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へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(14) 2011年11月の東北・福島を思う

 今から8年前、埼玉県を8月に出発して宮城県、岩手県の津波被災地を回り、東北を南下する形で福島県へ入ったが、既に11月になっていた。

【写真は2011年8月当時撮影】

 2011年3月11日の大地震による津波によって、福島原発は機能不制御に陥り原子力建屋が爆発するなどして放射能が拡散され、今にも日本は消滅するような騒ぎになっていた。

 セブに住んでいる身としては海の向こうの出来事で実感は湧かないが、普段は見ないテレビでCNNが刻々と伝える津波の惨状、特に福島原発でCNNレポーターが中継中に背後の原子炉建屋が爆発したシーンを見た時は、日本は終わりかとさえ覚えた。

 そういった混乱の中、日本に住むフィリピン人が放射能汚染を怖れてフィリピンへ避難し始め、チャーター機で大勢が戻ってきたその様子はこちらでも大きなニュースになった。

 また、福島県に住む酪農家が放射能汚染を苦にして自殺をし、この人の妻はフィリピン出身であり、震災被害者の中でも日本に住む外国人というのは『弱者』になってしまうという認識を持った。

 その後準備を経て、8月にセブから小生を含めて3人で、こういった外国人被災者支援のために日本へ行き、猛暑の東京で準備をしてから東北自動車道を一気に北上し、宮城県石巻市に入った。

 被災5ヶ月後ということもあり、被災地の瓦礫類はかなり片付けられていたが、一面の野原となってしまった岩手県南三陸町【写真は同町の被災した防災センター、この建物は被災遺構物として保存】や陸前高田市の市街地の様子にはさすがに驚かされた。

 1980年代半ば頃と記憶するが、遠野に住む知人を訪ねた後に、釜石市に出て三陸鉄道を経由して仙台方面に鉄道を利用し南下、途中陸前高田市で下車し、陸前高田ユースホステルに泊まった。

 その頃の陸前高田市の市街地の様子の記憶は覚えていないが、喫茶店に入って陸前高田は歌手の千昌夫の出身地だったのだなと思ったから、店に千昌夫のポスターでも貼ってあったのかも知れない。

 大津波でほとんどが流されてしまった陸前高田市だが、『奇跡の一本松』といわれたそばに建っていたのが泊まったユースホステルで、この建物が大津波の威力を和らげたためにこの松は残った。

 支援は主に仮設住宅を回ったが、この仮設住宅は最大時には11万6500人余を数えたが、最新数字(2019年1月現在)では3400人余となっている。

 しかし仮設に残る多くは老人世帯、しかも独居が多く、世帯数で見ると数字は少なくなったとはいえまだかなりの数で、仮設住宅も福島県の原発被災の町を除いてこの3月で末で打ち切られるというから、弱者はいつまでたっても弱者の域から逃れられない構造が横たわる。

 東北大震災による避難者は最大時に40万人以上を超えたとし、現在は8万人弱という数字が出ていて、8年も経ってまだ8万人も避難しているのかと思うが、その多くは福島原発立地町からの避難者で、いかに原発の事故は取り返すのが難しいことを証明している。

 放射能が拡散された時、小生の東京の知り合いは乳児を抱えていて、その時、京都の方へ自前で一時避難したが、こういった判断の人は多数あったと思うが、そう避難者数の数字には含まれていないのではないか。

 被災者支援で福島県に入ったのは10月末の磐梯山を望む会津若松市からで、市内近くの山間部にあるキャンプ場を拠点に始めるが、既に山は秋色濃く、忍び寄る寒さが脅威となっていた。

 寒さといえば岩手県久慈市に入った時、海岸にあるキャンプ場にテントを張ったが、同地は風の町といわれるように北東からの冷たい風が海から吹き寄せ、夜間の寒さは厳しかった。

 その時被災者の方から家に泊まれと言われ、この時初めて被災者宅に泊めてもらったが、去り際には冬の寒さの準備のない我々に防寒着をくれ、あの人達はどうしているのかなと思い出す。

 あの時、泊めてもらった家には2歳くらいの子どもが居たが、その子どもは小学校に入って既に3年生になっているなと思うと、歳月の速さを知る。

 その寒さに追われて最後の活動地として入ったのがいわき市で、ここでも市外にあるキャンプ場を拠点に活動を始めるが、このキャンプ場、夏の時期ならキャンプには最適で、トイレや屋外調理場も完備していて悪くないが、11月にテントを張る人間など全くない。

 このキャンプ場へいわき市から行く時、詩人の草野心平の生家のある町やダムがあって至って長閑な環境だが、途中に川内村へ分かれる道があって、この道は通行止めになっていた。

 川内村は放射能汚染で全村避難の措置が取られたために、通行止めとなったわけだが、山を越えた向こうが放射能汚染地域かと思うと心穏やかではなかったし、こんな深い山の除染などいったいどうやってやるのかと疑問に思った。

 この川内村の全村避難では最初に役場だけが2012年4月に避難先から戻り、2016年4月には全村避難は解除されたが、あまりにも政治的な決定で、若い層を中心とする村民は戻ることを躊躇い、人口の減少は続いている。

 さて、8年経った福島原発だが、廃炉作業は進んでいるような報道が成されているが、未だ見通しは立っていないのが実情で、当初予測されていた事柄のインチキが次々と出て来ている。

 例えば福島原発の廃炉費用は当初22兆円程度とされ、これだけでも巨額であるが最近はその4倍近い82兆円になるのではという試算が出され、国と東電は実態を隠蔽するのかと批判を浴びている。

 この巨費も結局は税金から出されるのに、世間は安穏で地盤沈下が著しい日本経済も社会もずいぶん太っ腹で、声挙げることなく一体どうなっているのかと驚かされる。

 こういった巨費が動く陰には、案件で儲ける連中が必ず存在し、むしろ大震災と原発爆発など特需、千載一遇の儲け時として蠢いているのは多く、人の不幸を種に儲ける組織や輩はいつの時代でもある。

 先頃、県民投票で辺野古埋め立てに対して明確な反対が出ても、政府は基地建設を止めないが、これなど沖縄の土木、建設会社に兆円単位の金が落ちるから埋め立てさまさまで、問題になっている警備会社にしても数億円単位の金が入るから、埋め立てを進めたいであろう。

 その莫大な利権に繋がるのがいわゆる保守と称する自民党で、この利権は決して手放さず地方、中央を問わず強固になり、それを束ねる自民党政権は永久的に続く。

 国家の大義とか愛国心などがもっともらしく前面に出る『戦争』にしても、戦争で儲ける組織、個人はいくらでも居て、小規模の内戦でも武器商人などはぼろ儲けするから、金儲けのために民が殺されると言い切る人もある。

 そういえば戦争とは結び付かないが、アメリカのトランプがメキシコ国境に壁を造ると固執し、その額は総額2兆円を超すというから途方もなく、費用対効果を考えても無駄なことは明らか。

 この無駄も、壁建設に関係する建設、資材会社には莫大な金が流れ、そこからトランプ支持は固いし、トランプも再選に向かって是非ともこの無茶な計画を通したく、税金で自分の支持者を養っている指摘は当たっている。

 さて、最後になった福島のキャンプ生活だが、あまりの寒さにカセット式ストーブを購入しようと探したくらいだが、活動期間は3ヶ月であったので東京へ戻ることになった。

 歩いて訪ねた福島の放射能から逃れた被災者は老人世帯も多く、中には自分がどうして仮設住宅に来たのか良く説明されていない独居老人も居て、働ける家族は原発廃炉作業に従事し、年寄りを安全な地域に住まわせるケースも多かった。

 廃炉作業にしても、日進月歩以下の歩みで最終的にどう取り組むのかも決まっていない状態で、汚染水は際限なく出て、そういえば何百億円もかけて地下水が漏出する敷地を凍らせるプロジェクトは上手くいっているのか伝わってこない。

 といった問題が山積される中、脱原発は進まず、原子炉の放射能汚染物資、つまり核のゴミは全く解決されず、放射能汚染物は地下深く万年単位で保管するぐらいしか知恵は出ていない。

 こういった不完全な原子力を利用した人類にも問題は多く、いったい人類はどこへ行くのかと思う被災8年目の今日3月11日である。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 18:31
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