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へそ曲がりセブ島暮らし2020年 その(11) セブ島封鎖の中で読んだジョン・グリシャムの『無実』 

 3月下旬にかけて、セブ島は全島封鎖(Lockdown)措置に入り、小生宅に近く地獄的な渋滞で有名な道路から車が消えて、心なしか空気が綺麗になり、青空もいつもより青空らしく澄み透明感も強い。

【上下で634ページ+解説】

 セブより早くから全島封鎖をしているルソン島マニラ首都圏など、排気ガスを撒き散らす車が消えたために星が見えるようになったというから、いかにフィリピンの大気汚染が酷かったかを証明していて、コロナ・ウィルス騒ぎも負ばかりではない。

 フィリピンの封鎖というのは日本の自粛要請などという生温いものではなく、飲食店などの不要な店は閉鎖、ジプニーなどの公共交通機関も停止、夜間は8時から翌朝6時まで外出禁止、違反すれば拘束されある意味では戒厳令より苛烈である。

 

 全く外に出られない訳ではなく、自治体発行の外出許可証を持って買い物や銀行などには行けるが、許可証も一世帯に一枚のみで、封鎖措置に合わせて地域を管轄する人間が小生宅にもやって来て配った。

 この外出許可証発行の手足になっているのが『バランガイ』という地域の行政組織になるが、この許可証発行を巡ってある町のバランガイ事務所の人間が金で売っていたことが発覚し逮捕されるニュースがあり、やはりなと思った。

 こうして、人々は家に逼塞し時間を過ごし、多くはテレビやゲームで時間を潰すが、そのためにインターネットの長時間使用者が激増し、スピードが遅くなったなど苦情が続出している。

 そういった中、小生の生活は普段と変わらず、特別に読書量が増えたということもない中、標題のジョン・グリシャム著『無実』を読んだが、これは昨年11月に日本へ行った時に110円で買った古本である。

 

ジョン・グリシャムは今更書くまでもないが、1955年生まれ、法廷、弁護士物のフィクション作家と知られ、その作品は映画化もされて大ヒットを重ね、小生も話題作は読み映画も観ている。

 

 こういった作品は1983年、ロースクール卒業後に弁護士事務所を開業した経験が生きているが、最初に書いた1988年出版の『評決のとき』は多くの出版社に断られたというから、出版編集者の目というのは結構曇っているのが多いようだ。

 出だしは苦労したが、次作の『法律事務所』が大ベストセラーになり、以降『ペリカン文書』、『依頼人』と次々にヒット作を発表しアメリカを代表する作家となった。

 

 そういった華麗な多くの作品群の中でノン・フィクションとして執筆したのが『無実』で、これはジョン・グリシャム唯一のノン・フィクション作品となっている。

 

 内容は『冤罪』事件を扱ったもので、事件は1982年にアメリカ中南部にあるオクラホマ州にある人口1万3000人ほどの田舎町で起きた強姦殺人事件で、20代の女性が被害者となった。

 

 オクラホマ州といってもアメリカのどこにあるかも分からず、せいぜい中学生時代に授業で習ったフォークダンスの『オクラホマ・ミキサー』を連想するくらいで、改めてその位置を見るとアメリカ中南部にあると分かった。

 

 事件では2人の地元の青年が逮捕され、裁判の結果1人が死刑、1人が終身刑となったが、グリシャムはその捜査、起訴、裁判がいかにいい加減に行われたかを重層的に書き、明らかにしていくが、初めてのノン・フィクションとあって、従来の作品にあった物語性が欠けるのは仕方がない。

 

 死刑判決を受けた青年は死刑囚監房に収監され、その様子も細かく書かれるが、この青年、精神病を患わっているのにほとんどケアされず、アメリカの刑務所の実態というのはかなり酷いというのが伝わる。

 

 もっと酷いのは警察、検察の調べが自白中心で、犯行現場に残されていた毛髪や指紋を裁判で都合よく扱い、偽証する証人を平気で裁判に出廷させ、それを扱う判事の目も間抜けで、グリシャムは『冤罪』が作られる過程を丁寧に記述している。

 

 冤罪というのは人間が人間を裁く以上避けられないというが、その基を作っているのは捜査機関の警察と検察で、この日本にも山ほど冤罪事件はあり、小生が一番記憶にあるのは『八海事件』がある。

 

 1951(昭和26)年、山口県の八海という集落で起きた強盗殺人事件で、夫婦が殺され、捜査の結果1人がまず逮捕され、その自供によって地元の青年4人が逮捕された。

 

 1952年の山口地裁判決では後に捕まった青年1人に死刑、他は無期懲役など全員に有罪判決が出て、高裁、最高裁へと審理が進められるが、この裁判は何度も上級審の間に行ったり来たりして、最終的には最初に捕まった人物が無期懲役、他の4人は無罪となった。

 

 この冤罪を生んだのは、警察が最初に逮捕した人物の自白を基に単独犯ではなく複数という見立てから無理に犯人に仕立てたためで、自白偏重、証拠無視の体質が戦後の警察に根強くあったことから来ている。

 

 この事件は『正木ひろし』という人権派の弁護士が加わってから次々と警察、検察の矛盾が暴露され、映画監督の『今井正』がこの事件を基に『真昼の暗黒』という映画を1956年に製作、公開したことから注目された。

 

 ところが最高裁は審理中の案件を映画にしないよう圧力をかけたが、関係者は毅然と製作、公開をし、今『忖度』などといって事なかれで憚れる風潮の中、このように時の権力に抗して堂々と発表していることは昔の人には骨があったといえる。

 

 この事件は最初に捕まった人物の嘘の供述によって引き起こされた冤罪事件だが、無期懲役となった人物は服役して仮釈放後に殺人事件を起こしていて、当時の関係者はどう思ったのであろうか。

 

 さて、アメリカというのは民主主義の本山と自他共に認める向きもあるが、オクラホマの裁判を見るといかに酷いか分かり、結局、DNA鑑定が無罪の決め手となるが、死刑を宣告された青年は手違いで死刑執行命令が出ていたというから滅茶苦茶で、寸前に回避された。

 

 なお、DNA鑑定によって真犯人は明らかになったが、この真犯人、俺がやったと自白しているのに、警察、検察は当初の筋書きを守るためにあえて無視していて、公明正大であるべき捜査もご都合でいかようにも料理されることが分かり、権力を持つ側の恐ろしさが伝わる。

 

 唯一救われるのは、この事件を冤罪と見て行動した弁護士などの法曹関係者で、捨てる神あれば救える神ありという言葉がそのまま生きるが、こういう目に曇りのない人々の存在があるから冤罪と分かるが、それも多分に運と紙一重でもあるような気がして冤罪で死刑にされた人は多いのではないか。

 

 無罪となった2人だが、ここで不思議なのは収監中の補償というのは一切なく、損害裁判を自治体や捜査関係者に起こして勝ち取っていることで、日本の冤罪事件被害者には1日当たりいくらと補償される制度があって、アメリカにはそういう制度がないのかと驚かされる。

 

 死刑判決を受けた人物は数百万ドルの損害賠償を勝ち取っても、釈放の数年後に癌で死亡していて、いかに刑務所で身体、精神が蝕まれてしまったか分かる。

 

 実に恐ろしきは『権力』であることが良く分かる一冊だが、冗長な点もあって読み切るには時間がかかった。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2020, 20:25
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