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フィリピン・よもやま帖 2019 その−(3) 少しは変わったのかフィリピンの空の玄関『マニラ国際空港』

 3月の下旬に家人とマニラの方で行われる結婚式に参列した。式が行われたのは正確には首都圏に隣接するカヴィテ州で、タアル湖という山の観光地を控えた近くの町の教会で、その近辺には結婚式を執り行う業者施設が多く、首都圏では有名な地域である。
 

【係員はスマホをいじってさぼっているし相変わらず向上心のない空港


 そのため、セブからは早起きしてフィリピン航空を利用して行くが、週末であったためと3年に1度の全国選挙の真っ最中であり、人の動きは大きく、中にはいかにも選挙運動関係者と思われる揃いのTシャツを着たグループも空港内にはチラホラ。

 マニラ空港は『世界でも最悪の空港』と悪評高く、その汚名はなかなか拭えていないが少しは進歩しただろうと思って、フィリピン航空専用の第2ターミナルに降り立つ。

 マニラ空港の第1ターミナルが国際線専用で、1983年8月21日にアキノ元上院議員が搭乗機から降ろされてタラップ上で暗殺された場所としても有名で、そのため空港名は正式には『ニノイ・アキノ国際空港』となっているが、誰もそうはいわずただの『エアーポート』と呼ばれている。

 このように政治家の名前を空港に名付ける例は多く、例えばルソン島中部パンパンガ州にある空港は『ディオスダド・マカパガル国際空港』と当時の大統領アロヨが第9代大統領であった父親の名前を強引に名付けた。

 パンパンガ州は一族の地盤でアロヨは大統領退任後フィリピンでは格下げという考えはないのか下院議員になったが、汚職で捕まったせいもあって2012年に元の名前のクラーク国際空港の名に戻った。

 そうやってコロコロ変わるのも迷惑限りなく、少なくても人名というのは評価が変われば天国から地獄行きだから公共の物に命名するのは弊害が多過ぎるが、政治屋というのは名誉欲で成り立っているから改まることはないであろう。

 空港名といえばミンダナオ島ダヴァオ市にあるダヴァオ国際空港も正式は『フランシスコ・バンゴイ国際空港』となっているが、現在の大統領ドゥテルテはダヴァオ市を地盤として出た人物で、大統領退任後はドゥテルテの名前が冠されるのではないかと見られていて、これも迷惑限りない。

 マニラ空港は国際便、国内便共に数多く利用しているが、国際線各社が発着する第1ターミナルは古く、かつ保全が悪くその汚さで有名となり、次に造られたのがフィリピン航空専用の第2ターミナル。

 そのためフィリピン航空の国内線用に使われていた平屋のターミナルは他の航空会社が使用していて、先年バタネス諸島へ行った時はこのターミナルを使ったが、相変わらず倉庫のような雰囲気は変わらなかった。

 第1、第2が手狭になって次に造られたのが第3ターミナルで、アロヨ元大統領時代に日本の竹中工務店が施工をしほぼ完成したが、政府側が空港運営企業と竹中に難癖をつけて接収し長い間閉鎖という異常事態に陥った。

 このトラブルは長い裁判を経て運営企業と竹中側の勝利に終わり、政府側は莫大な賠償金を払うことになったが、それが満額支払われたという話は聞いていないからまだ裁判は残っているのかも知れない。

 この事件ではアロヨが運営会社側に莫大な賄賂を要求したが、運営会社は外国企業のため拒否。そのためアロヨが嫌がらせで閉鎖に追い込んだといわれていていかにもフィリピンではありそうな話。

 そういったゴタゴタの多いマニラ空港だが、各ターミナル間のアクセスは全く考えずに思い付きのように空港内にバラバラで建てられているため、国際線から国内便に乗り換える場合、航空会社が違うとターミナルを出るようになっている。

 そのため国内便から国際便に乗り換えるためには目と鼻の先にあるターミナルまで雲助タクシーが横行し、通常の何十倍もボッタくられる事件が続出。これはフィリピン人もボッタくられていて、その悪質さは問題になってもタクシー運転手と空港側は後ろで手を組んでいるといわれ、改善には至らなかった。

 しかし、呼び出し白タクの『グラブ』などが普及してこの手のボロい商売は少なくなり、当局もそれなりに取り締まり、以前よりはターミナルからのタクシー客に対するボッタくりは少なくなった。

 新ターミナルを離れて造る時は当然、その足を計画段階から考えるものだが、フィリピンは全くそういう思考法はなく、4つあるターミナル間の接続はバラバラで将来的にもどうするという発想はなく、利用客の利便性など論外という国。

 そういった中、各ターミナル間を繋ぐバスを運行【写真】していて、今回第2ターミナルから第3ターミナルに行く必要があり、写真のバス乗り場を利用したが、搭乗予定がないと乗車できずだれでも乗れるバスが来るまで延々と待たされた。

 やっと来たと思ったら、何と有料でしかも空港敷地から渋滞する一般道路に出て走る始末で、途中で下車する人が何人もいてこれではターミナル間を繋ぐシャトル・バスと名乗りながらジプニーと変わらないと思った。

 シャトル・バスの走る一般道路は空港敷地に沿ってあるが、渋滞の中を走らせること自体問題で、どうして空港敷地内を通る専用のバスで繋がないのかと、毎回不思議に思っている。

 このターミナル間の接続の不便さ問題は何十年もあって、最初からモノレールのようなもので繋げば良いのにフィリピンには『利便』というのは金にならないようで、そういった計画は発想自体がない。

 また、フィリピンで最初の軽量鉄道が空港に乗り入れる計画で造られ、空港の目と鼻の先まで線路は来ているが、こちらも何十年も放置されている。それでもようやく延伸が決まったが本当にやる気があるのかと思うような進行状態で、その内何とかなるだろう状態。

 しかし、フィリピン最初の地下鉄路線が首都圏中心からマニラ空港の第2ターミナルまで造られる計画が日本のODAで始まっていて、高速道路も空港近くに造られ、昔よりは良くなっているのは確かである。


 

author:cebushima, category:フィリピン・よもやま帖 2019, 18:34
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