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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(23) 『ラオスの霧に消えて−辻政信の死』を読む

 本を整理していたら写真の本が出てきた。見開きに著者のサインが入っているので購入した本ではなく誰かからもらった本なのかも知れず、また読んだ本はページ最後に鉛筆で年月を印しているが、それがないので未読の本となり読み始めた。

 

 辻政信という名前を聞いて分かる人は少なくなっているが、この人物は元陸軍大佐、大本営参謀で敗戦後に戦犯追及から逃げるためにタイで地下に潜り、その体験を戦犯追及が時効になった後『潜行三千里』という本を出して当時のベスト・セラーになる。

 その後1952年(昭和27年)、出身地石川県旧1区選出の衆議院議員に当選し1958年(昭和33年)まで連続4期を務めるが、この政界進出も計算高い辻の性格が出ている。

 この旧石川1区というのは金沢市を含む花形選挙区で、戦前には日本育英会を作った永井柳太郎、近年では頭が筋肉で出来ていると揶揄された元首相の森喜朗を出すが、自民党2、社会党1という定番中選挙区であった。

 辻は転じて1959年(昭和34年)の参議院全国区に出馬し、68万余票を集めて3位で当選するが、2位当選は鹿島建設の鹿島守之助が93万票余を集めた。

 しかし、辻は議員在任中の1961年(昭和36年)にインドシナ方面に行くと議会から40日の許可をもらって、4月4日に日本を出発し、タイを経てラオスに入り4月21日を最後に行方不明となった。

 当時は現職国会議員の失踪ということでマスコミはかなり話題にしたが、年々話題性が薄れ、1969年(昭和44年)6月28日、裁判所によって死亡宣告が成され、今では話題に上がることはなくなった。

 小生は先年ラオス・ヴィエンチャンに住んだが、それ以前から辻政信には関心はあって、著作の『潜行三千里』を読もうと思って国会図書館へ行ったが、既に本ではなくマイクロ・フィルム化されていて読み難く途中で止めてしまった。

 その後復刻版が出されて購入して読んだが、どういうことが書かれていたかは全く記憶に残っていないから、期待したほどの内容ではなかったのであろう。

 辻政信は石川県の山中温泉近くに生まれ陸軍幼年学校、士官学校、大学校を出たいわば軍人として純粋培養された人物で、当時の貧しい家の出で頭の良い者は軍人になるのが多かったが、その経歴には日本陸軍の欠点が見え隠れする。

 辻は『作戦の神様』などと軍内ではいわれていたらしいが、独断専行の軍の体質を如実に現した人物で、また日本陸軍の問題のあったと指摘されている作戦にどういう訳か関与している。

 このフィリピンでも『バタアン死の行進』に関わり偽の命令を出してアメリカとフィリピン人捕虜の始末を命じているし、シンガポールでの『華僑大量虐殺』も辻の命令と考えから引き起こされている。

 また、ソ連と交えたノモンハン事件、悲惨なガダルカナル、ニューギニア作戦、白骨累々のインパール作戦など無謀な作戦に関与していて、どこが優秀な作戦家であったのかと素人でも分かるような無策、無謀振り。

 先の戦争がエリートとされる頭でっかちの軍人達が机上で作った荒唐無稽な戦争であったことは、辻の軍人時代の動きと言動を見れば明らかで、一億火の玉と躍らされた国民も気の毒といえば気の毒だがそういう時代は特別ではない。

 さて、辻がインドシナを目指したのは当時のヴェトナム戦争とラオス国内の情勢と深い関係があったことは確かで、辻はハノイ入りを目指し、当時のホー・チ・ミンと直談判をしてヴェトナム戦争の解決を図ろうとしたのではないかといわれている。

 しかし、一介の国会議員が直談判でその国の指導者に会いに行って解決を図るという発想そのものが荒唐無稽で、意表をついた行為で組織と社会に存在感を示していた辻の精神が良く分かる。

 辻は僧侶に化けてラオスの首都ヴィエンチャンから13号線を北上するが、13号線はカンボジアに繋がるラオス最南部のパクセーから、世界遺産になっている北部のルアンプラバンへ通じる大幹線道路で、ヴィエンチャン在中には辻が歩いた13号線の道端に立ってこの道かと感慨を持った。

 さて本書だが、内容は辻の失踪事件を報じた新聞記事の切り張りで新味はないが、それでも辻がヴィエンチャンで泊まったホテルが『セタ・パレス』であったことが分かった。

 このホテルは現在も高級ホテルとしてあり、一度食事に行ったことがあって、フランス植民地時代の様子を各所に残す建物であったが、今の建物は1999年に再建されたもので辻が泊まった頃とはかなり違っている。

 オリジナルは1932年にフランス人によって造られたが、内戦後の1975年以降国有化され宿舎になり荒れてしまったが、辻が泊まった時はまだフランス時代のサービスと調度が保たれ、国会議員が泊まる当時の一流ホテルであったようだ。

 内戦と書いたが、ラオスは右派、中立派、左派と国内が分裂し内戦を続けていたが、ヴェトナム戦争のためにアメリカ軍がラオスに駐留していて、その当時のヴィエンチャンはアメリカ相手の紅灯街があり、また、麻薬ビジネスの中継地としてかなり裏の社会も賑わったが、社会主義政権が誕生してそういったものは一掃された。

 ヴィエンチャン中心部にドンパランという地区があって、そこヴェトナム戦争時の紅灯街として知られた場所であったが、今は変哲もない街並みが続き、全く面影を伺うことはできない。

 本書で辻はヴァンビエンという場所に滞在していたことが明らかになり、ヴァンビエンは奇岩のある観光地と知られ、家人と訪れたこともあり、そういえばあそこには今は長い広場になっている飛行場があったことを思い出した。

 辻は一説にはこの飛行場からソ連製の飛行機でハノイに向けて飛んだともいわれ、しかもその飛行機は墜落したなどと実しやかな話も残るが、それだけ想像を逞しくさせる失踪事件でもあった。

 本書の帯でも強調しているが、辻はジャール平原にあるカンカイで処刑されて埋められているとあり、このジャール平原というのは平原に石で造られた古い大きな壺が点在し観光名所になっているが、ジャールという言葉が壺を意味している。

 ここに内戦時に一派が本拠地を構えていて、辻は捕らえられて監禁された後殺害されたとあり、いずれにしても辻自身は何らかの意思を持っていても、言葉は通じずスパイとして処刑、あるいは逃げ出そうとして射殺されたというのが有力である。

 ジャール平原はヴィエンチャンからプロペラ飛行機で30分もかからないシェンクアンという町から行くが、やはりヴィエンチャン在中にこのジャール平原を家人と訪れようと計画したが叶わなかった。

 辻政信が仮にジャール平原に埋められているとして既に60年近くを経過し、関係者の記憶は薄く辿ることは無理で埋葬した地点を確定することは難しいだろうが、こういうミステリーの好きな人物は必ずいるから『世紀の遺体発掘』などというニュースが出るかも知れない。

 辻政信という人物、失踪事件をを知っている人自体少なくなり、本書の題名ではないが『ラオスの霧に消えて』と同じ状態になっているが、思わぬ方向から解明に至ることもあるから注視はしておきたい。



 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 21:12
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