RSS | ATOM | SEARCH
この一枚 (30) フィリピンの竹の子
フィリピンの竹の子

 フィリピンには竹は多いが、日本の孟宗竹とは違ってしなやかさがなく、構成する繊維も荒い。

 竹の自生する所は水のある場所で、そういえば枯れ川沿いに群生しているのをよく見る。

 棘が生えて密生する種類の竹もあって、戦時中に日本軍がフィリピンを蹂躙した時に、この密生した竹林に隠れて難を逃れた話をこちらの老人から何度も聞いている。

 さて、写真になるがセブ島北端の町の市場で見かけた『竹の子』である。以前にも地方の市場へ行った時に見たこともあるが、ごつい感じで写真を撮る気にはならなかった。

 写真のこれは20センチ位でいかにも『朝掘り』の感じがあり日本の竹の子そのものを思い出させた。

 左上にあるのはアンパラヤ(苦瓜)、右手上はマンゴーで、熱帯の国らしい構図となった。

 フィリピンでは竹の子はスープに入れて食すだけで、日本のように柔らかく薄味で煮て削り節をかけてなんていう繊細な食べ方はない。

 また、戦時中の話になるが、飢えに苦しんだ日本兵もフィリピンの竹の子を食べたのかと思うと、何気ない食べ物も意味は深いものだ。
セブ島工房ロゴ 
author:cebushima, category:この一枚2010年, 12:22
-, trackbacks(0), pookmark
8月31日(火) 晴れ、軽風 閑話休題 《 英雄の日のフェスティバル 》
英雄の日のフェスティバル フィリピンでは8月の最終日曜日を『英雄の日』と定め、祝祭日になっている。

 もっとも、日曜日は休んで当たり前だからの変な理屈で、次の月曜日を代替え休日とし連休となっている。

 フィリピンの英雄は数々あるが、その草分けは『ラプラプ』になる。この人物はセブの隣の島マクタン島に存在し一帯を治めていた。

 1521328日に世界一周中のマゼラン一行がセブに寄港。当時イスラムが優勢だったフィリピンに初めてカトリックを伝え、フィリピンカトリック史には聖なる出来事になるが、土着の人々には侵略者である。

 4
27日、スペイン軍は従わなかったラプラプ征伐に出兵し敗れ、マゼランはマクタン島の地で戦死したと歴史に名を残す。

 ラプラプに対して、現在の評価はアジア人が西洋からの侵略者を初めて打ち破った英雄と持ち上げているが、スペインがフィリピンを植民地にした以降はラプラプの一族は名前を変えて圧力に晒されているから、歴史とは常に権力の側のご都合で動いているのが良く分かる。

 写真はセブ島北端の町のパレードで、カンカン照りの下パレードを行う人々は吹き出る汗をものともせず熱演を繰り広げた。

 せっかくの熱演に水をかけるようだが、毎年1月の第3日曜日に行われるセブ市の『シヌログ』のミニチュア版のようで、新鮮味に欠けるのがもったいなかった。

 しかし、写真を撮っている私でも日陰を求めながらも暑くてたまらないことを思うと、今年の日本の猛暑続きで『熱中症』に倒れる人々が続出、それを考えると日本人の体力の劣化を改めて思った。
セブ島工房ロゴ 
author:cebushima, category:閑話休題2010年8月, 11:22
-, trackbacks(0), pookmark
8月30日(月) 快晴、軽風 閑話休題 《 フィリピンの祭りの過ごし方 》
フェイスタで食らう豚 セブ島最北端の町に来て『フェイスタ=祭り』の期間を過ごした。

 この町は人口8万人近く日本なら立派な市になるが、役場のある地域を除けばこれといって町並みらしい場所はない。

 産業はトウモロコシ畑と漁業が中心で、特に漁業は、セブ市で消費される魚はこの町から氷詰めにしてトラックで運ばれるが、産業というには規模は小さい。

 フィリピンのこういったどこにでもある町を訪れると『一体、何で食っているのだろう』と不思議に思うが、答えは簡単で海外からの送金で生活している。

 この北端の町には20年以上前から足を運んでいるが、その当時、沿道に建つ家屋はニッパヤシの葉を葺いた屋根と竹で編んだ壁を持つ小さな伝統的な家が多かった。

 それが訪れる度に鄙には稀なという表現が当てはまるブロック造り、赤いトタン屋根の派手な家が増えた。そのほとんどは家族にOFW(海外就労者)を持ち、特にこの地域は『船員』が多い。

 海外からの送金額はフィリピンの国家予算と同等といわれるが、それは公式な数字であって、実際はその倍になるのではといわれ、GNPにも大きな影響を与える。

 これはこの国の現実で、本当は海外送金がもたらすフィリピン経済をしっかり学問的に分析しなければいけない時代であるが。

 さて、祭りは教会で宗教的な儀式は行われるが、裕福な家は親類、近所、友人、知己を招いての食い放題、飲めや歌えの大盤振る舞いだった。

 今回当地で世話になった家も主人はチーフ・エンジニアの外航船高級船員で、年に1度のフェイスタにこのように出来ることがその家と人物の甲斐性を表わす。

 どの位のふるまい方かというと、80キロほどもある豚(写真)を庭先で屠って肉から内臓まで各種味付けで調理してきれいに平らげてしまうし、お祝いごとに付き物の『レチョン=子豚の丸焼き』も別にある、肉、肉のオンパレードだった。

 私はあまり肉を食べない人間でこういったパーティーは弱く、わずかに隅に置かれた魚の甘酢あんかけで食事を済ませたが、フィリピン人の肉に対する気合の入れ方を思うと活力を感じる。
セブ島工房ロゴ 
author:cebushima, category:閑話休題2010年8月, 22:26
-, trackbacks(0), pookmark