RSS | ATOM | SEARCH
へそ曲がりセブ島暮らし2019年 その(13) 映画『ハナレイ・ベイ』から

 2018年10月に公開された新しい映画が、インターネット上でタダで観られるとは映画好きの小生としては嬉しいが、いくら時代とはいえこれでは映画産業が衰退するのは必至で単純に喜んではいられない。

【写真はフィリピン・パラワン島の海岸】

 そういえば以前と比べて、映画館へ行く回数が激減していて、これはつまらないハリウッド映画と国産の愚にもつかない映画ばかりを上映する、フィリピンの配給システムにも問題はあって、そのため映画ファンは映画館から足は遠のく。

 映画『ハナレイ・ベイ』を観ようと思ったのは、1980年にハナレイ・ベイを訪れていて、もう記憶は薄くなっているが映画の中に見覚えのある場所が写っているかと懐かしさからであった。

 映画を観て分かったが映画『ハナレイ・ベイ』の原作は村上春樹で、2005年9月に刊行された短編集『東京奇譚集』の中の一篇『ハナレイ・ベイ』から製作されている。

 この短編集は読んでいないが、村上春樹の小説はデビュー作の『風の歌を聴け』から読んでいて、この小説は1979年の群像新人文学賞を受賞し受賞後の刊行本を購入するが、その時の印象は翻訳文を読んでいるような気がした。

 その後、村上作品の話題になった小説はいくつも読んだが、ノーベル文学賞候補の話が出てからは読むのは遠ざかり、最近の作は全く読んでいない。

 セブの新刊本を売る本屋へ行くと、村上春樹の作品の英訳本がいくつか並べられていて、他に川端康成と三島由紀夫、吉本ばなながある程度で、日本の文学作品というのは日本だけでしか通用していないことが分かる。

 1980年に横浜からハワイまでヨットで往復したことを以前に書いているが、この時のハワイはホノルルのあるオアフ島、ラナイ島、そしてハナレイ・ベイのあるカウアイ島へ寄港している。

 カウアイ島は日本へ帰る時に寄り、その後は快適な貿易風を受けて小笠原の父島へ向かったが、ハワイを離れる最後の陸地として緑に包まれた島の印象は深かった。

 1980年のホノルル沖では第2回『パンナム・クリッパー・カップ』と呼ばれたヨット・レースが開催されていて、この大会には日本から3艇が参加し、今でも東海からの朝鳥、油壷の雲柱、沖縄のディダと名前を思い出す。

 特に朝鳥は船を訪れ内部を見学していて、軽量化のために余計な部材はそぎ落とされ、長期航海には向いていない居住性と細いマストを持つレース艇で、良くぞ向かい風の中で太平洋を渡って来たなと驚いた。

 パンナムというのはかつてアメリカのフラッグ・キャリア―とまでいわれた『パン・アメリカン航空』の略で、航空史の中ではかなり著名な会社であったが、航空業界の競争に勝てず1991年に倒産の憂き目に遭う。

 国際ヨットレースのスポンサーになっていた1980年代はまだ経営も良かったようで、日本で一番記憶に残るのは大相撲千秋楽の表彰式中、土俵上で独特の発音で賞状を読み上げる紋付羽織を着た支配人の姿が目に浮かぶ。

 その後、パンナム・クリッパー・カップは日本の音響メーカーの『ケンウッド』がスポンサーになり名前を『ケンウッド・カップ』と変えて2年ごとに開催されていたが、今はなくなったようだ。

 ケンウッドそのものが2008年に日本ビクターに吸収されてしまったから、お遊びのヨット・レースに金を出せなくなったし、そういえばセブの経済特区にケンウッドの工場が進出していたが、こちらもいつの間にか撤退している。

 カウアイ島というのは直径50キロほどの円形状をした島で面積は1430平方キロあり、2016年現在の人口が7万人台となっているから、1980年頃はもっと少なかったであろう。

 カウアイ島とセブ島の広さを比べると、セブ島は4421平方キロあり、カウアイ島はセブ島の3分の1弱でその広さは何となく分かるが、人口はセブの方が50倍以上あり、こういう面でもフィリピンの人口が爆発しているのが分かる。

 ハナレイ・ベイは北側に開いた湾口を持っていて、何隻かのヨットが沖泊まりしている区域に数日滞在するが、早朝の静かな艇上から眺める湾に迫る緑濃い山肌はいかにも南海の島という趣があった。

 海岸にはテンダー(小型ボート)で上陸したが、その海岸の記憶はほとんど残っていないし、映画のテーマになったサーフィンなどやれる波などあったのかと思うが、気が付かなかっただけなのであろう。

 

 ハナレイ・ベイの俯瞰のシーンが出て来て、海岸から見て右側に大きな白い建築物が見えたが、1980年台当時ここには地中海クラブのリゾートがあって、こういう辺鄙な島にそういった高級リゾートがあることに驚いた。

 フランス発祥の地中海クラブは時代にそぐわなくなり経営不振からその名前は消滅し、今はクラブ・メッドと名を変えて世界中にリゾートを運営しているが、中国企業の傘下にある。

 かつてのハナレイ・ベイの地中海クラブは1974年に造られていて、その前年の1973年に商社の伊藤忠が地中海クラブ・ジャパン作っているから、ハワイ大好きの日本人向けを狙って造られたのかも知れない。

 

 映画『ハナレイ・ベイ』は2017年に現地ロケをしていて、小生が訪れた頃から既に40年近く経っても、映画の中では海岸部に目障りな建物は建っていない感じはするが、目障りな物はカメラ・アングルで上手に隠しているのかも知れない。

 映画はハナレイ・ベイでサーフィンをする若者から始まっていて、あの海岸でサーフィンをするような場所と波があったのかと思うが、ヨット乗りはサーフィンにはあまり興味を持たないから気が付かなかったのであろう。

 ハナレイ・ベイに湾に突き出た桟橋があって、映画にその桟橋が写っていてその辺りで日系人の夫婦に逢ってヨットで日本から来たという話から始まって話し込んだが、次の日にその夫婦から弁当のような差し入れがあり、親切が嬉しかったのを覚えている。

 ハワイはアジアからの移民が多く、特にフィリピン系は10%近くを占めていて、ホノルル滞在中にもフィリピン系の若者と知り合い、その縁で出身地であるラナイ島へ行ったが、同島にあるパインアップル農園は広大で、また労働の激しさも感じた。

 映画『ハナレイ・ベイ』は癖の強い吉田羊の主演だが、良いとも悪いともいえない演技で、監督、脚本などその年の映画賞の候補にもなっていないから、この映画は話題にはならなかったようだ。

 小生のように題名を懐かしんでみる人間もあるが、映画の中で湾口の左側に沈む落日の様子があり、その落日を滞在中に海岸で焚火をしながら見ていて、今までたくさんの夕陽を見ているが、記憶に残る一つになっている。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2019, 11:37
-, trackbacks(0), pookmark
Trackback
url: http://cebushima-blg.jugem.jp/trackback/3353