新・へそ曲がりセブ島暮らし100景 その81 エンチラーダ
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2010.01.31 Sunday
近くのモールに『メキシコ』料理レストランがあるので試しに行った。
中米・ホンジュラスに住んでは居たが、向こうの料理は美味いと思わなかったから、単なる物珍しさである。
そこに写真の『エンチラーダ』があった。これは料理と言うよりスナックで、どんな田舎の食堂でもだいたい食べられた。
材料はトウモロコシの粉をせんべい状に焼いた硬い『トルヒージャ』で、その上にキャベツとトマトの細切りが乗っている。
少し工夫を凝らした店だと、この他にチーズの細かいのが入ったりする。これにチリソースをかけて食べるが、マヨネーズの様な物がかかっている時もある。具の方は良いが、台のトルヒージャがパリパリに固くて上下の食感がいまいちだった。
セブで食べたエンチラーダは、キャベツの代わりにレタスを使っていて、素朴さには欠けるがマアマアの味を出していた。
その数日後、妻がスーパーでトルヒージャを売っていたと買って来た。ホンジュラスのトルヒージャは直径10センチ位だが、スーパーで買ったのは15センチ位あった。もっとも向こうでも、地域によって大きさや厚さが違うからこれが本物と言う基準は無い。
フィリピン製のトルヒージャを食べてみたが、どうも本場物と比べて泥臭さが感じられない。材料がトウモロコシではなく小麦粉の様な気もする。
以前、一世を風靡した『シャワーマ』という肉と刻んだ野菜を巻いたトルコだかのスナックがあったが、それに使われている物の様だ。トルコは粉のトウモロコシは食べないと思うが不確かである。
さてメキシコ料理だが、この日は普通の肉料理を食べたが中米の味は感じなかった。肉料理は得てしてどこで食べても味付けは同じである。
このモールには他にヴェトナムや中東、アフリカレストランがある。どれもフィリピン風になっていて、オリジナルの良さが失われている。
1月31日(日) 晴れ、軽風 閑話休題 《 ハイチOFWと密航者 》
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2010.01.31 Sunday
ハイチにはOFW(フィリピン人海外就労者)が数百人単位で渡っている。
この中で、被災後にフィリピンへの帰国を希望した者が70人近く居て、その第一陣6人が29日マニラに着いた。
働いた職種は何か伺えないが、首都が廃墟と化し復興まで10年位はかかるとなれば、見切りを付けて帰国する者が出ても不思議ではない。(写真はサンケイ紙から)
フィリピンのOFWは公式には800万人と発表するが、これは掴んでいる数字であり、実数はもっと膨らむ。このOFWにその国の永住権を取って『移民』した、出稼ぎではないフィリピン人が含まれるのか知りたい所である。それを加えたら1千万人に迫るのではないか。
ハイチの大地震では中国人密航者の被害が取り沙汰された。密航だから実数は不明だが100人単位で報道された。ハイチはアメリカの喉の下にあり、アメリカへ密航する重要な基地になっている。
以前、コスタリカに行った時、これと似た話を聞いた事がある。コスタリカのとあるリゾートのレストランに『寿司』の看板が出ていて、これは珍しいなと思って入った。
出て来たのはルソン出身のフィリピン人だった。彼はマニラー香港―アムステルダムーコスタリカのルートでアメリカに入るはずだった。ところが、コスタリカでストップしてしまった。
コスタリカが選ばれるのは、ビザがフィリピン人は要らないためもある。そう言えば首都サン・ホセではタガログ語を話すグループが街を歩いていた。
どうもアメリカ入国を仕組んだエージェントに問題があった。結局、彼はアメリカ行きを諦めてコスタリカに留まり、数年経って家族も呼んだ。
もう一人若いフィリピン人が寿司を作っていたが、中米のこんな所でフィリピンを思い出すとは不思議な縁だと、一緒に記念写真を撮って別れた。
天災・人災でフィリピン人に被害者が出るのは、世界中にフィリピン人が浸透している証拠でもある。
ミンダナオ島大虐殺事件 (13) この国の司法制度の不思議さ
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2010.01.30 Saturday
フィリピンの『司法制度』はおかしいのではないかとは昔から言われているが、この裁判を巡ってもおかしな状況が出て来た。
国が違えば司法制度も違い事件の扱い方も変わって来るのは分かるが、最近の動きでは『容疑者が所在不明』と言うのがあった。しかも、その数600人以上と言うから半端ではない。
これは戒厳令布告の理由となった『反乱罪』で容疑者となった者達だが、どうしてそんな事態になったか。
日本の場合、逮捕―留置・取り調べー起訴―拘置の流れで被告となるが、フィリピンは少々やり方が違う。逮捕と言わずに拘束と言う言葉を使うし、起訴に持っていくまでは重罪事件を除いて身柄を押さえられないらしく野放しになっている。
勿論、取り調べ側の召喚は強制権があるだろうが、このように雲隠れしてしまえば捜査、起訴しても形だけである。何故、57人と言う史上稀な虐殺事件を起こした殺人実行者達の身柄を押さえて居られなかったか、ふざけた話である。
司法側は法に則って取り調べをしていると格好の良い事を言うだろうが、その非能率、無能力ぶりを考えるとどうしようもならない。つまり、解決する気が無いと言って良いだろう。
ニュースは『腐る』と言うが、その通りであれだけ衝撃的な事件も世間から記憶が薄れようとしている。
この間、殺人事件を起こし自宅で捕まったニュースは別の項で書いたが、この事件にしても自宅に指名手配犯を匿っていた母親と義父は『犯人隠匿』の罪で逮捕されても良いのに、そのような動きは捜査側に感じられない。
それを良い事にこの母親は、マスコミに露出して捜査側の批判や、挙句の果てに息子はアメリカ市民権があるからアメリカの庇護を受けるなど、と言いたい放題だった。
捕まった息子は昔、テレビ・ドラマに出、叔父は有名な歌手であり、どうも母親も芸能界に関係があったのか、マスコミの前で演技をしているのが見え見えだった。フィリピン人はこう言った臭いドラマが好きなんだなあーと感じた。
話は横道に逸れてしまったが、虐殺事件が起きる前に、今回の被害側だった副町長に対して、次回大統領選に立つ与党候補のテオドロが『アンパトゥアン一族に対抗して選挙に出ない方が良い』との事前忠告をしたとの事実が裁判で出た。(写真は裁判証言に出る被害者側の副町長、次回州知事選に立候補、当選が確実視されている Inquirer紙より)
このテオドロ、虐殺事件のあったすぐ後に自家用機でこの副町長に会いに行って支持を表明し、『風見鶏人間』である事が世間に暴露されている。