねると色々なグループが回っていて、中には親切ごかして物資を配る怪しげな雰囲気の人物と行き会うことがある。震災直後に『これはビジネス・チャンス』とツイッターに書いた輩がいたが、恐らくこの手の連中なのだろう。宗教団体も真に支援している教団もあるが、先行きの見えない仮設暮らしの不安定な人々を狙って取り込もうという宗教団体もある。

 宗教といえば活動中に色々な宗教団体から協力を得ていて、支援物資は立正佼成会から、各種情報はカトリック及びプロテスタント教会、現地では仏教系の団体や寺で世話になったが、罹災者の便になればどこでも構わない姿勢で活動した。震災支援では各種、各地にNPOが支援に入ったが、各NPO間には互いを批判、けなす行為が結構目立ち、理念の割には根性の小さい所が多かった。

 さて写真は宮城県石巻市、写真右側には北上川に架かる橋があって、その中州には『石ノ森章太郎漫画館』があり、道は女川町へ向かう。石巻は17万人近い人口を持ち、死者、行方不明者は4,000人を数え、今震災の最大の被害地といっても良い所で、この辺りは北上川が逆流し45mもの津波が襲い、家屋は流されていないものの1階部分は全部大破している。

 今回の震災でフィリピン人は何人か亡くなっているが石巻では直接の死亡者はないものの身内が亡くなった話は数多く聞いた。その中でも、夫と義父を亡くしたフィリピン人女性の例はここに書いておきたい。

 この女性は街で買い物中地震に遭い、訳が分からないままに写真に見える歩道橋の方に逃げた。津波が襲ってきたのはその直後で逃げる人々と共にこの歩道橋に避難、ところが水は歩道橋の柵を越える勢いで押し寄せ、女性は柵の上に立ち歩道橋左側に見えるL字状に曲がった街灯に抱きついた。それでも水は頭上を超え身体が引き離されそうだったが、神に祈りながら辛うじて持ちこたえて助かったという。

 笑いながらその時の様子を身振り手振りで語る女性を見ると奇跡というものはあるものだなと思った。



author:cebushima, category:閑話休題2012年2月, 11:18
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2月19日(日) 晴れ、軽風 閑話休題 《 陸前高田の一本松から 》
 陸前高田市には30年位前に旅行で訪れたことがある。その時は遠野から釜石に出て、リアス鉄道で南下、陸前高田を経て気仙沼、石巻、塩釜へ出るコースを取った。

 今回の大地震の津波被害地をたどっていたわけだが、旅行中の記憶はあまり覚えていない。陸前高田市は住民の
8%強、2,000人近い死者、行方不明者を出し平坦部は壊滅状態、30年前に降り立った鉄道の駅などどこにあったか分からない有様で、市内の喫茶店でコーヒーを飲んだ記憶はあって、その時ユースホステルに泊っている。

 写真は『奇跡の一本松』として有名になったその松の木で、右手にある建物がユースホステルである。この建物が津波の流れを遮ったためにこの松が残ったともいう。泊ったとはいうが内部の記憶がなく、周りの松原を見たような記憶は微かにあるが、この一本松などもちろん記憶に残っていない。

 津波が襲来する前の海岸の写真を見ると、繁る松原の中にこの一本松は群を抜いた樹高を持ち一人飛び出ている。津波で全滅したこの松原の松を京都で行われる『大文字焼き』で焚き上げる計画が持ち上がって、『放射能』騒ぎで取り止めになった騒動は有名だが、陸前高田の仮設住宅で知り合った人からその顛末を直接聞いた。

 その言によると『京都に避難した陸前高田の金持ちが放射能デマを飛ばしたのが発端』となる。真偽のほどは分からないが、この人は実際に焚き上げに骨を折った人だからまんざら嘘ともいえない感じを受けた。

 この放射能騒ぎは日本人の醜さを見せたが、今もがれき処理で受け入れる、受け入れないで各地のエゴがぶつかっている。特に焼却処理を巡って反対運動が多発しているが、抗議する先は一に東京電力であり、原子力=核開発を擁護、推し進めた歴代の自民党、財界なのではないか。

 処理反対をする人々は膨大な現地のがれきをどうしろというのか、そういった建設的な話は伝わってこない。自分の所さえ放射能汚染しなければ良いという日本人の根性は地に落ちたというより、これが日本人の地なのかも知れない。こういう人々は案外と義捐金を率先して出した人々なのかも知れないとふと感じ、何千億円も義捐金を出そうが根本で間違っている。石原慎太郎がこの件で『日本人が駄目になった証拠』と珍しく正常に批判をしているが当を得ている。

 海外から日本の原発人災事故対応を見ていると、日本人の行動は不可解な所が多く、日本は放射能汚染されてしまい難民として国外に逃げ出さない限り、汚れてしまった小さなコップの中で解決を図るしかないのではないか。

 陸前高田の一本松は海岸部一帯の地盤沈下から塩害を受け結局枯れ死してしまったが、この樹を希望の印とした人々の気持ちは末永く伝わることであろう。


author:cebushima, category:閑話休題2012年2月, 09:59
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