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パラワン島紀行 2018年 その(30) 日本軍の米兵焼殺事件のあった捕虜収容所跡を見終えて飛行場へ

【写真−1】

 

 写真−1は現在、公園化されている旧日本軍の捕虜収容所跡の海方向を写している。白っぽく写っている向こうはマングローブ林に続いて海に繋がっている。焼殺時に辛うじて生き残った米兵11人はこの方向から、イワヒグ方面へ脱出したのだろうか。

 

【写真−2】

 

 跡地内ではその当時の様子を写真入りでパネル展示している。写真−2は『パラワン虐殺』と当時の写真入りで説明されている。フィリピン国内における日本軍による虐殺は各地で発生していて、セブでも北部メデリンの砂糖精製工場内の虐殺が知られる。

 

【写真−3】

 

 パラワン焼殺実行の日本陸軍士官、兵士は戦後横浜でBC級戦犯に問われ、ぞの関係者が写真−3に写る。この裁判では憲兵が絞首刑を宣告されるが、最終的には終身刑に減刑、他の人間も禁固刑で留まり、その残虐性を考えると非常に軽かった。

 

【写真−4】

 

 写真−4は焼殺された米兵の名を刻んだ祈念の碑。こういった非道なことを行った皇軍と称する日本の軍隊を考えると、戦争指導者としての天皇の在り方、最近も改元などと浮かれる日本の今はおかしいが、スマホに狂う現代はファシズムに踏み込んでいる。

 

【写真−5】

 

 早朝の大聖堂、捕虜収容所跡を見てホテルに戻って朝食。こういったものも欠航した飛行機会社持ちとなっているが、元々朝食を食べる習慣のない小生は有り難くもなく、頼んだのは写真−5のフルーツ盛り合わせ。少々貧弱な2019年元日の食事となった。

 

【写真−6】

 

 ホテルから空港まで送ってもらい、今日は問題なく出発するとのこと。写真−6はプエルト・プリンセサ空港で見かけたポスターで空港の全体が見られる。この飛行場がパラワン焼殺事件の舞台で陸軍131飛行場大隊が守備し、米軍捕虜を使役していた。

 


 

author:cebushima, category:パラワン島紀行 2018年, 16:53
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