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フィリピン・よもやま帖 2020 その−(2) セブに日本の総領事館が開設されるという話

 フィリピンにおける日本の在外公館は3ヶ所あって、1つはマニラ首都圏にある日本大使館で、その下にセブ市とダヴァオ市に出張駐在官事務所の2ヶ所体制が長らく続いていた。

【写真−1 2012年に撮影したセブに現存する戦前の日本総領事館の建物】

 いたと書くのは2019年1月にダヴァオが『総領事館』に昇格してしまったためで、以前から重要性、必要があると総領事館への昇格が確実視されていたセブは遅れを取ってしまった。

 出張駐在官事務所というのは、総領事館を置くほどのない地域に置かれるもので、予算など色々な事情で総領事館開設は難しいが、在留邦人数が多いとかこれまた色々な事情で開設される。

 この駐在官事務所、出張とは付いているが実際は領事が常駐し、セブには少しずつ増員され現在3人が配属されているが、1996年に開設当時は1人の領事しかいなかった。

 駐在官事務所開設以前のセブの在留邦人は、必要に応じて例えばパスポート更新といった重要なことはマニラの大使館まで行き手続きをするしかなく、面倒この上なかった。

 小生もその当時所用でマニラの大使館へ行ったが、現在マニラ湾沿いにある建物ではなく、大使館の周りにはいわゆる『ジャパユキ』関係者と思しき連中が出入りし、日本行きヴィザ取得の女性が列を作っていた。

 また、日比間の国際結婚が激増した時期で、書類申請に来た日本人男性が書類不備を指摘されて受け付けてもらえず、窓口で係員相手に怒鳴っているのが日常茶飯事といった時代であった。

 そういった不便な時を経て、1990年代初頭からセブの経済特別区に日本の企業が大挙進出し、日本人会組織などからの要望があって、マニラの大使館から領事が日を定めてセブにやって来て手続きを進める、文字通り出張領事までに至るが、その当時、セブに在留する邦人は500人いたかどうかであった。

 その後、在留邦人が激増し、その結果上述した出張駐在官事務所開設に至るが、最初の駐在官事務所はセブの中心部にある銀行ビルの中にあり、ジャパユキを追いかけて尾羽打ち枯らした中年の日本人が駆け込んだなどという面白い話がたくさんあった時代でもある。

 一方のダヴァオだが、今は違って来ているがダヴァオはフィリピン内ではミンダナオ島の辺鄙な所にであって、1980年代に小生がミンダナオ島で仕事をするといったら、マニラに住むタガログの人間から『あんな所へ行くものではない』と真顔でいわれた。

 

 その頃はマルコス独裁政権末期であり、政府軍と反政府軍武装組織が日常の様に激しく交戦を続けていて、ミンダナオ島などは今にも革命政権が樹立されるような勢いがあったし、実際小生の働いた地域でも交戦があって今思えば無事であったことが不思議のような気がする。


 戦前の話になるが、セブとダヴァオには戦前から日本の総領事館【写真−1】があった歴史を持つが、特にダヴァオの方は早くから日本人の開拓者が多く入り、最盛期には2万人近くに上り、日本人学校が6校もあったように日本人社会は栄えた。

 これら入植者はアバカ栽培に従事するが、アバカは船舶のロープに使われるいわゆるマニラ麻のことで、ナイロン製のロープが出るまでは市場を独占、金を生む生産品であった。

 この日本人入植者、開拓する土地を手に入れるために現地の女性と結婚した者も多く、当然、その子弟も増えることになるが、先の大戦で日本人及び日系の人々の境遇は一変し、日本人の血を引くことを隠すような事態となった。

 これが今も尾を引くかつて問題になった中国残留孤児と同じ『残留日系人問題』になるのだが、これら日系人はその身分を証明する物がなくて、無国籍もしくはフィリピン国籍という状態であった。

 

 近年日本側のNGOの活動もあって国籍回復運動が盛んになっているが、中国残留孤児問題児のような国民的関心はまだ薄く、既にこれら残留孤児は80台の齢に達し時間との戦いになっている。

 さて、そういった古からの日本との深い繋がりのあるダヴァオ、日本に働きに行く人の一大供給地でもあり、その手続きもあってか在留邦人は少ないもののダヴァオには駐在事務所が置かれていた。

 ところが、2016年のフィリピン大統領選でダヴァオ市長として長く君臨したドゥテルテが立候補し、最初は泡沫候補と見られていたがブームとは恐ろしいもので当選してしまい、その地元ダヴァオが一躍脚光を浴びた。

 特に安倍自民党は能力が無いのに『首脳外交』に力を入れていると自称するが、その本質は摺り寄り、ご機嫌伺い、ばら撒き外交で、ダヴァオの事務所をドゥテルテへの貢物として総領事館に昇格させてしまった。

 それに驚き、怒ったのはセブの人間だが、出来てしまってほざいても既に遅くむしろダヴァオよりも圧倒的な在留邦人数、日系企業数に胡坐をかいて何もしなかったセブの方に問題があったのではないか。

 圧倒的と書いたが2019年のセブの登録在留邦人数は3000人を超え、ダヴァオは1700人超えで、この人数は在留届を出している人数であって、届けを出していない邦人や観光客などは当然含まれていない。

 また、セブと書くがその管轄はセブ島以外にレイテ島、サマール島、及び近隣の島に及び、ダヴァオも基本はミンダナオ島在留邦人と地理的にはかなり範囲は広い。

 同様に日系企業数だが、セブは250社近く、ダヴァオは40社近くとこちらはかなりの差があり、この差というのはセブは日本各地から直行便が毎日何便も就航していて、ダヴァオには現在日本からの直行便はなく、やはりビジネス環境としてはセブより劣るという判断がある。

 また、セブは海のリゾートとして有名で、古い資料だが2017年にフィリピンを訪れた日本人観光客は47万人だが、内、マニラが31万人で首位、2位にセブが入っていて7万人となっているが、同年のダヴァオはたったの760人であり、日本人観光客など珍しく本当にこの数字かと思ってしまう。

 昨年の日本人観光客数は63万人と増え、連れて他の場所も増えていると思われるが、ダヴァオの日本人観光客がドゥテルテ当選後に激増したというニュースはない。

 それやこれらで、観光地のセブは観光客、短期滞在者を含めると常時5000人くらいはいるのではと思われ、そのくらいの数が無ければ玉石混交、増える一方の日本食レストランの経営は難しい。

 

【写真−2 左側のビル左端7階にセブ駐在官事務所はある】

 

 そういった空気を読んだ訳ではないだろうが日本の外務省は、2021年を目途にセブの駐在官事務所【写真−2】を総領事館に昇格させると先頃発表し、今年度の予算措置も講じたというから開設は確かなようだ。

 

 総領事館になると領事の定員は7人と今の倍以上になるらしいが、実際は7人も駐在させることは仕事の量から税金の無駄使いに思え、これはむしろダヴァオの方に投げ掛けたい言葉だが、実際はどうなっているのかは分からない。

 

 安倍から賄賂の様にドゥテルテに贈られたダヴァオ総領事館だが、今はドゥテルテが大統領としてあらゆる利権を露骨にダヴァオに集中させているが、ドゥテルテ退任後はダヴァオの栄華も線香花火の様になるのではと見られ、その機能が宝の持ち腐れになるのではとの見方が強い。

 

 そのため、ドゥテルテはダヴァオ市長の跡目を継いだ長女を2022年の次期大統領選に担いで、自身は副大統領選に出るなどという奇策を考えていると伝わる。

 しかし政治はエリート意識の強いタガログ族からと思っている連中も多く、二代続いて傍系ともいえる南部ヴィサヤ族からの大統領は難しいとの穿った見方もあり、誰が大統領選に出るか既に選挙戦は始まっている。

 


 

author:cebushima, category:フィリピン・よもやま帖 2020, 18:38
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