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ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019 その(3) ダヴァオ国際空港に到着

 ダヴァオ国際空港は3000m滑走路1本を持ち、マクタン−セブ国際空港より空港敷地は遥かに広大で、開発の余地は十分にあり、写真−1の現ターミナルとは別に新ターミナルを造っている。

【写真−1 この飛行場も最近政治家の名前を付けたがつまらないことをする】

 20年以上前に初めて家人とダヴァオへ行った時に使用したターミナルは現ターミナルの反対彼方にあって、当時は佇まいからローカル色豊かな感じがしたが、まだその建物は残っていた。

 この新ターミナルは2003年に開業したが、前回ダヴァオを訪ねた時は新ターミナル開業直後で、エスカレーターを備えた造りには意外性もあってモダンさを感じた。

 フィリピンの飛行場はほとんどが軍事用に使われていた歴史があり、特に日本海軍の神風特攻隊と縁のある飛行場が多く、セブ市内には神風特攻隊最初の戦死者を出した旧ラホグ飛行場があった。

 この飛行場、今は跡地にビルやコンドミニアムが建ち並び飛行場があったことは分からなくなっているが、戦史的には貴重な場所である。

 マクタン−セブ国際空港も海軍ラホグ飛行場の補助飛行場として使われていて、ラホグとマクタンの両基地同士は椰子の樹の葉越しに見えたというから、高い建物がなかった時代でもあった。

 ダバオ国際空港も海軍の戦闘機隊が進出し、1944年10月25日、レイテ沖のアメリカ艦船に体当たり攻撃をして最初に戦果を挙げたのはダヴァオから発進した菊水隊と朝日隊であった。

 戦史ではルソン島マバラカット基地から出撃した関大尉率いる敷島隊が史上初めての攻撃成功と伝えられるが、これは海軍上層部の作為の疑いが濃い。

 

【写真−2 到着側スペースはともかく狭い】


 写真−2は機内預けの荷物を受け取る場所で、コンベアーが2基しかなく、これで国際空港と呼べるのかと思うが、搭乗客が重なるほど飛行便はないようだ。

 実際、ダヴァオ国際空港の2018年度の利用客は国内、国際便利用客数は450万人を超した程度で、国際便など15万人弱だからこれで間に合うのであろう。

 国際便といえば以前来た時にインドネシアのマナドにここから直行便が飛んでいるのを見つけて、ダヴァオはマニラへ行くよりマナドの方が近いのだなと思い、その内利用したいと思っていたが現在は路線はなくなった。

 他に国際路線は香港とシンガポール、中東のドーハに飛んでいるようだが、ミンダナオ島地域からメイドとしてその地へ就労する人々を専門に運んでいるような気がする。

 最近、ダヴァオと日本の間に直行便を飛ばすように地元では運動しているようだが、仮に実現しても利用客は見込めずドゥテルテが大統領中にその力で飛ばそうとする政治路線でしかない。

 

【写真−3 以前は原野の中という感じであったが今はかなり開発されている】


 写真−3は空港ビルを出た正面の様子で、以前はどうだったかなと思いながら外へ出るが、空港ビルには送迎用の車を寄せ付けないようになっていて非常に不便。

 これはダヴァオで政務をとることの多いドゥテルテ詣での政府要人用にスペースの確保と安全対策と思うが、政治の中枢マニラとダヴァオ間を行き来する労力と経費を考えると、ドゥテルテも馬鹿なことをやっている。

 しかし、ダヴァオ絶対のドゥテルテとしてはそれも計算の内で、在任中にミンダナオと地域のインフラ整備に国家予算をかなり投じていて、こういった出身地盤偏重がこの国の大統領の特徴でもある。

 この写真ではタクシーの姿が写っていないが、以前来た時はエアコンのないタクシーしか走っていなかったが、今はエアコン付きの新車同様のタクシーが走っていて、この面でもダヴァオの発展は感じた。


 

author:cebushima, category:ミンダナオ島紀行 ダヴァオ篇 2019, 19:30
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