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この一枚2020年 セブ篇 その(1) またシヌログか もうシヌログか

 セブでは毎年1月の第3日曜日にシヌログ(SINULOG)のグランド・パレードが市内の目抜き通りで開催される。

【既存のTシャツを切ったり別の素材を張ったりしてオリジナルを作っている】

 元々は大航海時代のマゼランゆかりのサント・ニーニョ教会の宗教行事で、教会にはマゼランが持ってきたといわれる幼きキリスト像が安置されていて信仰を集めるが、ニーニョというのはスペイン語で子どもを意味する。

 今でも教会に行くとローソク売りの叔母さんが、ローソクを掲げて左右に3歩進んで2歩下がる踊りをするが、この踊りを1980年代になって観光資源として取り入れたのが現在のシヌログで、フィリピン国内で最大級の人を集める祭りになった。

 近年はこの祭りに参加する踊るチームの衣装や踊りが派手になって観光客の目を楽しませるが、小生が初めて見た1990年代初頭のシヌログのパレードはかなり地味で、参加チームとチームの間が間延びしたり、普通の車に乗って通り過ぎるグループもあった。

 やがてイヴェントとしては発展したが、セブのシヌログ・パレードはオリジナルではなく、パナイ島北西部にあるカリボ市で昔から伝わる『アティアティハン』を真似たもので、そのためどちらも似たようなものになっている。

 このセブの集客力の強さを真似て、観光客を呼び込むために同様のいで立ち、構成で何とかフェスティヴァルとフィリピン各地で開催され始め、その土地独特の習俗を現す踊りや扮装は薄れて単なるパフォーマンスの場となっている。

 

 この真似るという行為はフィリピン人は割合当たり前で、儲かるとなればすぐに真似し、例えばサリサリ・ストアといって個人の家が軒先で小商売を始めると、その並びが真似て次々とサリサリ・ストアを開くことが多い。

 

 道によっては2〜3軒置きにサリサリ・ストアがあって、あれで商売が成り立つのかと心配するが、商売品を自家用で消費しまって閉店という例もかなり多く、簡単に始めるから簡単にお終いになるようだ。

 

 そういう意味では何事も慎重、計画を立てて計画通りに物事を進めたい日本人にはこの手の発想は無理で、逆に失敗しても元々と思って行動に移すフィリピン人には腐すよりも見習うことが多いのかも知れない。

 

 祭りの話題に戻すが、どこの国でも伝統的な祭りといってもその発祥はどこかの知恵者の発想で始まったのが多く、それが年月を経て昔からあったような顔をするのが祭りであって、その始まりなど大した意味がなく、いかに浸透して継続されて来たかが重要なのかも知れない。

 

 シヌログを始めとしてこれらフェスティヴァル参加チームは自治体や学校が多く、このチームが優勝を目指して早くから練習を積み重ねて勝ち上がる様子は郷土の誇りでもあり、各チーム間のライヴァル意識はかなり熾烈である。

 娯楽のない地方の自治体では青少年でシヌログにチームを組んで参加することは、青少年対策にもなっているようであるし、元々踊ることに天性の資質のあるフィリピン人には向いていて熱狂する要素は揃っている。

 外国人の眼としてはシヌログも最初は物珍しくて、朝から沿道に待ち構えて写真を撮ったりしたが、それも2〜3回も続けて見学すれば充分で、今ではその喧噪に嫌気がして行く気にもならなくなっている。

 これも参加型の祭りではなくただ見物するだけの祭りであることも関係はあるが、シヌログが年々工夫を凝らして派手になっているにも関わらずマンネリ感が強いこともあるし、見たいならテレビの中継で充分である。

 写真は久し振りに行ったモール内で写しているが、このモールではシヌログもクリスマス・セールに続く商機であり、催事フロアーで大音響の音楽を流しながら大々的にシヌログ関連商品を売っていた。

 写真を見ても分かるようにマネキンの頭に羽根飾りが乗っていて、かつてはこういう羽飾りはパレード参加者以外はあまり見かけなかったが、近年は手を変え品を変えて流行っているのかも知れない。

 

 第3日曜日に行われるグランド・パレードのことを中心に書いたが、シヌログの行事はサント・ニーニョ教会で連日宗教儀式が始まっていて、小生も一度見物に行ったが、各自の家に飾ってあるサント・ニーニョ像をミサの時に掲げて『ヴィバ』と叫ぶ様子は圧巻であった。

 

 そういえば、この幼きサント・ニーニョ像は市内の場所と日時を定めて巡行する時があって、数年前に小生宅の傍にある通りに来たことがあり、人々に混じって通り過ぎるのを眺めた。

 沿道には多くの人々が詰めかけ通過時には熱狂の極みだが、信者でも何でもないただの野次馬の小生としてはガラス・ケースに入れられた像などそれほどありがたい存在と思わないが、そこが宗教たるゆえんでありがたい人にはありがたいのであろう。

 

 祭りが商業的になるのは仕方はないが、2020年に東京で開催されるオリンピックなど建前と本音が見事に乖離していて、今やオリンピック開催は興行の世界であって、こういう興行に国が税金を注ぎ込んでいるからおかしくなる。

 

 サッカーやラグビー、テニスのような世界大会も興行の一貫であり芸能人のコンサートと同じで、それだけ付加価値があるから何年も前からオリンピックのスポンサーに企業が国際オリンピック委員会に巨額の金を払い、コマーシャルを垂れ流している。

 

 特に年が明けてオリンピックまであと何日と表示が声高にいわれるようになって、日本は頭がおかしいのではと思うが、これは戦時中の『大政翼賛』と同じで、少しも日本人は先の敗戦から懲りていないと感じる。

 

 こういう大政翼賛体制で固まる日本で『オリンピックなど止めろ』と叫んだら袋叩き、国賊と言われそうで、そう思わざるを得ない日本の今の在り方が悲しく、悍ましい時代となった。

 


 

author:cebushima, category:この一枚2020年 セブ篇, 18:00
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